1-23.暗がりの中の灯火
「――!」
部屋の中に数人の足音が入り込み、散開して俺達を探している。俺達にはその姿を確認することは出来ず、音だけでその様子を想像するしかなかった。
俺達が隠れているこの部屋は空っぽで、隠れる場所を探すのにすら苦労する場所だったが、憲兵達は中々諦めてどこかに行くということはしてくれなかった。タンスやベッドが無いということは彼等にとって探すのを止める理由にはならないようだ。
彼等はまさか隠し部屋でもあるのではないかと疑うみたいに床を蹴ったり、壁を叩いたりした。俺達の方に足音が近づくたびに俺の心臓は早鐘を打って、遠のいてくれると俺は静かに息を吐いた。
「――。」
「――?」
しばらくして物音が収まったかと思うと、何と言っているのかは聞き取れなかったが、彼等は何かを話し始めた。
そしてその会話が止むと、俺の耳は彼等の足音が小さくなって行くのを感じた。扉が閉じられて、部屋は静寂を取り戻す。
「……行った――?」
俺は小さく呟く。しかしそれからもう一言発そうとした言葉は上にいるアデルさんの手によって止められることになった。どうやらまだ安心してはいけないらしい。
遠くでまだ怒号が聞こえて、一番大きく聞こえるのが自分の心臓の音という状況の中、俺はじっと動かずにじっと耐えた。
どれくらい経っただろうか。俺は未だにアデルさんに口を塞がれていて、少し息苦しくなってきた。
ギイィと、木製の床が鳴る音がした。
「……!」
聞こえたのは俺達が隠れている部屋からだ。俺は一瞬驚きで頭が真っ白になったが、すぐに理解出来た。憲兵達は全員が部屋から出て行かず、俺達がボロを出すのを待っていたのだ。アデルさんはそれに最初から気づいていた。
今、その残った一人がようやく痺れを切らして出て行った。部屋の中が今度こそ本当に俺達だけになった。
「……入って来た時は四人だったけど、出て行ったのは三人分の足音しかなかった。」
アデルさんが久しぶりに口を開く。しかしそれは呟くような声量で、まだ警戒は解いていないことが分かった。
「アラン、きついだろうけどここに隠れていよう。まだ危険だ。」
アデルさんのその言葉に俺は頷いた。この家の周りを取り囲む様に、全方位に憲兵達がいるのは俺も感じ取っている。この状態でここから出て行くのは憲兵の前に姿を晒すのと同じだろう。俺はもう二度と命がけ過ぎる逃避行は出来るだけしたくなかった。
下の僅かに見えている明かりを見ながら、ともかく彼等から隠れることが出来たことを俺は喜んだ。
俺達が逃げ込んだこの部屋には、隠れられそうな家具も無く、都合良く隠し部屋に繋がる通路もなかった。けれど隠れられる場所が一つだけあり、俺とアデルさんはそこに隠れたのだ。
この部屋には角に大きな暖炉があった。俺達はそこに――正確にはその煙突の中に――隠れたのだ。俺は先程から煙突の煉瓦の壁に足と背中で体を支えている。長年放置されていたせいか、壁を手で触った感触は煤っぽいというより埃を多く感じた。
「……ねぇ、アデルさん。」
「何だ? アラン。」
それから、少し時間が経って辺りに人の気配を感じなくなった時だった。
煙突の中は絶妙は広さで、俺は足を伸ばしてつっかえ棒の様に使うことも出来なかった。それに狭いわけでもなかったせいで、足だけでなく腕で補助もしなければ、簡単に滑り落ちてしまいそうだった。
要約すると、俺はずっと同じ姿勢でいるには地味にきつい体勢を続けていた。それで我慢出来ずに俺はこの苦しみが紛れればと口を開いたのだった。
アデルさんもどうやら話に付き合ってくれるらしい。アデルさんも俺と同じ心境なのだろうか。俺はふと上を向いた。
あっこの人足を大きくして楽してる! 狡い!
