第百五十話 いろいろ大変そうだ
マリンホエール海賊王国のスノーパレット城の庭でマリンに声をかけられたので二人でベンチに座わる。
「こんなにのんびりしていていいのか?俺に用があるって言っていたのに」
「……いいさ。あたいがまだあんたを信用し切れてないだけさ」
「信用が必要なことなのか?」
マリンは海賊帽を脱いで膝に乗せる。
漆黒の髪が日光を反射して輝いている。
今気づいたけどマリンの外見って日本の人間にみえるんだよな。
黒髪に茶色の瞳。
日光が入ると瞳が茶色に近い色をしている。
「そうさ。ここまで無理矢理連れて来ておいて今更あたいが躊躇しているなんて、他の奴らには見られなくないね」
「躊躇しているのか?俺は別に気にしないけど、決心がつくまで待つよ」
「あんた、ホントにお人好しなんだね。
自分の国が大変なことになっているっていうのに気楽な野郎もいたもんだ」
「それはそうだけど、だからって困っている奴を見捨てるなんて俺にはできないし。
あっちはあっちでなんとか耐えてくれているし、俺は仲間を信じているからこうしていられるんだ」
そうじゃなかったらすぐにでも国に帰っている。
しかしマリンが困っているって言うなら放ってはおけない。
お人好しだからな、この世界に来てからの俺は。
「……いいやつなんだね、あんた」
マリンは照れ隠しなのか海賊帽を人差し指で回しながら目を瞑る。
そんな恥ずかしいこと言っているかな?
そんな姿を見て俺は内心少しだけ笑った。
「なんだよ?何か文句でも?」
「なんでもないよ。やっぱりあんたを連れてきて正解だったかもしれないね」
「当の俺は目的も分からないままなんだけどな!」
「そういえばそうだったね。全く、目的も知らないのによくあんな恥ずかしいことを堂々と言えるね、気に入った!」
指で海賊帽を回すのを止めてマリンは唐突に俺に抱きついてきた。
かなり大きい胸の感触に俺は動揺する。
「なんなんだよ!離してくれ!いきなり抱きつくとかどういう了見だよ!」
突然の行動に俺の頭は急速に混沌に沈む。
なんだ、何が目的なんだ!
俺が差し出せるものはないよ!
「可愛いねえ、可愛いねえ!」
腕を振りほどこうとするればするほどガッチリホールドしてくる。
さらに俺の頭をワシャワシャしてくる。
これで素面とかあの船員がいやそうな顔をしていたのにも頷いてしまうぞ。
マリンは確か可愛いものが好きだとか聞いたけど、この状況で俺がその対象になっているのだろうか?
俺の力なら全力で離れることもできるけど、マリンが楽しそうなので気が済むまでそのままにしておく。
無論、俺が非常にドキドキしているのは仕方ないのだけど。
「その外見で26なのかい?あたいには信じられないね!」
「マリンは一つ上なんだよな」
「そうさ。でもあんたは外見は完全に少年だからね、悪いお姉さんに連れ去られないように気を付けな!」
「あのさ、一ついい?その悪いお姉さんに連れ去られているんだけど、今。
それに息ができないんですけどね」
お姉さんとか呼ぶのはどうかと思うが、俺もマリンのノリに乗ってみる。
「ハッハッハ!言うじゃないか!ここまで楽しいのは久しぶりかもしれないね」
気が済んだのか、マリンは俺から離れてくれた。
危ない、窒息死するところだった。
「楽しそうなことで、俺は突然の行動に唖然としていたよ」
そんな戯れのような会話をしていると不意に男の声が聞こえてきた。
「随分と楽しそうですね、マリン様」
姿を現したそいつは漆黒の髪を後ろで一つに纏めて細く結んでいるコートを着ている男だった。
彼を見るなりマリンは凍りついた顔で忌々しげに舌打ちをしながら立ち上がる。
「チッ、せっかく楽しい気分だったのになんなんだい?」
「いつものお薬ですよ。あなたには必要でしょう?ねぇ、マリン様?」
「ふん、さっさと渡してどこかに消えることだね、あたいの機嫌がいいうちに」
「おやおや、怖いですね。それでこの国の女王とは笑わせてくれます」
言葉の端々から刺を含んだ言葉を返す男。
誰なんだろう?
