第九話・退避
【西暦2042年 8月20日 昼前−−−日本国栃木県 国防省本庁舎地下2階 統合司令室】
国防軍の総本山、栃木県八千代町。その地下空間は息が詰まるほどの張り詰めた空気で満たされていた。
換気設備が故障したわけではない。その原因は前面800インチのモニターに示されていた。
「今すぐ救助して、収容したらきぬと離脱させろ」
今事案においてレンツ海軍によりもたらされた被害は、沖ノ鳥島の破壊とミサイル巡洋艦の大破に加えて、哨戒ヘリコプターの撃墜がそこに加わった。
「室長、部隊を下げるべきです!−−−」
国防軍の作戦指揮における最高責任者、斗座間 統合司令室長は頭を抱えていた。そんな彼に進言する三水 横須賀地方総監は続ける。
「−−−相手は戦艦です、至近弾でも被害がでます!」
「攻撃命令が出ていない以上は、まず的にならないことを優先すべきです」
上 統合軍戦略兵器運用管理軍団幕僚総監の発言はもっともだ。
目算であるが、沖ノ鳥島に展開しているレンツ海軍の戦艦は全長が270m以上ある巨艦である。地球史では大日本帝国海軍の大和型戦艦や、合衆国海軍のアイオワ級戦艦に相当するものだ。
そして例に出したこれら戦艦の主砲口径は、いずれも40cmを超えている。直撃でなくても十分な被害が出ることだろう。
「おがさわらは、どれくらいで攻撃できる?」
「30分もあれば可能です」
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【西暦2042年 8月20日 昼前−−−日本国旧首都圏政府直轄開発地 政令指定特別区域 首相官邸地階 第二会議室】
「巡洋艦1隻とヘリ1機が攻撃を受け、大破と撃墜という被害が出ています。武力攻撃事態として国防軍による対抗措置を取るべきです。総理、」
「総理のご指示があれば、国防軍はいますぐにでも実力を持ってこれを排除する準備があります。」
朝比奈 国防大臣と矢賀 国防総軍統合参謀総長が意見する通り、国防軍の陸海空特宇5軍による即応体制は整っている。
石橋 内閣総理大臣の一言で、すぐさま実行に移されるだろう。
だがそれを拒む理由として、武力攻撃事態と認め実力行使に打って出れば間違いなく戦争状態に陥ることとなるという事実が大きな枷となっていた。
とりわけ、ユト大陸におけるフリト帝政国とレンツ帝国の代理戦争において、レンツ帝国がその軍事力を直接的に動員した以上、もはやこれは代理戦争の域を越えるだろう。
そうなればフリト帝政国と蜜月たる日本国はその戦争に直接介入せざるおえない状況となる。
いや、もはやその懸念は避けられない現実として迫りつつあるのだろう。情勢は刻々と戦争へと傾いている。
現状は、どう回避するかではなく、どのように介入するかという段階にまで深化した。
そしてこの状況から目を背けて、成し得ない回避への道を模索し続けたことで、対応が後手に回った事実を認めなければならない。
しかし日本政府に非があったわけではない。伝手も情報も圧倒的に不足していた。これが日本国の敗因だ。
この経済と外交の状況で戦争になれば、その時点で国家戦略としては日本国の敗北である。ならばせめて、優勢な状況で短期間にこの武力衝突の幕引きを図る他ない。
「今の我が国で武器弾薬を生産する体制はまだ整っていません。」
自衛隊時代に相次いで撤退が続いた防衛産業の今を請け負っているのは、嶺獅賀財閥や六菱財閥、川木崎財閥、六井住冨財閥などの王手4大財閥系の企業らだ。
このうち、特に嶺獅賀財閥と六菱財閥の2大財閥は、赤字をもってしてまでも社会的役割を果たすべくと、他企業の撤退を横目に防衛産業に注力し続けた結果、日中軍事衝突とその後の防衛装備移転三原則の改革(現:国防装備品移出の原則)が起爆剤となり、日本国における現在の国防産業の市場で揺るぎない地位を獲得するに至った大手軍需企業を複数擁す。
しかし、ロッカード・マルティン社やノースラップ・グレリマン社、ABE システムズなどと肩を並べる2大財閥を持ってしても、日本特事によるサプライチェーン消滅の影響は免れなかったというわけだ。
だからこそフリト帝政国との軍事的な協力を深化しようと邁進していたわけである。
「ですから早いうちに短期的な決着をつけるべきなのです。そもそもユト大陸に国防軍派遣を決めた時点で、この事態は想定していたはずです。遅かれ早かれ戦争になることは目に見えていた。そのためにフリトとの軍事協力を進めてきたんです。」
戦争を最悪と想定して外交を続けてきたが、その最悪が現実に起こるまであまりにも早く、そして最善を求めるあまり最悪に至る分岐を見誤った。
「総理、これ以上は隊員の生命が危険です。攻撃にせよ退避にせよ、一刻も早い決断をお願いします」
すでに紹介ヘリSH−24Sの撃墜から30分近く経つ。もう悩んでいる暇はない。
「一刻も早く救助を済ませ、−−−」
石橋 内閣総理大臣は決断する。
「−−−水上艦艇を海域から退避させて。どれくらいかかる?」
即座に矢賀 国防総軍統合参謀総長は答えようとした。それを邪魔したのは部下の一人だった。
部下から受け取った一枚の紙に目を落とした矢賀 国防総軍統合参謀総長の狼狽ぶりが、部屋に一心の不安をもたらす。
「失礼しました総理。えぇ、無人艇がいますので救助にはさほど時間はかかりません。後30分程度で収容が完了するものと予想されます。」
と報告しながら、いつの間にかその紙は矢賀国防総軍統合参謀総長から朝比奈 国防大臣の手へと渡っていた。
「総理、たった今本省の駐在武官を通してフリトから、、、読み上げます。『ロブロセン地域の平和と安定を脅かすロブロセン王国の行為に対して、我が軍は軍事的制裁を加えることを決定し、即座にこれを実施する旨を通知します。』とのことです。」
代理戦争の域を出たロブロセン内戦は、その影響を日本国へと波及させようとしていた。
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【西暦2042年 8月20日 昼前−−−日本国東京都小笠原諸島 沖ノ鳥島より東4km地点 西太平洋上】
撃墜された哨戒ヘリSH−24Sの乗員は収容を済ませ、現在はミサイル巡洋艦かすがに対する救助活動が行われている。
ミサイル護衛艦きぬ、ミサイル駆逐艦いなづま、多用途護衛艦なるせ、多用途護衛艦こよし、多用途護衛艦おんが。
5隻によるミサイル巡洋艦かすがの乗員に対する救助活動は迅速に進み、これには付近を航行中であった国防海軍第421機動打撃群からも回転翼機を向かわせるなどして、早期の完了を目指していた。
そんな救助活動が間も無く終わろうかとしている頃。ミサイル護衛艦きぬの艦橋で 国防省からの命令を受け取ったきぬ艦長が、艦首の抉れた軍艦を見つめている。
「艦長、間も無く救助が完了します。」
「わかった。終わり次第この海域から離れる」
国防省から届いた命令は海域からの離脱を指示するものであった。第104即応戦隊全艦、沖ノ鳥島沖から退避である。