「……あのレウノフって人、レティアって名前を言っていたよね。誰なの? その人は。」
思わず吐き出されそうになった文句を腹に収めながら、俺は質問をする。
「……私の妹だよ。今はサルシラにいるよ。……海のあるところなんだ。」
「……そうなんだ……」
何かあったのだろうか。いや、アデルさんの言い方はあまり重苦しい言い方ではない。特に何もないのかも知れない。態と明るく振る舞っているとも考えられるけども――
「えーと……鎧、とかなんとかとも言っていたけど……」
「それはこっちで言う悪魔の事だよ。……これさ。」
アデルさんは自分の足を軽く叩いてみせる。
「自分から自分の体の一部を悪魔なんて呼んだりしないだろ?」
アデルさんの故郷での呼び方という事だろうか。俺にとっては想像すら出来ない世界だ。俺はあくまで人間の国の中で生きてきた。だから他の国はどんなところなのか、ましてやその場所で生きていた人の過去なんて、やはり分かる筈がない。
そういえば、レウノフはそれに加えて、アデルさんのそれを不完全とも言っていた。アデルさんは他の人喰いと違って、今しているみたいに足しかその鎧を見せていることはない。
それはしていないのではなく、出来ないということだろうか。だからレウノフに不完全と言われていた。
だけれども、それだけではレウノフの償えという言葉の意味は分からない。
「……」
俺はまた口を閉じた。直接聞いてみるという手段も頭には何回も浮かんだけれど、その言葉は結局喉元にも行かなかった。何となく、本人に聞くのは憚られた。触るのは失礼な気がした。
せめて、本人から話してくれるのを待とうと俺は思った。
沈黙は長い間続いた。とても長い時間だった。それは俺の体感が狂っているということはないだろう。何せ頭上が段々と白んできているのだ。あれからどれくらい経ったのか。夜はどこかへ行って、今日は朝を迎えたのだ。
「……そろそろかな。」
上からアデルさんの声が聞こえる。ようやくこの狭い空間から抜け出そうというのだろう。
「ここから出よう、アラン。」
その言葉に俺は一も二もなく従った。
暖炉から這い出ると、朝日は予想よりも高いところにあった。背筋を伸ばしながら俺は日の出から一時間くらい経っているだろうかと考える。
身体中煤と埃まみれだった。しかし身体中を切り刻まれるよりも格段にマシだろう。いつの間にかあれほど響いていた怒号は消え去ってしまっていて、辺りは静寂に包まれていた。
俺は後ろを振り返って、暖炉から出てくるアデルさんを見た。俺と同じように体が煤と埃だらけだった。それに頭に蜘蛛の巣を二つ貼り付けていた。俺よりも先に煙突に入ったからだろう。
「アデルさん、頭に蜘蛛の巣、ついてるよ。」
「ん?」
アデルさんは頭の蜘蛛の巣を取り払いながら、窓際まで歩く。
「……よし。予想通りだ。」
「何が……予想通りなの?」
「……この霧さ。」
「霧……?」
確かに街では今まで見たことの無いような霧が外で漂っている。俺は幸運だったとしか思っていなかったけれど、アデルさんはこの霧を予想していたのだろうか。
「そう、この霧はただの霧じゃない。アラン、吸血鬼っていうのは日の光に当たると煙を出して燃えるだろう? これはそれなのさ。」
「……死体が燃えている?」
「大量にね。それでなけりゃこんな光景は出来上がらない。」
そうだとするなら、今目の前に広がっているこの光景は、とても恐ろしい現象ではないだろうか。俺も、たった一つの間違いでこの霧の一部になるかも知れなかったのだ。そう思うと少し寒気がした。
「それに……あの人数、この地区だけの憲兵で足りるような数じゃなかった。他の場所からも掻き集めた筈だ。……それにアルノー達すら掴めていない程性急に……」
「……」
「ずっとここに留めては置けない筈だ。後片付けには数が減る。アラン、今が最大のチャンスだ。」
アデルさんは振り向いて俺の方を見た。
「絶対にここから抜け出そう。」
俺は強く頷いた。必ず、生きて帰ってみせる。こんなところであっさり死んでなるものかと、俺は胸に火を灯した。