第三話・邦人救出T+97min
【新生歴1948年 11月4日 未明|フリト帝政国ヤクトン県ブラスラント群 東部軍管区司令部】
会議、会議に次ぐ会議。
終わらない事後処理は、上位階級の者たちを会議室に拘束して久しい。
今日もまた、会議室の主将たるユリゲン 大将が散会の一言を告げたのは、25時を回ったころだった。
「早く落ち着いてほしいものだな」
会議が終わり、疲労によって椅子に拘束されるユリゲン 大将は誰にともなくつぶやく。それに反応を示したのは、東部軍企画参謀のシュタイゲン 少将であった。
「かなりの将校を粛清しましたからね。首が回らないのも無理はないかと…」
コローゲル将軍によるクーデター政権発足後の帝政国陸軍とは、その内情を忸怩たるものと形容せざるを得ない。
旧体制派の粛清、更迭が相次いだ帝政国陸軍は、将校連の人員不足を新任の繰り上げ将兵らで補っていた。そうなれば、個々の質的低下は回避できぬ問題として顕在化していた。
二人の将官がそんな憂慮を吐露している最中だった。一方のユリゲン 大将が思い出したように、一束の書類を差し出す。
「”東部沿岸部における内線戦術を主軸とした機動展開による遅滞戦闘”、ですか…」
「エアセルから、演習計画の見直しを指示された」
この局面で、東部沿岸部における着上陸作戦に対する作戦計画の立案指示。想定する敵性勢力は誰にだって想像が付く。
「中央は従来の定点防御による水際阻止なぞ開戦から数時間で瓦解すると踏んでるらしい」
そう言われた企画参謀シュタイゲン 少将は、当惑という感情を隠そうともしていなかった。
「レンツではなく、あの国が最優先課題というわけですか…」
コローゲル政権によって一新した対日外交は、敵対路線へ舵を切った。日本は、これまでその立場にいたレンツ帝国に取って代わったのだ。
「迷惑極まりないですね、彼の国は…」
そう零したシュタイゲン 少将の言葉を、東部軍参謀長のユリゲン 大将は予期した相槌として聞き流し、話を進める。
今日までの帝政国陸軍東部軍とは、主たる仮想敵をレンツ帝国の着上陸部隊と想定していた。だがそれは最悪の状況だ。実際には他方面への即応配置を主として戦力を配置している。
広大なナマール海を渡り、又はロブロセン王国を経由しての地上部隊にすら上陸作戦を敢行させるシナリオなど、戦略的な敗北が前提となる。その必然的な想定は、帝政国軍に海軍の増強を選択させた。
よって東部軍とは、東部で戦うことをあまり考慮していない。後方拠点という位置づけで西部軍管区や南部軍管区に対する戦略予備、そしてわずかながらの静的防御という運用が長らく続けられていた。
東部は海軍が守ればよい。その考えは日本の出現、とりわけ喫緊の外交関係で崩れ去った。
「日本は少なくとも、海軍では我々を部分的に凌ぐと判断されている。であればこれまでの分業は成り立たない」
自らと同等以上の海軍力を誇るレンツ帝国が、艦隊を丸ごと失ったという知らせ。それは、その時点では敵対していなかったフリト帝政国の当局者にさえも、強烈な戦慄をもたらした。
「幸い、西部の軍政はうまくいってる。今後は西部からこっちに抽出されてくるだろう」
「それほどですか?あの軍は」
日本の全体像は二年たった今でもよくわからない。軍事機構の上層ですら、それが一方面軍の首脳であれば尚更に、知る由もない。だが推察できることもあった。
「中央がこれだけ焦ってるんだ。相当と考えてほしい」
相対的にせよ、海軍に関する情報はある程度収集できている。そのうえで、海軍では役不足と判断されて、東部軍に白羽の矢が立ったのだ。
「わかりました。期日はいか程に?」
「とりあえず草案は3日以内だ。明日から、いいや今日からか…よろしく頼むよ」
会議終わりの雑談もやはり、実務の話となってしまう。根っからの仕事人間なのだろう。自らを自嘲気味に笑い、ユリゲン 大将はようやく会議室を後にしようと立ち上がる。
ユリゲン 大将の進路を阻む会議室の扉を、シュタイゲン 少将が開けようとした、ちょうどその時だった。
「オールシャンロスで電探に偽像が出て対空警戒に支障をきたしていると連絡が…」
