第百七十六話 両親の墓
昨日行われた宴会は深夜まで続き広場では飲みすぎた酔っ払いたちが無造作に眠っていた。
そんな中、セイは日の出頃からクロッサス村唯一の観光名所である湖を眺めていた。
「何してるんですか」
後ろから少し眠そうに伸びるような声が聞こえてきた。振り返るとそこには白の半そでのブラウスに黒を基調としたバイアスチェック柄のロングスカートを着たリーゼがいた。昨日と違い露出は少なめだが、元の清楚さと相まってとても綺麗だった。
「リーゼかい、ちょっと湖を眺めててね」
そう言うと湖に視線を戻し眺め直す。ただぼうっと遠くを見つめる。
するとリーゼはセイの隣に足を三角にたたみそっと座った。
「セイが魔道王って聞いた場所もここでしたね」
「そうだね」
「そういえば、この湖って本当はセイさんが実験に失敗してできた湖なんですよね」
「う、どうしてそれを」
リーゼには誤魔化していたはずなのにと一瞬言葉が詰まってしまう。
「ティファさんが愚痴をこぼしてましたから」
「愚痴って、確かに迷惑はかけたけど……ちょっと待って、他に何か聞いてないよね」
若干セイは焦っていた。ティファが知っていることにはリーゼに聞かせたくないような恥ずかしい話も含まれていた。
「他って何ですか?」
「いや、思い当たらないならいいよ」
ふぅと安堵の息を漏らす。
「ふふ」
するとリーゼは軽く笑みを浮かべた。
「どうしたんだい」
「セイの表情がころころ変わって面白いから」
「え?」
自分でも気づいていないようだがセイはころころと表情を変えていた。
「セイって無意識かどうかわからないですけど、感情が表情に現れないですから」
「あぁ」
セイも思い当たる節があった。いつもは人当たりがよさそうな柔らかい表情で基本的にそれ以外の表情はあまりしない。実際、穏やかに笑っていても決して消えることのない内に秘める膨大な憎悪はそのままだ。
「なんでだろうね。久しぶりにはきだせたから、ちょっと落ち着いてるのかな」
憎悪が消えたわけではない。しかしマオンとの戦いでその憎悪をぶつけられたことで憎悪の炎が少し穏やかになっているのだろう。
そんなどこか悲しそうなセイの横顔にリーゼは少し不安を覚える。セイはあまりに危うい、今にも壊れてしまいそうだが皮肉にもそれを憎悪という卑屈な感情で無理やりとどめているといった状態だ。
どうしたらセイの憎悪を減らせるんだろうと悩んでいるととあることを思い出した。
「あの、セイがマオンと戦ってる時に言っていた咲夜さんって誰ですか」
「っ」
明らかにセイの表情がゆがんだ。それは憎悪というよりもあふれ出る悲しみを我慢しているような表情にリーゼは見えた。
「あ、ごめんなさい。話したくなかったら無理に話さなくていいです」
セイは隣に座るリーゼを見た。リーゼは悪いことを聞いてしまったと顔を俯かせしょんぼりしている。セイも鈍感ではない。リーゼがどういう意図でこの質問を聞いたのか気づいた。
「……君みたいにストレートに聞いてきたのは初めてだよ」
「ごめんなさい……」
「いや、いいよ」
セイは励ますように優しく少女の頭を撫でた。
「ちょっと聞いてくれるかい」
「……はい」
「ありがとう。咲夜はね単的に言うと僕の幼馴染なんだよ」
セイが思い出すのはいつも一緒にいてくれた黒髪の女の子
「彼女が家に来るといつも一緒にいたよ。遊んで、食べて、笑って、寝て、そんな何気ない日々を送っていたよ」
あの頃の日々を思い出すとつい笑みがこぼれてしまう。
「咲夜は良く笑って、僕に話しかけてくれた。森から出られなかった僕にこの広い世界を教えてくれた」
「大切だったんですね」
「そうだね。特別、ううん、僕らは互いに依存しあってたっていうのが正しいかな」
「依存ですか?」
「ああ、僕らは狭い世界の中でしかあの頃は生きられなかった。それに咲夜にはタイムリミットがあったんだ」
それこそがセイと咲夜を引き離したきっかけ、いや定められていた運命なのだろう。
