第三十話・均衡の崩壊(章完結)
※今話には、女性蔑視を連想させる表現が含まれますが、創作上の演出であり、作者並びにいかなる個人または集団の思想信条を代弁、助長、扇動する意図はありません。
【新生歴1948年 10月29日 夕方|ルロード共和国首都ハルシード 在ルロード共和国セリトリム聖悠連合皇国大使館】
ルロード共和国の西部、マークシャン海峡に面する沿岸部に、同国の首都はあった。
ここは日本国とセリトリム聖悠連合皇国で、双方に大使館が開設されるまでは主要な外交窓口の一つだ。
これまでその立ち位置にいたマカルメニア民主国は今、南のレンツ帝国と北のノールメル社会主義共和制諸邦国によってガランティルス大陸の情勢不安の地理的中心となった。
フリト帝政国も、コローゲル政権がセリトリム聖悠連合皇国と日本国を敵視するようになった事で、両国の外交窓口は消去法でルロード共和国が最も理にかなっているという状況だ。
だがルロード共和国も安全とは言い切れない。北にはフリト帝政国下のロムアが存在し、南東にも同国の植民地が複数在する。
この包囲網構築を手助けしたのが、他ならぬセリトリム聖悠連合皇国と日本国という皮肉には、顔をしかめるしか無いだろう。
「ナンバ湾は今やフリトの私物です。我々の貿易路保護が目的だったんですがね」
「スマフ大使、我々も同じ思いです。こうなるとはフリト側も予想してなかったでしょうが…」
在ルロード共和国セリトリム聖悠連合皇国大使、スマフ・ローレンスが嘆くは、ここ一ヶ月で急変したアドレヌ大陸の情勢について。
セリトリムフリト日本三国が共同で行った、ロムア攻略。ユト洋でレンツ帝国の影響力を削げば、三国の貿易路には安全が約束されると、皆そう信じていた。
それが中核たるフリト帝政国に牙をむかれようとは、セリトリムと日本は、いやフリトすらも考えていなかっただろう。
嘆きに応えた在ルロード共和国日本国外交事務所代表の須郷 清も、暗澹たる思いで首を頷けた。
「コローゲル政権の横暴とアドレヌの包囲網には、断固として対抗していかなければなりません。ペンゴと共有された、共通の考えです」
現在の列強国5ヵ国とは、3つの陣営に分けられる。
一つがレンツ帝国と、コローゲル政権のフリト帝政国だ。これに対抗する、セリトリム聖悠連合皇国とペント・ゴール帝国がおり、最後中立を決めたノールメル社会主義共和制諸邦国だ。
日本国はセリトリムペンゴ陣営と関わる事に決めたわけだ。
「えぇ、我々も協力を惜しむつもりはありません。フリト帝政国の現行政権に正統性は無く、軍事政権の台頭は大陸、ひいては世界の情勢を悪化させかねません」
両国に共通の意思が確認されたところで、思い出したように本題を切り出したのはスマフ 大使だった。
「スゴウ 大使、本国からあなたを通じて貴国政府宛に、預かっているものがありしてね」
それはスマフ 大使も須郷 代表も、中身を知らない暗号文だった。全18ページに及ぶ文字の羅列は、何か意味を持つようには思えない。しかし、その中に規則性を見出せばきっと国家を揺るがす情報で埋め尽くされているのだろう。
だがそんなことを考えたところで、一介の外交窓口代表としては意味の無い事。
「貴国の協力に感謝します、とはいっても何のことかはわからないのですが」
「それは私も同じことですよ」
二人は冗談を笑い飛ばす。この18枚が、日本を戦争へ引きずり込もうとも知らずに。
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【西暦2042年 10月30日 朝|日本国旧首都圏政府直轄開発地 東京地区 日本共和党本部 9階】
惑星ナダムへの転移から2年強。日本国を取り巻く国際情勢さながら、国内の状況もまた絶望的である。
