1-12.約束
その夜から、ベルナンドは高い頻度で見張り番を押し付けられていた。しかし、それはベルナンドにとって願ってもないことで、彼はオズワルドからの文句や小言を聞きながらも、何度も彼の前に足を運んだ。
今日は真昼に見張り番を押し付けられた。大地を焼き付ける様な太陽から逃げるようにして、ベルナンドは冷たい鉄格子のある空間に来ていた。いつも通りにオズワルドは胡座で気難しそうに顔を顰めていた。ベルナンドはその顔に向かって手に持った物を投げつけた。オズワルドは無言でそれを掴み取る。
「オメェも物好きな奴だな。」
オズワルドは呆れた様に言いながらも、受け取った干し肉の塊に噛み付いた。拳くらいの大きさはあったが、それはあっという間にオズワルドの胃の中に消えていった。
彼の体からは一向に傷が減っていなかった。それどころか、ベルナンドから見たその姿は、日に日に酷くなっていっていた。
「それで?……昨日は何人殺したんだ?」
まるで天気の話をするみたいに、オズワルドは話した。しかし、そんな軽い口調とは裏腹に、その言葉に込められているのは、ベルナンドの矛盾した行動と、それに対する自覚を問い質す事だった。そしてベルナンドはそれによって、自身の汚点と弱さを暗がりから引っ張り出して、見せつけられる様な心持ちにされた。
「……」
「……」
「……三人だ。」
「へぇ、三人かい。」
思わずベルナンドは目を逸らした。そんな事をすれば余計に心の中で恥が膨らむとは分かっていたが、ベルナンドはそれが本当に恥ずべきことだと思っていたから、それは避けられない動作だった。
「……どんな奴等だったんだ。」
胸を抉って穿り返すかのように、オズワルドはそう言葉を続けた。
「……ッ」
「……」
「一人は……無精髭を生やした男だった。……胸から女物の、その男には似合わないペンダントが見えていた。」
「……」
「もう二人は、二人組は、若い男女だった。……連携が整っていて、苦戦した。……だけど男の方が、木の根に躓いてバランスを崩して、俺はっ、咄嗟にそいつの、首を刎ねたっ……」
「……」
「……多分、兄妹だったんだ、目の色がどっちも黄色で同じだった。……顔も似ていた。」
息が弾んで、ベルナンドは冷や汗を流していた。
「……そうかい。」
オズワルドはただそう返すだけだった。ベルナンドは、まさか知っている奴なのか、などと言うことは勿論出来なかった。ベルナンドの話を聞いて相槌を打つだけのオズワルドが、次は何を言うのか怖くなった。
「……それで……」
「……」
「何でお前は、俺のところに来るんだ?」
オズワルドは核心を突いた質問をした。それはベルナンドの行動の原理で、彼の本質を見つける問いだった。
「……それは……手が届くところにいたからだ。……私はまだ、信じていたいんだ。……私は、皆を守れる資格があると。……いくら人間を手にかけても、まだ手を伸ばせば届くところにいる者を、見て見ぬふりは出来ないっ。……私は、そこまで墜ちてはいないと、自分を信じたい。」
「……分からねぇな。……守りたいなら、それこそこんな事をするべきじゃない。お前には俺よりもっと手を伸ばさなきゃいけねぇ奴等がいるんだろう?……これは、そいつ等を危険にするんじゃないか?」
「……」
「考えがよ、甘過ぎるんじゃねぇか?あれもこれもと手を広げ過ぎると、全部落っことすぞ。」
「……だからと言って、見捨てるっていうのか。」
「俺は助けてなんて、一言も言ってねぇ。これでも俺は覚悟を決めて戦ってきたんだ。死ぬくらい、どうってことねぇ。」
オズワルドは胸を張って見せた。本当に彼は死ぬ覚悟は出来ていた。そして、何故か自分のその命を繋げようとする男を不思議に思い、そしてその男の献身的な行動は妙に居心地が悪かった。
「……私は……助けられたかも知れない奴の死に様は見たくない。」
「……どうしてそうまでして、吸血鬼のお前が人間を助けたがる?」
「……約束をしているんだ。」
「約束?」
「ああ、約束だ。誓いとも言っていい。私の、命よりも大事な約束だ。」
