第9話 酒を求める午後六時
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「ワルツ卿にお嬢様に侍女長か。うんうん報告ありがとう。今日の君のお仕事はこれでおしまいだ。ゆっくり身体を休めたまえ」
騎士団長に今日の報告を済ませ、俺は騎士団の宿舎にある自室へ戻ってきた。
「…………眩しいな」
自室へ帰った俺を窓から差し込むオレンジ色の光が出迎える。眼にチラついて少々眩しかったが不思議と不快には感じなかった。
「はあぁ…………」
色々な気持ちを吐き出しながらベッドの上にドンと音を立てて座り込んだ。
感触の固いベッドのせいで少し尻が痛む。まあ特段気にすることでもないがやはり気分は悪いな。
それにしても今日は慣れないことばかりで本当に疲れた。
厳粛な開幕の儀から始まり、普段行くことの無い貴族の屋敷。ワルツ卿との対談にそこに仕える侍女とのやりとり、そしてワルツ卿の娘への挨拶と、やることなすことが初めての連続だった。
まあ騎士団という特異な環境に身を置いてる以上、ある程度のことは許容しなければいけない。だがそれを込みでも今日一日は本当に疲れた。
「だるぅ……」
こんなことがこのまま続くと身体の疲労もそうだが何より精神的に疲れそうだ。
となると、やるべきことはただ一つだ。
「こんな日は飲むに限る」
慣れないこと、辛いこと、そんな細かいことは酒で洗い流すに限る。
そう思いつけば行動は早く、俺は騎士団の制服を脱いで普段着である安っぽい麻の服に身を包んだ。
まがいなりにも制服を着た騎士が酔い潰れたら騎士団の湖圏に関わるからな。
「それじゃあ、行きますか」
そうして俺は自分の気持ちのままに夕陽に照らされた街へ繰り出すのだった。
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ダリアンの都は中心地から放射状に広がって様々なエリア毎に名前を付けて仕切られており、一部のエリアはダリアン十二貴族が統治をしている。
例を挙げるなら中心から北側を序列第一位の『エアルト家』が統治している場所『エリア・チョコ・レイト』。南側が序列第四位の『ロンド家』が統治する『エリア・キャン・ディーズ』という具合だ。
当然ながら十二貴族が都の全てを統治しているわけではなく、ワルツ家などは統治する能力が無いので自身の区画を持っていなかったりする。
まあその辺りの話はおいおいするとしよう。
「さあて、どっかいい店はあるかな?」
俺は酒を飲むために街へ繰り出した俺は宿舎から一番近い都の東側にある大通りを当てもなく歩いていた。
この通りはダリアンの中でも指折りの騒がしさで有名で、通りを見渡せば大きな声で呼び込みをしている露店に路上の絵売りをしている画家を見かけ。そして耳をすませば即興音楽の軽快な音色が鳴り響いてくる。
どれも酒の肴にはちょうどいい最高のロケーション、なのだが。
「高いな」
この通りにある酒場はテラスが設けられた小洒落た綺麗なバーなどが主だった。
それ故かそのお値段もかなり小洒落ており、一介の騎士が出すには少々お高めであった。
まあ出せないことはないが、今の俺の目的はあくまで酒を飲んでストレスを発散すること。なら求めるべきは綺麗なロケーションより値段の安さだ。
「もう少し奥の方へ行くか」
この場に無いものをねだっても仕方ない。
俺は安い酒場を求めて通りの奥へ歩みを、進めた。
酒を求めて奥へ、奥へ。
そうして酒場を探し続けて十数分か経った頃、俺は周囲の異常に気が付いた。
「うん、ここは」
先程まで騒がしかった人の気配がぽっつりと消え、耳に聞こえるのはアコギの小さな音色とカラスの鳴き声。
そして道に広げられた露店の代わりには、割れた酒瓶や古い新聞紙などが広がり散乱されていた。
これの意味するものは一つ。
「貧民街まで来ちまったな」
ダリアンの下層階級、というより身寄りや金の無い人達が集まるこの国の暗礁、貧民街に俺は立っていた。
