1-19.空白だった街
まるで昼間に行った市の様に人々が道を行き来していた。しかしだというのにここには喧騒のけの字も無く、ただ真っ暗な町並みが続くのみだった。
その街の中を人々が堂々と歩いているのに、声を殺し姿を隠しているようにも感じられるその光景に、俺は気味が悪くなった。ここにいる人々は街に隠れているのだ。
けれど、隠し切れないものもある。俺の人より少し鋭敏な鼻は、微かに残る血の臭いをがっしりと捉えていた。
「もう一度聞くけど、帰る気は無いんだな?」
「当たり前だろ? 帰りたいならアデルさんは帰ってもいいよ。俺はただ、墓参り……みたいなのをしたいだけだから。」
「はぁ……アランを置いて帰られる訳、ないだろう。それに……アランはその場所、知っているのか?」
人混みを抜けながら俺達は歩く。この街の中心に向かって行くほど、辺りの人々は歩くのを止め、そこらに座り込んだり、他の誰かと話したりしていた。
この気味が悪い領域に入ってから見ることの無い明かりから察するに、きっと彼等は全て、吸血鬼か人喰いなのだろう。人間に比べて、俺達は闇に強い。
「……知らないけど……アデルさんは知ってるのか?」
「知らないよ。知るわけない。なんたって、私がこの国へ来たのはその事件が起こった後なんだから……多分、アルノーでも知らないんじゃないかな。」
「……そっか。」
「というか、アランはそれでどうやって墓参りをしようとしたんだ?」
「……ここの話を聞いて……少しくらい、痕跡でも残っているんじゃないかって、思って……」
俺は周りをぐるりと見渡してみる。けれどそれらしきものは何も無い。ただ人がいっぱいいて、探すのに邪魔だなと思うだけだ。
「痕跡か……残ってるかな……十五年前だろ?」
アデルさんはそうやって濁して言うけれど、勿論俺だって残っているとは少しも思っていなかった。ただもしかしたら、という思いが胸からついて離れないだけだ。
「……はぁ……帰る……かなぁ……」
いくら探そうと見つけられないのは、最初から百も承知だった。全くの無駄な行動であるのは分かり切っていた。俺の母さんや父さんが、死んだその場所なんて、俺が知れる筈もない。
その場所を知っているのは最早ただ一人、殺した張本人しかいないのだ。一番墓参りなんてしそうにない奴が、たった一人だけ、俺がどんなに願っても知り得ない事を山の様に知っている。それが俺は、悔しくて仕方なかった。
「……」
それでも、それが分かり切っていても、俺の足は一向に翻ることはなかった。この街を徘徊し、もうゼロだと理解させられた様な状況にも関わらず、俺は可能性を探していた。
アデルさんはそんな俺を見ても、何も言わずに後をついていてくれた。どうやら説得は諦めて、俺の好きにさせてくれるようだった。俺はその好意に甘えて、足を止めずにこの街を彷徨った。
しかしそれでも、いや、当然のことではあったが、結局のところその場所はおろか、そこに通じる痕跡の一欠片さえ俺は見つけられなかった。
しばらくして、俺はなにか雰囲気が悪い場所に出てしまったことに気づいた。その通りに出た瞬間に、そこにいる全員に誰何する様な視線を浴びせられたのだ。
何かがここは、他とは違う。ただぼうっと歩いていた俺は、その空気で現実に引き戻され、少々不味いことを自分がしでかしてしまったのではないかと不安になった。
「おい、お前ら! こちら側は危険だ。さっさと元の場所に戻れ!」
突然、鋭い視線を向けていた一人がそう俺達に忠告をする。他の人々も言葉にしないだけで、その刺す様な視線でその男と同じことを俺達に言っていた。
「はっはい! お邪魔しました……」
堪らず俺はそそくさとその道から退散する。語調の強い言い方だったが、どうやら敵意を向けられている訳ではなさそうだ。俺達は踵を返して元の通りに引き返す。
「ちょっと、そこの二人組。」
「ん? 俺達、ですか?」
声を掛けてきたのは、道の隅に腰掛けていた一人の老人だった。片手に空の酒瓶を持っていて、顔が真っ赤になっている。
「もしかしてお二人さんは、新入りかい?」
「新入り?」
「そうさ。そうじゃなきゃ、あのこわーい吸血鬼達がいる方へ、ふらふら歩いて行ける筈がねぇ。」
「吸血鬼? 一体どういうことだ?」
アデルさんが老人に詰め寄り、怖い顔をしながら聞いた。吸血鬼が怖いということは、この人達は全員人喰いであるのだろうか。
「まぁまぁ慌てなさんな。ともかく新入りはボスに挨拶しなきゃいけない決まりだ。儂が連れて行ってやろう。」
老人はそう言って歩き出してしまった。仕方なく俺達はその後をついて行く。
「来たばっかりのお前さん達は知らんかっただろうが、今ここでは儂らと吸血鬼どもとの縄張り争いが繰り広げられておる。」
「縄張り争い?」
「そうじゃ。お前さんらがうっかり足を踏み入れようとしていた場所は、その境界線じゃ。」
「だからあんなに怖い顔をされたのか……」
先程の光景を思い出して俺は身震いをした。しかし、人間の街の中で人喰いと吸血鬼が縄張り争いをするなんて、不思議な話だ。俺が聞いていた話では、誰も寄り付かない空虚な街だということだったのに。
