青春ってこんな味?
読めば英語が上達するかも!? 後半から英語のセリフも沢山出てきて、留学したことがある人は共感できるかもです。
6〜7章に分けて上げていく予定です。
こちらのサイトは初心者でまだ勝手がわからないですがよろしくお願いいたします。
第1章 「リトルシスター」
私の人生、2歳と10ヶ月までが天国だった。最初の記憶は2歳の誕生日。従兄弟 や親戚に囲まれて、自分の顔の数倍もある、母の手作りバースディケーキを手掴み で食べた。口の周りをクリームまみれにして食べる私を、誰もがみんな天使みたい だと言った。あの瞬間を、私はきれいなフレームに入れて私の心のアルバムに今で も飾っている。私が一番愛されて、私が一番かわいかったあの頃の想い出を。
雨の中ようやく家にたどり着いて玄関のドアを開けると、甘いコロンの匂いが玄関に充満していた。足下を見るとハの字に脱ぎ捨てられたローファーと紺色のカーディガン。雨に濡れたカーディガンが、コロンの匂いを揮発させていた。私はため息をついた。
「瑠奈、服ぐらい掛けておきなよ。濡れたままほっておくと明日着られないよ?」
瑠奈は奥のリビングから、何か口にほおばったようなこもった声で私の言葉に応えるかわりに「おかえりー」とさけぶ。私はそのカーディガンをまたいで二階の自分の部屋にあがると、自分の制服をきれいに拭いてからハンガーにかけた。そして、下着姿のままタンスの上から2段目と 4段目を続けて開けた。2段目には半袖のシャツが、4段目には長袖の上着とジー ンズが、きれいにたたんだ状態で並んでいる。7月だというのに今日は雨のせいで少し肌寒い。けれど湿気も多いので、長袖のブラウスだと肌にまとわりつくだろう。 少し暑いかもしれないが、コットンのトレーナーなら肌触りが良い。そこまで考えると、私はグレーのトレーナーを選んでタンスをしめた。下におりて石けんで手を洗う。ハンドソープのポンプを押しながら一瞬瑠奈にも手を洗ったのか確認しようとして、思いとどまった。私は瑠奈の母親じゃない。あの子がだらしないせいでカ ーディガンがしわくちゃになろうが、手洗いをしないでおなかをこわそうが、私には関係ない。 洗面所の鏡に映る自分の顔の、丸い鼻が脂でテカっているのを、私は濡れた指先でさっと拭った。
リビングに入ると瑠奈は案の定制服のまま、テレビの前のソファーに寝転がってい た。夕方のくだらないゴシップニュースに下品な笑い声を上げながら、瑠奈は私をちらりと見る。 「テーブルにお姉ちゃんの分のクッキーおいてるよ。ママ今日も遅いから、適当になにか作ってだって。」 テーブルに目をやると、ラップがはがされたままの皿にクッキーが1枚乗っていた。 お母さんは晩ご飯は作る時間がないけれど、手作りのクッキーを焼く時間はあるのだ。いつも冷凍庫には凍ったクッキーの生地が何種類か入っていた。とても美味しい手作りのクッキー、だけど3度の食事は手抜き、そんないつまでも少女のような母親に代わって、うちではいつのまにか私が家のことをするようになっていた。
そんな事を考えながら皿を見下ろす私に気付いたのか、瑠奈は悪びれもせずに言う。 「あ、気づいた? クッキーほんとは3枚ずつだったんだ。2枚多めに食べちゃった。 だって、美味しかったんだもん。どうせお姉ちゃんダイエットでしょ?」 私は何も答えずにクッキーを1つつまんでかじると、もう一度そこにいる瑠奈を見てから、キッチンの壁時計をみた。もう6時を回っている。瑠奈は真剣にテレビに見入っている。私はキッチンに入るとエプロンを巻き、夕食の支度を始めた。
夕食は鶏と根野菜を甘辛く炒めたのと、菊菜と油揚げのお味噌汁、レトルトの煮豆 にした。炒め物が出来上がる頃には瑠奈は何度もキッチンをのぞき、その度につま み食いをした。
「行儀悪い。つまみ食いをするならテーブルにお皿並べるの手伝って。」
「はーい。」
何に対する返事だったのか、瑠奈はつまみ食いをやめてキッチンを出て行こうとす る。いらつく気持ちを押さえ込んで私はもう一度言った。
「テーブルにお皿並べてってば。」
「つまみ食いやめたじゃん。」