「治安回復させな、どうにもならんだろ」
国府田 政権よりも以前から、一貫して旧圏の存在を念頭にこの主張を続けてきた島津 幹事長は今回も例に漏れない。しかしその試みは失敗に次ぐ失敗で、二度の不信任決議という結果を導いた事実は、無視できるものではない。
国府田元総理は日本共和党ではなく憲進愛国党だが、国府田政権時には連立を組んでいた。
保科 政務調査会長は、毎度の事となれたように島津 幹事長に制止をかける。
「しかしこれ以上の締め付けは、制御できないレベルに達しますよ。島津さん、まずは選挙のこと考えないと」
国府田 内閣が下令した国防軍による治安出動。これは野党は勿論、与党内部に対しても人権抑圧と報道の萎縮という批判材料を与え、内外から厳しい批判に晒されていた。これを撤収させてからの話である。
東京自治会幹部の大部分を現場執行したとて、彼らが長年に渡り築いた地下ネットワークは崩壊に至らず、現在も違法物品を抱えた反政府勢力による抗争は続くどころか、日に日に凶悪度を増している。
昨日もまた国家公務員災害補償法第十八条が、警察官三名に適用されたそうだ。
「んじゃ東京の治安を、放っとけっていうのか?」
国府田 内閣で不信任決議案が可決され、総辞職。石橋 内閣も先日不信任決議案が可決され、ついに衆院解散を決めた。この二年で2回も不信任決議となれば、もはや日本共和党には後が無いのだ。
石橋政権に対しては言わずもがな、日本共和党の存在意義について厳しい疑義が呈される中、賭けに出たというわけだ。
戦後から今日にいたるまでの一世紀弱、現代日本政治の中心であった保守派の一大政党、日本共和党。しかし彼らがこの二年間で行った事とは、日本特事の対症療法だけだった。
衆議院の任期も近い中、野党と国民からの批判もあり総辞職ではなく解散を選んだ日本共和党は、何としてでも選挙までに状況を打開する成果を石橋 総理に欲しているのだ。
「そうは言っていませんが、例の閣法もかなり強権的だと批判されてますから、これ以上はちょっと…」
目指す成果として柱に据える2つの事項とは、首都圏の治安回復と、33人の人質救出である。
首都圏の治安回復については、東京自治会一斉検挙による一時の安寧もつかの間。目標たる東京自治会の事実上解体は達成したものの、それは旧圏の反政府勢力の離合集散を後押ししただけにとどまった。
そんな中で石橋 内閣が国会に提出した法律案が、物議を醸す。
“旧首都圏政府直轄開発地等における公共の安全の確保及び社会秩序の維持を目的とした国家公安法執行議院等の警察機関の管轄業務に係る関係行政機関の協力体制の推進に関する特別措置法”。国防軍部隊による警察行政への協力を、総理大臣の指示で実施するものだ。
簡単に言ってしまえば、強烈な批判を受けた治安出動と区別し、あくまでも警察機構が主体の警察業務であることを強調して国防軍の非武装部隊を展開するための法案であった。
しかし、批判の対象とならないはずがない。今回の石橋内閣不信任決議とは、否決された前述の法案提出も一因としては大きいだろう。
「やっぱり人質救出させりゃいいでな、違うか?」
若干呂律に頼りなさを感じさせつつも、強い語気に乗せられたその言葉は、威圧感と共にその場を一言で支配する。
禄㬢優 直久。日中軍事衝突時代を率いた元内閣総理大臣にして、日本共和党副総裁である。
ソファに深く座って沈める体は、大きいものではない。毛量の薄い白髪で飾られたその顔は、皺だらけで、鼻からはゴム製のチューブが伸びている。
にもかかわらず、有無を言わさぬ圧力をこれでもかと醸し出しているのは、その目によるところが大きい。
猛禽類のような鋭い眼光は、冷徹に見下されるかのような悪寒を誘う。回らぬ呂律と乾いた声は、表面的な頼りなさを思わせてなお、内に秘める豪胆さを語気と威圧感が示す。
