第八十七話 妖精姫と精霊
それぞれに用意された部屋に荷物を置き終えたセイたちはティファの家のリビングに集まっていた。
「それじゃあパパ、挨拶してくる」
「待て、まだ帰ってきたばっかりじゃないか。もう少し私と話を——」
「いってきます」
レイスの言葉を聞かずティファたちは外へと出た。
「………」
娘に無視された悲しみからレイスは膝から崩れ落ちた。
「無視してよかったの」
「いいのよ。セイも知ってるでしょ、パパのしつこさ」
「あはは…」
レイスの異様なまでのしつこさは300年前エルフの里に来た時から知っている。そのためセイは乾いた笑みを浮かべた。
セイたちは下へ降りるとティファを先頭にしてエルフの里を散策する。
「あれ姫様じゃないか」
「本当だ」
「隣にいる人間は魔道王か」
歩いているとエルフたちの視線がセイたちへと集まり始める。正確にはティファに集まっている。
「ティファは里で有名人なの」
「たいしたことじゃないわよ」
そうは言っているが視線の集まりが尋常ではない。近くにいるエルフというエルフが全員ティファへと視線を向ける。
そこでセイが補足する。
「ティファは一応お姫様だからね」
「お姫様?私たち王女みたいな感じですか」
「ん~、ちょっと違うかな」
「?」
三人はさらに混乱する。お姫様だけど王女のような存在じゃないとなるといったいセイの言うお姫様とは何なのかと疑問が膨れてくる。
この疑問に答えたのはティファだった。
「お姫様って言うのはやめて、ただの巫女みたいなものよ」
「だけど実際、君はエルフの姫だろう」
「そうだけど、あんた絶対からかって言ってるでしょ」
「さぁ、どうだろうね」
セイは愉快そうに笑みを浮かべた。
ティファはこうして時折見せるセイの出会った頃と同じ態度にむかつきながらも少しだけ嬉しい気持ちがあった。
「あの二人、やっぱり何かあるんじゃ」
「ティファは私たちの知らない師匠を知ってるから仕方ないよ。悔しいけど」
「ティーネも知らないセイさんっていったいどんな感じなのかしら」
三人は思い思いに昔のセイを想像する。
すると全員が何故か理想のセイを想像し顔を真っ赤にさせた。
「ほら着いたわ。て何で三人とも顔を赤くさせてるのよ」
目的地に着いたのだが後ろで顔を真っ赤にさせている三人組を見て思わず突っ込む。その声で三人は我に返りすぐに想像上のセイを振り払う。
セイたちがやってきたのは他の家と変わらない一軒の家だった。
ティファはドアの前で二三度軽くノックした。
「ティファです。族長いますか」
「入りなさい」
中から少し疲れたような声が返ってきた。
「失礼します」
ティファはゆっくりと扉を開けると中には声と同じように疲れた表情をした白髪のエルフが座布団に座りお茶を飲んでいた。
「戻ってきたと思ったら魔道王も一緒だとはな姫」
白髪のエルフはティファの後ろから入ってきたセイへと目をやると少し視線を険しくした。だがその視線はすぐに元に戻る。
「サノバ、久しぶり」
「ああ、それでその後ろの三人は」
軽く返事をすると今度はリーゼたちへと目を向けた。
「勇者のリーゼ、聖女のアイナ、セイの弟子のフェンティーネです。非公式なので気にしないでください」
「奇しくもあの時と似たような状況か」
サノバはそう小声で呟くと五人に座るよう促した。
五人はサノバの対面の座布団へと座った。
「それで姫、私に何か用か」
「はい、この里に戻った時に気づいたんですがどうして精霊の数が減っているんですか」
「それは姫が一番よく分かってるのではないか」
二人の間に明らかに険悪な雰囲気が流れ始める。突如として重苦しい空気に変わったこの空間に三人は緊張を隠せない。
「そのくらい分かっています。だけど私がこの里に縛り付けられるいわれはありません」
ティファは確固たる意志に基づいて答えた。
「それだとこの里の者が困るのだ」
「それはあなた方古い者たちが精霊との対話を全て私、妖精姫に任せてきたからじゃないですか」
サノバの発言にティファがすかさず言い返した。
二人の意見は平行線を辿るのみ決して交わることはない。
そんな重苦しい雰囲気の中、リーゼが恐る恐る手をあげた
「あ、あのぉ、話についていけないんですけど」
それは他の二人も思っていた。突然エルフの里の族長の家に連れてこられたと思ったら険悪な雰囲気で会話をするところを見せられたのだ。訳が分からないあげく二人の会話の内容を理解することができない。
「それもそうだな。なら少しこの里について、いや我らエルフについて説明しよう」
サノバは語る。
「我らエルフは妖精様、お前たちの言う精霊様の力を借りてこの森で暮らしているのだ」
「あ、その精霊って何ですか?」
リーゼとアイナは精霊について知識がほとんどない。しいて言うならレネテロがセイのことを見て精霊にでもなったかと叫んでいた。
「魔道王、説明してないのか」
