第九十七話 親として
星々が輝きうっすらとした月明かりが地上を照らす中、エルフの里は妙な静けさに包まれていた。
それもそのはず、現在エルフの里では朝から行方不明者が出ている。夜までに分かった人数は合計十二名、その人たちは年齢や性別、職業など全員がバラバラで里にいるエルフたちは皆、いつ自分が行方不明になるか怯えて息をひそめている。
当然、ティファの家も同様に妙な静けさに包まれていた。
ティファが意識を失った後、セイは急いでうなされるティファを家まで運び込んだ。それを見たモナとレイスは当然慌て、リーゼたちも驚いていた。
現在もティファは目を覚まさないが顔色はよくなっており静かに眠っている。
そんな中リビングには重苦しい雰囲気がたちこめていた。
イスに静かに座るのはレイスとサノバ、ランティだ。後者の二人は何らかの責任を感じティファが倒れてから八時間この場に居座り続けている。
それに倣うようにリーゼたちもまたこの三人とは対面の椅子へと座っていた。リーゼたちはどうしてこんな状況になったのか一切知らずただこの空気の中静かに息をひそめる。
そんな沈黙が続く中ティファの部屋の扉が開かれた。
中から出てきたのはセイとモナだ。モナはその手に水の入った桶とタオルを持っていた。ティファの状態が芳しくなく二人は今までずっと看病していたのだ。
「さて」
セイは椅子に静かに座るエルフたちを見下ろしながら口を開いた。その第一声にはわずかながらに怒気が孕んでいた。
「君たちは何を隠している」
セイの鋭い眼光が目の前にいるエルフたちを射抜く。エルフたちは体を硬直させ、リーゼたちもまたいつもと違うセイを見ることができない。
「はっきり言うけど今回の事を僕は怒ってるんだ。久しぶりだよ、ここまで怒りの感情を他人にぶつけるなんて」
セイは自らが抱える感情に驚きながら言う。
(僕にもまだ別な怒りが残ってたなんてね)
セイは少し子供っぽい自分に心の中で自嘲する。
そんなセイを前にエルフたちは黙ったままだ。
「話せないなら別にいいさ。だけど悪魔がかかわってると知ってたのにティファを呼び出すとはどういうことかな」
「な⁉サノバ、どういうつもりだ!」
“悪魔”という単語を聞き鬼の形相でレイスは隣にいるサノバの襟に掴みかかった。
「サノバ?あなたまさか娘の気持ちを考えずにまた利用したわけじゃないでしょうね」
モナからもまた非難の視線と怒りの言葉がサノバへとぶつけられた。
「黙ってないで答えろ!」
レイスは掴む力をさらに強め、今にも殺しそうなほど怒りで目を血走らせ怒鳴る。そんなレイスの怒りの視線に耐えかねたサノバが視線をそらしながらそっと口を開いた。
「……すまぬ」
たったその一言、だがその言葉だけでレイスの怒りは頂点に達した。
レイスはサノバを掴みながら立ち上がるとその拳をサノバの頬へと凄まじい勢いで叩き込んだ。
「お前は!お前は!あの子がどんな思いで今まで生きてきたか分かってるのか!あの日、あの子から笑顔が失われた日、その表情を見て私たちがどれだけ辛い思いをしたか分かるか!」
それは父親としての叫びだった。
「すまぬ」
「っ!」
ただ謝るだけのサノバにやるせない怒りが沸き上がりレイスはもう一度殴り掛かろうとするが小さな手で制される。
「何故止める」
「止めるつもりなんて毛頭ない。だけど私からも言ってやんないと気が済まない」
そんなモナにレイスは拳を収め一旦下がることにした。
「サノバ、私はあの子がセイ君と出会って笑顔を取り戻したことがとても嬉しかったの。だから私たちはあなたのことをもう責めなかった。だけど、あなたがまたあの子の笑顔を奪ったのならその時は———」
凄まじい魔力がこの家から漏れ出すほどモナから放たれた。その魔力量はフェンティーネに匹敵しこの里の権力者たちを御せることを必然的に認識させられる。
「この里ごとあなたを潰す」
その言葉はただの脅しではない。いつも人をからかい楽しむモナから出た本気の言葉だった。
