第2話 騎士は己の職務を全うする
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人の波を抜けた先、その中心には二人の人間が向かい合っての言い争いが繰り広げられていた。
「お前が俺のモノを盗んだんだろうが!! さっさと返せ!!」
「だから何の話しなんだよ! 俺は何も盗んでない。ただ座って絵を描いてただけだって!」
「しらばっくれるな! 俺は見たんだ、お前が俺の時計を盗んだところを!」
怒った犬族の男性が目の前の彼に掴みかかろうとしてくる。
周りの野次馬達も興奮している様子で"そら、やっちまえ!"などと言いながら争いを激化させようとしている。
さすがにこのままでは暴動に発展しかねない。そう思った俺は一目散に二人の間に割って入った。
「そこまで!」
「ああん? いきなり割り込んで何様だ!」
「私はダリアン騎士団の者です。これ以上続けるのなら騎士団の権限を以て貴方達を拘束します!」
「……ッ、騎士団だと…………?」
騎士団の名前を出すと犬族の男性は渋い顔をしながらも拳は納めてくれた。
最悪の事態はとりあえず避けられた。が、まだ二人はまだ興奮冷めやらぬ様子だ。早く場を落ち着かせなければすぐに元に戻ってしまうだろう。
なんとかして、この騒ぎを収めなければ。
「その声…………お前ブルースか!?」
「え?」
その時だ、背後から聞き覚えのある声が聞き覚えのある名前を出してきた。
ブルース。それは四日前に訪れた『黄昏の家』で名乗った俺の偽名だ。
その名前を知っているのはあの時黄昏の家に居た者だけ。そのことは騎士団長ですらその名前を知らないはずだ。
つまりこの声の主は。
「ラギアンさん…………?」
「おお、やっぱりブルースだ!」
振り返るとそこにはベレー帽を被り、オーバーオールを着た若き画家の人間の姿があった。
ラギアンは俺という思わぬ助っ人の登場に嬉しそうに期待を込めた眼差しを向けている。少しだけ肌痒い感じだ。
「と、とりあえずこの状況の解決が先決です」
唐突な状況に混乱しそうだが、今は騎士としての責務を果たさなければならない。
つまりは事態の沈静化、そして問題の解決を。
「まずはお二方のお名前を教えてください」
「うん? ラギアンだ。ブルースは知ってるだろ?」
「一応決まりなのでね。そちらの貴方は?」
「…………ナブラルだ」
「わかりました。ではナブラルさん、ここで一体何が起こって貴方はラギアンさんに怒りを向けていたのか説明していただけますか?」
「ああ教えてやる! この耳無しがな…………」
この通りを散歩していた彼にラギアンがぶつかってしまい、その直後に懐にあった懐中時計が無くなった。
そして彼に問い詰めたところ何も知らないと言ったので無理矢理取り返そうとした。
彼の話を要約するとこんな感じになる。
この話を聞いていたラギアンは明確な怒りを露わにしてナブラルに食ってかかった。
「だから懐中時計なんて知らないんだって!」
「とぼけるな! お前しか盗めるヤツがいねぇんだよ!」
「落ち着いてください!」
興奮状態の今の二人では冷静に話し合うのも無理だろう。このままでは盗んだ盗んでないの水掛け論になるのは必至だ。
だが、この問題は簡単に解決できる。
「もし盗んだというのならラギアンさんはまだ時計を持っているということでしょう?」
「だろうな」
「なら私が彼が時計を隠していないか調べさせてもらいます。それで見つからなければ貴方も納得できますよね?」
「…………わかった。この場にいるヤツらが証人だ」
「俺もそれでいいぜ」
「ご協力感謝します」
こうしてラギアンの身体検査が始まるが、ベレー帽から始まり、オーバーオールやズボンのポケット。靴の中を見ても懐中時計らしき物は見つからなかった。
最初は期待を寄せていたナブラルも時間が経つにつれ、その顔色が段々と困惑と怒りが混ざり合ったようになってきている。
「最後、そのカバンの中も見せてください」
「ほらよ、絵を描く道具しか入ってけどな」
そうしてカバンの中の確認も終わった。
そうして結果は出た。
「ラギアンさんは懐中時計を持っていない。つまり盗んではいません」
「嘘だ! 盗んだのはコイツしかありえないんだ!」
「しかし貴方も確認した通り、彼の服や荷物の中にそのような物は一切見つかっていません」
「嘘だ…………、そうだ、お前はコイツと知り合い何だろ! だから見て見ぬ振りをしたんだ!」
「それは騎士である私に対する侮辱と受け取ってよろしいのでしょうか?」
「………………ッ」
事態はナブラルが不利に動いていた。
時計は見つからず、勘違いでラギアンに罪を被せてしまった。しかし一度言い出した手前引っ込めるのも難しい状況だろう。
だが忘れてはいけない。この場にいるのは俺達だけではないということを。
「なんだよ、盗んだと嘘を吐いたのかよ」
「くっだらねえ」
「こんな騒ぎ起こしとしてよく平気でいられるよなぁ」
「まあ人間のヤツの慌てる顔は見てて面白かったがな」
周りに集まっていた野次馬達から浴びせられる冷たい視線と呆れ声。
こんな四面楚歌の状況になってしまっては彼にはもう成す術が無い。
「クソ騎士と耳無しが、覚えてろ!」
ナブラルはそんな捨て台詞と共に逃げるようにこの場から去って行くのだった。
「まったく、とんだ騒ぎだったな」
「解散解散。さっさと仕事に戻ろう」
そして騒ぎが収まればもう野次馬をする必要は無くなる。
集まっていた人達は水面に広がる波紋のようにこの場から散り散りと離れていくと、最後には元の広々とした通りに戻るのだった。
「ふう……」
「ブルース! 助けてくれてありがとな!」
「ッ!?」
騒ぎにならなくてよかったと、ひと段落したところにラギアンの元気な声が俺の耳を刺激した。
その大きな声に思わずビクッと頭の耳を逆立ててしまう。
「あ、あぁ、貴方も災難でしたね。まさか泥棒と疑われるとは」
「本当だよ! 俺はただの絵描きなんだからな!」
「ハハハ…………、では私は用事があるのでこれで失礼します」
「おう! 今度一杯奢ってやるよ!」
さてと、とんだ寄り道だったが当初の目的である手紙の配達をしなければならないとな。
こうして俺は道行く馬車とすれ違いながら目的地へ足早に向かって行くのだった。
もうすぐ日が暮れる。つまりはお屋敷の仕事も終わる頃だ。
ならば今夜もあの酒場に行こうかね。あそこには安い酒と最高のロケーションがあるのだから。




