第4話 絵画と夢は盛られてこそ②
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私とブルース様は黄昏の家を後にし、暗い貧民街の中を歩き始めた、のですが。
「………………」
「………………」
酒場でのやりとりはなんだったのか。お互いにまったくの無言で歩き続けていたのでした。
その光景はまさに滑稽。もしこの場に小さな子供がいたら指を差されてからかわれるのは必至でしょう。
そもそも何故私はブルース様、いえクライング様にお送りをお願いしてしまったのか。
彼は私のお屋敷に派遣され現在はお父様に仕える騎士。そんな騎士である彼に私の正体が判明した際にどうなるのかは火を見るより明らかでしょう。
軽率な私!
あの時の私がすべきことは彼の提案を拒むことでした。
しかし場の雰囲気というものに飲まれてしまった結果、現在のような状況になったのです。
とはいえこうなってしまっては仕方がありません。
それに今の服装などから私の正体を見破ることは不可能。このまま何事もなく無言のまま大通りに送ってもらえれば済む話なのです。
「レイさん、気になったことがあるんだけど一つだけ質問しても良いかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「君のその喋り方ってどこで覚えたの? 俺の知る限り小中流の家でそんな上品な喋り方する家なんて聞いたことがないんだけど…………」
「あ、あ、あー、え、えー、えーと……」
やばいです。
思わず吃ってしまうほどにやばい状況です。
この話し方は物心がついた時からマリアンに教え込まれたもの、つまり生まれついてのクセなのです。そんなクセを今更やめるなんてできません。それは仕方のないことなのです。
まさかブルース様がこんな細かいことを指摘するとは思ってもいませんでした。
さすがは騎士、この国を守るお方の鋭い観察眼です。ですが今はその鋭さが恨めしい!
なんとか、なんとかして誤魔化さなくては。
「しょ……小説の登場人物を真似た話し方なんです。その人物に憧れていてまずは形から入ろうと思って…………」
「あー、そういうことだったのか! 貴族みたいな喋り方だったから気になってさ」
「そうだったんですね〜、ははは」
なんとか誤魔化せましたかね。
何はともあれ私は苦難を乗り切ったのです。
ああ、苦労を乗り越えると気分が良いですね。この気持ちをバイオリンに乗せて弾いてみたいぐらいです。
「あともう一つ気になったのがさ…………」
訂正します。苦難はまだ終わっていません。
それどころか、もっと大きな苦難に当たりそうな予感すらします。
「俺、君の演奏を聴いたことが無いんだけど、それはどうしてなの?」
「あー、そういえばそうでしたね」
何気ない質問。その理由は単純です。
純粋に彼が訪れた時には私の演奏会が終わっていたのです。
ブルース様が黄昏の家に訪れるのはいつも演奏会が終わった直後の時間。故に彼が私の演奏を聴けないのは当然のことなのです。
「ということなのですよ」
「そうだったのか。確かに俺が来る時はいつも日が落ち始める頃の時間だからな」
「もし演奏をお聴きになりたいのであればもう少しお早めに訪れてはどうでしょうか?」
「そうしたいけど、騎士の仕事はいつも遅く終わるからなぁ」
頭を掻きながら困ったように笑うブルース様。
そんな風にしていると、活気の良い声が漏れて聞こえました。大通りに到着したようです。
「…………見送りはここまででいいかな?」
「はい。お見送りしていただき本当にありがとうございました」
私は彼の前に立つと、服の裾を摘みながらゆっくりと礼をしました。
これもつい出てしまったいつものクセ。しかし何かしてもらって礼をするのは当然の事です。
「それでは私はこれで失礼いたしますね」
「ああ、気をつけてね」
そうして私は彼に背を向けると大通りの喧騒の中へ入り、お屋敷に向かって帰るのでした。
「………………」
ここで弁明いしておきましょう。
私はクライング様に嘘を言いました。
彼が私の演奏を聴くことができない本当の理由は『私が意図的に聴かせないようにしている』のです。
何故なら彼は貴騎相関の儀の初日に私の演奏を聴いたのです。
もし彼が耳の聡い人物なら酒場で演奏を聴いた時点で私の正体に気付いてしまいます。
クレイング様に正体が暴かれることはお父様に暴かれることと同義。もしそうなったら私の自由は終わりを迎えるでしょう。
それは絶対に嫌なことです。故に私は嘘を言いました。
「…………ごめんなさい、ブルース様」
ああ、今日は本当に素晴らしい一日でした。
願うのならこの日常が一日でも長く続くことを祈りましょう。
たとえそれがガラスのように砕け散ってしまう儚い夢だとしても。




