第二十七話・揺さぶり
【西暦2042年 10月1日 朝|日本国旧首都圏政府直轄開発地政令指定特別区域 首相官邸前】
今日もまた、石橋 内閣総理大臣はインシデントの対応に見舞われる。この頃、突発的重大事案が頻発して、もはや緊急という言葉の特別感は薄れつつあった。
「それで、拿捕ってどういうこと?」
首相官邸に横付けされた公用車から足をおろしつつ、官房長官に問うたのは石橋 内閣総理大臣だった。
「こちらへ、」
輿水 内閣総理大臣補佐官は石橋 総理を官邸へ促しつつ、時間が惜しいとばかりに速足で足を進めつつ、事のあらましを説明し始める。
「フリト近海で、民間船舶から連絡が途絶えました。30分程前に、所有者の通電からホットラインで総務省に通報があったところです。おそらく拿捕されたとのことです」
後ろに続く総理や官房長官らの補佐官らに続いて、メインホールで出迎えた官邸職員も合流し、あっという間に石橋 総理の一団は大所帯へと成長する。
「この後の党幹部との懇談はキャンセルとして、五分後にレクを始めさせていただきます」
石橋 総理は連日のインシデントに、いら立ちを募らせていた。
最後に3時間以上寝れたのはいつだろうか。考えてみても、ぼんやりと霞のかかった頭に思い浮かぶことは無い。先日の都営地下鉄新大手町爆発物事案の時も、公邸で床についた40分後にたたき起こされる始末。
関係閣僚緊急協議が始まったのは午前2時で、すべてが終わったのは6時前。ちなみに3時間後の閣議は9時から予定通りに行われていた。
こんな生活が今後も続くのであれば、開会が決まった臨時国会の決議も待ち遠しく感じる事だって、何ら不遜とは言えないのではないだろうか。
そんなことを考えていると、あっという間に北棟4階に至っていた。
総理レクリエーションは、内堀 内閣官房長官の仕切りで幕を開ける。
「拿捕された船舶は、日本通信電話グループのケーブル敷設船です。災害対策として携帯の洋上基地局としても運用されており、今回フリト派遣民間人の携帯機器向けの電波を提供していました。えぇ拿捕から8分後、通電から総務省にホットラインで通報が入り、同時刻総務省より地階に入電、官邸連絡室が設置されました。」
”ケーブル敷設船でんでん”の派遣はフリト前政権との取り決めに則った事項で、法的な非は無いと解釈されている。
「現在無人機を日本海上に上空待機中させています。指示があればすぐにでも、フリト港湾部を撮影できます」
矢賀 国防総軍統合参謀総長が提言するが、赤城 外務大臣は気乗りしないようだった。
「しかしそれではフリトをいたずらに刺激することになります。それにまだ拿捕と決まったわけでもないのに、些か性急過ぎます」
そうだ、まだ拿捕と決まったわけではない。残り数パーセントにかけて、外交経路でフリト当局に情報を求めることができる。と赤城 外務大臣の提言も尤もである。
「しかし事態は一刻を争います。総理、確かな情報を手に入れることを優先すべきです。DSならフリトの索敵網をかいくぐれます」
方針を決めかねる石橋 総理の目前で、立場の違いから提言の応酬が繰り広げられる。これを中断させたのは内堀 内閣官房長官だった。
「総理、フリトを刺激すれば、ゴールディング政権時の取り決めを知られている場合、最悪公表される可能性もあります」
日本国は国家存亡をかけ、かなり危ない橋を渡って交渉を続けてきた。
ユト大陸で行った、残留在日米軍から接収した戦域核兵器のデモンストレーションなど、文字通り核兵器級の地雷だ。
「クーデターの首謀はフリト軍の制服組トップ、軍務相も続投しています。間違いなく把握しているはずです」
赤城 外務大臣は、擁護してきた内堀 内閣官房長官の発言を補強する。
「総理、恐らくフリトは今後、それらを材料に技術供与や情勢への姿勢を求めて交渉を持ち掛けてくるはずです。早急に且つ、刺激しない対応が必要です」
自分なりの答えを出そうと、石橋 総理は働かない頭に鞭を打つ。これまでレンツ相手には、戦争への発展を懸念し、決定打に欠ける対応を繰り返した。その結果が沖ノ鳥島だ。
小笠原諸島沖合の海戦で挽回したばかりなのに、同じミスを繰り返してはいけない。そう心に決めて決断を下す。
「本当に探知されないんでしょうね?」
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【新生歴1948年 10月2日 昼前|フリト帝政国帝都エアセル ロームルス城】
フリト帝政国の権力の象徴。帝都エアセルの丘に聳える荘厳な城は、この国が列強国の地位を獲得するに至るより以前から、時の統治者と共にあってきた国史の証人でもある。
そんな城の主は、皇帝から内閣へ移っている。そして先日、軍官のある一人がここを掌握した。
「日本のオダガワ大使と、私は彼の補佐です。ダンベリアム首席補佐官と面会の予定で」
運転席の鈴野 外交官は、車を止めた憲兵に告げる。すると城を守る城門は、意外にもあっさりと開けてくれた。
本国よりの緊急の要件という旨を知らせ、大臣級以上の人間との会談を申し入れたものの多忙を理由に断られていた。粘った末に得たのが、今回の将軍の側近との面会であった。時間にして10分だ。
「ダンベリアム首席補佐官は蜂起するよりも前からコローゲルの側近です。気を付けてください」
