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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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2-18.平等な契約

 今、二人の目の前には少し想像と違った光景が広がっていた。そこは一つの部屋だった。誰もが思い浮かべるような王城の中といった空間。

 それだけならば二人の想像は外れていなかったが、この部屋にはその二人とあと一人だけしか存在していないというのが、まるで思いつかなかった状況だった。

 もう一人は二人が部屋に入って来ても何も言わず、二人は扉の前で立ち尽くした。部屋の主は芸術品のような椅子に座っていて、その時間は耳が痛くなるほどの静けさがあった。

 「……ふぅ……」

 息を吐きながら立ち上がると、この国の王は目の前にいる二人を目で捉えた。その視線の鋭さに二人の片割れが身じろぎする。

 「来たか……」

 王は短く呟く。それは小さな音だったが確かに力を持った声で、今までの空気にあった雰囲気を一変させた。先程までそこには老人が一人いただけの筈なのに、いつの間にかそんな弱々しい存在は消えていた。

 「はい……!」

 その沈黙を次に破ったのは彼女だった。彼女は隣にいる者より一歩前に出て、その獅子の眼光を一身に受け止める。

 「……約束通りに。」

 けれど彼女は今度こそそれで動揺することはなかった。その視線を逸らさずに真っ直ぐに目の前の人物に向き合った。

 「……ローガン。」

 「はい。」

 「お前はもう下がってよい。」

 「……!」

 王のその言葉に、無表情を貫いていたローガンも驚きが顔に出た。王の言っていることはつまり、ローガンの感覚で言えば、飢えた狼の入った檻にずかずかと入り込むような、そんな命知らずな事だったのだ。

 王は決して、レグル派の人物ではない。それならば一体この言動はどういう意図なのか。ローガンは咄嗟に頭を回したが、その王の意図を聞いたところで、自分達が有利になることはないとすぐに気がついた。

 「……承知しました。」

 彼女を一瞥し、ローガンは入ったばかりの部屋から出て行く。残された彼女は引き止めることを考えたが、すぐに考えを改め、目の前の偉丈夫を視線から外すことをやめた。今頼ることが出来るのは、自分自身だけだと彼女は知っていたのだ。





 扉が閉められ、遂に部屋には奇妙な二人組が出来上がった。エミィは少し頭を抱えていた。この状況は予想だにしていなかった。予想では彼女は沢山の人に囲まれ、誹謗中傷を受けながらも切り抜ける心積もりでいたのに、現実はたった二人の、一対一だ。

 しかし、相手が思ったより少なかったとエミィは喜ぶことは出来なかった。確かに()は少なくなったが、味方も減った。彼女が予想していた未来図に、少なくともローガンが隣にいない光景は想像していなかった。

 これにエミィはかなり参った。何故なら彼女は十数年間生きているだけの自分より、数十年間生きて憲兵団団長という立場にいる彼の方が口が上手いのは明白だと思っていたし、何より自分自身の言葉は信頼が無いと理解していたからだ。

 「……さて、もうお前を観る為に邪魔なものは全て無くなったな。」

 「……」

 「これから私の言葉に、お前は真剣に、そしてよく考えて答えろ。お世辞は要らない。誇張も要らない。なんなら敬語だって要らない。」

 王は言葉を続ける。エミィはその冗談交じりにも聞こえる言葉を一言も流さずに頭に刻む。それが文字通り自身の命に関わることだからだ。

 「……まず最初の質問だ。お前が私に望むことは何だ?」

 いきなりエミィは頭を悩ませることになった。これは答え方を間違えば一瞬で詰んでしまいそうな質問だ。しかし、望みというものを聞かれて、答えをあれこれ頭の中でこねくり回すのも違う気がすると彼女は考えた。

