第37話 ヴォリスのじいやとソフィお嬢様
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先日の雨模様とは打って変わりその日のダリアンは透き通った晴天に包まれた。
街の者は朝の恵みを享受しようとして街を出歩いて皆で挨拶を交わし、通り掛かったレストランで朝食と共に会話に花を咲かせる。
それはダリアン十二貴族とて例外ではない。輝かしい朝の日差しにわし達は逆らえないのだろう。
『エリア・ガトー・ショコラ』
エアルト家の統治するダリアンの中心に位置する街にある老舗のレストランのテラス席にて、一人の淑女が血のように真っ赤な紅茶を飲んでいた。
「片面焼きのトーストにサニーサイドアップ、三種のサラダの上には芯までよく焼いたベーコン、紅茶はエアルト家謹製の『スカーレット・ティー』。
貴女様のモーニングルーティンは十年前から何もお変わりないようで安心しました」
その淑女はやんごとなき身分…………いや、この国で一番の権力者だ。そんな人物に不用意に近づくなど本来はあってはならないこと。
「………………そう言う貴方は変わったわね。子供に見た時の凛とした佇まいとは大違い、まるで絵本に出てくるひげもじゃなおじいさんの妖精みたい」
だがわしはそれでも彼女に近づかねばならない。わしの描く復讐譚には彼女の存在が不可欠だから。
そうして右手を胸元に置きながら身に染みた挨拶の所作を彼女へと贈る。
「………………お久しぶりです、ソフィお嬢様」
「ええ久しぶり、ヴォリスのじいや」
フィロソフィ・ドゥ・エアルト。
かつて仕えていた主人の一人娘との、十年前からなにも変わっていない朝の再開だった。
「当主就任の際は挨拶ができず、そしてこのような格好で貴女様とお会いすることを許し下さい」
「いいのよ、お父様から事情は聴いているからね。さ、そんな立ってないで座って。ヴォリスのじいやとは話したいことが色々あるの」
「…………失礼します」
そうしてエアルト卿の向かいの椅子に腰を下ろして、一つ息を吐いた。
わしは既にエアルト家に仕えてはいない。しかしこの心は未だにかのご当主への忠誠を忘れてはいなかったようだ。
我ながら女々しい………………いや、執着強いと言うべきか。
「ご当主…………、ライアス様は?」
「メイデンの西部にある農村でお母様と一緒に過ごしているわ。毎月の手紙を見るとまだまだ元気みたいよ」
「それはよかった。お嬢様も元気そうで」
「そう言うじいやはどうなの? 会うのは十年ぶりだけど」
「あれからは物書きを続けながら貧民街の住民として過ごしています。最近は飲み仲間と共に演劇祭の舞台へ上がりました」
「それは見たかったなぁ。さぞかっこよかったんでしょ?」
「ははは、その事についてはご容赦を…………」
彼女と久しぶりに交わす他愛のない話は酒場の奴らとの会話とはまた違う暖かさだった。
このまま何事も無く、ただの何でもない朝食で終わればどれだけ良かっただろうか。しかし今のわしにはこの温もりにも代え難い目的がある。
「…………それで、そろそろ十年ぶりに会いに来た理由を教えてくれる?」
「さすがはお嬢様、そのお察しの良さは健在ですな」
「茶化さないで。ロンド家のことでしょ、今のヴォリスのじいやが私を頼る理由なんてそれぐらいよ」
「………………ええそうです。単刀直入に言いましょう。私はロンド家の名をダリアンの歴史から排除しようと思っています。
しかし今のわしでは彼奴を舞台の上に引きずり出せない。そこでお嬢様に彼奴を舞台に引きずり出す役割をお願いしたいのです」
貧民街のじじいがダリアン一の権力を持つ者に対して己の陰謀に加担させようとする。当然ながら無礼極まりないだろう。
故に礼節を以て、しかし確かな圧を滲ませながらエアルト卿へと懇願する。復讐譚は穢らわしくも気高くあるべきだ。
だが先にも述べたが今の彼女はダリアン一の権力者。
つまり今の彼女は社交界の荒波を潜り抜けた女傑でもあるということだ。
「………………仮にその計画に加担したとして、私のメリットは?」
鋭い眼差し。それは先程まで話した『お嬢様』ではなく、『エアルト家の当主』の瞳だ。
当然この彼女は手強いだろう。
だがこれで良い、わしは今の彼女と話がしたかったのだ。
「メリットは三つ。一つはロンド家の弱体化です。
そもそもの目的がロンド家を潰そうとしているからこのメリットは当然のこと。
二つはアルアンビー家とワルツ家との良好な関係を築く切っ掛けを作ることができます。
今回の策ではこの二家を巻き込み、ロンド家を陥れようと思っています。しかし彼らにとっては今の現状はまだ心許ないはず、そこにエアルト卿の支援があれば彼らも貴女を信用するはずでしょう」
「ふふふ、お父様から聴いていたけどヴォリスのじいやは想像以上に無慈悲なのね」
エアルト卿は微笑みを浮かべながら、カップに入った最後の一雫を飲み干す。
「恐縮です。ですが三つ目のメリットは先の二つと比べても遥かに上等な物のはずです」
「…………それで、三つ目は?」
「三つ目は………………」
その先の言葉を聞いたエアルト卿は二つ返事でわしの策の協力に快諾の意を示した。
さあ、これで舞台の準備は整った、後は開演を静かに待つのみ。




