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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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1-11.守るべき者

 「皮肉なもんだなぁ。」

 ベルナンドの逆鱗を逆撫でる様な声を、そいつは発した。その言葉は嫌味がたっぷりと込められていて、そいつはそれが自分の仕事であるかのように、毎日その言葉を言っていた。

 ベルナンドの片手には血塗れの剣が握られていた。これで今日は人間を二人斬った。昨日も同じ様に人間を殺していた。

 「でも、それがお前達への罰だ。仕方ねぇよな?」

 辺りではまだ怒号が響いていた。ここは戦場だった。人間の国と吸血鬼の国が何世紀も前から続ける、憎しみを憎しみで切り裂き、怒りで怒りを砕き、悲しみが悲しみを呼び込み、それでもなお平和を求めて戦う場所だった。

 そこでベルナンドはただ、目の前に転がる亡骸に目を閉じ、小さく頭を下げることだけしか出来なかった。






 騒がしいが真っ暗な闇の中で、ベルナンドは小さな明かりが窓から漏れる部屋が見えた。まるでその光に誘われる様にベルナンドはふらふらと歩き、そしてその中に入り込んだ。

 「あっ、お帰り!ベルナンドさん!」

 「……ただいま、リゲル。ちゃんと面倒を見ていたか?」

 「勿論だよ!」

 「そうか……今二人は?」

 「そこで寝てる。」

 リゲルの指差した方には、女性に抱き抱えられた赤ん坊が二人いた。すやすやと気持ち良さそうに眠っている。それを見てベルナンドは、一先ずほっと息をついた。

 「いいねぇ、幸せそうだねぇ。」

 その空気を踏み躙る様な声と共に、ベルナンドの肩を誰かが掴んだ。

 「でもなぁ、ベルナンド。お前の行動一つで、それは簡単に崩れる。……分かってるよな?」

 ベルナンドは無言でその手を払った。構うだけ無駄だと分かっているのだ。

 「おいおい、俺は親切で言ってやってるんだぜ?お前達が侵した罪の重さと、その償い方をさ。元はと言えば、お前達が悪いんだぜ?吸血鬼の国で人間を愛でたいなら、せめてこそこそやってればいいものを、堂々とやっちまうんだからなぁ?……そりゃ村を焼かれても仕方ねぇよな?」

 「……」

 「そんな顔するなよ。俺だって好きで言った訳じゃねぇんだ。そういう命令をされてるんだよ。……いいか?お前がこの戦場で一日一人人間を殺さなければ、ここにいる奴等を殺す。」

 「……ハリス、ここには子供もいるんだ。口を慎め。」

 何の躊躇も無い言葉に、ベルナンドはうっかり口を滑らした。それを待ってましたと言わんばかりに、男は顔を歪ませる様にして笑い、言葉を続けた。

 「ああでも、今日は二人殺したよな。別に得点は明日に持ち越し出来ねぇのによ?……お前もとうとう、人間を殺すのが楽しくなってきたのか?」

 「……ッ!」

 「あはは、そう睨むなよ。分かってるって。そりゃ、殺されそうになったら、殺すしかねぇもんなぁ。仕方ねぇよ。……でも、それが最初から分からなかったのがお前達の罪なんだ。」

 ベルナンドは歯軋りをして、吹き出しそうになる感情を必死に抑えていた。

 「おいおい、握り拳をつくるなよ。怖いじゃねぇか。殴ったらどうなるか、分かってるだろ?知らねぇ訳ないよな?暴力沙汰は打首だ。そうなったらお前のその役目を負うのはそこの奴等になる。……それは嫌だよな?」

 ハリスは態とらしい動作で、狭い部屋を見渡して見せた。そこには押し込む様に十数人の吸血鬼と人間がおり、その中でも子供は三人、赤ん坊が二人、男が一人いた。男は最初五人いたが、今ではベルナンドも合わせて二人だけだった。

 「……」

 「……お前は人間を殺し続ければいいのさ。それでこいつ等が、吸血鬼も人間も纏めて助かる。見ず知らずの殺しに来る人間達を殺すだけ。それだけでいいんだ、簡単だろ?」

 「……」

 ベルナンドは一言も言葉を発さなかった。ずっと下唇を噛み締めて、ただ握り拳を震わせていた。

 「……ふんっ、まぁいいや。俺が態々ここに来たのはそんなつまらない事を話に来たんじゃないんだ。俺はよ、今日は牢屋の見張り番なんだけどよ、急用が出来ちまってよ。お前、代わりにやってくんねぇかな?」