ふざけたように答えて、瑠奈は食器棚へと向きを変えた。 いつもこうだ。気が利かないのか、わざとなのか、瑠奈は頼んだときにしか家の事 をしない。家を空ける事の多い母親の代わりに夕食を作るのは、いつも当たり前のように私の役目だった。数えで3つ下、学年で言うなら早生まれの瑠奈とは2年しか違わない。それなのに、瑠奈は典型的な末っ子の性格をしていた。甘えたでわがまま、料理もした事がなかった。
それでも、と私は思う。いつか料理ができる事が 役に立つ日もあるだろう。整理整頓ができて気の付く性格が、得をする日がいつかくるはずだ。 料理をテーブルに並べ終わると、私は急須にお茶を入れた。そうしている間にも瑠奈はさっさと席に付き、食べ始める。
「お姉ちゃんが作ると、野菜が多くて助かっちゃう。ママのご飯って油が多いんだ もん。ニキビとかできちゃうよ、年頃なんだから。」
その言葉に私はまたいらっとする。私の作った料理を頬張るその頬には、ニキビど ころか毛穴一つもないように見える。ダイエットのために少なめに盛られた自分の茶碗と、育ち盛りの男の子のように美味しそうに料理をかき込む瑠奈の顔を交互に見て、私は急に食欲が失せていくのを感じていた。
小さい頃、私は瑠奈の名前が覚えられなかった。近所にいた従兄弟たちはみな年上で、しかも男ばかりだったために、それまで私は全員の事を「お兄ちゃん」と呼んでいた。私が3歳になる少し前に瑠奈が生まれ、それから何ヶ月経っても、私はずっと瑠奈の事を「この子」と呼んでいた。ある時瑠奈に母乳をやりながら子守唄を歌っていた母を見ていて、なんだか急にお母さんが遠くに行ってしまうような気がして私は不安になった。それで近くに駆け寄り、母の腕をぎゅっとつかむと、何と言っていいか分からずにとにかく思いついた事を口走った。
「この子、なんて名前だったっけ?」
母親は今まで見た事もないような鋭い目つきで私をみると、腕の中で眠る子を気遣 って押し殺したような声で怒鳴った。
「この子はあなたの世界で一人の妹なのよ! いい加減名前くらい覚えなさい!」
これが私が生まれて始めて母親に怒られた記憶だ。その後、私はショックでしばらく口をきかなかった。母親は私のためにとクッキーを焼いて機嫌を取ろうとしたし、 表面上は以前より分かりやすく優しくなったけれど、あの日を境に私は大好きな私だけのお母さんを失ったのだ。いつも寝る前に母が必ず言ってくれた「真美は私の宝物よ」という言葉も、二度と聞く事はなかった。
いつもならバトミントン部の朝練のため、瑠奈より1時間は早く家を出るのだが、 その日は期末テストの1週間前に入っていたので朝練がなかった。それでも私は瑠奈より30分早く起きて、久しぶりにゆっくり朝ご飯を食べた。牛乳を電子レンジで温めてティーバッグをほり込んだだけの即席ロイヤルミルクティと バターなしのトーストにイチジクのジャムを塗ったのをテーブルに並べている時に、瑠奈と父が起きて来た。瑠奈はそのまま洗面所に直行する。お父さんは私をキッチンに見つけると驚いたような顔をした。
「今日はずいぶんゆっくりだな。部活はどうした?」
「テスト一週間前だから部活は休み。お父さん、コーヒー飲む?」
「もらおうか。母さんは?」
朝刊を片手にソファに沈みこむ父の背中が疲れている。
「まだ寝てる。」
父の好きな薄めのコーヒーを入れながら、いつもは誰が父の朝食を準備するのだろうと思う。
「真美、もう留学の準備は進んでるのか?」
留学、という言葉に私はどきりとした。3ヶ月前、3年の新学期が始まったころ、 私は夏休みの交換留学を申し込んだ。思い悩んで、反対されたときの説得の言葉を考え、書類を全部そろえてから、母が機嫌のいい時を見計らって打ち明けた。母は最後まで聞かないうちにあっさりと賛成した。
「いいじゃない!あなたがそういうことに挑戦するの大賛成。あなたに熱中できる ことがあって母さんかえってほっとしたわ!」
「でも、受験勉強も遅れるし、結構お金もかかるのよ?2ヶ月で50万近くもする のよ?」
「大丈夫よ。それくらいなんとかなるわ。今晩お父さんに話しなさい。お父さんも 喜ぶわ。」