鼻孔カニューラを辿った先の酸素ボンベを見れば、医療バッグを手に下げた黒服の大男が控える。この日本警備・安全保障局警護任務部の警護官も、禄㬢優 副総裁の威圧感を増長させていた。
「おい島津、石橋に言え。何としてでも人質救出しろ、すぐにだ」
「わかりました、すぐ伝えます」
「副総裁。総理も最善を尽くしてます、それでも踏み切らないのはきっと、情報に確度を持てないのかと…ここで急かして失敗でもすれば、それこそ取り返しがつきません」
至極真っ当であるが、制止をかけた保科 政務調査会長の発言は、86歳要呼吸補助者の逆鱗に触れたらしい。
「ならお前がやれ。次の選挙、政調会長だろ、何とかしてみろ」
「あぁ、いえそのーですね、副総裁…」
「青二才、口をはさむな!」
53歳でこうも言われようとは、厳しい世界である。
「でもまあ、これで失敗したら石橋内閣は地に落ちます。副総裁、どうするんですか?党も、無傷で済む話じゃないですが」
「切ればいい。だから女にやらせたんだ。簡単だろう」
斯くして党の方針の定めた彼らは、警護官6人と専任の看護師に介助されながら杖を突く禄㬢優 副総裁を見送ってから執務室を後にする。
「はぁ」
島津 幹事長の制止役をもってしても、禄㬢優 副総裁には叶わないようだ。党本部の自販機でコーヒーを選ぶ保科 政務調査会長の元に、笑みを浮かべる島津 幹事長が近づいてくる。
「保科さん、今日も言われとったな」
「副総裁は手厳しいですよ、全く」
いつもと大差の無い会話。しかし、島津 幹事長はどこか落ち着かない様子だ。周りを見やり、誰もいないとわかるや否や、危ない発言を繰り出す。
「でもまぁ、なんだ。あの人ももう御年だ、そろそろ引退も考えてもらわないとな」
これには驚いた。島津 幹事長は禄㬢優 副総裁に取り入ってるものとばかり思っていた。そうでなくても、最大派閥に敵対するなどあるはずが無い。そう思っていた。
「横で二人も崖から突き落とされたんだ。なんとかしないとまた人柱が出る」
しかしだからといって、党本部でこんなに危険な会話をしようとは、よほど恐れ知らずらしい。
「あまりここで、そんな話しない方がいいですよ幹事長」
「なぁに、86歳の元喫煙者。酸素ボンベが無いと出歩けない老体だ。もうじきぽっくりいくだろ」
「そんなこと、あの人の前で言えるなら本物ですよ。幹事長…」
釣銭レバーを下げて出てきた1000円札を財布にしまうと、足早に立ち去ろうとエレベーターに向かう保科 政務調査会長。
しかし、島津 幹事長はいつもとは逆に保科側を制止しようと呼び止める。
「ちょっと待て、今の共和党は分裂寸前だ、それを副総裁がなんとか留めてる」
そんな常識を再認識させたところで、どうなるというのだ。
「禄㬢優派だって、副総裁がおらな無くなってしまうやろ」
それならばと、島津 幹事長は力説する。禄㬢優派の屋台骨たる中堅議員を取り込んでしまおうと。そのうえで、禄㬢優派との決別を印象付けると。
「禄㬢優総理と嶺獅賀の面白い話があるんや。どうだ、今度若い奴ら集めて飯でも。な?」
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【西暦2042年 10月31日 深夜|日本国旧首都圏政府直轄開発地政令指定特別区域 首相官邸北棟4階 総理執務室】
「まず総理。セリトリムから収容所について、情報提供がありました」
配布された書類は、セリトリム聖悠連合皇国からもたらされた在外邦人33名の生命に関する重要なもの。赤城 外務大臣の喜々とした発言で幕を開けた総理レクリエーションは、久しぶりに良いニュースをもたらした。
「現地時間の今月20日時点で、日本人33人の収容を確認しています!」
