第八十八話 悪魔の研究
「ヘルフレイム」
煉獄の炎がサノバへと迫る。
どう頑張ってもこの炎から逃れることはできない。そう悟ったときもう煉獄の炎が目の前まで来ていた。
(これでいい)
その表情は後悔ではなく充実に満ちていた。それをセイは見逃さない。
「やめだ」
静かにそう呟くと煉獄の炎がいとも簡単に消えた。
そして冷ややかな瞳がサノバの目を捉える。
「何を隠している」
「殺すなら早く殺せ、責任はすべて私に——」
「君の表情は満足げだった。あんな表情をする奴はたいてい自分を犠牲にするような奴だ。君もその類だろ」
言葉が出なかった。
その時のセイの表情は先ほどまでの冷徹な物ではなくどことなくとても寂しげだった。
「それで契約を破ったなんていったい何があったんだ」
「……お主に隠し事は出来んか」
サノバは諦めるように言った。
「私の息子、レノバが悪魔の研究に手を出してしまった」
「そういうことか、それは確かに契約違反だ」
神と一部の悪魔を除いた全種族で結んだ契約、その内容は冥界からの悪魔の召喚と悪魔に関する研究の禁止、そして悪魔について記された全ての書物の破棄
そのためレノバが行った悪魔の研究は重大な契約違反だ。
「ああ、私も最初の十年はたいした研究も行えないと思い自主的にやめるよう促していた。しかしそれも失敗した。つい一か月前レノバはあろうことか破棄されずに残っていた悪魔の書物を持ってきた」
その書物こそが『悪夢』
レノバはあの時のサノバのまるで何かに取りつかれたような様子を思い出していた。
「その書物はどうした」
「今はレノバの研究室に置いてある。研究室はこっちだ」
セイはサノバの案内でレノバの研究室へと向かう。
研究室は里のはずれに存在し明らかに研究を秘匿している感じはあった。
「そう言えばレノバはどうしたんだ?どこかに監禁してるのか」
「それが……失踪してしまった」
「捕らえなかったのか」
「すまない、情が邪魔をして追放にとどめてしまった」
「どういう意味だ?」
追放したのに失踪したとは話が矛盾している。
セイの問いにレノバは一か月前に起きたことを全て説明した。
「大体話は分かった。だが失踪の意味が分からない」
「レノバの行方が分からんのだ」
レノバを追放したのはいいものの、その翌日サノバはレノバの研究室に向かったのだが、そこには悪魔に関する資料が全てあったのにもかかわらずレノバの姿はなかった。
そのためすぐにサノバはレノバの捜索隊を出したのだがその姿を見つけることは叶わなかった。
「そういうことか。なら、その答えはたぶんこの家にあるな」
セイはレノバの研究室へと入った。
それと同時にセイは不思議な魔力を感じ取ったが今は無視する。
レノバの研究室は少し荒れており資料が散乱している。その資料に目をやるとその全てが悪魔に関する資料やレノバの考察が書かれていた。
そしてセイの目に着いたのは唯一テーブルの上に綺麗に置かれている一冊の本
「これが『悪夢』」
セイは『悪夢』を手に取るとぺらぺらとページをめくり内容を頭に入れていく。
読み終えると静かに本を閉じ元あった場所へと戻した。
「吹け」
セイは魔法で風を発動させ床に広がっていた資料を巻き上げた。その数舜セイは床全体を素早く見る。するとお目当てのものを見つける。
「やっぱりあった」
「それは⁉」
そこにはインクで描かれた召喚陣と垂れてから長時間たったのか黒く変色した血の塊が数か所にわたりついていた。
「悪魔の召喚陣、しかも使った後だ」
「まさか、レノバは悪魔の召喚に成功したとでもいうのか、だがそれなら精霊様たちが騒ぐはず」
「いや成功することは絶対にない」
サノバの思考を遮るようにセイは言葉を放った。
「特異点、どういう意味だ」
「言葉のまんまだ。悪魔がこちらの世界に召喚されることは絶対にない。あいつが見張ってるからな」
セイが言う人物、悪魔にサノバは心当たりがあった。
「……冥王ルシフェルか、だが、あやつも悪魔、契約を破ってこちらに手下を送り込んできたという可能性もあるのではないか」