「説明する必要が無かったからさ」
「お主はただ面倒なだけだろ」
「そんなことないよ。僕も変わったから」
そんなセイの物言いにどうかな、と小さく呟くとティファへと視線を向けた。説明しろということだ。ティファは小さく溜息を吐くと説明した。
「精霊はこの世界に存在する自然の魔力が意志を持った存在の事、私たちエルフは妖精って呼んでたわ。精霊は世界のいたる所にいて性格は自由気まま、基本的に害はないけどたまにいたずらしてくるわ」
この世界で起こる自然災害は精霊たちが起こしたいたずらなのだ。
へ~と説明を聞いていた二人は頷いた。
リーゼは精霊の存在が気になり周りを見渡す。
「探そうとしても精霊は見えないよ。僕にも見えないんだから」
「魔道王なのにですか?」
魔法に秀でたセイですら精霊を見ることができない。
「そうだよ。普通の人は精霊を見れないんだよ。だけど唯一精霊を見ることができるのがティファさ」
「正確には私じゃなくて妖精姫」
ティファが補足するように言い換えた。
妖精姫とは生まれつき精霊を見ることのできるエルフの女性の事。里には必ず一人妖精姫が生まれその女性は精霊の声を聞きエルフを導く存在となる。その姿が妖精を従える姫のようだということで妖精姫と呼ばれるようになった。
そして今代の妖精姫、それがティファだ。
「だから私は姫に息子と結婚しこの里に定住してもらおうと思ったのだが、失敗した」
「け、結婚⁉」
「それで君は里に帰ってなかったのか」
セイは何となく察しティファに視線を送ると珍しく少し上目遣いでどこか期待したような視線を向けていた。
「何も言わないよ」
「ケチ」
ティファはこれまた珍しく口を尖らせ不満をあらわにするがセイはそれでどうこう言うことはない。
「うおっほん」
サノバがわざとらしく咳きこむとセイとティファを睨む。
「それで話を戻していいか」
「どうぞ」
一切申し訳なさそうにしないセイを見て少し呆れながらも話を再開する。
「私は戻りませんよ」
「一つ条件がある」
「条件なんて提示される覚えはないんですけど」
ティファは食って掛かるようにサノバを睨んだ。まさに一触即発、またしても重苦しい雰囲気がこの空間を包み込む。
「この条件は何が何でも飲んでもらいたい。頼む」
ここにきてサノバが初めて頭を下げた。族長がこうして頭を下げる姿をティファは初めて見た。目を見開いて驚く。
「話くらい聞いたらどうだい」
「……分かりました。話くらいなら聞いてあげます」
「感謝する」
サノバは頭をあげる。
「妖精大祭に出てはくれぬか」
妖精大祭とは数年に一度精霊に感謝と祈りをささげるエルフたちの儀式だ。しかしこの儀式を行うには妖精姫が不可欠なためティファがいなかったこの百年間一度も行われなかった。
「最後の踊り、あれは姫にしかできんのだ」
精霊大祭の最後、精霊たちに妖精姫による舞を献上するのだ。妖精姫は精霊が見えるため精霊が何を喜び、何を嫌うか把握することができるので適役というわけだ。
「百年も踊ってないですよ」
「いや踊りは何でもいいのだ。姫に踊ってもらうそれに意味がある」
「………はぁ、分かりました。流石に自分の身勝手でこうなってるわけですし」
「感謝する」
サノバは簡単にお礼を言うと話が終わりしばらくの間、妙な沈黙が続く。
「それじゃあ私たちは帰らせていただきます」
「ああ」
ティファは立ち上がると四人もまたティファと同様に家を出ようとする。
「魔道王、お主は残ってくれ」
セイはサノバの瞳を見た。その瞳は真剣そのもの
「分かったよ。ティファ、後からそっちに行くよ」
「早く戻ってきなさいよ」
「分かってる」
ティファは特に何も聞くことなくリーゼたちを連れて家へと戻っていった。
ティファたちが去った後、家に残ったセイはサノバと向き合っていた。
「それで僕に何か用かな」
「特異点、すまなかった」
開口一番サノバは謝罪した。
「どうして謝るんだい?それに今の僕は特異点じゃない」
「…約束、いや契約を破ってしまった」
「……ほう」
セイから冷気にも似た声が漏れた。その声にわずかにサノバの体が膠着してしまう。
部屋の温度が一気に下がる。比喩ではない。実際に下がっている。
「その言葉の意味を君は分かって言っているのかい」
事の重大性を分かっているのかとセイは声をさらに冷ややかにし聞く。それくらい契約とは大事な物なのだ。
「あの契約は神と一部の悪魔を除いた全種族の間で結んだ契約のはずだ。それを破るということはエルフは僕らと敵対すると受け取っていいのかな?」
セイは契約の破棄をエルフからの宣戦布告と受け取った。
「全ては私の責任だ。すまぬ」
何も説明せずにサノバは謝る。
「謝罪するだけなら契約はいらないんだ」
セイの周辺の魔力が揺れ始める。それは静かでとても荒々しい、サノバはその光景に息をのんだ。
「ヘルフレイム」
煉獄の炎がサノバへと襲い掛かった。