「あぁ、行こう」
在フリト帝政国日本国大使館。外交事務所から大使館に格上げとなった矢先の政変で、彼らは大変困惑していた。そんな最中の拿捕疑惑、今回はこの事実を確認するためのものだ。
小田川 大使と鈴野 外交官は、憲兵から入城許可証を受け取る。憲兵と軍関係者らが行き交うものものしい城の中を、案内する憲兵に付いて進む。
「こちらでお待ちください」
将軍首席補佐官、カルガン・ダンベリアム。彼の執務室は、執託首席大臣執務室の左隣だ。しばらくして、中から扉を開けた憲兵に促されてドア枠をくぐる。
「お会いできて光栄です、大使閣下」
「えぇこちらこそ、御多忙の中お時間をいただき、感謝申し上げます」
二人は礼節を保ち、軽い握手を交わす。社交辞令をほどほどに、ダンベリアム 首席補佐官は小田川 大使をソファに促した。
「しかし、緊急の要件とは?こちらも忙しいものでしてね、なるべく手短にお願いしたい」
「恐縮です。しかしこれが最も迅速であると判断しました」
表面的には礼節を保ち、柔らかい単語を選ぶものの、そこに込められた感情は語気に現れていた。執務室は一瞬にして冷たい空気が充満する。
在日本国のフリト大使館は、本国でコローゲル将軍が実権を掌握後、大使以下外交官ら数名がコローゲル政権への忠誠を拒否し、即刻解任。大使館を追われた後に日本国へ亡命を申し出ていた。
繰り上げで大使に就任した20代後半の外交官への信頼度合と、情報伝達における両国の技術格差を暗に込めた棘のある言葉。
食料・エネルギー分野で生命線を握ってきたフリト帝政国に対して、かつてない程の攻撃的な姿勢は、ダンベリアム 首席補佐官の中で小さな驚きを生んだ。
「そうですか、それで要件とは?」
「はい。貴国に渡った我が国の国民の帰国に、事務手続きで大きな障害が起きている件です」
「それについては、前にも直接ご説明した通り、我が国の安全を第一に考えての措置です。適切な手続きがあれば、問題なく帰国できますし、我が国に妨害の意図は無いと、改めて強く主張させていただきます。」
前回と同じ答え。回答はした、時間が惜しいとばかりに時計を見やる姿を見せつけるダンベリアム 首席補佐官。
だがそれに対する小田川 大使の言葉は、フリト帝政国の主張を理解し、こちらの意が汲まれること望む辞令という前回の繰り返しではない。
「では民間船舶乗員の拘束連行も、事務手続きの不備によるものですか?」
そう言いながら、小田川 大使は鞄からA4用紙を取り出し机に置く。それはフリト帝政国の港湾施設を上空から写した写真。
「ほう」
顔色一つ変えずに、見定めるような瞳で小田川 大使の顔を見つめるダンベリアム 首席補佐官。小田川 大使はこの時、手ごたえを感じた。言葉が途切れたダンベリアム 首席補佐官は、次に何を発しようかと熟考しているようだった。
「沿岸警備隊による通常の業務の範囲内でしょうな。何分領土が広いものでしてね、国内で起きる出来事を全て把握しているわけではないのですよ。特別な事でなければ最上位まで報告は上がりません。無論、知ろうと思えばすぐに把握できる体制は整えていますがね」
まずは非が無い事と、上層部の指示によるものではない偶発的な問題であることを示唆する。その次は反論だ。
「しかしこれは航空撮影によるものですよね?我が国の主権を侵害する行為です、将軍に報告させてもらう」
そう領空侵犯だ。日本国側が最も懸念していた指摘を受ける小田川 大使も、当然言い訳は考えてある。
「詳細は安全保障上、開示いたしかねます。しかし前政権とは宇宙空間の利用についても一定の技術協力を行っていたはずです。宇宙空間では特定の国の主権が及ばないという我が国の認識に、貴国も理解を示したはずでは?」
「それは前政権での話です。我々はその件について回答を出していない」
「前政権の解釈を否定する旨は、我が国には伝わっておりません。今回は情報共有に問題があったのでしょう。我々も今後、このような事が無いよう尽力いたします。申し訳ありませんでした」
一歩引いた姿勢を見せるものの、この時の小田川 大使の発言はどんな相手にも謝罪として響くものではなかった。
この写真のインパクトは絶大なはずだ。明らかな手ごたえを感じ、小田川 大使はさらに続ける。
部分的に画質を落とした不鮮明な衛星写真を見ただけで、こちらが名前を出していない "沿岸警備隊" に言及したことは、あえて指摘しないでおく。
「しかしながら我が国の民間人が貴国の沿岸警備隊に不当にとらえられている事実は、状況証拠から確認しています。すぐに身柄を引き渡していただきたい。加えて、事務手続きの不備で出国が出来ない邦人についても同様に、身柄を引き渡していただきたい。彼らは我が国政府の要請で赴任し、国策上の任務に従事しています。我々としては、単なる民間人とは捉えておりません」
折れたとばかりに、先ほどとは打って変わって表面的な友好を醸す不敵な笑みを浮かべ、ダンベリアム 首席補佐官は返す。
「そうですか、勿論我々は日本の民間人に危害が及ぶことは望んでいません。ただ現場でこのような問題が起きているかどうかについては、早急に事実確認を取らせていただきます」
「貴国の良識を信じております」
次話更新については活動報告にて~