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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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2-外伝.始まりの英雄譚

 ぼうっとしていたら、いつの間にか小舟はかなり遠くへ行ってしまっていた。何かやり残したことがあった様な気がしたが、それが何なのか、頭の中ではっきり言葉に出来なかった。

 夕焼けに小舟は呑まれて消えて、そんな考えも手遅れになったと気づいてから、俺はそれが悲しむということだと理解出来た。今から悲しもうとしても、葬式は今まさに終わってしまっていて、感情を吐露する機会を逃した俺は、今になって口から出ようとする言葉を仕様がなく飲み込んだ。

 「……本当に、残念だったよ。……だけどな、ローガン。死んじまった奴は戻らねぇ。お前の両親は、いなくなった。」

 「……分かってるよ、そんな事。……もう何度も体験してることだからな。」

 口から勝手に飛び出た言葉とは裏腹に、俺の胸は直接抑えつけていられない程に感情が渦巻いていた。初めて人を殺した時も、初めて仲間が目の前で死んだ時も、こんな風にはならなかった。そんな時は今ある感情よりも単純明快な感情で、怒りや悲しみや妬みや、時折何も感じなかったりした。

 あの二人が死ぬとは思わなかった。俺は自分の親という色眼鏡を外しても、あの二人は世界で一番強いと思っていた。あの二人が負けるところが想像出来なかった。

 勿論あの二人は人間なのだから、いつかは寿命で死ぬことになったのだろうが、まさか殺されるとは思わなかった。せめて早死にするとしたら病気か何かでしか死なないだろうと思っていた。

 しかし二人は死んだ。何も特別なことは無く、調子が悪かったのでもなかった。ただ普通に囲まれて死んだ。

 「ローガン。これを受け取れ。」

 「これは……」

 俺はヘイゲルから一本の剣を受け取った。鞘から中身を少し引き抜いて見ると、そこには銀に光る刃があった。

 「お前の父親の形見だ。本当はまだ若いお前くらいの奴には勿体無いくらいの、刃の全てに聖銀が使われている代物だが、お前になら使いこなせるだろうさ。」

 「……」

 「本当に珍しいんだぜ?俺のだって、鍍金(めっき)なんだからな。」

 奇妙な心地だった。これはまだ父親の物だという認識が抜けないでいる。しかしこれはもう自分の物なのだ。これをいつも携えていた男は、先ほど河に流されてしまった。

 俺は剣の鞘を、前の持ち主がやっていた様に腰に掛けた。

 「ああ、やっぱりおめぇは親父に似てるよ。そっくりだ。」

 「……あんまり嬉しくないな。死に方まで似そうだ。」

 「おいおい、滅多なこと言うんじゃねぇよ。……まったく、お前には思いやりと優しさが足りねぇって、いっつも親父に言われてただろうが?」

 ヘイゲルは呆れた様にそう言ってから、俺の脇腹を小突いた。力加減が下手くそなせいで、脇腹に結構な痛みが長い間留まっていたが、それに俺は何か文句を言うことは無かった。

 その代わり、俺はこの脇腹の痛みで腰にある慣れない重みを紛らすことにした。

 親父の口癖だった。死んでしまった奴のことは、一回弔ってしまったら忘れてしまえ。そうでなくては悲しんでいる内にもう一人死んで、結局涙で何も見えなくなる。

 「……帰るか。」

 「ああ。」

 ヘイゲルは川岸の緩やかな階段を登り始めた。その背中が夕日に照らされて、俺はヘイゲルの背筋が曲がっていることに気がついた。それから俺は、それが項垂れているのだと分かって、もう一度だけ、海へ流されていく小舟を見つけようとした。

 しかしそこには夕日があるだけで、もう小舟は見つからない。無意識の内に俺は、左手にある剣の柄を握っていた。

 「……ん?」

 その時だった。ヘイゲルが突然辺りを見渡し始めて、何かを探している様な仕草だった。

 「聞こえねぇか?ローガン。」

 「ん?いや……っ!」

 耳に微かに届いたその声は、何度も前線にて聞いたことのある声だった。

 「悲鳴だ……」

 それも生半可なものではない。何か数十人が恐怖してつくられる悲鳴の重ねられ方だ。

 「行くぞ、ローガン。ここは前線じゃねぇが、悲鳴を聞かぬふりする戦士はいねぇだろ。」

 「ああ。」

 俺とヘイゲルは階段を駆け上り、そして悲鳴の方へと馬を全力疾走させた。





 それが見えてきた時には、何の冗談かと思った。幻覚だろうと思いたかった。夢だとも思った。しかし、いくら目を擦っても目は覚めないし、幻覚が消える訳でもなかった。その存在は確かにそこにいた。

