第二十八話・スパイ容疑
【新生歴1948年 10月4日 昼過ぎ|フリト帝政国帝都エアセル ロームルス城】
「お呼び立てに応じていただき感謝を、オダガワ大使」
「いえ、貴国の迅速な対応に感謝します」
前回の会談から2日が経ち、その件で小田川 大使は、ダンベリアム 首席補佐官側から召喚された。前回とは違い、この会談は公式なものとなるだろう。
「それで、貴国のご回答はどのようなものに?」
小田川 大使をソファに促したダンベリアム 首席補佐官は、反対のソファに深く座り、足を組んでアームレストに肘を立てる。
「日本国民の帰国については、条件付きで応じるものとします。具体的には、我々の権限で安全のために設けた複雑な事務手続きの省略をいたします」
ついに、フリト帝政国は日本国民の帰国に前向きな姿勢を見せる。
地球でもクーデター政権が外交取引のために、駐在する外国人の帰国を妨げるという行為に少なくない前例がある。勿論公然と話していたわけではないが、日本国はフリト帝政国もこのような考えであろうと考えていたために、小田川 大使はずいぶんとあっさりだと感じた。
「してその条件とは?」
一旦喜びを思いとどまり、条件について質問を投げる。ここで常識外れな条件を付けてくるかもしれない。しかしその警戒は杞憂であった。
「えぇ、省略する事務手続きはお伝えした通り我が国の安全を考えての体制です。ですので、出国の手続きを省略して帰国する日本人は、貴国の公人が我が国まで赴き立ち合いのものと、責任を持って日本政府の飛行機で出国いただきたい」
何という事だろうか、こんなにも良い方向へ簡単に事が進むとは。小田川 大使は喜びを隠さず、融和的な笑みをダンベリアム 首席補佐官に向ける。
「もちろんこうなると、貴国の良識を信じていました。この度は理解あるご協力に大変感謝いたします」
首席補佐官執務室は、二日前とは大違いの雰囲気で満たされていた。
「貴国の人間が皆、善良であるが故です。しかしどんな国にも一定数悪人とはいるようですね」
小田川 大使はその言葉の意を汲めず、疑問の色を浮かべつつ真意をダンベリアム 首席補佐官に問う。
「悪人とは?」
「偽装艦でのスパイ活動は看過できない。我々は善良な日本人の帰国を助けるだけです。我が国の中で起きた犯罪行為には、誰であろうとも我が国の法で処罰させていただく」
二日前と同じ空気が漂い始めた首席補佐官執務室で、小田川 大使は急激に居心地を悪くする。なるほど相手は融和的な考えを持っているわけではなかったようだ。
「貴国は大変な勘違いをしているようです。あの船は民間企業が所有し運用しています。勿論乗員もその企業に属する民間人です」
「えぇ、貴国政府の要請で赴任した、国策に関わる重要な諜報活動に従事する、ただならぬ民間人です」
小田川 大使は顔をしかめる。なるほどシュベン・コローゲルという男はこういう男かと、その軽蔑を目の前の男に向ける。おそらく目の前のダンベリアム 首席補佐官も意思決定の大部分で影響力を持つはず。
「我が国民間人がいらぬ容疑で不当に拘束されているとあれば、相応の措置を取らせていただくことになります。しかしその前に、潔白が証明されている邦人の帰国は早急に行います。その日程も含めて、本国へ伝えます」
小田川 大使は、30分の枠を用意されたこの会談を、半分以上を残して後にする。
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【西暦2042年 10月4日 深夜|日本国旧首都圏政府直轄開発地政令指定特別区域 首相官邸北棟4階 総理執務室】
「スパイ?どういうことなの?」
フリト帝政国に在する邦人の帰国が叶うと、これは良い知らせであった。だが同時に、拿捕された民間船舶の民間人は諜報活動の容疑で拘束されている。
そう知らされた石橋 総理は、怒り心頭といった様子で詳しい状況を赤城 外務大臣に問い詰める。
赤城 外務大臣が視線で助けを求めたのは、総務省の情報通信局次長だった。
「はい、えぇっと携帯基地局としての役割もあったわけですから、もちろん通信設備がそろっています。おそらくはこれを見て、諜報活動の可能性があると、判断したものかと…」
すると今度は内閣情報局の長が、報告を補完しようと口を開く。
「拘束されている場所についてもわからず、容疑についてもフリト側の詳しい判断はまだわかっていません。ただスパイ活動を認めて拿捕したものではないでしょう、外交的な圧力と思われますが…総理、一つお伝えしたいことがございます」
梅沢 内閣情報局長は、議論にもなっていない諜報活動が露呈した事で拿捕に至ったという想定を否定し始める。何やら不穏な報告が始まりそうだと、石橋 総理は身構えた。
「なに?」
「私からお伝えします、こちらは拘束されていると思われる乗員の一人です」
A4用紙を手渡してきた男が首にかける証明証は、所属を内閣府の情報機関、特務情報局と示すものだった。
石橋 総理は手渡された書類に目を走らせる。特務情報局のロゴと[機密]の透かしが入った紙に印刷されていたのは、ある男の顔写真と名前、それに年齢から出生地まで。局内の人事データベースからそのまま印刷してきたようだ。
「特務の諜報員です。通電グループの船舶部門から出向という事で、同乗させていました」
「じゃあ本当に諜報活動してたってこと?」
「すみません、報告の必要は無いと判断していました。申し訳ありませんでした」
石橋 総理はため息をつき、体をソファの背もたれに預けて天井を見る。
「もういいわ。それで、邦人救出の件は?」
「現在、準備を進めております」
その問いに答えた朝比奈 国防大臣の言葉を補完すべく、矢賀 国防総軍統合参謀総長は続ける。
「はい、フリトの邦人は1758人で、うち947人が政府関係者です。民間人と、帰国が決まった政府関係者は全部で1654人、これを4日間かけて救出します。2日後までに準備を終えるよう指示しており、国防空軍のC2、C3、KC46を9機、動員する予定です」
「絶対にその1600人は帰国させて」
「わかっています総理、」
報告も、方針の決定も滞りなく進み、総理レクリエーションは終わりの雰囲気を見せ始めていた。そんな中、石橋 総理はさらに質問を投げた。
「国防軍はでんでんの乗員を救出できる?」
拘束された邦人の救出が外交努力によってなし得なかった場合、実力をもってこれを達成し得るか否かと。
「成功の可能性は低いかと、どこに拘束されているかもわからず、そもそも30人を一度に運ぶとなれば、固定翼の輸送機か、複数の回転翼機となります。降りる場所がありません」
「そう、わかったわ」
アドレヌ大陸はほぼ全てをフリト帝政国が掌握している。せめてエルトラード皇国が残っていれば、まだ楽に事を進められただろう。
次話更新については活動報告にて~