セイの言った人物とは悪魔のいる世界、冥界を統べる悪魔の王ルシフェルだ。ルシフェルはセイたちと契約を結んだ悪魔で他の悪魔をこちらの世界に召喚させないよう監視する役目がある。
サノバはレノバが契約を破ったのをいいことにルシフェルもまた契約を破りこちらの世界に悪魔を送り込んできたと考えたがセイは首を振りすぐにその考えを否定する。
「あいつは僕を裏切らない」
それは信頼からくる言葉ではなくそれが当たり前であるかのような言葉だった。
そしてサノバは”僕を裏切らない”というのを聞き逃さない。普通は契約を結んだ相手が複数のため“僕たち”というのが正しいはずなのだがセイは“僕を”と明らかに自分一人を指している。
この疑問を問い詰めることもできるがこれ以上は踏み込んではならないとサノバの本能が警報を鳴らすためそのまま疑問を飲み込んだ。
「そうか、だとしたらいったいレノバはどうなったというんだ」
「たぶんもともとこの世界にいた悪魔の仕業さ」
「何を言っている?そんなことができる悪魔などもうこの世界にはいないはずだぞ」
こちら側の世界にいる悪魔は300年前の大戦において全員消滅、もしくは冥界へと戻っていった。
レノバの疑問にそこからセイが持論を語る。
「ならもし倒したはずの悪魔が蘇ってたのなら」
「まさか!……いや、特異点や神でなければそんなことは不可能だ。今の時代、そんなことしてメリットのあるやつなどおらんぞ」
サノバはとある可能性にいきつくがすぐにその可能性を否定する。
「メリット?くく、君は少し勘違いしているよ」
鎖が大きく緩み始め黒いものが蠢きだす。
「何?」
「あの屑どもがメリットなんてもの考えるわけがないだろ」
その声を聞いた瞬間、サノバは硬直した。否、動くことが許されなかった。
セイから放たれたのはサノバを殺そうとした時よりとてつもなく冷ややかな声、絶対零度の声、そしてその瞳に映るのはどこまでも深い深い闇、憎悪だ。
「自らの保身のために簡単に人を殺す、それがあの屑だ」
この世の真理を説くかのように言い放たれた言葉もまた憎悪に満ちていた。
「……抑えて、くれないか」
サノバはやっとでてきた擦れた声でセイを止める。するとセイもはっとした様子で我に返った。
「すまない、少し取り乱した」
短く謝罪すると話を再開させる。
「悪魔は蘇った。そしてこの場に現れた悪魔は今この状況で最も最悪の存在アスモデス」
「……姫に伝えるか?」
サノバは目を見開いたがすぐにその事実を噛みしめ飲み込んだ。
「それは出来ない。彼女は今最も不安定な状態だ」
「そうか」
「だからこの話は内密にしてくれ。これ以上彼女の心を壊すわけにはいかない」
「分かった」
話に区切りがついたセイたちはもう少しこの研究室を調べる。レノバの目的が何にあったのか、どこまで悪魔についての知識を蓄えているのか
少し部屋を漁ると段々とレノバの思考が読めてくる。
「だいたい分かった」
「やはり特異点としてのお主は鋭いな」
「単にいつもの僕が周りの物に興味持ってないだけさ。それよりこの悪夢は貰ってく」
「ああ、処分はお主に任せる」
セイはテーブルに置いた悪夢を手に取ると速攻で燃やした。契約上この世に存在してはいけない書物、サノバは何も言わない。
「ふぅ、久しぶりに考えるとさすがに疲れる」
セイは首に手を当て頭を回す。
「いつもそんな調子なら誰もお主を侮らんだろ」
「逆に聞くけどいつもこっちの方がいいか?」
「……忘れてくれ」
よくよく考えてみるとこの状態のセイを相手にするなど正気の沙汰ではない。いつもは鋭くさせていないその感性を鋭くさせたあげく、いつもの優し気な微笑みの影はなくよく言えばキリッとしたクールな瞳、悪く言えばどこまでも冷徹な殺人者のような瞳。
そしてその絶対的強さは健在、しかもまだサノバはセイの力の片鱗しか見たことが無いため力の底を知らない。
自分の考えが愚かな考えだと自覚する。
鎖がまた閉まる。
セイの瞳に色が戻っていく。
「後の調査は僕がやっておくよ。それじゃあ何か進展があったら伝えるから」
セイはいつものような優し気な微笑みを見せ研究室を後にするのだった。