 「何だ?ありゃ……」

 ヘイゲルが一足先にその言葉を言っていなければ、おそらくそれは俺が言っていただろう。何せそこにいたのは吸血鬼だとか人喰いだとか、そういう小さな存在ではなかった。いや、多分あの怪物は人喰いの成れの果てなのだろうと、頭では分かっているのだが、しかしそれにしても異常な大きさだった。

 連なる家の屋根に、その巨体は道路を逃げ惑う人間を見下ろしていた。そして自分と反対の方向に逃げる人間達を屋根を伝って追い掛けながら、少しでも逃げ遅れる者がいると、まるで猫の様にその腕を伸ばし捉え、そして一口で食らった。

 その様子は獲物を狩っているというより、弄んでいる様に俺からは見えた。見ているだけで腹の底から怒りが湧いてくる様な、そんな光景だった。

 「おい、ローガン!こっちに騎士達が来るぞ!多分、あいつを追ってるんだ。」

 あの怪物と反対に目を向けると、確かに馬を駆けて来る数名の騎士の姿が見えた。

 「君達っ、危険だ!早く避難しなさい!」

 「待ってくれよ。俺達は灰ネズミだ。戦えるさ。……それよりも、あいつは一体何なんだ?」

 「ああ、あいつは悪魔だ。人喰いの、悪魔なんだ!」

 「悪魔?何だ?その言い方は。まるで中に誰もいないみたいな……」

 その騎士の言葉に、俺は違和感を覚えた。

 「いないんだ!ランベル教の奴らの実験によって、中の人喰いが引き離されているんだっ!」

 「ああ?なんだそりゃ?」

 ヘイゲルは口をへの字に曲げて、その言葉をすぐに信じようとはしなかった。

 「ともかくっ、手伝ってくれるなら手伝ってくれ!今私達はあの悪魔を討伐するように命令されている!その為にまず、あいつを屋根の上から引き降ろさなければならないっ。」

 「それで?どんな作戦であいつを降ろすんだ?」

 「あいつの注意を私達に向けさせ、自ら降りてもらう。その後は囲んで応援の部隊と共に倒す。」

 「随分と大雑把じゃねぇか?いや、即席なら十分か。それで?誰があいつの気を引く?」

 「俺が行こう。」

 その言葉は考える余地もなく、咄嗟に口から飛び出ていた。そして言ったことに気がついても、心持ちは変わらなかった。

 「……分かった。君に任せよう。名前は?」

 「ローガン。ローガン・グレイランだ。」

 「うむ、ローガン。気をつけろ。あいつには聖銀だろうと、生半可な攻撃ではかすり傷すらつかない。ついたとしてもすぐに再生する。まるで王の血を引いた吸血鬼の様なものなんだ。」

 「……それなら、問題無い。その為の武器はここにある。」

 俺は馬を全速力で走らせた。目標の悪魔は未だに逃げる人々を追っている。

 「おい!ローガン。どうしたんだ?お前が自ら囮になるなんて、珍しいじゃねぇか。」

 後から追ってきたヘイゲルは、心底不思議そうな顔をしていた。

 「そうだな……自分でも何でなのか分からない。」

 それだけ言って俺は視線を前に戻した。その先にはあの物語に登場する様な黒い竜の形をした悪魔がいて、俺は胸の内にまた炎が燃え盛るのを感じた。

 いつもならどんな時だろうと、冷静さを失ったことは無いと自負していた自分だったが、今この時だけは確実に冷静ではないと言い切ることが出来た。俺の今の頭の中では、あの悪魔をもう二度と動けなくしてやることのみが、全てを支配していた。

 ともかく今日だけは、あの理不尽を許してやるなんてことは絶対に出来なかった。

 「……必ず殺す。」

 自分の行動を改めて決定する為に、俺はそう呟いた。





 黒い悪魔の真下に辿り着いて見上げると、悪魔は想像以上に巨大な体を持っていた。屋根に乗っていられるのが不思議なくらいだ。

 しかし今は少し先で逃げる人々に夢中らしく、俺達には気がついていない。目は爛々と先を見つめていて、注意を引くには大声で挑発する程度では駄目で、少し強い刺激を与えなければならない様だ。

