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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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2-19.その為に

 危うくエタるところでしたが、なんとか戻って来ました。

 お待たせさせてすみません。これからも更新は続けます。どうぞこれからもよろしくお願いします。

 俺達が帰る頃にはすっかり暗くなっていて、エミィは窓を少し開けて吹き込む風に前髪を揺らしていた。

 いつも頭の上から地面に落ちて来てその体を焼き切ろうとする光源は地平線の彼方に隠れていて、辺りを照らす光は地面を這うように優しく灯るものだけだ。今はエミィにとって居心地の良い環境だろう。

 「あっ……」

 息を漏らすようにエミィが呟いた。どうやら終点が見えてきたらしい。気の抜けていた顔が生気を取り戻した。

 やがて馬車は止まり、馬車に閉じ込められていた気持ちを爆発させるようにエミィは扉を勢いよく開けて飛び出す。力を使い果たしてしまったかのような先程までの様子はどこにも見えない。

 それを追うように俺はゆっくりと扉を潜り抜ける。外には出迎えが来ていて、エミィはそこに駆け寄っていた。見慣れた顔触れの三人だ。

 最近エミィの親面をするようになったケインと、孤児院院長のレイリー、そして最近入団したばかりの、しかしすぐにエミィと馴染んだノエル、特にエミィと近しい者達だった。

 「団長っ、お疲れ様です! お帰りをお待ちしておりました!」

 律儀にノエルが敬礼をする。ケインの方はエミィに構うことで忙しそうだ。

 「ああ、出迎えご苦労様。もう分かっていると思うが、まぁ、結果は上々と言ったところだ。」

 俺はレイリーと抱き合っているエミィを見てそう言った。レイリーがここまで感情を露わにしているのは珍しいかも知れない。しかしそれも事情を知っている者からすれば納得だった。

 この老婆はこの吸血鬼と家族のように接していた。俺の知らないところでも、彼女の為に何かをやっていたようだ。それが今日報われたというのだ。どんな鬼でも喜びを露わにするだろう。

 「おめでとう、エミィちゃん。これで晴れて夢が叶うんだね。」

 「……うん。ありがとう、ケインさん。私、やったよ、私、なれるんだよ!」

 「はい! エミィちゃん。これで私達、仕事仲間、ですねっ!」

 「うんっ、これからよろしくお願いします、先輩。」

 冗談めかしてエミィは深くお辞儀をする。

 こうしてあの人の環を見てみると、やはりエミィは幸運を持っていると俺は感じる。特に人の縁というものについて、彼女は一際強いものがある。彼女の周りには彼女の味方ばかりが集う。

 そういう才能なのかも知れない。無意識に人を惹きつける、そんな力を持っているのだ。生まれは不幸だったかも知れないが、才覚の運は持っていたようだ。

 「……はしゃぐのは一先ずそれまでだ。さっさとやることを済ませてしまおう。」

 「……!」

 言葉にはなっていなかったが、エミィのその顔は何と言っているのか分かりやすい顔だった。その期待に満ちた顔は、いつになくエミィが浮かれてしまっている証拠だ。

 しかし今日の今ばかりは咎められるものではないだろう。今日の事はエミィの努力の結果が初めて形になった日で、そして新たな始まりでもある時だからだ。

 それでいて、明日というのはエミィにとって喜びが確約された世界ではない。寧ろ苦痛と苦悩の渦巻く過酷な環境に身を投じることになる。本当に、エミィの人生というのはこれからようやく始めることが出来ると約束されただけなのだ。

 だから、今だけは浮かれてしまっても許されるべきだと俺は思う。





 少しばかりの光があるその部屋に、とうとう主役が入って来た。新品の憲兵の制服に身を包み、後ろにはレイリーがついている。どこか緊張した面持ちをしていて、歩き方がぎこちない。

 彼女の目の前にいるのは俺とケインとノエルの三人だった。今から始まるのは新兵を迎え入れる儀式だ。少し前にノエルがこの儀式の略式で入団したのは記憶に新しい。しかし、この儀式は記憶にあるそれとは意味合いがまるで違う。

 この瞬間はおそらく、大げさでも冗談でもなく、この国の進路と言うべきものが完全に決まる瞬間だ。海に浮かぶ船が、その一番星を指標に航路を決めたのだ。

 それは勿論、ただ一人が決めたのではない。しかし全ての人が平等に決めたのでもない。この決定において平等に扱われたものは思惑で、それら全てがぶつかってそれは決定された。

 俺は目前に佇むその少女を見る。この決定において彼女は一番星の役目を果たした。舵取りをする者には一切の意見を伝えることは出来ず、しかし一番星として航路を決めた存在だ。

 つまりたったそれだけのことなのだ。今日のことはただ単純に、彼女は航海者に一番星として認められた、それだけのことなのだ。

 「……」

 その変わらない視線が真っ直ぐとこちらを向く。その瞳には様々な感情が渦巻いていて、全て読み取ることは難しい。だがそこにどんなものがあるのか分からずとも、俺のやる事は変わりない。ただ祝ってやればいい。ここまで導いて来た者として背中を押してやればいい。

 「……そこに。エミィ、志を持つ者よ。」

 この儀式はその為にも存在しているのだ。新たな道を進む者に声援を送り、未来へ歩く原点の旗印となる為に。

 「……っはい!」

 静かな部屋に緊張を破る声が聞こえた。エミィは目の前に跪き、そして頭を垂れる。

 「……」

 こんな光景、十五年前の俺は想像すら出来なかった。今だって、少し冷静に視点を引いて見てみると、俺は自分がとんでもないことをしていることに気がつく。

 まったく時の流れとは、人の進む道とは、本当に不思議なものだ。全ての者は自らの進みたい方向に歩いている筈なのに、その者達の行き着く場所はその殆どが最初の目的地とは少なからず違っている。

