第百二十九話 帝国、出陣する
メクリエンス帝国玉座の間。
我の元には妹アルシェから手紙が届いていた。
玉座に座りながらその手紙を読む。
『突然の手紙、お兄様はきっと不思議に思われていらっしゃると思います。
お兄様に緊急のお話があって手紙を届けました』
という一文から始まっていた。
帝国へ帰ってきた第一皇女専用の飛行艇にはアルシェの使いの退役騎士しか乗っていなかった。
アルシェはまだアトスという人間のいるはずの場所からは離れるつもりはないという。
手紙を届けると挨拶もそこそこに彼は引き返して行ってしまった。
「……全く。アルシェにも困ったものだ」
今この場所には我一人で、聞き耳を立てている人間もいない。
故に我の言葉は空中へと消えていった。
手紙の続きを読む。
『アトスという少年の話なのですが、あのアンデッドとの戦いの印象そのままの人物で、私のことをとても気にかけて下さる方でした。
此度の訪問で分かったことなのですが、彼はフォクトリアの地に理想の国家を作ると言っていました』
「……ほう、アトス。面白い人間だな」
文章からも分かるようにとても楽しそうな妹の姿がありありと思い浮かぶ。
国家を作るということは何かしらの目的があるはずだ。
『彼は敵対心のない魔物と様々な種族の垣根を越えて幸せに暮らす国を作ると言っていました。
それはいいのです。
お兄様はエルフィリン樹神国の異変の話をご存知でしょうか?
きっとお兄様のことですから知らないわけはないと思いますが、数日前、アトスさんがそれの解決に動きました。
急報だったのでマジェス魔道国と共に一人で向かいましたが。
世界樹の異変は世界の大事ですよね?
もし余裕があるようならお兄様も樹神国の援軍に向かって頂けませんか?』
今回手紙を寄越したのはこれの影響だろう。
帝国の諜報においてもその現象は確認されている。
世界樹は世界にとってなくてならない重要な存在だ。
仮に世界樹が無くなれば我が帝国の魔法と科学の融合にも支障をきたすことだろう。
ミグノニア群島連合国はなにやら不穏な動きが報告されているため、今回の騒動のことはなにも知らないはずだ。
また他の国も世界樹を軽視する風潮が広まっている。
「……アルシェよ。我が動きづらい状況だということを知っているのか?」
一旦手紙から目を離し、玉座の間の天井を見上げる。
我は現在内部で叛乱を企てている人物と水面下で争っている。
ここで我が帝国を離れるとその人物が行動を起こすのは分かりきっている。
そんな状況で離れろと言うのだろうか、アルシェは。
続きを読む。
『お兄様の状況はよくわかっているつもりです。
しかし、世界樹の話は帝国の存続に関わる大事だともワタクシは考えます。
いえ、先程も申しましたが世界の危機です。
そして、世界樹を守護しているエルフィリン樹神国とは遥か昔からこのような時に救援を送るという条約を交わしていますよね?
今こそ、その約束を果たすべきです。
国内に不安があるようでしたらワタクシの騎士団団長フリードへ治安維持を任せるように言ってください。
彼は信頼できる人間で今回の件もお兄様直々に頼めば快く引き受けくれるはずです』
かつて、世界樹を独占しようと各国がこぞって樹神国に侵攻したことがあった。
しかし、樹神国の護り龍グリーンノアがエルフ達に力を貸したこともあり、各国は甚大な被害を出した。
帝国はそれを知っていたらしく、無闇に樹神国に攻め込まないようにと帝国全土に厳命されていたそうだ。
それから各国は樹神国に手を出すことはしなくなり、樹神国から提案された不可侵条約を世界の全ての国が承諾。
その時、帝国の皇帝が何を考えていたのかは分からないが、世界樹に異変が起こったときは手を貸すと同盟を結び世界の国の中で唯一の同盟国となった。
「……さてどうするか」
手紙にはまだ続きがあった。
ここまで長文の手紙を書いているアルシェは初めて見る。
余程アトスのことを気に入っているのだろう。
『ここからは個人的な話ですが、アトスさんは悪い人間ではなく、ワタクシ個人の状況を聞いてゼオルネ竜王国と対決する意思を教えてくださいました。
また、アーティファクトを集めているということもお兄様と共通していることだと思います。
目的は時空神アトロパテネスの復活だとか』
アーティファクトを集めているのか。
それよりも我の頭痛の種であったゼオルネ竜王国と対立するということはアルシェはやはり竜王国へなど行きたくはないのだろう。
それは前々から感じていたが、中々アルシェは口に出さず我も国内のことに気を取られてそんなことを考えている暇はなかった。
……違うな。
考える暇はあったが、気づかないフリをしていた。
そんなところだろう。
『最後になりますが、どうかアトスさんを助けてあげてください。
彼には助けなど必要ないと思っていらっしゃることでしょうけど、でもアトスさんはこの世界に必要な人物だと直接会って確信しました。
お兄様にとっても悪い話ではないはずです。
お兄様もアーティファクトを集めているのですから、良き理解者になって頂けるかもしれません。
まだしばらくこの国に滞在します
アルシェリア・ウルルディア・バルトロス・メクリエンスより』
アトスのところに行ったということは今は恐らくアルシェ・ベアトリクス・メクリエンスと名乗っているだろうが。