 俺は揺れる馬の上で、腰に隠したナイフを一つ取り出した。銀色のそれが体に刺されば、いくらあの巨体でも注意を引くことくらいならば出来るだろう。

 ナイフを振りかぶり、じっと狙いを定める。幸運なことにあの悪魔はバランス神経が良いらしく、体は奇妙なくらいブレなかった。

 「……フッ!」

 俺は最大限の力で、悪魔に向かってナイフを投げた。軌跡は真っ直ぐに悪魔の目玉に飛んで行き、眼球を刺し潰した。

 巨大な金属を擦り合わせた様な叫び声が俺達の真上から響き、そしてもう一つの眼光がはっきりと俺の方を向いた。もうそこには獲物をいたぶる様な雰囲気は消え去って、悪魔から発せられる殺意の波動が肌を震わせた。

 「完璧に釣れたな。」

 馬を小さな小道に逸れさせ、悪魔を俺達が有利な場所へと誘導する。有り難い事に、悪魔は怒りに身を任せて真っ直ぐこちらを追っている。この調子なら、追い付かれさえしなければ作戦は上手くいくだろう。

 俺はちらりと追いかける悪魔の後ろを確認する。騎士達が悪魔の後を追うように馬を走らせている。その数は先程より増えていて、おそらく時間を掛ければ、これよりももっと数は揃えられるだろう。

 「おい、ローガン!あいつの気を引けたのはいいが、一体どこに誘導するつもりだ?屋根を降りてまで追いかける様な平地は、この近くには無いぞ?」

 「大丈夫だ。場所の検討はついている。」

 「本当か?それだったらいいんだが……その場所に着く前にあいつに追いつかれたりはしねぇか?どんどん近寄って来てるぞ!」

 「もし飛びついて来る様なら、もう一つの目にもこのナイフを突き刺してやるさ。……いや、俺達を見失われるのは困るから、口の中にしておいてやるか?」

 俺は間近まで迫って来た悪魔を見ながら、二つ目のナイフを取り出す。しかしナイフを見せた瞬間、悪魔は乗り出した身を引き、唸ってこちらを警戒してきた。

 「何だぁ?飛びかかって来ねぇな?投げナイフを怖がってるのか?」

 「……思ったよりも賢いな。だがそのお蔭で目的地まで誘導出来る。……もうすぐだ!」

 「もうすぐって……ローガン!この先は……」

 建物と建物の間をすり抜け、俺とヘイゲルは目的の場所に出た。追う悪魔はそのことに気づかずに、遂に建物から、この聖道に降り立った。

 そして怒涛の勢いで悪魔は俺達をまた追いかけ始めた。平地だからか、屋根に居た時よりも速度が速い様に感じる。

 「おい、ローガン。とんでもねぇ事を考えつくもんだなぁ?もし今が夕暮れで、こっち側の馬車が少なくなかったら大惨事だぞ?」

 「騎士団だって、こう考えただろうさ。この辺りに平地なんてここしか無いからな。……さて、ようやく同じ土俵に立ってくれたんだ。行くぞ!ヘイゲル!」

 「おうよ!……ヘマするんじゃねぇぞ。ローガン!」

 俺達は馬を反転させ、そして追ってくる悪魔の方へ突進する。既に手には聖銀の剣があって、悪魔の方へとその切っ先は向けられている。

 急に反撃に移った俺達を悪魔がどう思ったのかは分からないが、最終的には殺すことに変わりはないと気がついたようだ。

 悪魔の駆ける脚には想像を絶する力が込められていて、一歩ごとに石畳の地面は(ひび)割れていた。

 感覚を研ぎ澄ませ、俺はただ目の前の黒い悪魔に集中する。距離はどんどん縮まっていった。そしてぶつかる直前、そいつはその人の胴体程も幅のある豪腕を持ち上げた。そして猫の様にしなやかに、俺と馬を纏めて吹き飛ばす為にそれを振るう。

 「……ッ!」

 一つ一つが自分の持っている剣くらい巨大な爪が真下を通り過ぎる。後ろの方で肉が潰れて骨が砕けた音がした。しかしこの瞬間、目の前には悪魔が伸ばし切った前脚があった。俺は踏ん張ることが出来ない空中で、何としてもこの悪魔を切り裂く為に、体を限界まで捻って力を溜めた。

