第二十六話・帰国困難者たち
【新生歴1948年 10月1日 朝|フリト帝政国 シャロ県 オール=シャンロス空港】
「フリトにおける我が国在外邦人は、現時点で政府関係者が947人、政府派遣民間人が854人、合わせて1801人となっております。このうちすでに1649人の安否が確認できて、えぇおります。で、えぇ現在ですね、フリト情勢と、フリト当局との協議を踏まえましてて、政府派遣の民間の方々の一時帰国と、政府関係者の人員縮小を決定した次第で、えぇあります。帰国におきましては、フリト政府と協議し、政府派遣民間人を優先に、安全なルートの設置を目指しているところであります。」
と赤城 外務大臣が外務省の記者会見で語ってから一週間が経った。
日本国在フリト邦人は、政府派遣民間人と称す民間の技術者、学術調査員、大学研究者等各方面の学術員、そして産業部門では大部分を占める国防産業と、資源開発や貿易関係等、各業種民間企業の社員、他にも在外邦人向けの医療関係者に法曹関係者や語学関係者、加えてこれら派遣民間人の世帯人員含め、計854人がいた。
日本国政府はフリト帝政国での軍事クーデターの発生と、これによる政変に伴う情勢の不安定化を懸念して、日本国在フリト邦人854人の中から希望者全員を年内までに帰国させることを決定する。
政府関係者もそれまでの947人から104人に縮小する構えだった。
この決定を在フリト日本国外交事務所に通達し、フリト帝政国の現行政権に通知してから一週間が過ぎ。邦人の出国が始まった頃だった。
「next」
広い滑走路地帯を挟んだ向こう側には、低く細長い、長屋のような建物が何列にも重なって建ち並んでいる。他にも燃料の入った低い円柱、細長い管制塔。目を凝らせば、それらの手前に4発エンジンの大型機や、単発の戦闘機が目視できなくもない。
遠く離れた場所に整然と居並ぶ軍事施設群。対照的に、その対角にある敷地の一隅は民間にあてがわれた区画で、端的に形容すれば「簡素」となるだろう。
ここにあるのは貧相な木造の小屋が一つのみ。ジャンボジェットの逆噴射で簡単に吹き飛んでしまいそうだ。
芝生の中にひっそりと建つそれを日本人が見れば、田畑の中にぽつんと立つ無人の駅舎だ。乗り入れる唯一の路線は単線で3~4両編成。一時間に3本来る電車の扉は、ボタン式の半自動だろうか。きっと何駅か行けば、田園地帯を切り開いた近隣都市部のベッドタウンがあるに違いない。六井ショッピングパークと近隣都市部へ伸びる私鉄の駅もセットだろう。
そんな帰るべき慕わしい街並みと、そこで人生を営む家族を思い、男は出国手続きに向かうのだ。
「next」
職員によって不愛想に投げられた一言が、男を列の最前から呼び寄せる。
「パスポートを」
その態度は順番を知らせた一言と同じように、不躾で冷淡で滞留する精神的心労を思わせた。だが対応を受ける男は全く逆だ。書類の不備で出国を拒否された2日前に続く2度目の手続きで、心身の緊張と疲労により硬直している。動きが鈍いことに関して言えば、それは二人の共通点であるが。
「えぇっと、日本人ね。出国か…」
職員は単語を溜息で区切りながら、必要書類がそろっているかを確認していく。旅券と、そこに挟み込まれた搭乗券控え、出国カード、ビザ、通行証。
今回は、前回不足を理由に出国を断られた職務証明書も持ってきた。名前と勤務先、所属部署に勤務内容、付属する日本国大使館の内容証明書も確認した。
「ミネシガ?ここ日本の軍需企業だよね?」
職務証明書の内容に目が付いたのか、職員は語気を強めに問う。
「宣誓書は?」
身を固める緊張感が増大するのを感じた。
「なっ、なんですか?」
つたない言葉で恐る恐る聞き返す。言語が英語と似ているからと言って、まったく同じではない。この一年間で詰め込んだ程度の能力しかなければ、緊張に張り裂けそうな今はこれが限界だった。
「宣誓書だよ、ミネシガなら必要なはずだ。機密守秘の宣誓書だ」
男はおどける。このような精神状態では十分な会話も困難であった。
結果は2日前と同じだ。出国は拒否され町に戻ることになる。2日前に往復し、先ほど来たばかりの道をまた戻るのだ。
日本政府が出すシャトルバスの停留所まで徒歩30分。現在時刻は9時27分、次のバスは10時00分だ。
「クッソ」
緊張が解け鞄を握る手が緩まると握りしめていた、そして体中を這っていた汗が外気に触れて気化していく。その火照った体は気持ちのいい風にあおられて熱が離散していくと同時に、さっきまでとは打って変わり、まったく別の感情が浮かび上がってくるのを感じた。
「2回目だぞ、これで。宣誓書ってなんなんだよ」
腹の内から湧いて出る熱のやり場を、男は目の前に転がっていた石に見出した。
「このやろっ!」
