1-17.見えない道標
眼前に鋭い刃が迫る。俺はそれを持ち前の身体能力で避けるが、次の攻撃は反撃する暇なく飛んでくる。
俺はまた刃が通る空間から退き、そしてこれではいけないと相手から距離を取る。
しかし、相手はそう簡単に仕切り直しを許してくれる筈がなく、僅かな時間だけ空いた間合いは、すぐにゼロに戻ってしまった。
「ほっ! よっと!」
掛け声はまるで準備運動をしているように気軽だが、テッドの攻撃は決してひ弱なものじゃない。俺の体のすぐ側を通る刃は、背筋に冷や汗が流れるような音を聞かせてくる。
しっかりと避けなければ抉られる。まだ抉られてはいないが、それが俺には分かった。
「ぐっ……! このっ!」
しかもそれでいて、テッドの攻撃には隙が見当たらない。技術だとかそんな要素も関係しているのだろうが、それ以上に動きを完璧に読まれているのが、テッドの行動からひしひしと伝わってくる。
経験の差というものをまざまざと見せつけられ、俺は歯噛みせざるを得なかった。まさか、ここまで差をつけられているなんて。
「……うぐっ!」
テッドが振り回すナイフに気取られて、足からの攻撃を俺は見落としていた。脇腹に激痛が突き刺さり、肺から空気が漏れる。
しかし、テッドはそこで攻撃の手は緩めない。ナイフの切っ先を真っ直ぐに俺の方に突き立て、突進してくる。
俺は避ける為に足を動かす。が、足は地面を擦っただけに終わった。
脇腹の痛みに気が付かなかったが、俺はテッドの足蹴りによって少しだけ宙に浮いていたのだ。
それをようやく理解した俺は、眼前に見えるナイフに咄嗟に腕を交差させて攻撃に備えた。
だがしかし、そんな何も考えていない悪あがきは通用せず、それを見たテッドは手首をくるりと回転させる。ナイフの切っ先がそっぽを向き、代わりにこちらに向いた拳が、俺の喉に突き刺さった。
「……ウッ! ……がハッ……ゴホッ! ううっ……」
「……大丈夫かー?」
「多分……ケホッ……!」
喉に痛みに震えながら、俺はテッドの強さに愕然とした。いつの間にか、こんなにも差をつけられているとは夢にも思わなかった。
「おっかしいなぁ……ほんの前まで、互角だと思ってたんだけど……」
「ま、経験の差ってやつだよ。俺は街でふらふらしてる訳じゃないからな。」
テッドはナイフを軽く投げて遊んでいる。息を少しも切らしていない。全力で戦っていた俺に比べて、まだかなりの余裕があるみたいだ。
「……俺だって、好きで街で何もしてない訳じゃないよ。アルノーさん達が、雑用しかさせてくれないんだ。」
「そうなのか? アルノーさん達まで、そんななのか……」
「俺だって、役立たずってことはないと思うんだけどな……」
「……それは……まぁ、適材適所ってやつだろ。アラン、お前って少し感情的になりやすいし。」
「そんなにか?」
「心当たりないか? 俺は一杯あるけどな。」
「……」
俺は何も言い返すことが出来なくなった。ほんの数日前に感情的になったところをテッドに止められたばかりだからだ。
「……さて、そろそろ行くか。」
「……そうだな。出発しよう。」
俺達はいそいそと街に戻る準備を始めた。しかしそこにベルン爺はいなかった。
ベルン爺はエドワードさんと一緒に村を出て行ってしまっていたのだ。エドワードが逃げのびてつくったというこの国の外の、ずっと遠い村に行くらしい。
もしかしたら、そこならば俺達がこの国を脱出した後の次の故郷になるかも知れない、とベルン爺は言っていた。その為の下見にベルン爺は俺達に皆への伝言を残して、さっと村を出て行ってしまったのだ。
なんとも無責任に感じる行動だった。せめて街の皆にも直接伝えた方がいいのでは、とも思った。
しかし、ベルン爺のその様子を見た俺とテッドは引き止めるのは忍びなく、結局見送ってしまった。ベルン爺は今までに見たことがないほどに、どこか嬉しそうにしていたのだ。
ベルン爺から聞いた話は断片的で、俺達が受け止めることが出来たのはほんの少しの情報だったが、ベルン爺にはそれでは全く足りないほどの思いがある筈だ。
