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第10話 その一筆に魂を込めて




   ○○○

 秋空の中に暖かさが浮かび始めた午後二時。

 外の陽気とは真逆に黄昏の家には水も凍るような冷たい緊張が漂っていました。

 

「………………」


 目の前にはラギアン様が真剣な面持ちでキャンパスと向かい合っています。


 それはまるで針の穴に糸を通すかの心持ち。一筆一筆に魂を込めるかのように己の青く燃える情熱をキャンパスへとぶつけています。


「すごい集中力ですね」

「それだけラギアン君も真剣なんだね」

「あの若造があんな顔をするとは…………」


 普段のラギアン様は飄々とした態度でヴォリス様と仲良く言い合う明るい若者という印象がありました。


 しかし今の彼の態度はどうでしょうか。まさに澄み渡った湖のような落ち着き様です。


「………………」


 まだか、まだかと逸る心が額に冷たい汗を滴らせます。

 数滴の汗は頬を伝い、首元まで行き襟元を濡らしました。

 そんな時です。


「…………完成だ」


 小さく、しかし大きな確信を持った声が酒場に響き渡ったのです。


 ラギアン様は筆を置くと、バタリと地面へ倒れるように寝転んでしまいました。


「かぁー! いやっしゃあ、完成したぁ!」


 両手両足を大きく広げて喜ぶその姿はまるで小説にあるドラゴンを討伐した英雄そのもの。


 そうです。ラギアン様は見事『自身の内での最高の作品』という強大なドラゴン(試練)を見事に征したのです。


「お疲れ様でした、ラギアン様!」


 私は感極まったかのように席を立ち、ラギアン様の元に駆け寄り声をかけようとしました。


「………………」

「ラギアン様?」


 しかし先程まで耳を()()()()ような大きな声がパタリと止んでしまいました。


 一体どうしたのでしょうと思い心配した直後、その答えが彼の口から聞こえて来ました。


「…………ぐ〜…………ぐお〜」


 ラギアン様は遊び疲れた子供のように夢の世界に旅立っていたのです。


 彼の顔を注意深く見てみると、目の下に大きな黒模様が浮かんでいました。


「ふん、大方寝ずに絵を描き続けていたのだろう。無茶できるのは若者の特権だな」


「でも完成直後の絵を見てもらいたいからわざわざここで仕上げを描いていたんだろうね〜。かわいいヤツめ」


 そう言いながら二人はラギアン様を椅子の上に寝かせるのでした。


「それで、一体どのような絵を描いたのでござるか?」


 マスターの一言が私達の視線を一点に釘付けさせました。

 ラギアン様の渾身の作品がそこにはあります。

 

「…………見てみましょう」


「そうだな。見ないことには何をするかも決まらん」


 そうして私達はその絵と相対しました。


「これは…………」

「まさか、こうなるとは」

「ほお?」

「…………」


 最初の第一印象も。そこに何を感じたのかも。これが果たして上手なのか、それとも下手なのかも。私達がその絵の感想は多種多様でした


 しかしこの絵を見て皆が心に思い、そして口に出した言葉は一つだけ。


 『素晴らしい』と。

 まるで合唱(コーラス)のように、四つの声が一つに重なり合うのでした。









   ○○○

「いやー悪かった。気が抜けて寝ちまったよ」


「本当に驚きましたよ! 怪我人なんですから自分の身体を大事にしてください!」


「ま〜ま〜、絵が完成できたからよかったじゃないか」


 ラギアン様が夢の世界へ旅立ってから三時間。その後は特に異常が起こることはなくラギアン様は目を覚ましました。


 外はもう暗くなり始め、マリアンから言いつけられた門限が刻一刻と迫っています。


「それで、この後はどうするんだ?」


「この後は絵を売るための作戦会議をしようと思っていたのですが…………」


 チラリとラギアン様へ視線を向けます。


 傷だらけの身体に目の下に浮かぶ大きな隈。疲労によりやつれて見える彼の頬はまるでご老人のように儚く、そして危うさが過ります。


 それはまさしく満身創痍。見るも無残とはこのことを指しているのでしょう。


 しかし私の視線の意味に気づいてか、ラギアン様は胸を叩きながら声を張り上げました。


「俺なら平気さ。それよりもこの絵をみんなに見てもらいたくてうずうずしてるんだよ」


「ラギアン様…………しかし」


「だーいじょうぶ! それより絵をどうやって売るかを考えようぜ!」


 勇敢なラギアン様!

