第38話 新作①
人の死は様々な存在の歴史を一変させる。では歴史の死は人の存在を一変させるのか?
答えは否だ。歴史など所詮紙束の上に書き殴られた戯言に過ぎない。
では人々が何故歴史というものを有り難がるのか?
それは紙束に書き殴られた歴史という名の物語に、人々は得難い快感を得られるからだ。
まるでハッピーエンドに終わる愉快な悲劇のように。
そう、愉快な悲劇のように!
○○○
(外が騒がしい…………。どうやら嬢ちゃん達は上手くやってくれたようだな)
喧騒の中から聞こえて来るロンド家への批判の声に普段とは違う緊張の空気。
わしがロンドの手によって貴賓室に軟禁されてから二日。一昨日から振り撒いた小さな種はこの舞台の上で美しい果実を宿らせてくれた。
一手目はひとまずの成功を収めた。つまり後は天命が奴を裁くというところだろうか。
まあ長々としたこの景色も飽きた。ロンドにはさっさと終わってもらおうか。
「…………来たか」
数多の蝋燭が広い舞台を覆うように灯される。
そして舞台袖から一人の老紳士が登場すると同時に見知った顔と見知らぬ顔が続々と舞台へと登壇して行く。
一人、二人と役者が壇上へと登っていき、最終的には合計五人の役者が舞台の上で相対した。
舞台の中心に座す法服に身を包んだ犬族の紳士こそダリアン十二貴族・序列第二位スカース家当主の『サドロプコ・ドゥ・スカース』。
ダリアン司法の頂点であり、その厳格さは彼自身が一つの裁判所と例えられるほどの大人物。
そして今宵の悲劇の帷の開幕を告げる大切な役だ。
○○○
周りを囲う蝋燭の火が灯り、整えられた舞台の上に役者は集う。
鯨の腹の中を思わせる広大な劇場、観客は一人。
ある人物の蒔かれた種が水々しい果実へと成った瞬間であり、彼の許された唯一の毒を盛る奇跡なのである。
『ご両人、準備はよろしいですか?』
『権力者』と『葬儀屋』は『裁判長』の言葉に静かに了解の旨を伝え、『鉱山主』と『淑女』共々に口を閉じて席を立った。
『よろしい、これよりダリアン神の名の下に始めます。両者ともに真実のみを話し、己の心を偽ることのないことを誓うように』
そうしてガヴェルの揺らすような打音と共に『裁判長』が開廷を告げた。
『まずは原告から冒頭弁論を願います。くれぐれも嘘偽りの無いように』
『はい、被告は私の大切な宝物を陰謀の炎で燃やしました。私の宝物はダリアンの民が生きた証そのもの、それが醜い炎に包まれて灰と化したのです。これは断固として許されるものでは無く、被告に対して厳粛な罰を求めます』
叫ぶような口調で『葬儀屋』は己の宝物とやらの重大性とそれを燃やした『権力者』の悪辣さを訴える。
しかし最後まで話を聞いた『権力者』はそれらの訴えを小鳥の囀りのように聞き流すと、鼻で笑いながら挙手をした。
『ダリアン神に誓って私は原告の宝物を燃やしてはいません。この裁判で私はそれを証明します』
『両人の弁論は理解できました。それでは証人、前へ』
『裁判長』の言葉に従い、最初の証人である『鉱山主』が舞台の中央へと立った。
そしてダリアン神に真実のみを話すと言う誓いを建てると、己の名前と身分を名乗り『裁判長』へと丁寧にお辞儀をする。
一連の所作を終えると、『裁判長』が『鉱山主』に向けてゆっくりと言葉を発した。
『証人、貴方は何を証言するのですか?』
『権力者が行った陰謀について証言します』
『わかりました』
『裁判長』の許しを得て、『鉱山主』は粛々と証言を語る。
曰く、『葬儀屋』とは自身の持つ鉱山を受け渡す契約を交わしていたこと。
曰く、鉱山から採れる鉱石は莫大な利益を生み出し、必ずやダリアンの繁栄の一助となること。
曰く、その莫大な利益を狙って『権力者』が『鉱山主』の測り知らぬところで契約の妨害をしていたこと。
以上のことを『鉱山主』は整然とした態度で証言した。
最後まで証言を聞いた『裁判長』は何か考え事をするように瞳を閉じながら『鉱山主』へ一つの疑問を投げかけた。
『証人、貴方が被告人の妨害について知ったのはいつのことですか? そしてどのような経緯で知ったのですか?』
『一つ目の問いに関しては一昨日です。二つ目の問いは、市井について聡い従者から教えてもらいました』
『わかりました。被告人は何か反論はありますか?』