拍子抜けだった。瑠奈が私立を受けると言い出した時、両親は反対こそしなかったけれど、家族会議を開いて校風や進学率など夜中になるまで話し合ったし、どの程度勉強しなければいけないかみんなでスケジュールを立てたり、私が瑠奈の勉強を見てあげる時間を作ったりと大騒ぎだった。お金には困っていないはずだったけれ ど、母は瑠奈の学費のためだと急に慣れないお弁当を父に作ったりしていた。瑠奈 はきらきらした目で受験勉強に励み、みんなで浮足立って瑠奈の私立受験を盛り上 げていた。私は、今回の件で決して反対されることを望んでいたわけではなかったけれど、こんなにあっさり賛成されるとも思っていなかった。瑠奈が学校から帰っ てくると、私より先に母が私の交換留学を報告した。瑠奈はしばらく羨ましがった り感心していろいろ質問をしていたが、それにも飽きるといつものようにソファに 寝転がってテレビを見ていた。
だから父が帰ってきて食卓に着いた頃には、母も瑠奈ももうそのことを忘れてしまっているようにさえ見えた。私が食事中に父に報告 すると、母も瑠奈もまたしばらくはすごいよね、羨ましいわ、と騒いでいたが、父 だけは口数少なに難しそうな顔をして
「ちゃんとしたプログラムなんだろうな、お前ちゃんとできるのか?」
とぼそりと言った。私にはその父の一言が、なんだかとっても嬉しかった。それから私は CD や映画を観て英会話を勉強したり、学校で用 意された準備クラスに参加したりして留学の準備を進めていたが、家ではその時以来ほとんどといっていいほどその話は出てこなかったのだ。その朝父に聞かれて私は久しぶりに、実感を伴って留学するという事実を思い出した。
「準備っていっても、英語の勉強やホストファミリーへのお土産なんかはほとんど学校で準備してくれるの。だからあとは持っていく服なんかを用意するだけ。」
「オーストラリアはあれだろう、南半球だから冬なんだろう?」
「うん、でも日本みたいな寒さじゃないみたい。」
「そうか。風邪ひくなよ。」
父はそういうと新聞に目を落とし、私の入れたコーヒーをすすった。その背中になにか言わなければと言葉を探している時、瑠奈が慌てて2階から駆け降りてきた。
「お父さん行ってきます! お姉ちゃん、走ったら6分の電車に乗れるから、早く!」 急きたてられて、私は急いでもいないのに瑠奈と一緒に家を飛び出していた。
走り出したは良いものの、瑠奈は300メートルとしないうちにバテてしまい、結局私が瑠奈の荷物を持って走り、ようやく6分の電車に滑り込んだ。電車は私がいつも乗るのとは比べ物にならないくらいぎゅうぎゅう詰めだった。私の正面にぴっ たりとくっつく瑠奈が荒い息を整えるのに合わせて、甘いコロンの匂いがした。車内には私の通う公立校の紺の制服と、瑠奈と同じ派手なチェックの制服が、入り混 じることなくそれぞれのグループを作っていた。チェックの制服の生徒たちはみな 一様に髪をきれいにカールさせている。私と瑠奈が一緒にいるのは、ほかの生徒たちからはどう見えるのだろう…そんなことを考えている時だった。私の後ろの内腿 の付け根あたりに、何か丸い物が押し付けられている感覚がした。最初は、鞄の先か何かだろうと思っていた。それでほんの少し体をずらせて、出来るだけ腿の外側 にそれが来るようにした。ところが電車が揺れるタイミングに合わせて、それはまた少しずつ私の内腿のほうに移動してくる。2,3度体を反らせ、これ以上くっつき様がないほど瑠奈に体を密着させても、その丸いものはなぜか私の内腿を探し当 てては戻ってくるのだ。私が不自然に体を反らせているのに気づいた瑠奈は不可解そうに私の顔を覗いた。
「お姉ちゃん...?」
私は声が出なかった。ただ、偶然だと思いこむことで押さえていた恐怖心が一気に込み上げてきて、体中の血が頭に上ってくるのを感じ、一瞬足もとがふらついた。 それを支えようと私はとっさに瑠奈の腕をつかんだ。その手が自分でも驚くほど震えている。私の様子にただならない空気を感じたのか、瑠奈は周りにも聞こえるほど大きな声でもう一度私を呼んだ。
「お姉ちゃん! 大丈夫?」 一瞬周りの目が私に注がれるのを感じる。するとそれまで内腿にしっかりと当たっ ていた感触が、すっと消えた。ほっとしたのと同時に、感じたことのない嫌悪で思わず涙がにじむ。瑠奈は私の背後に立つ人の顔を確かめようと、背伸びをする。それを私は制止した。