「……おおっと! 忘れておった!」
急に立ち止まり、老人は俺達の方を向く。
「どうしたんだ? 爺さん?」
「お前さんら……変な言い方じゃが……ちゃんと人喰いかの? いや、うっかりしておったよ……まさか吸血鬼をボスの元に送り届ける訳には行かんからの。」
老人のその言葉に俺は冷や汗をかいた。今まさに吸血鬼との縄張り争いのことを告げられたばかりだ。もしここで俺が吸血鬼であることがバレたなら、一体どうなってしまうのだろう。
そう考えると、今までなんでもなかった辺りの人々の視線が、急に俺を訝しむようなものに感じた。先程までいた場所から、どこか遠い違うところへ連れて行かれたみたいだ。
「安心しな、爺さん。……ほら、私はちゃんと人喰いだ。」
老人の視線から俺を隠すようにアデルさんは前へ出て、そしてその前腕を見せる。
「それよりも、私達はまだ聞きたいことがたくさんあるんだ。疑ってかかりたいのは、そっちだけじゃないんだよ。……いいかな?」
「おお、勿論。いや疑って悪かったな。」
アデルさんの後ろに隠れながら俺は大きく息を吐いた。どうやら吸血鬼と人喰いの二人組の可能性は、酒に溺れて見えていないらしい。
もしこれでアデルさんがいなかったら、きっと俺はこの周りにいる人喰い達に囲まれて、想像したくないくらいにボコボコにされていただろう。心の中でアデルさんに俺は感謝した。
「爺さんはこの状況がいつから出来ていたのか知ってるか?」
「いんや、お前さんらに新入りだの何だの言っておるが、儂もここに来て二週間も経っちゃいない。」
「そうなのか……その時から、ここはこんなに人がいたのか?」
「こんなに増えたのはこの一週間の間じゃ。特に今日は酷い。今日だけでニ割は増えた。」
老人は忌々しそうに溜息をついた。
「そんなに増えて、隠れ切れるのか?」
「いや、無理じゃな。来たばっかりで悪いが、ここはもう限界だ……もう隠れられるような人数じゃない……ボスも、こんなに来るとは思ってなかったんじゃろうなぁ。」
「なんだか、笑い話みたいだな。」
俺は心の浮かんだ言葉をそのまま口に出した。なんだか、敵の国に潜伏しているには間抜け過ぎる。
「確かにそうかも知れんのう。これも吸血鬼どもがのさばっていなければ、まだ時間はあったのかも知れんが……全く世知辛いのう……国から追い出されて、ようやくゆっくり出来るかと思ったらこれだ。」
「……」
「おっと、着いたぞ」
老人が指で示す先には他より少し大きな建物が待ち構えていた。かなりの人数が屯している。
「儂の案内はここで終わりじゃ。……儂は明日にもここを離れるが……お前さんらに幸運が訪れるよう祈っておこう。」
老人はその建物の入り口に陣取っていた人物に一言話しかけると、そのままどこかへ行ってしまった。
まるで意図の掴めない人だ。あれほどここを危ないと示唆しておきながら、それでもここまで案内するなんて。
「……お前達二人が新入りでいいんだな?」
「……はい……そうです。ここのボスに挨拶をしに来ました。」
「こっちだ。……全く今日はお前達で最後にしてくれよな……」
男は小さな声で愚痴を呟いた。それほど人数を相手にしたのだろう。ボスに会わせるっていうのに、どこか対応がおざなりだ。
――ともかく、そのボスに挨拶をしたら、老人の言葉に従ってすぐにここを出よう。もし憲兵にでも捕まったら大変だ。
男が何も言わずに階段を登る。俺達はそれにただついて行った。きっとそのボスへの挨拶というのも、きっと大したものじゃないだろう。俺達が連れて来られたということは、そのボスは今日、俺が見た人々のニ割に挨拶をされた筈だ。雑な扱いをするに決まっている。
例えそのボスが真面目な人であったとしても、名前を聞かれたり、少しきつい脅しを聞かされたりするんだろうな、と俺は勝手に甘えた考えを持っていた。
「ボス。新入りを連れて来ました。」
「……入れ。」
その疲れてそうな声を聞いて、俺はその考えを確信にまで強めた。もうこの街に入ったときの気持ちは潰えてしまっていて、その時俺は、早く帰りたいな、くらいにしか頭の中の考えは無かった。
「ようこそ。まず同郷の者がこんなにいて驚いているとは思うが……」
俺が最初に違和感を覚えたのはここだ。ボスと思わしき筋骨隆々な大男が、それ以降言葉を話さないのだ。まるで言葉を奪われたのか、それとも顎の筋肉が突然消えてしまったのか、その大男は口をポカンと開けて閉じない。
俺はその原因は何なのか、大男の視線の先に答えがあると思って自分の後ろに振り返り、そこにはアデルさんがいた。
それは見たことの無いアデルさんだった。顔を緊張と恐怖か何かで強張らせ、冷や汗をかいて、大男とは逆にその唇は真一文字に固く結ばれていた。そして俺は、その手が微かに震えているのを見た。
「……お前……アデル……か……?」
「っ……!」
俺は、自らの考えが目の前で、音を立てて完全に瓦解してしまったのをその耳で聞いた。