これがアルシェからの手紙の全文だった。
紙を畳んで内ポケットに収める。
「……アトス。我と同様の目的を持つ者。
フッ……少し興味が湧いた」
玉座から立ち上がる。
歩いて玉座の間を後にした。
この目で直接アトスという人間に会って確かめるのも良いかもしれん。
アルシェ直属の騎士団本部を訪れる。
この国ではそれぞれの王族は直属の騎士団を持っている。
アルシェは第一皇女ということもあり何かと狙われるため、護衛は必須だった。
他の帝位継承ができる皇子は我の他に三人いる。
帝位継承ができる皇女はアルシェを含め三人。
帝国は女王がいた時代が何回もある。
我から見れば他の六人共、弟と妹である。
中に入るとテーブルを挟んでイスに座っている赤髪の男性とアルシェの騎士団団長フリードの姿があった。
「ハッハッハ、フリードのおっさんまたふられてやーんの」
「うるさいぞ。そういうお前もそろそろ嫁を見つけたらどうなのだ?」
「あー、女って面倒だろ?」
どうやら酒を飲んで出来上がっているようだ。
その二人の近くに行く。
「……飲み過ぎだぞ、ロイ、フリードも」
我の姿に気づいたのか二人がこちらを見る。
「おお、兄貴じゃねーか!どうした?ついに俺と飲む気になったかぁ?」
「こ、これはドライハイゼル様!」
ロイはニマニマしながらグラスを我に近づける。
対照的にフリードは臣下の礼をする。
「……我は飲まん。よい、かしこまるな。今回はフリードに頼みがあってここに来たのだ」
我が首を振るとフリードはイスに座り直す。
「なんだ?兄貴が頼み事なんて珍しいな」
「私に頼みとはなんでしょう?」
「……しばらく国を空ける。故にギーゼの監視を頼みたい」
二人が驚きの表情をする。
ギーゼとは件の我と争っている将軍だ。
「ギーゼ様の監視……やはり玉座を狙っているという噂は本当なのですか?」
「ギーゼの野郎か。あいついつもネチネチしてやがってたから俺も怪しいとは思っていたが」
「……この話は他言無用だ。アルシェが信頼しているフリードだから話している」
するとロイと呼ばれた赤髪の男性が面白くなさそうに自分の方に指を向けて文句を言う。
「俺は?」
「……何を言っている。ロイのことは何も心配しておらぬ。
我の右腕なのだから」
「そっかー、へへっ、そうだよな!」
ロイは照れ隠しなのかに後ろで腕を組んで笑う。
ロイは第二皇子だが、帝位にはまるで興味を示さず奔放な性格もあって国民人気は高い。
そのうえ、戦闘に関しては天錻の才能を持つ。
先日帝国から出奔したイスターリンにもまだ伸びる見込みがあると在籍していた頃に言われていた。
我がこの帝国で一番信頼している人間の一人だ。
「どちらへ向かわれるおつもりなのです?」
「……エルフィリン樹神国だ」
「本当かよ兄貴!もしかしてレッドバスターズ飛行軍を動かすのか?」
「……そのつもりだ」
レッドバスターズ飛行軍とはいわゆる帝国の技術の結晶である飛行艇を中心とした空中部隊だ。
まだ創設して間もなく、実戦といえば数年前の竜王国との戦争の前哨戦くらいだ。
あの時はイスターリンが前哨戦直後に無断で単騎出撃し、竜王国の軍団を敗走させすぐに停戦状態になったため経験不足は否めない。
だが、竜王国の聖導竜騎士団との空中戦を世界で初めて対等に渡り合える軍だったので今は世界中の注目の的だ。
「それじゃあ、俺の出番だな!」
ここにいるロイにはそのレッドバスターズ飛行軍の総司令を任せている。
「……大丈夫か?無理にとは言わない。……その場合は我の配下の軍を動かす」
「待て待てって。俺もここのところ模擬戦ばっかりで退屈していたところだ。少しは兄貴の役に立ちたいんだよ、俺は。
俺ができることは戦うことだけだからよ。
それにフリードに直接頼みに来るってことはアルシェ辺りの差し金だろう?
可愛い妹の頼みだ、水くさいぜ」
ロイの様子を見て内心で笑ってしまった。
ロイから見ればアルシェは初めての妹で産まれるなり、我と一緒にはしゃいでよく父上と母上に怒られたものだ。
「……フッ、お前には敵わんな。よかろう、出撃準備を急げ、明日出発予定で大丈夫か?」
「おう!この最高の弟ロイ様に任せとけって!」
手に持ったグラスの残りの酒を一気に飲み、ロイは自分の軍の本部へと向かっていく。
「へへっ、やっと兄貴の役に立てる」
去り際に小声で小さく言っていたが、果たして我に聞こえるように言ったのか、それとも聞こえない方が良かったのか。
「ドライハイゼル様が帰還するころまでこのフリード・レクスアイツェン、意地でもドライハイゼル様の玉座をお守りいたします!」
フリードが立ち上がり胸に右手を当て正式な挨拶を行う。
「……頼む」
「差し出がましいことかと重々承知しておりますが、ドライハイゼル様はもう少し肩の力を抜いて周りの人間を頼る方が良いですぞ」
去ろうと背中を見せると後ろからフリードにそう言われた。
振り返り、我も一礼する。
「……そんなつもりはなかったのだがな。進言、心に刻んでおく」
「ははっ!」
フリードに言われるとは思いもしなかった。
どうやら無用な心配をさせてしまっているようだ。
我は頭を下げ礼をするフリードを背に出撃準備へと向かって行った。
次の日。
異変解決部隊として正式にレッドバスターズ飛行軍と、我の配下の空中部隊メクリエンス飛行軍がメクリエンス帝国を出発した。