通報が緊急連絡用のルートでないのなら、海軍側は攻撃の可能性を考慮していないということだ。つまり、その偽像は技術的問題である。陸軍には関係が無い。
しかし、そう突っぱねようとも、連絡を運んできた下士官はひかなかった。それどころか、まだ本題では無かったらしい。
「はい。テンクスレン射撃場からの定時連絡が途絶えておりまして…」
「確か、テンクスレンには日本人スパイを収容していますね」
シュタイゲン 少将が何気なくぽつりと零した一言は、ユリゲン 大将とシュタイゲン 少将自身に、ある想像を巡らせる。
「すぐに警備隊をテンクスレンに向かわせろ。今すぐだ!」
__________
【西暦2042年 11月4日 未明|フリト帝政国ヤクトン県テンクスレン郡 テンクスレン陸軍射撃場 テンクスレン収容所】
<T+98min>
『Anker、こちらアメノトリフネ01。アメノトリフネ01から02はVIP全25名の収容完了。これより離脱する。おくれ』
動員された二機種の内、速度のより速い ”HV−28S垂直離着陸ヘリコプター” 2機。展開に際して突入部隊である特殊作戦群第一班を輸送した転換翼機だ。
アメノトリフネ01と02の両機は、救出した邦人を乗せ、目標N19を後にする。
『アメノトリフネ04、部隊の収容完了。これより離脱する。おくれ』
『アメノトリフネ03、部隊の収容を完了。アメノトリフネ04に続き離脱する』
『アメノトリフネ06、部隊の収容完了。離脱する』
アメノトリフネ01と02に分かれて搭乗、展開した第一班は、回収のみ参加するアメノトリフネ06にて撤収する手筈だ。
帰りのこの機は、定員数の多いアメノトリフネ03と04と同機種、”CH-62R大型輸送ヘリコプター” である。そのため全員が同じ機体に乗っての撤収だ。
「Anker、こちらロメオ01。アメノトリフネ01から04、06の撤収支援を完了。LZ F25にて待機する。おくれ」
『Anker了解』
残るは殿軍であるロメオ隊である。β隊の確保したLZを引き継ぎ、半径150メートルの警戒線を構築していた。
後は誘導制御を受ける無人機が対地警戒の下、集結し最後の一機で離脱するというのが、当初の計画だ。
『ロメオ、Anker。トライホークがLZ F25へ向かう車列を視認した。時速40km程度で接近中である。7分以内に警戒線に侵入する可能性が高い。直ちに集結後、LZ F25を放棄しLZ N67へ移動せよ。おくれ』
「ロメオ01了解。LZ F25を放棄、LZ N67へ向かう。なお遭遇した場合の、対応について聞きたい」
「ロメオ01、Anker。交戦は許可できない。発砲を受けない限り、火器の使用は許可できない」
「ロメオ01了解」
__________
【西暦2042年 11月4日 未明|日本国南西海域】
<T+108min>
「意外とヤタガラスが粘ってるな」
今回北海道より投射された小型人工衛星は、作戦実施より110分で再突入すると見られていた。通信の安定が保障できるのが100分までとのことで、作戦完了は100分以内と設定していたのだ。
意外にも、未だGPS信号は健在だった。おかげで、回転翼機の現在位置は、リアルタイムで正確な位置をモニタリングできていた。
「アメノトリフネ01と02、着艦作業に入りました」
「よし、医療班を出せ」
直後には、邦人を乗せた2機の転換翼機が無事に着艦した旨が報告される。CICには安堵と幸甚が吐露される。おそらく本国の統合指令室と官邸地階でも喜びの声があがっている事だろう。
「よくやった。残りは?」
「アメノトリフネ04は後7分で着艦に入ります。アメノトリフネ06は、ロメオ隊の回収中に向かっています」
程なくして、既に移動させたアメノトリフネ01が着艦したのと同じ場所に、後続のアメノトリフネ04と03が着艦を行う。巡航速度による時差を利用しての着艦スケジュールによって、上空待機は無い。
「ヤタガラスからの通信が途絶えました」
ここでついに、人工衛星からの通信が途絶える。
「05は?」
「LZ N67に降着。現在ロメオ隊を収容中です」
