第6話 ガラスの夢
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「いらっしゃ…………、ラギアン殿! その怪我どうしたのでござるか!」
「と、とにかくイスを並べてそこに寝かせて!」
黄昏の家にはマスター様とベルリン様の姿がありました。
私の肩にもたれている傷だらけのラギアン様を見て二人は驚き慌てながらも傷の手当てをしてくれました。
「とりあえずの応急処置は済んだでござる。骨などは折れていないがしばらくは安静にするでござるよ」
「…………ありがとうマスター」
処置を終え、ふうと一息ついたマスターに絆創膏だらけのラギアン様が安堵混じりの感謝を述べます。
一方のベルリン様は眉間に皺を寄せながら難しい顔をしていました。
「ラギアン君、一体何があったのか聞かせてくれる?」
ベルリン様の声色に私は戦慄しました。
その声はいつも酒を飲み全てを楽しいと思うような人物とは違う、まさしくお父様のような厳粛な貴族のような態度でした。
「あ、あぁ、ちょっと待ってくれよ。頭の中を整理させてくれ」
「大丈夫。ゆっくり、落ち着いて話してくれれば良いからね」
手を目元に置き、どこかうちひしがれるような姿のラギアン様。
「そうだな、簡単に言えば俺の失敗談のようなもんだ」
そうして一人の夢に敗れた青年の歴史を彼は語り始めました。
「まあ見ての通り、俺はダリアン出身の人間じゃないんだ」
「そうでこざろうな。拙者と同じく猫族や犬族の証である獣の耳が無いでござる」
「俺はダリアンから西にある国の出身でな。夢だった絵描きになりたくて師匠の反対を押し切って遠路はるばるこの国に来たんだ」
「そうだったのですか……」
「最初の頃は楽しかったな。街も綺麗だし、明るいし」
ラギアン様は夢を叶えるためにこのダリアンを訪れました。
最初こそこの華々しい都の景色に心惹かれ、そして自身の輝かしい将来を夢見て心躍ったでしょう。
しかし現実という鉄槌は彼のささやかな夢を軽々と打ち砕きました。
「だが世の中そう上手くはいかないな。絵を何枚も描いて路上で売ろうとしてもまったく売れなかった。『情熱や夢だけで絵は売れない』、師匠の言った通り俺が甘かったんだ」
「………………」
「………………」
「ラギアン様…………」
「まあ別に絵が売れなくても別に良い。俺の技術不足ってだけだからな。ただ問題だったのが周りと俺の違いだった」
違い。
その山のように重い言葉をラギアン様ははっきりと、そして親の仇へ向けるような憎しみを込めて発しました。
「この国は二つの獣人族が統治する国だ。大半は他の種族のことなんて別に気にしないんだが、一部のヤツは他の種族に対して過激な思想を見せてくる」
「特に上級の貴族連中や貧民街に住んでいるような極端な人達にね」
「そんなヤツらにとって俺が『絵画』というダリアンで最も栄えている芸術をやっているのが気に入らないんだろうな。ことあるたびに嫌がらせを受けてきたんだよ。さっきのやつもその一つ。ここまで激しいのは初めてだったけどな」
「そんな…………」
ダリアンという闇の入り口。
それは種族という絶対に越えられない壁によって産み出された『差別思想』だったのです。
上流階級は自身の種族としての面子を保つため、そして富める者としての悦に浸るため。
下層の者は憂さ晴らし、そしてちっぽけな虚栄心を満たすための慰めとして。
どちらも共通するのが『あの種族が気に入らない』というなんとも度し難い理由です。
その超えられない壁は目の前の夢見る青年の夢を傲慢にも奪い取り。恐ろしいことに先程は命すら奪いかけていました。
それはその人の自由という尊厳を鎖で縛り上げ、自身の思いのままにしようとする所業。
許せない。本当に許せません。
ダリアン十二貴族の娘としてではありません。私という一人の存在がこの所業に激怒していました。
理由は明白。彼らはラギアン様の自由を差別という名の鎖で縛り上げ、自身の憂さを晴らすためだけに彼を足蹴にしたのです。
ただ種族が違うという小さな理由だけで。
「ラギアン様…………!」
「レイちゃんどうしての、すごい顔だよ?」
かつての私ならこのようなことも『仕方ない』と目を逸らし受け入れてしまったでしょう。しかし今は違います。
自由という素晴らしきものは全ての人へ平等に与えられるべきなのです。
そしてラギアン様はある夢を持っています。まるで澄み渡る青空と辺り一面に広がる平原を描くような純粋で綺麗な夢が。
それは誰かを縛る忌まわしき鎖を引きちぎれる万物の力を有しています。
だから私は言います。彼の夢を叶えるために伝えるべき言葉を。
「絵を売りましょう! そして証明しましょう『ラギアン様こそダリアンで一番の画家』なのだということを!」
「…………え?」
「へえ〜」
「ござるか」
ここからが始まるのです。
ダリアンの歴史に残る素晴らしき芸術が誕生する瞬間が。