 そこまで言われてしまえば、彼を止めるモノは存在し得ないでしょう。


「わかりました。しかし無理は禁物ですからね」


「ふん。ならさっさと話し合おうか、若造の絵を売る戦略をな」


 そう言ってヴォリス様は立ち上がるとラギアン様の絵を一瞥すると、ふんと鼻息を漏らしながら語り始めます。


「わしは作家だ。文字を書いて伝えることにしか能が無い。絵をどうやって売るのかは皆目わからん」


「おいおい、昨日はあんだけ言ってくせにどうした?」


「焦るな。だからわしはこの絵に文字という彩りを与えてやる」


「どういうことなの?」


「美術館に飾られている絵には解説文があるだろう。どこで何を描いたとかいうヤツだ。その解説文をわしが書いてやる」


 ヴォリス様はニヤリと笑いながら羽織った軍服をなびかせました。


 その圧倒的な自信はまさにかつてのダリアン文学界の帝王を彷彿させるようです。


「で、ですが一体どのような解説を?」


「若造がこの絵を描くに至った経緯を簡単な物語にしてやる。無論若造の協力も必要だがな」


「物語…………」


 絵画というのはその出来映えもさることながら『物語』にも大きな注目が集まります。

 『物語』が絵画の魅力を引き立て、見る者をとりこにする。


 生前は評価されなかった画家の絵が死後評価されるようになる背景には壮絶な『物語』の存在が多々あります。

 その部分を()()ヴォリス様が書くとおっしゃったのです。


「このわしが書くんだ。期待以上のやつを用意してやる」


「じいさんも作家としてのプライドがあるだろ。俺の絵なんかに本当に良いのか」


「馬鹿にするな。お前の絵が良いものと思ったからこそ書くのだ。それにマフィンをもらうと約束したからな」


「じいさん…………」


「じゃあヴォリス君に絵の解説を書いてもらおうか〜」


 こうしてラギアン様の絵を売るための会議の第一歩が終わりました。


 しかし会議はまだまだ始まったばかり。考えることはたくさんあるのです。


「では、次に絵をどこで売るかですが…………」

「近くの大通りはどうだ?」

「もっと大きくエアルト中央広場で…………」

「あそこは結構人通り激しいよ〜。それに絵を売るなら美術館の近くがいいと思うな〜」


 こうして私達は空が暗くなるまで話し合い、その後はヴォリス様とラギアン様が解説文を作るために酒場に残り、私とベルリン様は各々家路に付いたのでした。


 ちなみにお屋敷に帰るのが遅くなった結果。マリアンから耳が取れてしまいそうになるほど叱られ、宿題の量を四倍に増やされてしまいました。


 悪辣なマリアン!






   ○○○

「…………へえ、そんなことがあったんだ」


 騎士団長ニコロは興味深そうに報告書を見つめている。


 その見た目も相まって俺の眼にはまるで新しいおもちゃを探そうとしている子供のように俺の目に映った。


「アシュバルトの新技術である魔術に侍女長のマリアンね。まだ派遣されてから間もないのにこんなに成果を上げてくれるとは。さすがクレンだ」


「…………お褒めに預かり光栄です」


「ははは、もう少し態度が柔らかくなったら完璧なんだけどね」


 彼女はそうけらけらと笑いながら資料を机に置くと、立ち上がって窓の先にある夜空を見上げた。


「そうそう、この前言ってた一悶着について新しい情報が出た」


「一悶着?」


「忘れたのかい? ラギアンとかいう人間(ヒューマン)が巻き込まれた泥棒騒ぎさ」


「あっ…………」


 慌ただしい日常の中ですっかり忘れていた。

 あの件はまだ終わってはいないのだ。


「あのナブラルとかいう騒ぎを起こした男。騒ぎを起こした場所を中心に小規模だけど『反貴族運動』を掲げていた」


「やはりそうでしたか……」


 反貴族運動。

 その名の通り現在のダリアンの政治体制である貴族主義の撤廃を求める運動だ。


 下層階級の者を中心に広まっており、たびたび大通りなどで抗議活動をしている光景が見られたりする。


 とはいえこれはアングラ的な活動であり、世間にとってヤツらは『何やら騒いでいる変な集団』でしかない。


「まあ別に反貴族を掲げていようとそれが問題になるわけではない。ただこの前の騒ぎは少々毛色が異なっていた」


「確かに貴族に対してではなく、ただの画家にいちゃもんをつけていましたからね」


「そう、しかもその騒ぎのおかげで沢山の人に注目されていた。まるで見てくれと言わんばかりにね」

「………………」


 もし、ナブラルという男が注目を集めるためにあの騒ぎを起こしたとしたら。


 その裏では何か重大な出来事が起こったのではないか。ではその重大な出来事とは一体何なのか。


「まあ想像を膨らませてもしょうがない。クレンは今の任務に集中してくれ」

「…………わかりました」

「ふふっ…………」


 ランタンの淡い光と月の明るい光に照らされた静かな部屋。


 ニコロは不敵な笑みを浮かべると、空に浮かぶ陽炎のようにその真っ赤な髪をふわりと靡かせた。


「さあ、もう夜も遅い。早く休もうではないか」


「わかりました。それでは失礼します」


 そうして部屋の扉を開き外へ出ようとした時だ、背中から燃えるような視線が俺に突き刺さって来たのだ。

 その正体はわかっている、ニコロだ。

 

「………………おやすみなさい、クレン」


「………………ええ、おやすみなさい、ニコロ」


 彼女の発した冷たい()。まるであの時商人が言っていた『魔術』のようじゃないか。


 ワルツ卿は信じていなかったが、もしかしたら魔術は実際に存在しており、誰にでも扱える便利な技術なのかもしれない。


「…………まったく、とんだ新技術だ」


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【連載版】星空を見上げれば 滅びゆく世界で戦い続ける女の子達の物語です。 近代ファンタジーがお好きな方はぜひお読みください。
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