 ベルナンドの肩に長細い指が置かれる。それにベルナンドは百足が這って来るのを想像した。そしていちいち行動が気味悪く、厭らしい男だと思った。

 「頼むぜ?もしすっぽかしたりなんかしたら、どうなるか分かるよな?……そういう訳だから、よろしく頼むぜ。」

 ハリスはそう言い残すと、闇の中へ紛れていった。しかし、それでもこの空間にはその粘つく様な不快感が漂い、ベルナンドは行き場の無い感情を、拳と共に何度も太腿に打ち付けた。

 「ベルナンドさん……」

 「……すまない、言って来るよ。」

 「……うん。行ってらっしゃい……」

 命令には従うしかなかった。ベルナンドは今この場にいる者達を守らなければならない義務があった。





 牢屋の見張り番をしていた者に話をすると、ただ頷いてどこかへ行ってしまった。他に人の気配は無い。見張り番はベルナンド一人しかいないようだった。

 ベルナンドは少しの間、前任者が立っていた場所にずっといた。しかしその静けさに耐えかねて、ふと牢屋にいる者は誰なのだろうと、奥の方へと行ってみることにした。

 きっと特に重要ではない人物がいるのだろうと、ベルナンドは思っていた。それに人間なのだろうとも思っていた。この暗がりでは人間には何も見えないから、見張りが雑なんだろうと予想していた。

 果たして真っ暗闇の中で、鉄格子の奥に見えたのは大きな男だった。縦ではなくて横に大きい。それは太っているという訳ではなくて、腕や足の筋肉がまるで丸太の様に太かったのだ。

 それに加えて男は体中に包帯を巻いていた。全身が傷だらけの様だった。しかし男は体を横にしないで、壁を背にして不敵に胡座をかいて腕を組んでいた。その眼光ははっきりとベルナンドの方に向けられていて、暗闇の中でも確実に捉えていた。

 「……お前、何こっちをじろじろ見てんだ。俺は見世物じゃねぇぞ!」

 突然、その大男が唸る様な叫び声を上げた。容姿に見合う獣の様な声だ。

 「すまない、見えているとは思わなかったんだ。私はベルナンドだ。君の名前は何と言うんだ?」

 「吸血鬼に語る名前なんて無い!さっさとどっかに行きやがれっ。」

 男はまるで聞く耳を持たなかった。相当吸血鬼を目の敵にしているらしい。しかし、それは当然の事だとベルナンドは頷くしかなかった。

 この男はきっと戦士なのだろう。何人もの仲間を吸血鬼に殺された筈だ。もしかしたら、その内の何人かは自分が殺したのかも知れない。そう思うと、その言葉に対する反論など、ベルナンドに思いつける筈がなかった。

 しかしそれでも、いや、それだからこそ、ベルナンドはこの男と話をしてみたいと思った。ベルナンドは求めていたのだ。何か言葉を欲していた。救いでなくても良かった。ただ今の自分を見定める何かが欲しかった。

 ベルナンドは今日、たった今出会った男に、暴言でも怒りでも、自分を何でもいいから、地に足をつけて欲しかった。

 それ程ベルナンドは浮き足立っていたのだ。自分の今まで守ってきた自負や誇りがあやふやになっていた。人間を誰よりも守っていた筈の自分が今、誰よりも人間を殺さなければいけないこの状況に、苦しみ、揺らいでいたのだ。

 「私は……いや、……君から見て、私はどう見える?……やっぱり、悪魔みたいに見えるのか?」

 「……何言ってるんだ?お前?」

 男は何やら目の前の吸血鬼が、他の吸血鬼とは違う、いや、何かおかしいことに気がついた。いつもふらふらとこちらを馬鹿にした目で見る奴らとは違って、目の前のこいつは、暗闇で輪郭しか見えない男にとっても、揺れて見えていた。とても弱々しく見えた。

