(6/14)そんなことでは消えない
「本気とおっしゃいますと?」花沢が問うと「『第1課に異動して中原紗莉菜の後方支援に当たりたい』って書いてあるけど本気?」と言われた。
「はい。本気です」と答えた。
「うーん」ソファーで小和田が腕組みをする「花沢くんどうして?」
「中原さんは。我が社のトップセールスです。営業成績も突出しています。しかしそれ以外は正直難があると思います。おこがましい話ですが、僕が彼女の後方支援に当たれば部全体のお役に立てるのではないかと思いました」
「間違いないね」小和田がうなづいた。
「そういや花沢くん。中原さんのプロジェクトコッソリ手伝ってたんだって?」
『あっいやっすみませんっ』みたいな感じになった。紗莉菜ー。なんでもかんでもしゃべりやがってー。少しは考えろー。左右見ろー。
「ありがたかったよ。それにしてもよくやったね? 昼間は自分の課の仕事して、退社後にやってたってことでしょ? なかなかできることじゃないよ」
できることじゃありませんけど。やりましたよ。あの人どーしよーもないからねーっ。
「部全体の意見を言わせてもらうとね。願ったり叶ったりなんだよね。彼女1人に3人もサポートしなきゃいけないの困るんだよ。それを一手に君が引き受けてくれるんならこんなありがたいことないよ。ただね」
「はい」
「解せないんだよね」
花沢は小和田の表情をうかがった。ゴマ塩頭の。中肉中背の。ちょっと神経質そうな顔。
「解せない、とおっしゃいますと」
「花沢くんさぁ。君、親切そうに見えるけどさぁ。いや。確かに親切な人なんだけどさぁ。それでいながら割と功利的じゃない?」
ミツヒコは視線を木目のテーブルの灰皿に落とした。『やっぱり部長にまでなる人は騙せないものだなぁ』と思った。
「いや。いいんだよ。功利的で。私たちはボランティアじゃないからね。利益ださないといけないから。まずは会社のこと。自分のこと。商売のことを考えてもらわないとダメなんだよね。ただ、その功利的な君らしくない希望だと思うんだよね」
「と、おっしゃいますと」と続けるしかなかった。
「後方支援ていうのはとても大事だよ。支えてくれる人あっての営業だよ。それは忘れてはいけないと思う。ただ、出世の本流からは外れてしまう」
ミツヒコは組んでいた両手をもう一度組み直した。もちろん。それは百も承知であった。
「君は別に営業として無能ということではない。3課の課長にも聞いたけど、君が移りたいと言っているのを聞いて残念がってたよ」
ミツヒコはただ頭を下げた。
ブラインドから漏れる太陽光と影が彼の後頭部に互い違いに映る。
「彼女だからなの?」小和田がミツヒコの様子をうかがうようにした。「お付き合いしてるんだよね?」
「はい。彼女です」と答えた。というかもう社員全員が知っている。
「君ってさあ。どんなに熱愛中の彼女がいても『別れた後のこと』を考えるような人だよね? それがいつ別れるかもしれない女性のために、自分の人生まで曲げてしまうというのが解せないんだよ。恋なんていつまでも続くわけじゃないよ。後方支援に回ってから別れちゃったら後悔しない?」
ミツヒコは落としていた視線を小和田部長に戻した。静かに言った。
「オレの中原への愛は別れたくらいじゃ消えませんけど」
小和田が、絶句した。
@@@@
1ヶ月後に花沢光彦はシステム営業部第3課から第1課に異動した。異例のスピードだ。異動した途端モッテモテになった。
次から次へとミツヒコのところにやってきては『中原をなんとかしてくれ』と訴えられる。
「花沢くんさぁ」これは同じ課の人。
「お客さんから聞いたんだけどさぁ。中原さん『暑中見舞い』にスイカ2個もってったらしいよ!! 大玉で。『弊社には包丁もまな板もなかったので慌てて買いましたよ』って笑われてどんだけ恥ずかしかったかわかる!?」
『持っていくのは賞味期限の長い個包装』その程度の常識すらないとは!!!!
入れ替わりに経理部がくる。友達の大倉だ。
「花沢っ!! なんだこの中原の領収書!!『ボーリング場で会議』って正気かっ!!!」
いやー。あいつならストライクとりながら『しゃちょー。新しい機械そろそろ入れてくださいよー』くらい言ってる。それにしてもいい度胸だ。何考えてるのか。いや、何も考えてないのか。
「ちょっと花沢くんっ! ヤバイよ中原さん」古巣の3課が来た。
「取引先の子供泣かせたらしいじゃん!」
はい!?
「先週さー。取引先のバーベキューに呼ばれて行ったらしいじゃん。それでさー。担当の鈴木さん?鈴木さんの子供とゲームしてさー。マジ勝ちして泣かせたっていうじゃん!!」
ミツヒコは天を仰いだ。
気が、遠くなる、非常識さ!!!!
ミツヒコは恐る恐る担当の鈴木に電話した。とにかく話を聞き出して事によっては上司とお詫びに行かせないといけないかもしれない。ていうか!!! 即、報告だろうがよ! お前のんきに『味噌煮込みうどん』とか食ってんじゃねえよ!!
担当の鈴木はすぐ出てくれた。「花沢くん!? 中原さんの彼氏でしょ!?」と言われ「ああ………はい……すみません」となぜか謝ってしまった。どの範囲まで付き合ってることが拡散されてるのか。どういうことなのか。
「参ったよ。子供泣いちゃってさぁ」
うわー。もうほんと。うちの中原が非常識でほんと。
「『またあのお姉ちゃんと遊ぶ。そんで勝つ!!』っていうんだよー」
ん?
「申し訳ないんだけどさー。今週の土曜日も中原さん貸してくれない? ごめんね。デートできなくて。ていうか花沢くんも来ない!?」と言われて行くことにした。
中原を見張らないとヤバイ。ヤバイ人だと知ってたけどマジヤバイ。
@@@@
今週もバーベキューであった。
とはいえ前回は会社のバーベキュー。今回は鈴木個人宅のバーベキューだ。
鈴木の家は郊外の新築一軒家で広かった。
庭には一面の芝生が敷かれ、壁面にキックボードやスケートボードが立てかけてあった。
専用のバーベキューコーナーまである。恐れ入る。
中原と鈴木の子供たちが走り回っている。
こんなに本気に遊んでくれるお姉さんが来たら、さぞ楽しかろう。子供たちが心から喜んでいるのがわかった。
取引先の担当鈴木がそれを見て目を細めている。
「中原さんていうのはさぁ」ビール片手に鈴木が笑ってくれる。「ウソのない人だよね。商品買うならああいう人だよ」
確かにそうだ。紗莉菜には嘘がない。
この人に比べればオレの人生など嘘ばかりであった。
「お肉が焼けましたよーっ」という声が聞こえて鈴木とミツヒコが炭火コンロの方へ振り返った。
【次回】有名人の旦那さん