第1話 オトシマエ
闇の世界で生きている自覚がある。
そのせいか知らないが、暗い部屋は俺を落ち着かせる大事な居場所だ。
ドア越しのフロアの喧騒も、いつもなら心地よい潮騒のように聞こえる。
しかし、今日は身を包む心地よさよりも、苛立ちが勝っていた。
空いた左手の人差し指が机を叩く、いつもの癖が止まらなかった。
背にしたドアのノックの音で、ようやく机を叩く指が止まった。
「……入れ」
不機嫌を隠そうともしないオレの低い声に応じて、ドアが開く。
「失礼します! っ……!お楽しみのところ恐縮です!」
チェアを回転させて振り向いた俺の顔は、よっぽどイラついて見えたらしい。
オレが「お楽しみ」を中断させられることをどれだけ嫌っているか。
舎弟達にはしっかり教育してある。
だが、オレの不機嫌の最も大きな理由は別にある。
舎弟に両脇を固められた状態で連れてこられた男が、苛立ちの根源だった。
デスクに置かれた大型モニターのバックライトが、男を闇に浮かび上がらせる。
清潔感のある短い髪に、銀縁の眼鏡。
普段ならば身を包むスーツも、きっちり来こなしているのだろう。
しかし、舎弟達の手荒な扱いのせいか、今は着崩れが目立った。
街の中で目にしたなら、誰が目にしてもただのサラリーマンとしか思わない。
そんな「普通の男」は、水を被せられたように、顔面を脂汗で濡らしていた。
「まあ、座れ」
俺の一言で、舎弟が男をひざまずかせる。
床に膝をつき、小刻みに震えたまま男は動かなかった。
俺は意識して、可能な限りの優しい声で話しかけた。
「アンタ、失礼な男だな」
男の肩が、びくりと震えた。
「なんで俺と目を合わせない?
初対面の人に対して、失礼だと思わないか?
それとも、わざと俺をイラつかせようとしてるのか?」
言葉を重ねるたびに、男の震えは徐々に大きくなっていく。
舎弟達にどんな扱いを受けたか知らないが、男は「必要充分」な程度にはビビっているようだった。
俺としても、ビジネスに無駄な手間をかけるのは好きじゃない。
「ま、アイサツはいい。さっさと本題に入ろう」
チェアに座ったまま、自分のデスクに置いてあったブツを男の目の前に投げてよこした。
男の視線が、そのパケに縫い付けられたように、止まった。
まばたきも、呼吸さえも忘れてしまったかのような男の肌を、汗だけが滝のように流れ続ける。
垂れた汗は、ついにパケの上に落ちた。
「そいつをサバいてたのは、アンタだな」
男は動かない。
俺はもう一言だけ、聞いた。
「アンタだな」
質問ではない。
俺らは素人じゃあない。推測でビジネスを動かさない。
確定した事実に基づいて、やるべき処置を遂行する。
確実に。そして、徹底的に。
ようやく男が動いた。
ゆっくりと。
ゆっくりと、男は首を横に振っていた。
「あ……あ……」
確定した過去なのか、目の前の現状なのか、これから訪れる未来なのか。
なにを否定すればいいのか、わからない。
だから、言葉が出ない。
これまで、何度も目にしてきた表情だ。特に感慨もない。
ただ、事実だけを伝えてもいいが、それだけでは俺たちの「シノギ」は成り立たない。
「こんな粗悪品を、よくもまあ俺のシマでサバいてくれてたな。
落とし前は、きっちりつけてもらう」
男はただただ、首を振り続けている。
こういう輩には、しっかりと現実を認識してもらう必要がある。
「アンタの奥さんと娘、なかなかいいオンナだよな」
男の顔が、ようやく俺を向いた。
「……やめて……」
「奥さん、36で、娘さんは高校生だって?」
「……やめて、ください……!家族だけは……!」
「若いっていいよな。
それだけで、価値があるから」
ごつり。
低い位置から、鈍い音がする。
男の額が、床を叩いた音だった。
「お願いします……!なんでもしますから……!
