第百四十二話 使徒との密談
時刻は真夜中、町は静まり返り昼間の活気は無くなっていた。
そんな中豹の耳を持ち腰にレイピアを携えた男が誰もいない街道を歩いていた。豹の獣人は常に気配を感じ取り周りに誰もいないことを確認し続ける。
しばらく歩き続けるとレインティーラ郊外にある小さな廃教会へとやってきた。ここは数百年前から使われておらず管理するものがいなかったため所々の壁が崩れ、床には草がはっていた。
獣人は祭壇にあった草を無造作にどけそこへ座り静かに息をひそめた。
しばらくそうしていると月が雲で隠れ数秒の間廃教会が真っ暗になった。
「あなたが協力者?」
その透き通るような声が聞こえた時、獣人は持っていたレイピアに手をかけた。
雲が流れていきゆっくりと月あかりが廃教会をぼんやりと照らし始める。獣人の目の前に少しずつ目の前に現れた者のシルエットが浮かんできた。
目の前にいたのはフード付きの外套を羽織った人物だった。フードを深くかぶっているため顔は見えない。しかし声は少し高めだったため女性であると判断することができる。
「あなたが協力者?」
女性と思われる人物からは同じ質問が投げかけられる
しかし獣人は質問に答えることもなくただ目の前の異質な存在を警戒するだけ
獣人がここまで警戒するのにも理由があった。獣人は気配察知を使い警戒をしていたのだが声が聞こえるまで近づいてきていた目の前の存在に気づかなかったのだ。
獣人にはそれなりに自分の実力に自信があった。そのため目の前の存在が危険だと十分理解することができたのだ。
獣人の心に下手なことをすれば殺されると恐怖にも似た感情が生まれ始める。
「……お前は誰だ」
振り絞って出た言葉はそれだけだった。
その言葉を聞いた女性は首をかしげるとフードの奥から薄らと見える口角が少し上がった。それを見た獣人は目の前の存在を敵と判断しレイピアを引き抜こうとした瞬間
「⁉」
レイピアを掴んでいる手に力をいれるが微動だにしなかった。獣人は自分のレイピアを見るとそこにはそっと添えられている女性の手があった。
(……見えなかった)
獣人の横には女性の姿が
獣人は女性が自分の横へと来た動きが一切見ることができなかった。しかもだ、フードの裾からのぞかせる腕はとても華奢で一体その腕のどこにそんな力があるのかと言いたくなるほどの力を持っていた。
勝ち目がないと悟った獣人はこの場から何とか逃げようと模索するがその必要はなかった。
「使徒」
女性が耳元でそう囁いた。
獣人はその言葉の意味を瞬時に理解した。そして目の前の女性こそ自分の待ち人だと理解した。
使徒とは神の力を借り受けた存在である。その力は神と一部の例外を除き無類の強さを秘めている。例えば『勇者』や『聖女』は創造神の使徒ともいえる存在である。
獣人はレイピアを持つ手を緩めると女性は後ろへと下がった。
「お前が使徒だってことは理解した。俺の協力者であることも、だがお前はどこの使徒だ」
「『暴食』」
「……くくく」
獣人は当たりを引いたと確信した。目の前の存在こそ大罪神の中で最も力を持つ神の使徒、すなわち最高勢力と手を組めたのだ。
「それで暴食の使徒ということはあんたが魔王か?」
「……そう」
「魔王が味方とは心強いな」
獣人は疑うこともせず女性の言うことを信じた。
「それじゃあ魔王や暴食の神は全面的に協力すると?」
「ええ、そのつもり。だけど私や暴食の神はあなたに協力しない」
これには獣人は驚いたり蔑んだりすることはなかった。獣人も使徒や神と言った人外の力を持つ者たちから協力を得られるとは思っていない。
「もちろん眷属は貸してくれるんだろう」
獣人が期待していた戦力は眷属だ。眷属とは神にほんの少しの力を与えられた存在、使徒より弱いが決して弱くはない。分かりやすく言うと『勇者』が使徒ならば通常称号を持つ者たちが眷属だ。
魔王の持つ最大戦力は魔王軍だ。それさえ貸してもらえば獣人の計画は成功率が跳ね上がる。
「それもできない」
「な⁉どういうことだ!」
思ってもみない返答に獣人は怒鳴った。眷属を貸してもらえないとなると獣人の計画が狂いだしてしまう。
「眷属は貸せないけど魔王軍なら貸せる」
「?魔王軍は眷属じゃないのか」
「魔王軍は私が集めた軍、暴食の神は関係ない。それに魔王軍の中で私と神の関係を知る者は幹部の中でも限られてる」
「魔王軍を貸してもらえるのなら何でもいい」
獣人はそれだけ吐き捨てると計画を話し始める。
「明日の朝にはここに魔王軍を呼んでほしい、それと幹部クラスとまでは言わないが強力な魔物をよこしてほしい」
「ドラゴン?それとも悪魔?」
女性は魔王軍が出せる最高戦力を平然と言い放った。
ドラゴンは言わずもがな金ランクの冒険者がパーティーを組まないと倒せないほど強い。
「悪魔?なんだそれ?まあ強ければ何でもいい」
悪魔は秘匿された存在だ獣人が知らないのも無理はない。
「分かった。他には何かある?」
「……ずいぶん協力してくれるみたいだな」
あまりに話が順調すぎて獣人は裏があるのではと女性を疑い始める。
「ええ、それが神の望みだから」
獣人は裏があると確信した。
神の望み、つまりは暴食の大罪神の望み。大罪神に善意などあるはずがない。それどころか利用されるのは目に見えていた。しかしここで獣人はこの申し出を断るわけにはいかない。
「分かった。だが裏切るなよ」
「ええ」
念のため釘をさしておく。言質を取ったところで約束を守るとは思えないがこれで少しは安心できる。
「当日、お前はどうするんだ」
「私は事の結末を見守るだけ、過度な加担はしない」
「見てるだけってことか、それは神からの指示か」
「それが神の望み」
「ちっ、まあいい、俺はもう戻る」
獣人は苛立ちながらぼりぼりと頭をかくと廃教会から出ていこうとする。
「ちょっと待って」
「まだ何かあるのか」
女性に呼び止められるといら立ちを隠すことなく振り返った。
「これを」
「なんだこれ?」
女性から渡されたのは何の変哲もない黒いシンプルなブレスレッド、獣人は月あかりに照らしながら見る。
「それは幸運のブレスレッド、あなたの計画を成功に導いてくれる」
その時、一瞬だけだが女性のフードの奥から朱色の二つの光が妖しく光るのだった。