「失礼します。」
扉を開けたベルナンドの目に入ったのは、ベルナンドの主であるセイレア・エルマだった。彼女は椅子に気品高く腰掛け、手には手紙を持っていた。
「よく来てくれましたね。ベルナンド。」
「いえ、それが私の職務ですから。……それで、一体どうされましたか?」
「……ベルナンド、村の皆はいつも通り元気ですか?」
彼女はそう言って話をすり替えた。彼女がこうやって本題を避ける様に話すのは、少なくとも自身には滅多にしない為、ベルナンドは少し違和感を覚えた。
「ええ、勿論……今日も見回りをして来ましたが、変わったところはありませんでしたよ。」
「そうですか。それは良かったです……」
「……セイレア様。本当に、一体どうなされたのですか?少し、顔色が悪い様に見えますが……」
「ベルナンド。……この手紙を見て下さい。」
「はい……」
ベルナンドは受け取った手紙に目を通した。書かれている字は流麗だったが、何か急いでいたのか、文字が崩れている部分が所々にあった。
「!……これはっ……セイレア様、これは、本当の事なのですかっ!」
「ええ……残念ながら、本当の事の様です……ザハルお祖父様が、亡くなられました。」
ベルナンドは本当に自身の耳がおかしくないか、見間違えではないかと、その文章を手紙に穴が開くほど凝視した。しかし、それで分かったのは、そこにははっきりと、ザハル・エルマが死んでしまった事が書かれているという事だけだった。
「そんな……何故……っ!これはっ……一体、どういう……」
手紙を読み進めたベルナンドはその後に続く文に、頭を殴られたかの様な衝撃を受けた。
「……ラインハルト様が……ザハル様を刺した?……」
ラインハルト・エルマ。ザハルの子であり、そしてセイレアの夫だった。
親と子の仲は珍しいほどに良かった筈だった。しかし、遠回しで無駄に長く書かれたその文には、はっきりとその事実が告げられていた。
「そんな馬鹿な!どうしてあの方がっ、そんな事をする必要があるというんだ!……こんなもの……嘘に決まっていますっ!」
「ベルナンド。落ち着きなさい。」
「ッ……申し訳ありません。取り乱しました……」
ベルナンドは手紙を机の上にそっと置いた。このまま持ち続けていれば、うっかり握り潰してしまいそうだったからだ。
「……まだ、この手紙にある事が、全て事実と決まった訳ではありません。……ですが、お祖父様が亡くなられたということは、どうやら本当に事実のようです。」
「そんな、……セイレア様、ザハル様がいなくなり、それに加えてラインハルト様まで罪に問われるとなると……この村はっ……」
「……ベルナンド。頼みがあります。」
「……はい。」
「エドワードと一緒に……やって欲しいことがあります。」
彼女のその瞳には、決意と覚悟の光が宿っていた。
「本当なのか、それは。」
「……残念ながら、本当らしい。」
「あり得るのか?……いや、そんな訳ないっ、あいつ等の陰謀に決まってるっ。」
「……もしそうだとしても、私達にはどうしようもない。現実は私達の知らない内に進んでいた……今はとにかく、セイレア様の指示に従おう。……まずは馬だ。村からも借りよう。それから……エドワード、お前は村の皆に話をしてくれ。混乱が起きない様に、大人達だけに話すんだ。」
「……分かった……ッ!」
フードを深く被ってしまって、その表情はベルナンドからは見えていなかったが、エドワードが納得出来ていないのは、彼には痛いほど分かった。そして村の人々に事実を話すという、気が滅入るほど重大な役目を任せたことを謝った。
エドワードの姿が小さくなっていき見えなくなると、ベルナンドは馬小屋へ行って馬の数や状態を確認した。恐らく足りているだろう。人数はそこまで多くない。
それからベルナンドは屋敷を数時間走り回って様々な準備をした。おおよそ目処はついて、自分も村の方へ行こうかとしたとき、ベルナンドは屋敷に蹄の音が近づいて来るのを感じた。窓から何者かと覗くと、村では見ることのない装飾の多い馬車が目に入った。馬車は真っ直ぐこちらへ向かって来ていた。