 緊張で言葉が詰まりそうになりながらも、彼女は自分の望みを王の言葉通りに、お世辞も誇張も抜きに伝える。

 「私の望みは、この国で私が過ごせるようになること。そして私が憲兵団に入ること、です。」

 一つ一つ言葉を確かめながら、解釈違いなんて起こらないように慎重に、エミィは出来る限り手短にそして正確に紡いだ。たった数十文字話しただけなのに、彼女は随分精神を削がれていた。

 「その望みはどれほど大きなものか、お前は理解しているのか?」

 「はい……普通なら私の口からそんな言葉が出る前に、首から先が無くなるくらいの事です。」

 「それほど大きな事柄だと理解しているなら、その代償はそれに比例して大きくなるものではないか?」

 「……はい。覚悟しています。」

 「では、その覚悟がどのくらいか示してもらおう。」

 王はその鋭い眼光をエミィから離すことはなかった。少しでも隙を見せれば喰らい殺すとでも言いたげな気配に、エミィは剣を構え合ったその戦いの直前を思い出した。

 「お前のその望みの代償はどれほどだと思う? 自分でどれくらいだ、と言ってみろ。そして、その代償を支払えると私に納得させてみろ。」

 王は言い放つ。それはエミィを試す試練だ。エミィはここが正念場だと感じて頭を回し始めた。

 一体、この王様を納得させるには彼女はどんな言葉を用いればいいだろう。命を懸けると言えばいいだろうか、それとも自分を生かすとどれだけ得か、事細かに説明するべきだろうか。

 彼女は気づく。いや、その言葉達は無意味だろう。何故なら、彼女が吸血鬼だからだ。吸血鬼が何か言っていて、人間はそれを根拠無しに信用するだろうか。少なくともエミィの知っている歴史上の人間達は、そんな事は絶対にしない。人間と吸血鬼は敵同士だ。どうしようもないくらいに、信頼が無い。

 しかし、だからと言って他にどんな言葉があるだろう。その言葉には信用がないのに、信用がない言葉を信じさせるにはどうしたらいいだろう。

 エミィは考えた。信じてもらえないとは、つまり耳を塞がれているのと同じことだ。どんなに言葉を尽くしても届かなければ意味がない。エミィはここにきて、ローガンの不在がどういうことなのか悟った。例えばここにローガンがいて、エミィの言葉に少し後押しをしたなら、一体その言葉にどれだけの箔がつくだろう。

 王様はこの為にローガンを追い出したのだと、エミィはようやく気がついた。これはつまり、王様が最初に言っていた言葉そのままの意味なのだ。邪魔なものは何一つ無い。ここにいるのはエミィだけだ。

 「……」

 ここでエミィは自分に価値があると示さなくてはならない。信用の無い自分の言葉だけでだ。どんな言葉を使えばいいだろう。

 エミィは袋小路に追い詰められた。思考が空回りをして、どれだけ考えても名案は思いつかない。

 そして遂に、エミィは気がついてしまった。

 「……ない。」

 「……」

 「納得させられるような言葉なんて、信用の無い私の言葉で、示すことが出来るなんて……そんなこと、出来る筈がない。」

 それは言ってしまえば絶望しそうになる言葉だったが、真実だった。エミィはそれを言わずにだんまりを決め込む訳にはいかなかった。

 「……ほぅ、現実を見る目はあるようだな。……それではどうする? どうやったらお前は、代償を支払えると私に納得させられると言うのだ?」

 「……」

 エミィは頭の中を片っ端から探った。どこかに答えはないか、見落としていたりはしていないか。彼女は探って、そして彼女は、自分の中には探すほどのものはないと理解した。

 「私に……唯一出来ること……それは、誓うこと。」

 「……何に誓う?」

 エミィは自分の中のものを並べてそして考えた。自分の中で胸を張って誓えるものは何だろう。自分の命などは全く意味のないものだ。相手の掌に握られているものにどんな価値があるだろう。