『裁判長』からの問いを受け、『権力者』は立ち上がった。
『もちろんです。証人は私が原告と証人の穏便な契約を妨害したという証拠を提示していません。証拠が提示されない限り私が契約の妨害をしたと言うのは紛れも無い偽りであり明確な中傷です』
『それはもっともな意見です。証人は被告人が行ったとされる妨害の証拠を提示してください』
『わかりました』
そう言って『鉱山主』は懐から一枚の書類を取り出して観客席に見えるように掲げた。
この堂々とした行動には『権力者』も思わず眉を顰めるしかなかった。
『こちらの書類は一週間前に私の保有する鉱山から送られて来た業務月報になります。これによると週末の夕方の決まった時間に作業を妨害しようとする賊が頻繁に現れていることが書いてあります。
そしてその賊とやらはどうやら原告の家系の者と名を偽って公言していたとのことでした』
『名を偽った?』
『はい、この報告を受け由々しき事態だと確信して調査をしたところ。その賊は被告人の仕える者の差し金だと判明したのです。
これは私と原告の良好な関係を引き離そうとする明確な妨害であり、到底許されるべきものではありません』
『……………被告人、反論はありますか?』
『……………ありません』
こうもはっきりとした証拠を示されては流石の『権力者』も夜に眠る赤子のように不機嫌に口を噤むしかない。
一方の『葬儀屋』と『鉱山主』は裁判を有利な状況に進めれた事により安堵の笑みを浮かべた。
『それでは次の証人、前へ』
『はい』
次の証人は『淑女』となる。
『証人、貴方は何を証言するのですか?』
『被告人が原告の宝物を燃やしたという確かな証拠を提示させて頂きます』
『淑女』の語ったその言葉に舞台の上に一陣のざわつきが過ぎった。
しかし当然とも言うべきか、明らかな敵意と共に声を荒げる者が一人。
『異議あり! 証人の発言は裁判に混乱を招くものであり、その証拠が確かなものである保証はどこにもありません!』
『被告人の異議を却下します。証人は速やかにその証拠を提示するように』
『はい』
そうして『淑女』は両手を耳元で打ち鳴らした。
その手拍子を合図に一人のみずほらしい格好の『青年』が舞台へと登場する。
『………………』
『証人、こちらの男性は?』
『原告の宝物を燃やした者です』
『淑女』の発言に皆が一様に驚愕の表情を露わにした。
確かに『青年』の大量の灰と煤に塗れている格好は何かを燃やした後のように見える。
しかし舞台上の皆の表情は『淑女』を除いて皆明確な怪訝を示していた。
その視線の意味、つまりは『不正な証拠』ではないかと。
『証人、彼が原告の宝物を燃やしたと証明はできるのですか?』
『その証明は彼にしてもらいましょう。さ、前へどうぞ』
『淑女』に促されて『青年』はおずおずとした様子で前へ立った。
そして少しの緊張を纏いながら青年はぽつぽつと語り始める。
『お、俺はそこの椅子に座っている男に頼まれて反対の椅子に座る男の宝物………………"ケンボク樹の苗"と"死者の歴史書"を燃やした。
あいつから特別な火種をもらって燃やしたんだ』
この言葉で最初に反応を示したのは『葬儀屋』だ。
『確かにその二つは私の宝物であり、そのことを知っているのは私しかいない。間違い無い彼こそが私の宝物を燃やした張本人だ』
『原告からの確認が取れました。そして証人は確かに"被告人に頼まれた"と証言しました。
動機と手段が示された………………結論は出ました』
『待ってください、私には反論の用意がある! 10分、いや5分でいい! どうか私に時間を下さい!』
敗北を知った者は抵抗を悦とする。それは空虚な希望を欲してしまう故に。
悪あがきとも言える『権力者』の提案。
もはや議論の余地すらもないこの状況、本来なら慈悲もなく却下すべき事だろう。
しかしかの『裁判長』はどこまで行っても平等な存在だった。
『………………わかりました。5分間の休廷の後、被告人の反論を聞かせて頂きましょう』
平等とは言うなれば二対のワイングラスに似ている。一方のグラスに注がれれば、もう一方にも注がなければ気が済まないのだ。
無謀とも言える『権力者』の提案を受け入れ、裁判は暫しの休憩となった。
果たして5分後に一体どのような出来事が起こるのやら。




