第百六十六話 希望として
その日、東の平原に滅びが訪れた。
天から黒雷が降り注ぎ、死の嵐が吹き荒れる。地には地獄の業火が燃え広がり、極寒の冷気が死の氷塊を作りだす。大地は割れ、潤いを失う。
まさしく地獄絵図
眷属たちは悲鳴を上げるも誰からも救いの手は差し伸べられない。ただ滅びに身を任せるしかなかった。それぞれがそれぞれの苦しみを味わう。しかし、眷属たちが最後に見る者は同じ、黒い魔力を従え、自分たちを汚物のように見下ろす一人の男、復讐の使者、その瞳にはもう理性の欠片もなくただ狂気に身を浸しているだけだった。
滅びは去ることはなくしばらくの間、居座り続けた。
滅びの影響は街の方まで来ていた。
「くふふ、流石王の魔法、凄まじい威力ですね」
「おい馬鹿悪魔、余裕ぶっこいてんじゃねぇよ。セイの魔法、継続してるぞ」
ルシフェルがセイの憎悪に満ちた魔法に見惚れているとガルディウスから怒鳴られる。
「お前の魔法でもまともにくらい続ければ壊れるだろ」
ルシフェルの魔法がセイの魔法を三回まで耐えられるといっても持続し続けるこの魔法では十分ももたないはずだ。それが魔法知識の乏しいガルディウスの予想、だがルシフェルは知っている。
「大丈夫ですよ。王のあの魔法では私の結界は永遠に耐えられますよ」
「おいおい、永遠って、三回って言ってたのに随分余裕じゃねぇか」
「えぇ、セイ様は遊んでおられますから」
くふ、と不気味な笑みを浮かべる。
「……なるほどな。解放した影響で歪んだか」
ガルディウスは理解した。あの時の声はここまで響いていた。それは世界とセイの問答
あれはセイが自らに掛けた暗示を解くための問い
セイの暗示とは自らの深い憎悪を封じるためのもの、セイの憎悪はどれだけ強く理性を持とうとも絶対に抑えることはできない。それだけセイの憎悪は深く暗い。それを封じるために用意したのが暗示だ。
暗示は一時的にだが憎悪の元となった感情を段階的に消し去るもの、それにより憎悪が薄れ理性により抑えることができる。つまりあの一言ごとに憎悪の封を解くためのキーなのだ。
だがその反動もまた大きい。
今まで抑えてきたものを一気に解き放つのだ。そのため憎悪に呑み込まれる可能性が大きくなる。つまり今のセイはその憎悪に呑み込まれた状態、必要以上に歪んだ状態というわけだ。
それが“ガルディウスたちが導き出した”答え
「私の言った想定は空間隔絶を突き破る空間魔法のことです。しかしセイ様が使った魔法はあくまで冥獄魔法の昇華版、しかも威力が加減されている。空間隔絶が施されているこの結界を突き破ることは絶対にできません」
「遊びだな」
ガルディウスもまたルシフェルの言葉に賛同する。
セイが行っているのは全力の戦闘ではない。それこそセイが全力を出せば、空間魔法で眷属たちを削るとか、時魔法により眷属たちの時間を巻き戻し生まれる前まで戻すことも可能だ。
だが、セイはそれをしない。これは神にくみした眷属に対する粛清、そして他の神や眷属に対するみせしめ。姿を現せばお前らもこういう風になるぞ、という力の証明。そんな黒い目的がある。
その時、滅びが止まった。
「おや?止まりましたね。魔力反応もいつもと比べて薄い」
結界の外に静寂が訪れる。空は未だに暗い。しかし確実に魔法は止まり魔法を放つ気配すらない。
「地獄の蹂躙ですか。我が王ながらなんて恐ろしいことでしょう」
ルシフェルが至った考えは単純、魔法ではなく剣で眷属を蹂躙し始めたのだと、魔法が終わったと思わせて更なる恐怖を相手に与える。嬲り殺しだ。それは悪魔の考え、自らが仕える王をここまで恐ろしいと感じたのは久しぶりだった。
無情、非道、冷徹、そんな言葉たちが今のセイにはあっていた。
リーゼたちは思わず震えが止まらなくなる。自分たちが見ていたセイの一面は紛い物だったのでは、この苛烈なセイこそ本物のセイなのではないかと
「お前ら、そう怖がってやらないでくれ。あれもセイだがお前らがかかわっていたセイもまた本物だ」
そう、決して今までのセイが偽物というわけではない。ただ憎悪にかられ本来の自分を見失っているだけなのだ。
「だから俺らはあいつを助けなきゃならねぇ。タイムリミットは二時間、それが終わってもあいつが憎悪に取り込まれた化け物に成り下がっていたのなら、全力で止める。だがもし止まっていたのなら、俺らはあいつの憎悪を抑え込まなくちゃいけねぇ。ま、それが一番難しいんだが」