なんでもしますから……女房と、娘だけは……!」
なかなか堂に入った、いい土下座だった。
その一点だけ、俺はこの男のことを好きになった。
だが、その他の全てが嫌いなので、容赦はしない。
そもそもこれはビジネスなので、特に容赦する理由もないのだが。
なにより。
「遅いよ」
ごりごりと、床と男の頭が擦れていた音が止まった。
「奥さんと娘さん。今、ウチの衆に『もてなし』てもらってんだわ」
俺はリモコンで、大型モニターの接続先を切り替える。
たちまち、スピーカーから流れる怒声と嬌声が、部屋に充満した。
モニターに映し出されたのは、幾人もの男たちだった。
その誰もが口元に笑みを浮かべている。
野太い怒声と歓声、そしてその『行為』にともなう音が混じりあう。
その中心に、2人の女がいた。
それはもう、目の前の男の「嫁」でも、「娘」でもない。
ただ、ありのままの女と化した姿が、あられもなく写しだされていた。
俺がなかなかの女と評したのは、まぎれもない事実だ。
艶を保った白い肌に、上気して赤く染まった頬。
美しい2人が男達にもてあそばれる様は、いい見ものだった。
「アンタ、自分ではサバいときながら、家族には味わわせてなかったらしいな。
折角だから、アイサツ代わりに最高の『ブツ』でもてなさせてもらってるよ」
いつのまにか、床を張っていた男は顔をあげていた。
食いしばる下唇から、血を流しながら。
「あ、あんたは……」
「こりゃもう、ハマっちゃうね。ていうか、ハメるから。
『ブツ』なしじゃ、生きられないようにするから」
「……あんたは……人じゃない……!」
怒りというのは素晴らしい。
自分に降りかかる予定の悲劇も忘れ、男は言葉を思い出したようだった。
体内の臓物を全て潰して絞り出したような声で、男は吐き捨てた。
「初心者に……◯リ◯カートを与えるなんて!」
◯リ◯カート。
かつてゲーム市場を席巻した巨大メーカーが生み出した傑作の1つ。
「その筋」の人間ならだれもが知るレーシングゲームだ。
最初の入り口になるのは、親しみやすいキャラクター。
そして、わかりやすい操作性と、初心者でも逆転を狙えるゲーム性が、一気にユーザーを虜にする。
「友達もやっているから」とすすめやすいため、一度手をつけさせれば交友関係を一気に巻き込むことができる。
だが、こんなものでは済まさない。
「◯リ◯カートは序の口だ」
俺の一言で、男は凍りついた。
「……なん…だと……?」
「こいつで調教が済んだら、次が待ってるからな」
「……まさか」
ここまで言えば、筋ものには容易に想像がつく。
俺は優しいので、男の推測に答えをやった。
「ス◯ラ◯◯ーンだよ」
スピーカー越しの歓声が部屋を満たす中、男は力なくうなだれている。
自分の家族をここまで「ハメ」られて、正気を保てる人間はそうそういない。
だが、ショックのせいで、自分の立場まで忘れてしまっては困る。
「あんた、他人事じゃないからね」
俺の言葉で男の背筋が、再び緊張で凍りつくのがわかった。
「……いやだ……」
「元はといえば、あんたの蒔いた種だろ」
「……いやだ……っ!
ボクは……どっちかといえば、ド◯◯エとかのほうが」
「……いや、なんで? なんで、もてなしてもらえると思った?」
「え……」
「あんたには、コレだ」
俺はあらかじめ用意しておいたディスクケースを、男の目の前に突きつけた。
人間の表情は、絶望というものをここまで表現できるのか。
絶望の形に固着した男に聞こえるように、俺は耳元でささやいた。
「四◯。あんたには、これをコンプまでやってもらう。
コンプするまで、いつまでも、何度でも、何時でも」
四◯。
かつてゲーム業界で恐れられた不名誉の称号を戴いた、忌まわしき存在。
不名誉の称号に彩られたゲーム達には、2つの道がある。
1つは、不条理を内包しながらも、ネタとして受け入れられる存在となる道。
もう1つは、ただただ理不尽と不快と名状しがたき嫌悪感を植え付ける存在となる道。
四◯は、後者である。
「……無理だ……」
「連れてけ」
「……無理だ、ムリだ……っ!」
俺の声に応じて、舎弟が再び男を挟んで抱え上げた。
「ムリだって……! 絶対に……!
だって、バグでコンプできないって」
男の声が、ドアの向こうに消える。
おそらく、俺の人生で聞くことになる男の最後の言葉に、俺は答えた。
「知ってる」
俺の言葉が誰かに届くことはない。
部屋には、ウチの衆と女2人が◯リ◯カートで盛り上がる歓声だけが、いつまでも響いていた。
ノックなしにドアが開かれる。
舎弟達には、ドアは必ずノックするように教育してある。
その結果として、俺の名を知るやつなら、ノックを怠る者はいない。
「ずいぶん、ご機嫌ナナメなのね」
ただ1人、こいつを除いては。
ヒョウ柄のマイクロミニワンピースに、ファーのついたジャケット。
バッグもアクセサリーもブランドで武装した、典型にもほどがある派手女。
ナオミと名乗っている。
それが本名かどうかは、俺も知らない。そういう関係だ。
「来てたのか」
「ちょっとヤボ用」
「ノックはしろ」
何度言っても無駄だと知りながら、俺は言わずにはいられない。
ナオミもそれを知っていて、いつもどおりに流す。
「別にダイジョブだって。あんたのママじゃないんだから。
スー◯ー◯アル麻雀とかやってても、引いたりしないし」
ちなみに、年齢も不詳だ。
「それより、今出てったコ。四◯の刑だって?」
「当然だ」
「めっちゃおこじゃん。何したの?」
俺は何も言わずに、床に転がったままのパケを顎で指した。
「これ? ウワサの『規格外』品」
俺は返事もしない。
ただ、パケの表裏を眺めているナオミの言葉を横目で眺める。
「フツーのギャルゲーじゃないの?」
「違ぇッ!」
ナオミの一言で、俺は爆発した。
「それはギャルゲーじゃねえ!