 「ケイン、剣を。」

 「はい。」

 俺の右手に剣が渡される。どこまでも美しく銀色に輝くそれは憲兵の全ての者が携える、この街を悪から守る盾である。

 俺はそれをエミィの目の前に真っ直ぐに突き立てる。切っ先と床が衝突する音は、それを聞く全ての者の意識に否応なしに入り込む。

 「お前はこの剣に恥じぬ者であると自負する者か?」

 「……はい。」

 「ならば良い。では、お前に問おう。」

 俺は何故人はそう思うように進めないのか、ずっと昔から疑問に思っていた。全ての者は大抵幸せというもの――あるいはそれに近しいもの――に向かって歩いている筈なのに、何故そこに辿り着けないのか。

 そしてその答えを俺は見つけた気がする。というのもその理由というのは単純で、ただ一重に、それぞれの幸せの位置は、それぞれで違うからなのだ。

 簡単なことだったが、俺は最近までそれを言葉に出来ずにいた。感覚としては分かっていたが、それがどういうことなのか理屈が分からなかった。しかし言葉にしてしまえば楽に飲み込むことが出来た。

 人は進む方向がまるで違うのだ。だからすれ違ったりぶつかったりもする。そしてその内に進む方向がずれてきて、到着地は最初想像していなかった場所になってしまうのだ。

 「お前は民の為に戦うか?」

 「戦います。」

 「お前は我等の信条を持って戦うか?」

 「戦います。」

 「お前は牙を持つ者と戦うか?」

 「戦います。」

 「お前は国の病魔と戦うか?」

 「戦います。」

 「お前は弱い自らと戦うか?」

 「戦います。」

 しかし俺は辿り着いたその場所を期待外れだとは思わない。何故ならその場所は人を知り、人と衝突し、そして人を理解した後に到着する場所だからだ。

 「……ならば良い。それでは、勇気ある者に剣を授けよう。立ち上がれ! 勇敢なる者よ!」

 エミィは立ち上がり、その眼差しをこちらへ真っ直ぐに向ける。その瞳は少し潤んでいるように見えたが、彼女は決して涙を零したりしなかった。

 エミィは目の前に差し出される剣をそっと手に取る。まるで美術品を取り扱うように、そして剣のその重さを、取り落とさぬようしっかりと感じ取っていた。

 「……エミィ。最後に一つだけ、確認したいことがある。」

 その剣が俺の手を離れるか離れないかというところで、俺はエミィに問いかける。エミィは銀色の光沢からまた俺の方を見上げた。

 「……この剣は、ずっと昔から吸血鬼やら人喰いやらを斬り続けてきた物だ。……こいつには今までの持ち主達の意思が込められている。」

 「……!」

 「エミィ、お前にはこの剣を携える覚悟があるか? この剣を持つ者の義務を果たすことが出来るか?」

 「……」

 音の空白がその空間にはあった。この部屋の誰もが息を殺し、エミィのその言葉を掻き消してしまわないようにしていた。

 そしてエミィはその視線に答えるように短く息を吸い、その口から流れるように言葉を紡いだ。

 「勿論、ローガン。何故なら私は憲兵だから。」

 それに迷いは少しも見当たらなかった。

 「……そうか。」

 俺はその剣をエミィに渡す。

 「おめでとう。エミィ。これでお前も憲兵の一員だ。」

 「……っ……!」

 エミィは今度こそ剣を両手で握り締め、その存在を確かめるようにしてから帯剣した。

 「エミィ、おめでとう。」

 「……!」

 エミィの後ろに控えていたレイリーがエミィに黒の外套を羽織らせる。それは憲兵の象徴とも言えるものだ。その外套の黒は闇夜の中でも際立つ特別な黒であり、暗闇でも一瞬で仲間の見分けが出来る。

 「レイリー……ありがとう。」

 エミィは外套の端を指先が白くなる程に強く掴む。レイリーはそんなエミィを母が子にするように強く抱き締めた。

 「エミィ、貴方は憲兵になれて良かったと思うと同時に、これからを不安に思っていることでしょう。でも、エミィ。貴方が未来を心配する必要は少しも無いんですよ。」

 レイリーの掌がエミィの金色の川の様な髪を流れてゆく。

 「貴方には心強い味方がいます。貴方の事を大切だと思う人達がいます。……それを忘れないで。」

 レイリーはエミィの頭越しにこちら側をちらりと見る。俺の隣ではケインがその視線を受け頷き、その反対でノエルがニコニコと笑っていた。

 どうやら、いつか一人で壁にもたれかかっていた少女は今、この場所にはいないらしい。

 「っ……私、頑張りますっ……皆んなと一緒に……いつまでもいられるようにっ……!」

 レイリーの腕からやっと解放されたエミィは、そう言って剣の柄をまた握り締めた。それは少女の周りを取り巻く闇を払う道標となるのか、それとも手に取る度に深く突き刺さり彼女を縛る茨となるのか。

 渡した俺ですらこの先は分からない。俺がやるべきことは終わった。可能性という意味において、今からこの少女は始まるのだ。

 自らの願いの為、この世に生き続ける為、常人ならば何も支払わずとも得られるだろうものの為、これから彼女は剣を何度も振るうだろう。

 それはもう、例えどんな障害があろうと止まることは出来ない。今日、船は出航したのだ。

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