 神様に誓うのだろうか。吸血鬼は一切興味のないらしい神様に? そんなことでは駄目だろう。

 エミィはどんどんと択を消していって、そして彼女は結局、自分の一番大きなものに誓うことにした。

 「……ローガンの教えてくれた剣術、私はそれに誓う。」

 エミィの中で一番大きかったもの、それは何年も積み重ねてきた剣術だった。それがエミィの中で一番大きなもので、そして信用が出来るものだった。

 「……」

 「十五年も時間を貰っておいて、こんな事を言うのも図々しいけれど……それでもお願いしますっ。私に、時間を下さい! 必ずッ、言葉ではなくて行動で、証明してみせます!」

 エミィは深々と頭を下げた。それは彼女の唯一出来ることだった。ここは人間の国で、彼女は吸血鬼だと、それは彼女自身が一番よく分かっていることだった。

 「お前は……それを自らの証明とするのか。」

 「はい……私にあるのは、今はそれだけです。」

 「……借金を返す為に更に借金を重ねるか。賢いのか賢くないのか、分からん奴だ……しかし、いいだろう。」

 王が頷いた。エミィがどれだけ疑っても間違えようがないくらいの肯定の言葉を発したのだ。

 「私はまた、ローガン・グレイランの剣術の価値を信じるとしよう。……お前に時間を貸してやろう。無論、そのかた(﹅﹅)は貰う。」

 王はにやりと笑った。まるで自分の仕組んだ通りに物事が動いたとでも言いたげに。

 「……それは……」

 無意識の内にエミィは言葉を零す。自分の提案を認められたことにも驚いていたが、そのかたというものに、彼女は嫌な予感を覚えていた。

 「……この国に今、エルマは二人いる。お前とその兄……お前はその片割れを殺せ。エルマの血を途絶えさせろ。」

 粛々と、なんの淀みもなく、王の口からそのかたの内容が明かされた。エミィは予想外の言葉に少し頭を混乱させた。

 これは彼女にとって、重い宣告なのだろうか。彼女の記憶に家族の思い出は一つたりとも残っていない。それは幸運だったのか不幸だったのか、今の彼女には分からないことだが、少なくとも今は幸運に働いているようだ。

 彼女にとって、その兄というのはただの事実としてしか存在していないものだ。最後に会ったのが幼過ぎたのか、彼女は兄の名前どころか面影すらも覚えていない。

 それなら、この借金のかたは存外安いものだろう。彼女は考えた。自分はこれから憲兵になって何人もの吸血鬼の命を奪うのだ。それがただ一人増えるだけ。それだけでいい。そいつは彼女の唯一の肉親かも知れないが、記憶が無ければそれは他人と何も変わらない。その筈だ。

 「……分かりました。必ず、証明してみせます。」

 「そうするといい。お前の誓った剣術に泥を塗らないようにな。……さぁ、話は終わりだ。出て行け。それとも、まだ時間の借金を重ねたいか。」

 「……!」

 そこで彼女は、自分が当初の目的を果たしていることに気がついた。確かに借りたものは増えたが、生きることそれ自体は許されたのだ。

 「いえっ……ありがとうございました! 必ず、借りたものは返します!」

 結局のところ、結論は最初から出ていたのかも知れないとエミィは思った。自分がどう動こうと、何を話そうと、自身を取り巻く流れは力強くて、自分は何の影響も与えなかったのではないかと。

 実際の事を知っているのはあの王様一人だが、エミィにその頭の中を覗ける筈もない。エミィは自らの足で一歩歩いたのかも知れなかったし、歩かされていたのかも知れなかった。エミィは慎重に歩を進めていたが、歩いていた場所は石橋の上だったかも知れないし、細い吊り橋の上だったかも知れなかった。

 真実は暗闇の中にいたエミィには分からない。しかし、どちらにしろエミィはあちら側からこちら側へ渡り切ったのだ。今はそれが最も重要なことで、そして誰にとっても大きなことだった。

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