 「……お前は、他の奴と違って、弱っちく見えるな。何だったら、お前が見張り番なら簡単に逃げ出せそうだぜ?」

 「……そうか、私は、弱く見えるのか……そうか……」

 ベルナンドは体の力が抜けて、地面に座り込んでしまった。そして男の言葉と、遠い記憶とを何度も頭の中で反芻して、苦々しく笑った。

 「何だ?お前。本当に見張り番か?頭のおかしい奴が紛れ込んだんじゃ無いだろうな?」

 「……ははっ、いやすまない。……ありがとう。」

 ベルナンドは立ち上がった。元の場所に戻ろうとしたのだ。もし見張りを真面目にやっていないのがバレてしまったら、どうなるか分からない。

 「はぁ?本当に訳が分からない奴だな。何で俺が礼を言われなきゃならねぇんだ?」

 しかし、既のところで、ベルナンドはまた男の方を向いた。

 「……もう一つ、質問してもいいか?」

 「何だ?」

 男は投げやりに答えた。もしまた変な質問が来たら、無視をしてやろうと思っていた。

 「君はもし、無害で無罪の吸血鬼がいたとして……つまり、人間を殺さないし……血も吸わない吸血鬼がいたとしたら、そいつをどう思う?」

 自分の唐突で意味が分からない質問にも律儀に答えてくれる男なら、自分が今までずっと抱えていた疑問に、一つの答えを示してくれるかも知れないと、ベルナンドは思いついたのだ。

 「……オメェが何を言いてぇのかわからねぇが、何か勘違いしてるみてぇだから言ってやる。俺達は、お前等に殺されないように、お前達を殺しているんだ。……その無害な吸血鬼っていうのは、これからも人間を殺さないっていう保証はあるのか?」

 「……いや、無いな。……絶対なんて、ありえない。……分かっている。そんな事……事実は消えない。……消せないっ。」

 それは自身が身を持って証明していた。昔は少しの疑いもせずに信じていた真理は、今となってはガラクタになって、ベルナンドの胸をチクチクと圧迫していた。もうそれには価値など一つも見出だせなかった。

 「もう、あの頃へは戻れない。」

 「……」

 「……すまない。変な質問だったな。」

 ベルナンドは力の入らない体に鞭を打って歩き出した。

 確かに、これで男から何を得ることが出来た。しかしそれはベルナンドにとって止めの一撃だった。今のベルナンドはとうとう光を失い、地面に膝をついていた。

 結局のところ、心の表面で何を思っていても、ベルナンドは救いを求めていたのだ。今の人間を殺し続ける自分を許せる様な言葉を求めていたのだ。

 「……おい、ちょっと待て。」

 男の声が何故か耳に届いて、咄嗟にベルナンドは足を止めた。

 「……さっき、俺は殺されない為に殺していると言ったがよ。俺が戦うのには、もう一つ理由があるんだ。」

 「……それは、何なんだ?」

 ゆっくりと振り向いて、ベルナンドは耳を傾けた。

 「それはな、守る為だ。」

 「……!」

 「だけどな、その守るっていうのは、仲間だとか、故郷だとか、そういうものだけじゃねぇんだ。それよりも、絶対に守らなきゃならないものが、一つある。」

 「じゃあ……他に何を、守るって言うんだ?」

 分からない。ベルナンドにとって、それ以外の守るものというのは想像すら出来なかった。

 「……腹が立つがよ、そういうものは、どう頑張っても、守れねぇんだ。お前達は理不尽だからな。あっという間に、ほんの少し目を離した隙に、奪っていっちまう。」

 「……」

 「だからよ、俺が守るのは、己の信条ってやつなんだ。……自分の胸にあるのは、絶対に奪われない。もし無くなるって言うんなら、それは自分が弱いからなんだ。……これだけが、自分だけで守れる物なんだよ。……自分だけが守れる物なんだ。」

 「何故……」

 「俺は誤解されたくねぇんだ。……俺とお前は違う。俺はお前みたいに弱くねぇ。」

 「……!」

 目の前にいる男は、牢に入れられたとしても、身体中が傷だらけでいても、それを失ってはいなかった。その男の目には、暗闇でも――暗闇だからこそ――爛々と光っているものがあった。

 ベルナンドは、自分と男との違いを痛感した。男は知らずの内に、ベルナンドの折れかけていた約束という旗をもう一度掲げさせた。ベルナンドは、約束を、そして自身が信じるものを思い出した。

 「……お前の……名前は何て言うんだ?」

 「……オズワルドだ。よーく覚えとけ。吸血鬼。」

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