あのエドワードという吸血鬼と再開出来たというのは、――ベルン爺は表情を隠そうとしていたが――ベルン爺にとって何よりの奇跡なのだ。俺達にはそれが分かった。だから、その些細な不安と不満は見ないことにして、俺達は何も言わずに見送ることにしたのだった。
街に入るのは二回目だったが、やはりと言うか、いつも通りと言うか、何事もなく入れてしまい、俺達は酒蔵亭に戻って来た。テッドは初めて来たのかと思いきや、何度かは来たことがあるらしい。どうやら、ここは街に潜入している皆の拠点になっているようだった。
「エドワードさんが……そうかい。ありがとう、アラン、テッド。伝言はきちんと受け取ったよ。」
リゲルさんはふう、と息をついた。
「……つまり、爺さんはいつ帰って来るか分からない、と。」
反対にギルさんは頬杖をつきながらそう零した。
今は昼飯時が終わったばかりくらいの時間帯で二人は休憩中らしい。そこに俺達二人が帰って来て、伝言を伝える為にこの地下室へ移動したのだ。
「ギル。そう文句は言ってやるなよ。ベルナンドさんとエドワードさんは随分長い間会えてなかったんだ。僕も、出来れば会いたかったよ。残念だなぁ。」
「ベルン爺はすぐに帰って来る、とは言ってたよ。……エドワードって人も、ようやく時間が出来たから探しに来たって言っていたし、帰って来るときには一緒に来るんじゃないかな? この国を見てみたいとも言ってたし。」
「そうかい? それなら良かったよ。僕も、話したいことは山ほどあるしね。」
リゲルさんは楽しみそうに笑った。ベルン爺の話に拠れば、リゲルさんは数十年前のエドワードさんに会ったことがある筈だ。
「ふーん。なぁリゲル。そのエドワードって奴はどんな人なんだ?」
「ん? そうか、そう言えば、ギルはあの時はまだ赤ん坊だったね。……そうだね、エドワードさんはベルナンドさんはとても仲が良かったよ。同じ仕事仲間だったからね。二人共真面目な人達だったなぁ。」
リゲルさんは昔を懐かしむように語る。そういえば、こうやって昔のことを話されたのは初めてのような気がする。
「……ベルン爺って真面目だったの?」
その言葉が出てきたのは俺の口からだった。最近のベルン爺を見てからどんな人だと聞かれて、真面目だと答える人はいないのではないかと俺は思う。
「そうだねぇ……アラン達にとっては、オズワルドさんと一緒にお酒を飲んでるところしか想像出来ないのかも知れないけど、昔はこれ以上ないくらい……いやいや、今だってちゃんと隠れてるだけで、ベルナンドさんは真面目なんだよ? ……あんまり見えてこないけどね。」
「……ふーん。」
「そんなことより、リゲルさん。街で何かあった?」
話の流れを変えるようにテッドが質問をする。
「テッドは気づいたかい? ……最近、街に侵入する吸血鬼が本格的に増えてきたようなんだ。それに人喰いも……」
リゲルさんとギルさんは揃って苦い顔をした。リゲルさんは俯き、いつの間にかギルさんは頬杖を止めて難しそうに腕組みをしていた。随分と、それは深刻な状態のようだ。
「もしかしたら監視がきつくなって、村と街への行き来が難しくなるかも知れない……それどころか、街にいることすら危ういかも知れない……本当はそれをベルナンドさんと相談したかったんだけど……」
「ベルン爺、もうこの国から出て行ってるんじゃないの? ……やっぱり全然真面目じゃないじゃん。」
俺は少しだけ不満を露出させた。あのベルン爺の無責任に見える行為に、やっぱり心の中では納得しきっていなかったのだ。
「いや、ベルナンドさんは考えなしの人じゃないよ。僕達がここから逃げようとするにも、逃げる場所が必要だからね。……それにベルナンドさんは僕達を信用してくれているから、二人にそんな伝言を預けたのさ。このぐらいのこと、僕達だけで対処出来るってね。」
「対処……」
俺はリゲルさんの言葉に一抹の不安を覚えた。俺達にとってかなり都合が悪い何かが起ころうとしている。そんな予感が頭からこびりついて離れなかった。
今回は短いですがここまでです。区切りが良かったので。
そして次回からは第一章「空白の街」編が始まります。