(3/14)ミツヒコくん海を見る
あれは紗莉菜と付き合って2年半頃、同期会があった。
酔った中原がミツヒコの家に転がりこんだ。やっと服をジャージに着替えさせてベットに放り込むと心配でそばにいてやったのだ。
死ぬ程先を読む男なので吐いた時用の洗面器とか、おしぼりとかも用意してあった。幸い何も起こらなかったが、眠っているとばかり思っていた紗莉菜に言われたのだ。
「結婚しようよ」って。
とっさには答えられなかった。そんな簡単に答えられるものでもない。一生を決めるのだ。言葉をにごしてその場は収まった。
そうは言っても間違いなくあれは『プロポーズ』だ。酔っていたが、酔っていたからこそ本心だろう。そのまま1ヶ月がたってしまった。
これ以上引き伸ばすわけにはいかない。彼の手元には『希望書』が配られている。
今後やりたい仕事や目標などを上司に提出する書類だ。それをミツヒコは見つめている。
@@@@
翌週のデートは断った。
「実家に帰るんだよね」と言った。本当のことである。車で山梨の実家に向かった。
途中海に寄る。
この海は紗莉菜と初めて行った旅行で立ち寄った場所だ。
あの旅行はひどかった。『地獄のように気が利く』と評判のミツヒコがなんの用意もさせてもらえなかったのだ。
行き当たりばったり。超イライラした。
あの時なぜか海に着いた。何にもない、ひなびた海岸だった。
「どうすんのこれ……」と言いながら茫然と波が打ち寄せるのを眺めた記憶がある。
何にもない海。考え事には最高だ。
ミツヒコは誰もいない駐車場に車を止めるとそのまま砂を踏み締めて波打ち際まで歩いた。
遠くに白い灯台が見える。鳥の2、3羽が飛んで水平線が微かに光っていた。
ふと。足下を見ると木端があった。手に持つ。
そのまま思い切り水平線に向かって投げた。
水平線よりはるか手前に落ちた。『ぼちゃん』と音が『見えて』(実際は波の音がすごくて聞こえない)瞬く間にいつもの海に戻った。
ミツヒコは波打ち際にあるものを手当たり次第に投げた。『ぼちゃん』『ぼちゃん』『ぼちゃん』と音が見えて全てが波にのまれた。
それを飽きるまで続けた。
@@@@
あとはただ、座って海を見ていた。
自分の人生のいろいろなことを思い出した。
生きているのが無邪気に楽しかったのは、せいぜい小学校3年生くらいだったと思う。
花沢光彦は全ての教科が『まあまあできる』特に目立ったところのない子供であった。走るのも普通。友達関係とかも普通。
ただ折り紙を側で見ていて1度に覚えてしまうような地頭の良いところがあった。
高学年にもなれば学級委員長に推薦されたりして『そこそこに』活躍もした。
ところがこの『よく気がつく地頭の良さ』が災いするようになる。忘れ物をしそうな子に教えてあげたり。先生に怒られそうな子に注意してあげたり。失敗しそうな子に予想してあげたりするとえらく嫌われた。
「余計なこと言うな」
「知ってたよ」
「何でも先回りすんな」
特に男子だ。他の子に指図されることを嫌う子供には反発を食らった。
嫌われたら、誰だって悲しい。
ミツヒコは次第にあまり発言しない子になった。他人の失敗を黙って見守るようになった。環境に適応したのである。
その『気が利く』ところを親切に転換した。特に女子。荷物を持ってあげるとか。ドアを押さえてあげるとか。消しゴムを半分に割って忘れた子にあげるとかするととても喜ばれた。
中学生になると死ぬ程モテるようになった。どんどん女の子が寄ってくるのでその中から1番『レベルの高い子』を選び、その子より『レベルが上』だと乗り換えた。
『異様に気が使える』ので恨まれなかった。元カノたちはみな花沢とヨリを戻したがった。
『あんなに尽くしてくれるコいない』と彼女らは一様に言った。
ケチがついたのは大学生の時だ。
バイト先で彼女ができた。大学でミスコン1位になった子だ。ミツヒコはあの手この手で接待して楽しく暮らした。
その彼女が浮気をしたのである。
馬鹿な子だった。ミツヒコが『気がつかぬわけがない』のに不用意なインスタをあげたりした。縦読みで『だ、い、す、き』と読める文章を浮気相手との写真に載せるような考え無しだった。
簡単に浮気の証拠を集めて喫茶店で彼女の前に提示した。出されたアイスコーヒーは飲まなかった。
「で、なんなの?」と言われたのである。
「『なんなの?』って言うかさようなら」とミツヒコが言った。いきなり平手打ちされた。
「アンタッ! アンタそうやっていつも人のこと上から見てっっ」と叫ばれた。
なんですか? 浮気しといてぶつとか正気ですか?
何も言わずに立ち上がると喫茶店を後にした。その後初めて彼女を作らなかった。会社員になった。
入社式の時だ。緊張して立っているミツヒコの前を1人の女の子が通り過ぎた。中原紗莉菜だ。
『デッカー!!』と思った。178センチだったのである。腰まである茶髪をポニーテールに結い上げて、黒いスーツで大股で歩いていった。
「ねえねえ」と言われる。振り向くと短髪をツンツンさせた目の細い男が立っていた。
「俺、上条誠也。よろしく」と言われた。
「花沢光彦です」と返して握手した。
「ねー。アレ。見た?」
「見たよ。女の子でしょ!?」
それから2人で額を寄せ合って
「「デッカかったよねー」」とヒソヒソした。
入社式の間その子しか目に入らなかった。
まさかそれから4年その子しか目に入らなくなるとは思いも寄らなかった。
入社式の後は簡単な懇親会だった。自社ビルの最上階がホールになってて、ビールとお寿司と乾き物が振る舞われた。
代表で壇上に上がったのが中原だったのである。
彼女はなぜか大ジョッキを持っていた。ここにはコップしかないのにどうやって調達したの!? まさかそれマイジョッキじゃないでしょうね!?(違います)
彼女はイキイキと挨拶するとその大ジョッキ並々入ったビールを
5秒で
飲み干したのだ。
割れんばかりの拍手。社長のエビス顔。もうミツヒコは目が離せなくなってしまった。
かっ輝いてる。
まるで彼女にだけスポットライトが当たってるみたいだった。『あの子キレイじゃない!?』と思った。
仮にミツヒコが代表に選ばれたとしたら。そつのないスピーチしかしない。ビールも形だけしか口にしない。もっと言えば自分が壇上から降りたら全員が自分のスピーチなど忘れてしまうようにしか振る舞わない。
目立ったっていいことなんかない。それが小学生からの彼の処世術だったのだ。
それが目の前の女の子。なかはら、さん?中原さんはそんなこと微塵も気にしてないように見える。
もう何がなんでも仲良くなりたかった。
【次回】太陽が地球の周りを回っているんじゃないんだ!