「間に合わなかったか…」
保証された時間を経過しての通信喪失だ。当たり前のことである。しかし、10分近くも計算違いで予想外に動作していたのだから、少しくらい希望を持ってしまっても無理はなかった。
「慣性航法で行けるか?」
慣性航法。それはGPS航法とは違い、外部からのデータに頼らず、搭載するセンサ類による観測計算のみによって自己の位置を算出するものだ。
GPS信号が健在の場合、人工衛星からの電波によって自己の位置を特定できる。しかし、慣性航法の場合には自己がいつどこで、どんな動作をしたかセンサが測定し、その測定結果を用いて逐次計算を重ねていく。つまり、計算誤差があれば蓄積されていくのだ。
数学のテストのようなもので、(1)で出した答えを(2)、(3)の計算で用いるのだ。すると、(1)が間違えていれば、後の設問を全て落とす事になる。
ここ惑星ナダムへの転移から2年を経た未だに、重力加速度に自転速度、磁場の変化などといった、前提となる定数は、地球との誤差を克服できていなかった。
そんな中、不幸は重なる。
「対空目標探知!」
ここにきて、ついにフリト帝政国側も動き出した。
「137度、190マイル、機数2。N19に向かうものと思われる」
方向から考えて、オールシャンロス海軍基地からであろう。
「水上目標探知、154度、97マイル。数1。向かってくる!」
当隊へ接近する対空目標に対水上目標。意味するものとは、作戦行動の露呈。しかし、直線的にこちらへ向かってくるわけではなかった。
「当隊の捕捉を企図する索敵行動かと、」
「ロメオ隊の回収を急げ」
__________
【西暦2042年 11月4日 未明|フリト帝政国ヤクトン県テンクスレン郡 テンクスレン陸軍射撃場】
LZの変更を受けて、降着地点を変更したアメノトリフネ05。この機は収容所から400メートル程離れた緩衝林にて、ロメオ隊の回収を完了し離陸準備の最中であった。
アメノトリフネ01から04が発艦後、先行部隊であるロメオ隊の回収役として発艦していた。今までホールディングエリアで待機していた “UH−2J多用途ヘリコプター” だ。
「GPSをロスト。以降はINSにて航行する」
ビーコンを使えば、目的地を示すだけなら可能だった。しかし、それは基準座標の設定を準備していればの話である。即席での設定では信頼の置けるものではない。
『アメノトリフネ05、こちらAnker。了解した。それから水上目標、対空目標を探知した。帝政国軍籍の可能性大、不意遭遇に留意せよ。対空目標はN19に接近中、直ちに離脱せよ』
その通信を終えると、アメノトリフネ05はゆっくりと機体を持ち上げる。
「Anker、アメノトリフネ05。LZ N67離陸、0156。着艦予定は0218。おくれ」
__________
【西暦2042年 11月3日 深夜|日本国旧首都圏政府直轄開発地政令指定特別区域 首相官邸地階 国家危機管理中央対策室】
「25名、無事保護しました!」
作戦実施の開始から100分強が過ぎ、ようやく入った吉報は会議室の空気を塗り替える。
「よくやったぞ矢賀君!」
年甲斐もなく、飛び跳ねる勢いの朝比奈 国防大臣に、喜色を零す国防軍の軍官たち。内堀 内閣総理大臣補佐官以下、官邸メンバーも同様であった。
「やった…」
最高責任者たる内閣総理大臣、石橋 和美に至っては、その報に全身の力を抜かし、椅子に倒れ込む。だが、まだ作戦は終わっていない。
「フリトは?」
「おそらくはまだ、我々の動きを把握しきれていないものかと」
今回の作戦において、国防軍はフリト帝政国側への損害をなるべく抑えようと努力している。後の外交交渉に備えてのものである。
8人が移送済みと知らされた時点で、戦略目標たる邦人保護の達成を前提として、徹底すべき事項と念を押していたものだった。
「現在、ヘリが一機帰投中です」
そう答えた矢賀 国防総軍統合参謀総長は、石橋 総理の顔を伺い、補足すべく続ける。
「戦闘は極力避けます。現場には徹底させ、早急な帰投を指示いたします」
「お願いね」