「咲夜は生まれた時から神によって呪いをかけられていたんだ」
思い出すのは彼女との最後の語らい、初めて咲夜の泣き顔を見て、自分の不甲斐なさを悔やんだ過去、一生忘れることはできない苦い記憶
「十二歳で死んでしまう嫉妬の呪い、誰にも解くことができなかった。それこそ当時、咲夜たちが一番頼れたエンネシアにだって」
「咲夜さんはその呪いで」
「ああ、死んでしまったよ。あっけなくね」
セイが理不尽を嫌いだしたのはこの頃からだろう。咲夜を失ったことでセイを特異点へと昇華させる最初の一歩を踏み出させてしまったのだ。
「僕は、彼女のことを忘れることができない。ううん、忘れることが許されないんだ。それが彼女との最後の約束だから」
そう言ってセイは首筋についた二つの小さな傷に触れた。
「ごめんね。湿っぽい話を……どうして君が泣いてるんだい」
セイが無理に笑顔を取り戻すと隣にいるリーゼは涙を浮かべていた。
「だって、そんな理不尽なことってないです」
「……ありがとうね。咲夜のために泣いてくれて」
誰かのために泣ける心優しい少女と目を合わせた。セイはそっと人差し指でリーゼの涙を優しくぬぐった。
「やっぱり君は優しいよ」
リーゼの優しさにセイの心が少し温まる。
「もう少しだけ付き合ってくれるかい」
「え?」
セイは立ち上がるとリーゼへと手を差し伸べた。リーゼはそっと手を握るとゆっくりと引き上げられセイの腕の中にすっぽりとおさまった。
「ちょっと転移するから」
すると景色と雰囲気が変わった。やってきたのはどこかの森の中、しかし濃密な魔力をそこら中から感じる。それだけでこの場所の予想はついた魔の森だ。
「魔の森ですか」
「そうだよ。ちょっとここに用があってね」
リーゼはセイの顔を見上げた。そしてしばらくぼうっとセイの顔を眺めていると今自分が置かれている状況に気づいた。リーゼは今セイの片腕に抱かれている状態だった。ほんのり伝わるセイのぬくもりにこの森とは違うセイから香る自然のいい匂い。
すぐにリーゼはセイの腕から離れ視線を外し熱くなった両頬を抑えた。
「大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です」
セイは、恥ずかしがるリーゼから視線を外すとお目当ての物に目を向ける。
セイの視線の先には、風化された墓標と思わしき二つの石、そこには『アリス・アークロッド』『リオ・アークロッド』と記されていた。
「父さん、母さん、墓参りに来たよ」
セイは、二つの墓標の前に膝をついた。
その墓標はセイの亡くなった両親の墓だった。リーゼは恥ずかしがるのを止めて墓標に向かって手を拝むセイの方を見る。
セイは異次元の扉から花とお酒を取り出し、二つの墓標の前に飾った。
「ここって」
「僕の親の墓だね。一緒に拝んでくれるかい」
「は、はい」
リーゼもセイの隣で両手を合わせる。
しばらくするとセイはゆっくりと立ち上がった。
「この場所を知ってるのは僕と他二人くらいなんだけど、僕が自分からここに連れてきたのは君が初めてなんだよ」
「え?」
「なんでだろうね。君にはこの場所を知っていてほしかった」
セイは木々の隙間から覗かせる青く澄み渡る空を見上げた。その表情は悲しみではなくどこか安堵に似た感情が滲み出ていた。
「やっぱり君は不思議だ。あの僕を恐れながら助けようとしてくれる」
セイはリーゼが自分恩憎悪に対して恐怖を覚えていることに気づいていたが、それでもなお救おうとしてくれる姿勢に嬉しさを感じていた。
「だからかな。君に僕のことを知ってほしかったのは」
考えても答えは導き出せない。だが何となくそう思った。
「考えても仕方ないか。ごめんね、付き合わせて」
「いえ、教えてくれてありがとうございました」
「?はは、それじゃあ行こうか」
セイはリーゼの手をとりクロッサス村へと転移したのだった。