赤城 外務大臣は勿論、その場にいた石橋 内閣総理大臣以下閣僚たちは、喜びを顕わにする。
「よくやったわ。国防省は動ける?」
「動くことはできます。特殊作戦軍、戦爆、国防艦隊を即座に。開始は48時間以内に可能です。しかしまだ不確定要素が多く…」
不信任決議案の可決を受けて、衆議院の解散を決めたのだ。ここで結果を残さなければ石橋 内閣に、いや日本共和党に後は無いだろう。十年は永田町での立場を失う事になるかもしれない。
「なるべくすぐにお願い。ただし万全を喫して、全員救出するのよ」
「わかっております総理」
と朝比奈 国防大臣が返したところで、矢賀 国防総軍統合参謀総長が実務的に話を進める。
「国防省に統合軍級の任務部隊を編制し、指揮官は統合指令室長とします。邦人32人の救出と諜報員1名の回収となります。しかし残念ですが、セリトリム当局から収容所の内部構造についての情報提供が遅れております。成功率を上げるならこの情報提供を待たなくてはなりません」
「いつ?」
石橋 総理は赤城 外務大臣の方を向き直って問う。
「はい、えぇそうですね。5日、いえ4日以内にはルロード共和国を通じて第二報が届くかと…」
一時は沸き上がった執務室も、少しづつ平時の空気を取り戻していく。
「なにぶん第三国を介しての情報伝達ですので、遅延は仕方ありません」
申し訳ないとばかりに赤城 外務大臣の声はしおれるものの、こればかりは本当に仕方がないだろう。日本側は、ルロード共和国で情報を受け取ってから10時間以内に本国へ発信、暗号解析、書類作成、報告を成している。
協力してくれるセリトリム聖悠連合皇国側を急かすようなことは避けたい。
「しかし、救出が決まったとはいえ、フリトへの対応。相当考えなければなりませんな」
軌道を変える発言が内堀 内閣官房長官から飛ぶ。
邦人救出。地球でも何度も行ってきたことだ。しかし、それは地域情勢の不安定化による偶発的な死傷を防止する目的である。今回のように、日本人という特定のアイデンティティに対する攻撃からの武力行使に拠る救出とは、当然ながら前例が無い。
「対フリト政策。難航なんてものではないですよ」
既にフリト帝政国に駐在していた政府関係者も、外交官以外は撤収を済ませている。国際的に正当性を疑われる現行政権が、外交官に攻撃を加えるとは考えられないだろう。
この惑星にはまだ ”外交関係に関するウィーン条約” などは存在しないものの、地球でも保護義務が明文化されるより以前から、少なくとも近世の時代には既に確立された国際慣習法である。この惑星でもそれは同じだ。
であるならば、在外邦人の生命という点で憂いは無い。しかし、だからといって誘発される問題が許容できるかは別だ。
「セリトリムペンゴ両国との貿易路が寸断されれば本末転倒です」
「だからと言って、邦人を見殺しにするわけにもいかんだろう」
「亡命フリト人の返還も論外ですよ総理」
コローゲル政権への忠誠を拒否した在日本国フリト帝政国大使館の外交官らは、大使館を追われて亡命を申し出ていた。日本側はこれを受け入れたが、その後のフリト側からの引き渡し要請を拒否した事は言うまでもない。
33人の救出を行えば、間違いなく武力攻撃事態だ。そうなれば戦争状態である。
「東と西、板挟みね」
不文律の合意形成が成されたレンツ帝国との停戦も、いつ戦闘が再発するかわからない。結局、不確定要素に恐れて、セリトリム側からの情報提供を待つと、そう結論づけられた成果の無い会議。
3日後、ルロード共和国を通じてセリトリム聖悠連合皇国から収容所の内部構造に関する情報が提供される。
だがその吉報には、 ”セリトリム諜報員の死亡” 、そして ”フリト帝政国、セリトリム領への侵攻” という二つの凶報が付帯していた。
第五章完結