「……」
ベルナンドはだんだんと、不吉なことが自分達に訪れることを予感していた。そして、あの馬車はそれを告げる使者だと分かった。
「お久しぶりです。セイレア様。この度は、何と申しますか、ご不幸な事でしたねぇ。」
部屋にのっそりと入って来た男は、開口一番そう言い放った。言葉の上では丁寧に見えたその所作も、男の悪意が乗せられてしまえば、無礼なことこの上なく、相手を不愉快にさせる言動や仕草に変わった。
「ええ、お久しぶりですね。モルアド様。こんな僻地までようこそおいでくださいました。」
「いやいや、それが私の任務ですので。」
「……任務?」
「そうです。親を殺す馬鹿な夫を持った貴方に、現実を通告するという任務です。」
男はにやりと、大きく口の端を吊り上げた。その本性が曝け出された瞬間だった。いや、男は本性を隠していたのではない。言葉遣いや所作はその悪意を着飾る衣服に過ぎなかったのだ。男は最初から、セイレアを貶めるという一心で話していた。
「そして、貴方のに選択の機会を与える為に、こんな僻地に来たのです。」
「……」
男は指を二本立てて話し始めた。
「貴方には、二つの選択肢があります。従うか、抗うか。……従えば、貴方を慕う者達は、新たな人生を歩めるでしょう。ここにも採血所を建てるか、それか移住する事になりますが……少なくとも不幸にはなりません。……しかし貴方が抗うのなら……貴方の罪をその者達にも背負って貰いましょう。」
「……一体、私が……あの人達がっ、どんな罪を侵したというの?」
セイレアは胸に潜む憤りを漏らした。理不尽は理解していたが、納得出来ない心が制御出来なかった。
「ふふ、賢い貴方には、分かっているのでしょう?……貴方がどんな罪を侵したのかという事も……その罪が、法律書に載っていない事も。」
また、男はにやりと笑った。もうその悪意に着飾る物は無かった。ただ膨れ上がった巨体が笑う度に揺れ、その眼光はどこまで相手を見下していた。
「答えは明日、聞きに来ますよ。……是非、いい返事を聞かせて下さいね?ふふっ……」
「……」
セイレアはいくら嘲笑を浴びようとも、無言を貫いた。モルアドはその様子に不愉快だと言わんばかりに、少し笑いが歪んだ。しかしまた元の笑みを張り付かせると、大きな腹を揺らしながら、悠々と部屋を出て行った。
モルアドという男が出ていったのを陰で確認すると、ベルナンドは急いで扉をノックした。ベルナンドは二人の会話を盗み聞きしていたのだ。
返事は弱々しく帰ってきて、ベルナンドは早足で部屋に入った。
「……セイレア様……」
「ベルナンドですか……ごめんなさい、私が役に立たないばかりに、貴方達を守ってやれなくて……」
「そんなっ……そんな事はありません!私達は皆、セイレア様を尊敬しております!」
それはベルナンドの本心だった。この村に彼女を疎ましく思う者なんて一人もいないだろう。彼女と彼女の思想を信じているからこそ、村の皆はここで暮らしているのだ。
「……ありがとうございます。……準備の方は、どうですか?」
「万端です。後は、エドワードが皆を納得させてくれるかどうかですが、あいつならきっと説得出来るでしょう。」
「そうですか……そうですね。」
「……セイレア様は……」
「私は、私の責務を果たさなければなりません。……貴方達だけで逃げなさい。」
「一人で、ここに残るつもりですか。……皆はそんな事納得しませんよ。……きっと自分もここに残る、と、皆が言うでしょう。」
セイレアは首を振った。どうやら、覚悟は決まってしまっているようだった。ベルナンドはそれを悟った。
「……分かりました。」
「……お願いします。皆を、守ってあげて下さい。私からの……お願いです。」
「ッ……ええ……必ずっ。」
彼女は笑って見せた。それが自分を安心させる為だと、守るという命令に奮い立つ為だと、ベルナンドは理解した。そして、その笑顔を自分は守れないのだと悟り、思わず吹き出た感情を主から隠す為に、彼は頭を深々と下げた。