「もういいの。」
ようやく絞り出すように私はつぶやいた。
私の腕を今度は瑠奈が強くつかみ返す。 「良くない! 触られたの? 誰? どいつ?!」 声を荒立てる瑠奈と私に周りの視線が集中する。私の後ろに立っている数人が一斉に私から距離を置こうと後ずさりしながら、自分ではないことを訴えるように遠慮がちに互いの顔を見合わせている。その時電車が緩やかに速度を下げ、駅へと滑り込んだ。永遠のような一瞬のような時間がたって、皆がこの空間から逃げ出したいとでも言うように扉を見つめた。瑠奈はもう一度はっきりした口調で私に尋ねる。
「お姉ちゃん、誰だったかわかる? 降りて駅員さんに言う?」
私はひたすら首を横に振った。 瑠奈はしばらくの間私の真意を確かめようと深く瞳をのぞきこんでいたが、私が固く口をつぐんでいると、仕方なく納得したように小さなため息をついた。
いくつか駅を過ぎて乗客の数も減ったころ、瑠奈の友達が数人乗り込んできて私たちの周りに座ったけれど、瑠奈は軽く相づちを打つだけでいつものように一緒にな って馬鹿笑いをしなかった。瑠奈の友達はみなとても大人びている。以前私がそういったら、瑠奈は素直に
「私は妹だから、自然とお姉ちゃんっぽい人に惹かれるのかも。」
といって笑った。瑠奈が自分を妹的な性格だと認識していたことにも驚いたけれど、 ピアスの穴がある友人と私を同じ姉的カテゴリーに入れている事にも驚いた。そんなことを思い出しているうちに、私が降りる駅が近づいてきて、それにつれて私は 一人になったとたんさっきの恐怖が戻ってくるような気がして不安になった。学校 なんか休んで家のベッドで一日中眠っていたい気分だ。降りる準備をして瑠奈を見ると、瑠奈が声を出さずに口元だけを動かして(大丈夫?)と聞いた。私は泣きたい気分だったけど、妹に心配をかけられない強がりで、空元気の笑顔を見せた。
駅に着くと瑠奈も立ち上がり、ドアのそばまでやって来た。そして不安気な顔で私を見つめるから、私はわざと元気そうに大丈夫、を繰り返した。駅員の笛が鳴り、ドアが閉まろうというその瞬間、瑠奈は何の前触れもなくすとんっと軽やかに電車を 飛び降りた。いったん閉まりかけたドアは慌てたようにもう一度開き、座席に座る友人たちは不思議そうに瑠奈を見ている。振り返ると瑠奈はその友人たちに
「あたし遅刻してくから! 後よろしく」
といって手を振った。そして呆然とする私と何でもないような顔で笑う瑠奈を残して、その電車は去っていった。
「遅刻って、どうして?!」
「だってうちの学校もどうせ自習だし。いいじゃん、たまには一緒に行くのも。」
驚いた反面、ほっとしたのも確かだった。瑠奈がそばにいてくれるだけでこんなに も心強いと思った事は今までなかった。道すがら、瑠奈は意外な事を告白した。瑠奈たちは最初10分発の電車で学校に通っていた。ところが瑠奈が乗り込む駅から 3駅の間にひどい痴漢に遭うようになったと言うのだ。その痴漢は、瑠奈が車両を変えてもついて来た。友達は皆3つ目以降の駅から合流するので、瑠奈はいつも一 人だった。それで、友達に言って電車を一本早い6分発に変えてもらったのだそう だ。瑠奈がそんな目に遭っていたなんてちっとも知らなかった。いつも何の苦労も なくただ能天気に要領よくやっているのだとばかり思っていたのに。私がなにも言えないでいると、瑠奈は何でもないと言う風に舌をぺろりと出して笑ってみせた。 その後もたわいもない事を話しながら、瑠奈は結局うちの学校の真ん前までやって来た。
「じゃあね。っていっても今晩家で会うけどさ。」
そういって戯けたように瑠奈が笑う。私は一瞬このまま二人で一日中ぶらぶら出来たらいいのに、と喉まで出かかって、学校をさぼるなんて私に出来るわけがない、と思い直した。ほかの生徒たちの好奇の視線も一向におかまいなしで、紺一色の制 服の中に一人派手なチェックのスカートをはためかせながら、瑠奈はいつまでも私の後ろ姿を見送っていた。 しかしその日をなんとなく感傷的に過ごしたのは私だけだったようで、夕方家に帰ったら瑠奈はいつもの生意気な瑠奈に戻っていた。それでもその日はただ4人で囲むいつもの食卓が、なぜかとても暖かく感じられた夜だった。