ここはまさしく無法地帯。その脅威にこの都の治安を守る組織ですら貧民街周辺の騒ぎには介入を躊躇うほどだ。
そして今の俺の格好はまさに迷い込んだ市民そのもの。そんな絶好の獲物を貧民街の荒くれ者が見逃すはずなかった。
「よおよお、にいちゃん。一人寂しくどうしたんだぁ? あれか、彼女にでも振られたのかぁ?」
「俺たちが慰めてやろうか? ガハハハハ!!」
そらきた。
路地から痩せた男と大柄な男が現れ、逃げ場を塞ぐように前後に立った。
男は値踏みするような、いやらしい眼で俺を見ている。その姿はまさしく小説に出てくるチンピラそのものだ。
「にいちゃん、俺たちに見つかったのを不幸だと思って、有り金全部よこしな」
「それは困りますよ。まだ一杯も酒を飲んでない」
「舐めてんじゃねえぞ!」
「逸るな、なあにこんなヒョロっとした奴なんてすぐに身ぐるみ剥がせるさ」
痩せた男はナイフを舌舐めずりしながら獲物を吟味している。なんというか、これほどまでのあからさまな展開は逆に感心するよ。
だが、今夜の酒代は流石に渡せない。とはいえ、騎士として彼らに一応の警告をしなければならない。
「ちなみに俺は騎士団の人間なんだけど、本当に喧嘩しますか?」
「テメェみてえなしょぼくれた格好の騎士がいるかよ!」
「ホラ吹いてんじゃねえぞ! このくそ野郎!!」
精一杯の警告虚しく、大柄の男が大きな声を上げながら背後から突っ込んで来た。
その様相はまさに迫り来る壁そのもの。並の者ならビビって尻もちを付いてしまうだろう、が。
「遅すぎるね」
「うおっ!」
俺は大柄な男の突進を避け、そのまま彼の足を蹴った。
「お、おいこっちに来るな!」
その結果、前のめりに全力で向かってきた大柄の男は、その勢いのままに前へ立っていた痩せた男の方へ突っ込んで行くのだった。
「「ギャー!」」
男達の情けない声が貧民街にこだまする。
そうして出来上がったのはその声と同じくらい情けない男達で作られた現代芸術作品だった。
「喧嘩を売る相手はしっかり見定めてくれよ」
騎士団で厳しい訓練を積んでいる俺にとって、そこいらの喧嘩なんて話にならないのだ。
「さて、大通りに戻るか」
そうして俺は現代芸術のことなんて気にも留めず、大通りに向けて歩き出そうとした。
『………………最高だね、あはははは!』
その時だ。俺の背後からこの場所では聞かないであろう声が聞こえてきたのだ。
「笑い声…………?」
それは小さな、とても小さな笑い声。
他者を馬鹿にする嘲笑ではない。純粋に楽しいと思えるような笑い声が俺の耳に確かに届いたのだ。
「…………少し寄り道でもしようかね」
一度気になった好奇心は抑えられない。
笑い声を求めて、俺は夕陽に照らされた貧民街を歩き始めた。
寂れた家々を通り抜けながらその場所を探す。
ここでもない、あそこでもない。
一瞬だけ聞こえてきた声だけを頼りに目的地を探すのは少々骨が折れる。
しかしこの探索は苦ではなかった、いやむしろ逆だ。
「意外と楽しいな」
例えるなら、見たことがない生き物を探すような楽しさ。
俺は年甲斐もなく子供のようにはしゃぎながらその"笑い声"を探し続けた。
そうして五分ほど貧民街を歩き回り、ようやくその場所へ辿り着いた。
そこは今にも崩れそうなまるで廃墟のような建物。しかしその奥からは人の話し声が聞こえる。
「黄昏の家…………酒場か」
煤けた看板にはその店名がしっかりと書いてあった。
そして何よりここは酒場だった。
そう酒場だ。探し求めていた酒場がここにある。その事実はここから去る百の理屈をねじ伏せる力を持っている。
そうなったら話が早い。
俺は『黄昏の家』の扉を開いて中へ入り、そして…………
「すみません」
静かに、だが確実に聞こえるように声を響かせる。
そしてマスターらしき人物を見かけると外面用の笑顔を浮かべながら。
「この店で一番安いお酒をください」
心から求めていたモノを確かに要求するのだった。
この出来事が俺の人生…………いや、ダリアンという国の行く末を大きく変える最初のきっかけだった。