パンッと乾いた音が静かなこの空間に響き渡った。その直後、この場を支配していた魔力がまるで最初からなかったかのようにすべて消えた。
「抑えてください。この魔力はリーゼたちにはまだ耐えられません」
モナがリーゼとアイナのことを見ると二人が魔力に当てられ青ざめていた。
「あ、ごめんなさい、ついカッとなっちゃって」
「い、いえ私たちの事は気にせず」
セイには二人が無理しているように見えた。
「ティーネ、二人を部屋で休ませてくれないかい」
フェンティーネは友人であるティファがあんな状態でこの話し合いから退出するのを拒もうとしたがセイの瞳を見て考えを変えた。
セイの瞳からは関わるなといった明確な意思を感じた。
「……分かりました」
フェンティーネは渋々納得しリーゼとアイナを連れて部屋へと戻った。
「これで他国に情報が漏れることは無くなった。これなら話せるだろ」
セイがフェンティーネを退出させた理由はそこにあった。サノバは警戒心が強く、特に他国にこの里の情報が漏れることを恐れる。しかしこの状況なら話すことができるだろう。
「分かった。ランティ席を外してくれ」
「確かに俺にはこの場で言えることは何もないしな」
そう言うとランティは自分の家へと戻っていった。
「お主らには説明せねばならない。こうなってしまったわけを」
そこからサノバはモナとレイスに全てを打ち明けた。契約を破り息子であるレノバが悪魔の研究に手を出していたこと、セイに協力を願い出たこと、そして今回の事件に魅了されたレノバがかかわっているということ。
話を聞き終えた二人は絶句していた。
「これで全てだ。私の息子のせいでこのような事態になってしまい、本当にすまなかった」
サノバは誠心誠意頭を下げた。
「……お前の気持ちは分かった。だが、素直に許すことはできない」
「あなたをどうするかはティファちゃんが起きてからにするから」
「すまん」
一旦、話に区切りがつく。
「一つモナさんたちに言っておかなければならないことがあります」
「何?」
「これは僕、特異点としての言葉です」
“特異点”その言葉を聞き二人は嫌な予感を禁じ得なかった。
「僕が診た限りティファの精神状態はもうボロボロだ」
それはティファにとって最悪の状態
「多分起きた時にはもっと深い絶望に堕ちている」
「そ、そんな」
「……モナ」
モナが膝から崩れ落ち涙ぐむ。そんなモナをレイスはそっと優しく支えた。
「セイ、あえて聞くがもし、もしだ。ティファが今より深い絶望を抱えるようになったら君に救えるのか」
レイスはその真剣なまなざしでセイを捉えていた。
セイはこんなレイスを見たことが無かったため少し驚きながらも簡潔に答える。
「無理です」
「っ!……理由を聞かせてもらっても」
ティファのために怒っていたのにもかかわらず最初から無理と答えるセイに僅かな怒りを覚えながらも瞬時に怒りを呑み込み冷静に聞き返す。
「僕はティファの絶望の根幹にあるものを知りません。それにもし彼女が目覚めた時、僕と同じところまで堕ちてしまっていたのなら、もう救うことは不可能です」
セイはティファが何に悩み、絶望を抱えたのかを断片的にしか知らない。そのためその傷を癒そうにもどうすれば癒すことができるのか分からないのだ。
「……もし、ティファちゃんの絶望の元が分かればセイ君には救えるの」
それはモナの懇願にも似たような言葉だった。
「完璧に救えるとは言い切れませんが最善を尽くします。この言葉に嘘はありません。僕も彼女には何度も助けられましたから」
恩返し、そんな言葉では足りないほどセイはティファに助けられた。そのためセイは自分にできることはないと判断するまで絶対にあきらめない。そんな意思が伝わったのかモナはフッと笑みを浮かべ、涙を袖で拭い去る。
「ティファちゃんが出会ったのが君でよかったよ……話すよ、300年前ティファちゃんに……ううん、私たちの子供達におきた悲劇を——」




