2-17.二人
今日も聖道は沢山の馬車が行き交い、街が脈動しているのを肌で感じさせてくれた。太陽は真上にあり、遮るものは何もなくこの大地にその光を放っている。
今日は誰もがいい日だと思う天気だった。これ以上は無いくらいの気持ちのいい晴天だ。誰しもがこんな日には木陰で昼寝でもしたいと思うだろう。
しかし俺の目の前にはその太陽の恵みを受け取ることの出来ない少女がいた。いつもより着飾った服を着ている――着せられている――彼女は、その装いに見合わず先程からずっと俯いている。
そこにあるのは恐らく極度の緊張と不安だろう。それくらいなら俺にも分かる。この十五年でこの少女のことはよく見てきた。
俺は十五年前のあの夜を思い出した。よくもあの時の赤ん坊が、ここまで生きているものだ。しかもレグル派の下ではなく、未だに憲兵団の所にいる。あの時の俺は想像することすら出来なかった出来事だ。
そして俺はまた、王様のあの言葉を記憶の底から引っ張り出した。
この幼子に時間を与えよう――
過去の俺はまさか成人するまで待ってもらえるとは思ってもみなかった。
しかし、それは良い事だけというわけではない。これはつまり、言い訳はもう出来ないということだ。あの王様の性格をよく表したやり方だ。時間という猶予を与えつつ、子供だから、という逃げ道を封じる。レグル派とリオル派のどちらのいちゃもんも撥ね飛ばす、大胆で確実な、ぐうの音も出ない方法だ。
そして俺達は今日、王城に呼び出された。恐らくそこでエミィの明日は決まるのだろう。もうどれだけ言葉を尽くそうと、もう今日の決定は覆らない。
それはエミィにとってとんでもない重圧だろう。少なくとも十五の少女がよく体験する事ではない。だからエミィが俯くのも無理はない。
「……」
しかしずっと俯いている訳にもいかない。俺はエミィに前を向いて歩いてもらわなくてはならない。
「……どうしてずっと俯いているんだ?」
「……!」
エミィはまるで初めてそこに人がいたのに気づいたかのような表情を見せる。
「ローガンは、不安じゃないの?」
「全く。」
今度は口をぽっかりと口を開けて、唖然とした顔をエミィは見せた。
「どうして? もし、今日、ダメだったら……全部、無駄になるかも知れないのに?」
「不安か?」
「……うん、不安……昨日までは、大丈夫だったの。理由は無かったけど、何となく大丈夫だって思えた。……けど、今になって、さっき皆に見送ってもらって……そしたら、怖くなって……っ……!」
「……」
膝に置かれたエミィの手は震えていた。
「分かってるの。こんな事考えたって、無駄だって。今更不安になったって、もうどうしようもない事だって……」
「自分を信じられないか?」
「……ローガンは、私を信じられるの……?」
胸の内を曝け出す様に、エミィは息を吐き出した。そして言葉になって発露した思いは、今まで言葉に出来なかったものを、連鎖的に形にしていく。
「ローガンは怖くないの? ローガンだって今までずっと頑張ってきたでしょう? それが全部、無駄になってしまうかも知れないって……考えたことはないの?」
十五年。これは俺の人生にとっても小さくない時間だが、エミィにとってそれは、当たり前の事だが全てに当たる。今までの人生の努力が無駄になるかも知れない。その事はどんな事より心の重しになる。
「……確かに、今日駄目だったら……エミィが処刑されることになったら、俺の努力は無駄になるんだろう。俺はそうならないように最善の行動をしてきたと思っているが……そうなる可能性は十分にある。」
「……」
「だが、それが怖いかと言われれば俺は怖くないと答える。」
「……どうして?」
「俺は努力の無駄を無くす為に努力をしている訳じゃないからな。俺はお前を憲兵にする為に行動しているんだ。」
「……だから怖くないの?」
「ああ、俺はどんな結果だろうと受け入れる準備は出来ている。」
堂々と結果を待つという事が出来るくらいには、俺はそれ相応の努力をしていて、そして歳を取っている。このただ待つというのはエミィには慣れないことなのかも知れないが、しかし何かをすることや不安に思うことだけが人生で出来ることではない。
俺はやるべきことをやった。後は結果を待つだけだ。それはエミィも同じで、そしてエミィは俺よりもやるべきことが大量にあるのにも関わらず、それをやり切った。
「……どうして……私を……信じられるの?」
それでもエミィは不安が残り続けるようだ。どれだけやっても、無駄なのではないか。そういう思いが、体を縛り付ける。厄介なものだ。その鎖は内側に結び目があって、こちらからは手出しが出来ない。
しかしそれでも、まだ何も知らない者のその鎖を解く手伝いをして、絡みついた不安を取り除いてやるのが年長者の務めだと、最近の俺は気づいていた。
「俺はお前に賭けたんだ。エミィ。」
「……!」
「本人からすれば分からない理由なのかも知れないが、俺から見たお前は……憲兵になれる、そう思えたんだ。」
「私は……」
「エミィ、もしも駄目だったら、なんていう話はそれこそ無駄だ。死んでから何をしようなんて話す奴はどこにもいない。それよりも未来の話をしよう。」
「……」
「エミィ。お前はこれから憲兵になる。そうすればお前は沢山の命を奪うことになるだろう。人間も吸血鬼も人喰いも、全部だ。……お前はそれが出来るか?」
目の前の少女に覚悟を問う。
「勿論だよ! 私はちゃんと知ってる! ずっと見てきたんだからっ……皆を、ずっと!」
期待通りの答え方だ。だから俺は彼女に確信している。
「お前は身を呈して人々を守ると断言出来るか?」
兵士としての資質を問う。
「出来る!」
「お前は誰が目の前に立ちはだかろうと、剣を振るうということを実行出来るか?」
戦士としての在り方を問う。
「皆を守れるなら……守る為なら!」
「その言葉は誰かに言わされた言葉か?」
「? ……違う。私は心の底から、皆みたいな、憲兵になりたいと思ってる!」
やっぱりこいつは憲兵になれる。心の中で頷いて、俺はそう確信した。
「そうだ。エミィ。お前は憲兵になることを許されたから憲兵になるんじゃない。お前は憲兵になる為に道を歩んでいるんだ。」
「……!」
馬車ががたんと揺れた。
「この二つは似ているようで全く違う。二つの分かれ道の片方を選ぶのと、ただ自分の目的地への道を歩むのでは、何もかもが違う。」
大事なのはそこだ。自分で選ぶということ。何故なら、自分自身が選択するということは、そこに迷いが一つ消えるという事だ。迷いが消えるということは心の霧が晴れるということで、そこには道が見えてくる。
「だからエミィ。俯くのは止めろ。目を瞑るな。前を向け。そうでないと道は歩けないだろう?」
「……私、は……」
エミィは胸に手を当てて、そしてそこにあるものを見つけ出す。
「ローガン……私、憲兵になるよ。……絶対っ。」
エミィの視線がこちらを向く。その目は真っ直ぐに未来を見据えているのが分かった。
その道は薄暗いだろう。太陽の光は絶対に届かない場所だ。しかしその暗闇の中ででも道が見えているのなら、お前は歩き続けることが出来るだろう。
俺はそう確信している。この十五年見続けてきた少女を俺は信じている。