たとえ、憎悪に呑み込まれた状態で理性を取り戻したところで少し歯止めがかかるだけで神を見たのなら理性は軽く吹き飛びまた暴れだしてしまう。そうなってしまえば終わりだ。セイは神を殺すために周りを一切気にしない戦いを始めてしまう。そうなる前に理性ではなく別な何かで憎悪を抑えつけなければならない。
だが、それができるのなら苦労はしない
「過去に一回だけセイが暴走したことがある。お前らも知ってるだろ。ライルとセイが神を封印した伝説を」
それは300年前魔神大戦の最中に行われた神の進軍において二人がそれを止めたという偉業のことだ。
「その時、セイの暴走を止めたのがライルだ。ライルはセイの希望だった。だからセイを止めることができた。セイを止めるには希望が必要なんだ。そこでさっきも言ったがリーゼ、お前だ」
リーゼへと視線を向ける。
「お前だけなんだ。あいつの希望になれるのは」
この中で唯一希望となれる存在はリーゼのみ、たとえ関りが深くともガルディウスやティファでは希望にはなれない
セイがライルと同じ光を見出した希望、だがまだリーゼの光は淡い。セイの深い闇を照らせるだけの光を持っていない。
これはいちかばちかの賭けとなる。だが、今はその賭けを行うしかセイの闇を抑える方法はないのだ。
「………」
リーゼは俯き沈黙する。
いきなり希望と言われてもピンとこない。確かにセイを今のままにするのは良くないと思う。しかし、確実にセイを止められるかと言えば、そんな自信はなかった。
リーゼはまだセイと出会って半年も経っていない。セイの闇のことを知らなかった。いや、時折見せていた憎悪の片鱗に気づいていたのにもかかわらず、知ろうとしなかった。それなのに自分が希望など語っていいのかと、おこがましいのではと考えてしまう。
その迷いに気づいたガルディウスは言葉をかける。
「俺は別に今すぐ救ってほしいと言ったわけじゃない。ただ、あいつの闇を見てほしいんだ」
「闇を見る?」
「そうだ。あいつの闇を間近で見てどう思ったのかだけでもいい。ただあいつの闇も光もあいつの全てを見てほしいんだ」
「俺からも頼む」
ガレンがリーゼの前で頭を下げた。
「セイは俺らにとって弟みたいなもんなんだ。だが俺じゃ、あいつの闇は振り払えない。それどころか増長させちまう。またあいつが昔みたいに笑わなくなるのは嫌なんだ」
ガレンは何もできない自分に苛立ち唇をかむ。
ライルに連れられるセイを初めて見た時、ガレンはその瞳に恐れをなした。濁りに濁りきり何物をも映さない。そんな瞳だった。そしてセイは笑わない。ライルが語り掛けても、アリアが可愛がっても、セイは決して笑わなかった。
もはや家族と言っても差し支えないほどのセイを戻すわけにはいかない。戻してしまえばまた笑顔が無くなるのは火を見るよりも明らかだった。
絶対に戻させない。だが、ガレンにはそれができない。だからこうしてリーゼに頭を下げたのだ。
「だから、頼む」
ガレンから感じられるのはセイに対する友愛と親愛
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「ああ」
「ライルさんならこんな時、どうしますか」
それは勇者として、セイの希望として、ライルがどのような道を選ぶのかという質問
「……あいつなら闇を恐れながらも真正面からその闇を受け止めるはずだ」
その言葉にリーゼは驚いた。ライルと言えば英雄にして最高の勇者、そんな人物がセイの闇に恐れるとは
「驚いたか?」
「……はい」
「別にあいつだって完全無欠ってわけじゃない。ライルはあの憎悪を恐れた。そりゃそうだ。あんな闇を見せられて恐れないやつがいないわけがない。だけどあいつは恐怖を抱えながらセイと向き合った。ただあいつを救いたい。そんな一心であいつはセイの闇を取り除こうとしたんだ。とんだお人好しだろライルは」
それがライルという人物
聞きたいことは聞くことができた。
「分かりました。私セイに会いに行きます」
迷いが晴れたわけではない。
ただライルもまた自分と同じようにあの闇に恐怖を抱いていたのだと知ることができた。それによりリーゼは安心できた。
ただ自分なりにセイの闇を取り除きたい。必要なのは、その気持ちだけで充分なのだと
リーゼは決意に満ちた瞳を向けるのだった。




