第5話 甘美な毒は虚栄の心を慰める
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「…………以上が今回の騒ぎの内容です」
「そうか、報告ありがとね」
白い光が差し込む朝の時間。
俺は厳粛な雰囲気が漂う執務室にて、騎士団長であるニコロに対して先のラギアンが巻き込まれた騒ぎについての報告をしていた。
「それにしても聞くと本当にめんどうな内容だよねぇ。わけのわからないところも多いし」
ニコロはそう言って青い瞳を細めながらふっと鼻で笑った。
そう、一見すればただの喧嘩で処理するはずだった今回の騒ぎには異常な点が多々見られる。
何故ラギアンが騒ぎに巻き込まれたのか。
何故都の治安維持を担当している衛兵隊が出動していなかったのか。
盗まれた時計とやらどこに行ったのか。
そして、幸い俺が介入したことで大事にはならなかったが一歩間違えれば刃傷沙汰になりかねないほどに激しい騒ぎになったのは何故なのか。
挙げられるだけでもこれだけの異常。もはや騒ぎではなく事件として扱っても良いと思えてしまうほどだ。
「騒ぎの原因を調査しましょうか?」
「そうして欲しいのは山々だが、クレンはワルツ家のことで忙しいだろう? それに突発的に起こったいざこざの調査なんていくら君でも無理だよ」
確かに、昨日の騒ぎは貴族同士で巻き起こる陰謀のような計画性はまったく無い。本当にただの路上で起こった喧嘩なのだ。
しかし何か引っかかる。
このモヤモヤした違和感は一体何だ。
「とりあえずは衛兵隊にこのことを報告し、『エリア・マシュウ・マロン』周辺の警戒を強化させておこう。もう下がっていいよ」
「わかりました。それでは失礼します」
そうしてゆっくりと一礼をし、彼女に背を向けて部屋の扉に手をかけた。
「…………差別という毒は誰かにとっては甘い蜜になる。…………悲しいことにね」
「ッ…………」
その時だ、背後から聞こえてきた彼女の言葉に思わず胸が跳ね上がる感覚に襲われる。
「おや、聞こえてしまったかい?」
「…………いえ、失礼します」
気持ちが悪い。
『差別という毒』
この言葉に込められた意味を考えると吐き気がするほどに気持ちが悪かった。
この気持ち悪さは団長室から出た後もワルツ家のお屋敷に行く道中でも、その言葉はずっと俺の頭にこびりついていたのだった。
まるで全身にめぐる毒のように。
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明るく彩られた賑やかな大通り。太陽に照らされ白い道を私は鼻歌混じりに歩いていました。
「ふふふ〜、こんなに早くお屋敷を抜け出せるなんて初めてだわ」
そうなんです。いつも私が抜け出す時間は太陽がオレンジ色に輝く夕方ですが、今日は太陽がまだ白く輝いている時間に私は自由を満喫していたのです。
ああ! この真上で輝く太陽の下を歩けるというのはなんて素晴らしいことなのでしょう。
この嬉しさに思わず背負っているバイオリンを取り出して一曲弾いてしまいそうになります。
「この薫るような日差し、まるでマリアンの淹れた紅茶のように暖かいわ。お昼の散歩ってとても気持ちのいいのね!」
秋空を眺めながら優雅に歩く午後の頃。
まさにこれ以上ない贅沢なひと時を過ごす…………はずでしたが。
「この耳無し野郎が! 生意気なんだよ!」
「こんなもの売りやがって、この!」
黄昏の家へ向かう通り道、貧民街の手前にある路地からなんとも言いようのできない罵声が聞こえてきたのです。
私の優雅な午後に水を差す雑音、まさしく不快の極みです。
「一体何があったのでしょう…………」
当然ながら気になった私は静かな足取りで罵声がする場所へ行きました。
「あれは…………!」
狭い路地の先にはとても凄惨な光景が広がっていました。
二人の犬族が、倒れている男性を足蹴にし、なんとも醜い罵倒を浴びせていたのです。
耳無しが大通りを出歩くんじゃねえ。
テメエみたいなヤツは這いつくばるのがお似合いだ。
いっぱしに絵なんて売りやがって、こんなのが売れるわけねえだろう。
まさに理不尽と言える罵詈雑言の嵐。
その光景に小心者の私は思わず言葉を失ってしまったのですが。
「…………絵? あっ!」
その視線の先にある光景を見て私はハッとしました。
足蹴にされている男性。彼の服装とその特徴が私の記憶にある人物とまさしく合致したからです。
「ラギアン様!」
「ああ、何だ?」
いても立ってもいられず、私は倒れているラギアン様の下へ駆け寄りました。
幸いにも大きな怪我は無いようですが、意識がありません。
「何故このようなむごいことをしたのですか!」
私はライオンの遠吠えのような大きな声で彼らに詰め寄ります。
「お、おいなんだよこの女」
「知らねえよ、いきなりヒステリーな声出しやがって」
ラギアン様を足蹴にしていた二人の男は私の登場に困惑の色を浮かべていました。
そして挙動不審に周囲を見回した後、二人は顔を合わせ。
「騒ぎを聞かれたら面倒だ。逃げるぞ」
「チッ、まだやり足りねえが仕方ねえ」
足早にこの路地から去って行ったのでした。
先程までラギアン様にこんな酷いことをしていたのに状況が悪くなれば一目散に逃げる。本当に情けない人達です。
「そうです! 大丈夫ですか、ラギアン様!」
「う…………ッ、レイ…………ちゃん?」
幸い意識は回復してきたようで、朧げながらもなんとか立ち上がることができました。
「大事が無くて本当によかったです」
「な、何が…………うっ!」
が、ラギアン様は頭を抑えると、おぼつかない足取りでふらふらと路地の壁にもたれ混んでしまいました。
意識が回復したと言っても先程まで男二人に足蹴にされていたのです。まずは傷の手当てが先決でしょう。
「肩をお貸しします。黄昏の家で治療をしましょう」
「あ、ああ。ありがとう」
そうして私とラギアン様は目的地である黄昏の家へ亀が歩くようにゆっくりと、しかし確実な足取りで向かうのでした。
この凄惨な光景こそ、私が遭遇したダリアンの国に蔓延る、歪な闇の入り口だったのです。