とにかく連絡を取ろう、上司と外交事務所の在外邦人支援担当の外交官に。そう思ってスマホを手にしたが、しかし不幸とは重なるものだ。それは男の精神に負荷をかけ続ける。
画面右上にはバツの印。ブラウザの読み込み画面は、loadingの文字と共に回転を続ける円周配置の点々が、そのアニメーションを永遠と繰り返していた。
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【新生歴1948年 10月1日 朝|フリト帝政国 沖合】
“ケーブル敷設船でんでん”。日本の四大通信事業者の一つ、日本通信電話株式会社が海底ケーブルの敷設を目的に運用する船舶である。
第二次関東大震災では地上の基地局が壊滅した。車両型の移動基地局も散乱する瓦礫を前に対処しきれなかった。
すると通信事業での大手4社は、災害に備えた洋上基地局の整備に関する協定を結ぶ。これが今日のケーブル敷設船でんでんを作ったわけだ。
協定に参加する4社は勿論、災害時に開放される政府の民間向け緊急回線にも対応している。
日本国の災害対策において、民間の通信回線の保守については人工衛星による確保が主として整備されていた。しかし日本特事でそれらが消滅した現状では、代替の手段が要されたのだ。
ドローンや航空機は今回の運用に際して法的にも物理的にも制約が大きかった。インターネットという概念が無いのだから、フリト帝政国との折り合いがつかないという事態は当然と言って然るべきだ。
それに海を超えた陸地へ継続して電波を送り続けるなど、どれ程の労力を要するか。運用者は政府の要請を受けた民間企業であって、国防軍ではない。
すると残る手段とは、無害通航権という便利な権利を保障された船舶という種の、それも民間の事業者が運用するもの。となれば相手側を納得させるにはさして時間を要さなかった。
ケーブル敷設船でんでんは、その性質故にフリト帝政国の邦人へ電波を提供する役を任されていた。
『こちらはフリト沿岸警備隊です。ロウン岬沖合15㎞を航行する日本船舶へ、臨検の必要ありと判断しました。停船し、接舷に備えてくださいどうぞ』
予想はしていた。クーデターが起きて、日本政府からも警戒しろと伝えられていた。
ここはフリト帝政国の領海内のため、国防軍の艦艇が護衛につくことはできないが、それでも急行できる体制は整えると言われているが、さてどうなることか。
「船長、右舷から13ノットで近づいてきます!」
「わかった。みんな安心しろ、すぐ終わるだろう」
船長は気休めを言うが、彼自身も不安を感じていた。
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【西暦2042年 10月1日 朝|日本国旧首都圏政府直轄開発地 東京地区 日本通信電話コミュニケーションズ株式会社 大手町本社ビル5階 ネットワークオペレーションセンター】
日本国における通信事業の最大手、日本通信電話株式会社の連結子会社であり、通電グループにおける国際通信事業などを担当している日本通信電話コミュニケーションズ株式会社。
通電コミュニケーションズはその事業柄、通電グループ全体の通信事業におけるシステムの監視体制を整備し、災害対策基本法に基づき平時から所管官庁とのホットラインを設置している。
フリト帝政国に派遣される、政府関係者や政府派遣民間人向けの通信サービスの展開もまた、ここが中枢であった。
「フリトの端末が全部セッション切れです。えぇっと…VPNトンネルが落ちてるみたいです」
フリト帝政国に渡った在外邦人の通信端末が、画面上で全て消失したのだ。しかし現実的にそのようなことはあり得ない。
となれば考えられる原因はいくつかあるが、その原因はすぐに別のエラーが特定してくれた。
「PINGも応答無いです、でんでんHeartbeatロストしました」
一人の若手社員の報告が、本事案の嚆矢である。
それは通信機器が常時行う生存確認のパケット通信。いわば機器同士のキャッチボールであるが、この返球が途絶えたのだった。規定のインターバルを超過してなお応答が無い。
「物理リンク断か?それともルーティング?」
彼の報告を聞いてやってきた当直の係長は、背もたれに手をかけて前傾姿勢でモニターを見やる。
「SNMP監視もタイムアウトしてるな…ARPは?」
「だめです、スイッチが応答してません。L2全滅です…」
通信の維持を確認する問いかけにも応答が無く、エラーは動作不良でなく機器そのものが通電していない状態を示唆する。
この時点で認識する当該インシデントの規模は拡大し、然るべき外部への通報を決断する段階にまで発展する。
お待たせしました~
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