 「ふんッ……!」

 手のひらに確かな感触を感じると同時に、俺は地面を転がった。かなり危なかったが、しかし前脚の片方を切り裂いてやった。そういう確信が頭を満たした。

 「ローガン!無事か?」

 後ろから馬の足音と共にヘイゲルの声が聞こえた。どうやら直前で回避していたらしい。

 「ああ、大丈夫だ。怪我は無い。馬はやられたけどな。」

 目をそちらに向ければ、馬は原型を留めていなかった。そしてそれをやった元凶は、潰されていない右目でこちらを威嚇している。しかしその右脚は対価に見合った成果だ。殆ど取れかかっている。

 「これで機動力は削いだな。」

 そしてそんな悪魔に追い打ちをかける様に、周りには蹄の音が囲んだ。悪魔の前にも後ろにも応援に駆けつけた騎士がいて、その剣を黒い竜に向けていた。

 「流石街の騎士様だ。……ああいや、憲兵もいるか?街の構造をよく分かってるんだな。」

 「こりゃ完全に囲んだな。まぁ作戦通りか?」

 「ああ、だがまだ終わっていない。前脚一本失っても、すぐに諦める様な奴じゃないだろうしな。」

 それは悪魔の行動からすぐに分かる。現にあいつは取れかかった脚を自らちぎり落とし、身軽になっていつでも動けるように構えていた。

 「……ローガン。お前の囮っていう役目は終わったんだ。もう休んで良いんだぞ?」

 「何言ってるんだ。ああいうのを殺すのが、俺の役目だ。」

 俺は立ち上がって服に付いた埃を払った。手に持った剣を見てみると、悪魔の血で真っ赤に染まっていた。どうやらこの剣なら、あの悪魔はちゃんと切り裂くことが出来るらしい。

 「それに、どうやらあっちは逃してくれそうにないからな。」

 片脚が無いというのに、悪魔は結構な速さでこちらに向かって来ている。騎士の数人が馬上から切り掛かっているが、歯牙にもかけられていない。

 「……さっさとあいつの頭をかち割ってやりたいが、高さが足りないな……ともかく、脚を潰そう。協力してくれ、ヘイゲル。」

 「……仕様がねぇな。分かった、やってやる。俺は何をすればいい?」

 「なんとかあいつの気を引いてくれ。その隙に俺があいつに近づいて、今度は後ろ脚を切り裂く!」

 「分かった。囮役の交代だな?やってやるよ。……全く、親子揃って人使いが荒い奴等だなぁ!」

 そう言ってヘイゲルは真っ直ぐに悪魔へと馬を走らせた。俺もまた悪魔へと距離を詰める。馬を失ってしまっていて、自分の足で走るしかなかったが、文句は言っていられない。

 悪魔は自分に突っ込んで来る馬を怖がっているのか、意外な程、ヘイゲルに意識を割いているようだった。やはりあの悪魔は前線で見たことがある暴走する人喰いとは、本質が異なっている様だ。自分の脅威となるものへの警戒心が凄まじい。何か生きるという意思を感じた。

 そして同時に、あの悪魔は自分を傷付けた者を絶対に許さないという執念深い性格も持っているらしい。そうでなければ、自分の片脚を切り裂いた男に負傷している状態で向かって来る筈がない。

 しかし今は警戒心の方が強いのか、ヘイゲルの囮は上手くいっている様だ。悪魔は今俺に背中を向けてヘイゲルや騎士達の相手をしている。

 俺は駆ける足を速めた。次に悪魔がヘイゲル達に攻撃した瞬間を狙っていた。悪魔の取れた片脚は再生され始めていた。急がなければならない。

 悪魔は残っている前脚を振り上げた。それを確認すると、俺は右の後ろ脚へ最短距離で走った。そして悪魔の前脚が振るわれようとして――

 その爪は軌道は俺に方向を変えた。

 それはまるで石柱を投げつけられた様な感覚だった。反射的に剣で身を守れたのが奇跡だった。しかしそれ程度で悪魔の攻撃は防げる筈もなかった。俺の体は宙を浮き、弓から放たれる矢の様に吹き飛んだ。

 まるで世界が前方へ走り出した様な光景だった。自分だけが何者かに後ろに引き摺られる様だった。

 そして宙を浮いた後は、落ちるのが世界の常識だ。ガラスが割れる音と共に、俺は背中から激突して、そして世界の光景は元通りになった。

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