第七十五話 希望までの道
セイたちはいつも通りの朝を迎えた。リーゼとフェンティーネは学院へセイとティファは家でそれぞれの作業をしていた。
ティファはいつものようにごろごろしているわけではなく自分の得物である『深弓』を磨いていた。その表情にはまだ影が残っておりまるで自分を見つめなおしているようだった。
「そろそろやめたら」
「まだここの汚れが取れないの」
「もう汚れなんてないと思うけど」
セイの言う通り、『深弓』には汚れなど一切なくむしろピカピカだった。それなのにもかかわらずティファは無言で磨き続ける。セイも最初は気が済むまでやればいいと考えていたが起きてからずっとああしているので止めに入った。
「ん?」
結界内にすごい勢いで入ってきたものがいた。魔力からリーゼだと分かったがずいぶん急いでいるようだった。
扉が勢いよく開かれた。
「大変です!」
リーゼが息を切らせながら家へと戻ってきた。
「どうしたんだい?忘れ物かい」
「違うんです。これを見てください」
リーゼは手に持っていた一枚の紙を机の上へと置いた。そこに書かれていたのは
『第二王女アイナ様、プロスティア帝国第二皇子ディンレイ様とご結婚、式は来週に執り行われるとのこと』
そう大々的に書かれていた。
「途中でこの号外を貰ったんです。私まだアイナとちゃんと話せてないのに」
リーゼが少ししょんぼりしている。しかし、セイにとってはそれどころではなかった。
問題は、婚約者がプロスティア帝国第二皇子だということだ。
プロスティア帝国はセイとティファの調査から魔王軍の傀儡になっていることが分かった。そんな国との政略結婚ともなれば両国の関係は強くなり不用意に帝国への疑いをかけられなくなる。それに加えアイナという人質まで取られてしまう可能性まである。
そんなことになれば魔王軍に多大な猶予を与えてしまうことになる。
「まずいね」
なんとしてでもこの婚約を阻止しなければならない。しかし現在のセイは死んでいるとされているため表立って動くことはできない。
「さてどうしようか……」
セイが国王に直談判すれば婚約破棄になるだろうが他国との政略結婚ともなれば少なからず他の貴族たちもかかわっているはずだ。もしその中に有力な貴族がいれば簡単に破棄することはできない。
セイはティファを見るがこっちの話も聞かず『深弓』を磨いていた。
いつもならこういう時、ティファに色々と助けてもらっているのだが今彼女を頼ることはできない。時間が経てば元に戻るだろうが、もう一刻の猶予もない。
「……仕方ないか。リーゼ、アイナは今日休みだったんだよね。なんで休みだったか分かるかい」
「確か所用で休みだって言ってました」
「所用か……」
アイナの仮面としての性格ならいくら結婚一週間前だからと言って休むことはないはずだ。何かしら悩んでいるのかも知れない。
「リーゼ、今日の夜少し時間を貰えるかい」
「よ、夜⁉」
リーゼは何を想像したのか煙が上がるほど顔が真っ赤に燃え上がった。
「そ、それってま、まさか」
「うん、王城に忍び込みにね」
「あ、ですよね~」
リーゼは分かっていたが少しがっかりする。
時刻はもう夜、アイナは外をぼうっと眺めていた。
「何で休んだのかしら」
今日アイナは学院を休んだ。しかし風邪を引いたわけでもないし用事があったわけでもない。ただ何となく休みたかった。
(なんで?もうあそこからいなくなるから?もう学院がどうでもよくなったから?……もしかしてリーゼに会うのが気まずかったから?)
そこまで思考を巡らせるが自分でも分からなくなってしまう。
(私は何がしたかったんだろう)
アイナ自身も自分の気持ちが分からなくなっている。
「アイナ」
「⁉」
後ろから聞き覚えのある声がした。
アイナは慌てて後ろを振り向くとそこにはここに居るはずのないリーゼとセイが立っていた。
「どうして二人がここに居るの」
「アイナと話したくて」
「僕はその付き添いかな」
リーゼがアイナのそばへと来た。
「アイナは本当に結婚したいの?」
「私の意志は関係ないわ。どうせもう覆らないし」
その表情はとても無機質でセイの言う仮面のアイナだった。
「そういうことが聞きたいんじゃないの!私は本当のアイナに聞きたい!」
リーゼの言葉にアイナが一瞬目を丸くさせるとふんわりとした笑みを浮かべた。この笑みはアイナの本心からの笑みだろう。
「もっと早くあなたみたいな人と出会っていれば変わってたかもね」
「え?」
アイナはそれだけ言うと仮面をつけなおした。
「セイさん、もう話すことはありません。二人で帰ってください」
「分かったよ」
セイは特に反論することなく了承した。
「セー」
まだほとんど話せていないリーゼはセイを止めようとするも空間魔法には抗うことができずこの場から姿を消した。
「どうしてあなたが残ってるんですか」
「君と一対一で話したくてね」
そう言うと突然机と二脚の簡素な椅子が現れた。
「座って、なにか飲むかい?」
机の上にはティーカップが二つほど置かれる。
「それなら紅茶をください」
英雄には何を言っても意味が無いと知っているアイナは出された椅子へと素直に座った。
「分かったよ」
セイはまたどこからともなくティーポットを出し紅茶を淹れ始める。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
アイナは紅茶を受け取るとそれを一口、セイもまた椅子へ座り紅茶を一口飲んだ。
「お話って何ですか」
「この世界は残酷だ。弱い自分が何をやったところで奪われたものは戻ってこない」
「何が言いたいんです?」
セイの独白にアイナが小首をかしげる。
「君は僕の知っている人によく似ているんだよ。彼女も自分の心を犠牲にしていた。それがどれだけの苦しみか僕には分かる」
そう語るセイは少し悔しそうにしていたがセイの瞳から感じたのは親愛。それがいったい誰のことを話しているのか分からなかったがその人がセイにとって大切な人であると判断した。
「ごめんね。話が脱線しちゃったね」
セイが紅茶を一口、話を本題に戻す。
「君は救われたいかい?」
「質問の意味が理解できません」
「言葉のままだよ。君は救いを求めていた。王女としてではなく本当の自分を見てくれる誰かに、違うかい?」
核心をついたような物言いにアイナは頷いた。
「確かにそうでした。だけどもう遅い、もう遅いんです」
アイナは全てを達観し諦めたような表情をした。その表情は15歳の少女がするべき表情ではなかった。
「もしまだ諦める必要が無いって言ったらどうする?」
「もしかしてセイさんの言うように私を救ってくれるんですか?」
アイナは少し自嘲気味にそう言った。
「ああ」
さも当然かのように言われたその言葉にアイナは意表をつかれ少し驚いてしまう。
「君はまだ希望を持ってる。こんな僕でも希望までの道くらい作れるさ」
「………」
「それじゃあ僕はそろそろ行くよ。それとリーゼのような友人は大切にしなよ。あんないい友人がもう一度現れるとは限らないから……」
セイは自分の不注意で死なせてしまった自らの親友を思い出し悲しそうにそう言うと消えていった。
「希望なんてもうあるわけないのに……」
セイの言葉を否定しながらも心のどこかでその言葉が引っ掛かり続けるのだった。