この場の雰囲気と関係性を考えるにあまり会いたくない奴なのは確かだろうけど。
「そちらの少年はアトスですか。あなたのようなバカな理想をお持ちの方は頭の中を疑ってしまいます。
花でも咲いているのではないですか?」
「初対面で何言っているんだよ、変なやつだな」
そりゃあ、俺の持っている理想は端から見ればバカな理想なんだろうけど、初対面の人間にそこまで言うなんて、性格が歪んでいるんじゃないのか?
「変な奴ですか……ククク。それはそうかもしれませんね。
しかし世界の構造に変革をもたらせるなど本当にそんなことを思っているのですか?
なら救いようがありませんね、これはいけない」
「救わなくて結構だ。お前に救われたくはない。
それに人の夢を笑う奴はろくな人間じゃない」
「ハハハ、夢?そんなもの叶うわけがないでしょう?考え直したまえ、愚かなアトス君」
なんだよこいつ。
変な奴どころか性格がひん曲がっている。
「お前がなんでそこまで俺に突っかかってくるのか分からないけど、可哀想な人なんだな、お前は」
「おやおや、夢を見て叶わない人間の方が可哀想だとは思いませんか?
ならば最初から夢など見ない方がいい」
これはあれだ。
あの男も夢を持っていたけどものすごい絶望を伴って夢を持つことを諦めてしまった人間だ。
なぜそう思ったのか。
最後の言葉を言うときにほんの少しだけ注意して見ていなければ分からないほど小さな寂しさが浮かんだからだ。
「さっさと出ていきな!あんたの世迷い言に付き合うほどこっちは暇じゃないのさ」
「そうさせて貰いましょう。そういえば、群島連合の件は考え直して頂けましたか?」
「それは何回も断っているじゃないか」
「残念です。なら妹への薬は今日を持って打ち切るとしましょう。
いやはや残念なものです」
「そ、それ、は……」
あんなに強気なマリンが突然弱気になっていた。
その姿を楽しむように男は気味の悪い笑みを浮かべてマリンを眺める。
そして大袈裟な動作を交えて最後の会話を始めた。
「あなたがいけないのですよ。再三加入しろと言ってもまるで聞く耳を持たない。
これまであなたの国にどれだけ群島連合国が支援を送っていたのか、忘れたわけではありませんよね?
自業自得です。
あとになって後悔しても知りませんよ。
では失礼」
男は礼もしないまま踵を返しそのまま去ってしまった。
マリンはその背中を見ながらみるみる青白い顔になって、地面に両膝を付けてへたり込んでしまった。
去ったあと、人形のように白くなった顔をしながら恐る恐るこちらに向ける。
「ど、どうしよう。あ、あた、あたいにとって
ティータは大事な唯一の妹なんだ」
考えるまでもなく彼女は動揺していた。
あんなにハッキリ物を話すマリンが言葉を噛みながらそう言う。
俺には事情は分からなかったが、壊れてしまいそうなくらいに落ち込んだマリンを放っておくことはできず、何も考えないまま抱き締めた。
マリンは抵抗もせずにされるがままになっていた。
「落ち着けって……な?さっきまでのマリンはどこ行ったんだよ。
俺には事情はよく分からないが、そんな顔するなってしばらく落ち着くまでこうしているから」
するとマリンは茶色の瞳から一滴涙を流し始めた。
流れ出すと止まらないものでその一滴を皮切りにどんどん涙が溢れてきていた。
「もう……もうあたいにはどうすればいいのかわからないんだよ!
群島連合国の奴らは裏で良くないことをやっているってのに、それに参加しろだって?!
ふざけるんじゃないよ!
妹まで交渉材料に使って……来るなんて」
これはマリンの本音なんだろう。
それにしても弱みにつけこんで来るなんて犯罪組織みたいなものじゃないか。
群島連合国の闇は想像以上に深そうだ。