というか、ゲームと呼ぶのもおこがましい!
ゲームの形をした別の『ナニカ』!
パッケージだけは綺麗に着飾ってるが、それだけだ!
『ちょっとエッチなゲーム』風のパッケージ詐欺!
というか、そのパッケージすら、他所様のイラストを勝手にパクったやつッ!
その上、ゲーム中に出てくるのは立ち絵1枚!差分なし!
シナリオなんぞ期待するなよ!?
ホーム画面をクリックすると、計10パターンの不毛な会話が見れる!
いや、主人公的なキャラもいないから、会話ですらない!
独り言ッ!
画面をクリックすると、女の独り言を10パターン見れるアプリケーション!
いいか!?
俺の前で、2度とソレをゲームと呼ぶなッ!!?」
一息で言い切った。俺は軽く息を整える。
ナオミはというと、思案げな表情で一人、ふんふんとうなづいている。
そして、急に納得したという表情で、俺に笑顔を向けた。
「よーするに、こいつがゴミ過ぎて死んで欲しいってことでしょ。
じゃあ、アタシが捨てといて」
「いや待って!」
「なんで!?」
引き止める俺にナオミが振り向く。
「だって……ゲームではないが……。
ゲームにはなっていないが……。
それは、『ゲームにしよう』とした意思の結果なんだよ!
一応!曲がりなりにも!
そして、出来栄えは悲惨ではあるものの、形として生み出されている……!
これが大事……!
世の中のアイデアの大半は、ほとんどが死んでいく運命……!
とくに『今』の世の中でゲームが生まれるなんて、奇跡のようなもの……!
だから、その輝きを大切にしたいっていうか……。
生まれてきた命に罪はない、っていうか……。
わかるだろうが!? そういう気持ち!」
「いや、知らんし」
だろうな。
「でもま、いるんなら返すね」
「お……おう」
ナオミが投げ捨てたパッケージを慌てて受け止める。
これは俺の秘密の「クソゲー墓場」に、しっかりと保管……いや、埋葬してやる。
パッケージに垂れていた男の汗をティッシュで拭っているうちに、ナオミの視線に気づく。
「……なんだ」
「そこまで言うんなら、アンタの新作には、期待していいんだよね」
「……期待でもなんでも、勝手にしていろ」
俺は表情を崩さず、自分のゲーミングチェアに腰掛けた。
ゆっくりと腕を組んで、ナオミを見返す。
深く息を吸い、吐く。
腕を組み替える。ついでに前髪も整える。
ナオミは、俺を見ていた。
いや、聞けよ。
聞いてくれよ、俺の新作ゲームのこと。
気になるんだろ? だから話振ったんだよな?
ぶっちゃけ、めっちゃ自信あるし。今までで一番自信あるかも。ていうか、ある。
もし今の時代がこんなじゃなくて、普通に市場に出してたら、ミリオン行ったかも。
っていう自信はあるんだけど。
それはそれとして、一応聞かれはしたけれど、肝心のゲーム内容は、ほら、アレ。
初見のインパクトってあるじゃん?
なんの事前情報もなしにプレイしたときの、新鮮な驚きみたいな。
そういうの、大事にしたいんだよ。
だから、自分から積極的に語るのは、なんか違うって言うか。
でもそれはそれとして、どうしても聞きたいっていうなら、語るのもやぶさかではない。
っていう俺の心境を察して、聞けよ。
「あ、そろそろ帰るね」
なんで!?
「通知来てた。頼んでたやつ、終わったって」
「ふーん……なにを?」
「カセットの、バッテリー交換」
言葉と笑顔、香水の香りだけを残して、ナオミは帰った。
あとでメッセも送ったが、結局新作の事は聞いてもらえなかった。
時は20XX年。
「ゲーム対策基本法」により、日本国内でのあらゆるゲームが規制されて、数年が経っていた。
嗜好品の抑圧・規制の先には、必ず闇の市場が生まれる。
「ゲー対法」施行以後、国内で絶滅したかに思われたゲームは、闇の中で生きていた。
ゲームをシノギにする、新世代のやくざ者達。
人は彼らを、「ゲーミングやくざ」と呼んだ。
これは、そんなゲーミングやくざの世界で生きる一人の男の物語である。
ちなみに、男の名は遊技場 嵐という。
本編に出てこなくてごめんなさい。