3-11.届かない
「ベルナンドさん……」
「ん?ああ、お前達にはちと刺激が強過ぎたか?」
「いえ、それは……」
「ルーク様、お怪我はありませんか?」
アーロンが駆け足で僕の元へ寄って来る。それで緊張の糸が切れたのか、蹴られた腹がまた痛み出した。
「だ、大丈夫だよ、いてて……」
「痩せ我慢してはいけません。すぐに戻ってモートンに診てもらいましょう。……ソフィア様、それは戻せますか?」
僕等の目線はソフィアの変形した腕に寄せられた。人喰いの男を吹き飛ばした悪魔の腕は未だに元に戻ることなく、ソフィアの腕を覆っている。
「大丈夫だよ。このくらい平気。」
言いながらソフィアは深呼吸を始めた。ひと呼吸する毎に白い鱗で覆われた腕は細くなっていき、そしてソフィアの腕は元通りになった。
「アーロン。結局、この人喰い達は何なのですか?さっき何か言っていましたが……」
「この男達は、いわば刺客ですよ。アデルとリティアを狙ってこの街に入って来た外の者達です。」
「アーロンっ、ソフィアの前でその名前を言ってしまって大丈夫ですか?」
「いえ、その秘密はもう秘密ではなくなりましたから。構わないんですよ。」
「秘密?一体何のこと?」
ソフィアはまるで話が理解出来ずに、僕に向かって首を傾げた。けれど質問をしたいのは僕の方だった。秘密が秘密ではなくなったとは、一体どういうことなのだろうか。
「話せば長くなります。ともかく帰りましょう。……ベルナンド。後を任せていいですか?」
「構わんよ。片付けはこっちでしておく。」
アーロンとベルナンドさんとの掛け合いは手慣れていて、言葉短に交わされた。それはきっと二人はこのような事を何度もやってきたのだろうと思わせる光景で、僕はこのベルナンドさんという人物が何者なのか気になった。
アーロンから無理矢理モートンに診察させられた後、僕はソフィアと共に自分達の部屋の椅子に座って、アーロンを待ちぼうけていた。アーロンは少し待っていてくれと言ったまま、長い間部屋に戻って来なかった。
アーロンは僕達の事を忘れているんじゃないかとソフィアと話し始めていると、ようやく扉がノックされる音と共にアーロンが入って来た。よく見ると後ろに爺様までいた。
「爺様?なぜここに?」
「私から話した方が分かりやすいと思いましてね。」
爺様は椅子に座って僕達を見た。その瞳にはどこか隠し切れない様な喜びがあって、僕はそれを不思議に思った。
「いやいや、驚きましたよ。ルークもそんなことをするぐらいに成長したのですね。」
爺様は頷きながら微笑んでいたが、僕にはその理由が全く分からなかった。僕は部屋に入って来た爺様を見た瞬間に、危険な事に迂闊に首を突っ込んで危ない目に遭うどころか、ソフィアまで危険に晒したことで怒鳴られるだろうなと思っていたからだ。
「爺様、怒らないのですか?」
「怒る?なぜ怒るんです?」
「だって、僕はアーロン達の仕事の邪魔をして、それにソフィアまで僕の好奇心に巻き込んでしまったから……」
「そんな事ですか。良いのですよ、二人共無事だったのですから。」
「でもっ……」
「私はなんともないよ、ルーク。寧ろすごくドキドキしたよ?まさか私が物語のヒロインみたいに悪者に人質に取られるなんて。まぁ、私は少しヒロインっぽくなかったけどね。」
先程あった自分の危機を、ソフィアはまるで劇でも見てきたかの様に話した。
「ソフィア、そんな気楽に喋る様な出来事じゃないよ。ナイフを首に突き付けられたんだよ?僕は今だって、もしかしたらって考えて肝を冷やしているっていうのに。」
「ルークは大げさなんだよ。どっちも無事だったんだからいいでしょっ。」
ソフィアは危機感が足りていない気がする。命の危機にあったのはソフィアの方なのに、何でこうも軽く考えられるんだろう。
「そういえば、結局あの悪者は誰だったの?」
「あの者はこの街の外の人喰いです。私達が保護していた別の人喰いを追って街に侵入したのです。」
「へぇ、外の……」
「爺様。早く説明してくれませんか?僕、気になって仕方がないんです。」
僕はいても立ってもいられなかった。アーロンが言っていた『秘密が秘密ではなくなった』とはどういうことなのか、僕は嫌な予感がしてならなかった。
「良いのですか?クライン様。ソフィア様にも話してしまって。」
「良いのです。この二人は遅かれ早かれ知ることになるのです。今日は丁度良い日でしょう。」
爺様の口調は婆様のものと似ていた。僕達が知らないことを爺様達は多く知っている。その事実が僕達にとって、決して都合の良いものではないことは、僕は婆様からよく理解させられていた。
僕はせめてどんな真実を話されようと、動揺して取り乱さないように心で身構えた。
「そうですね……まず最初に言っておくと、私達が騎士団や憲兵団に内密で人喰いを殺したり保護したりすることは、別に今回が始めてという訳ではありません。私達は昔から、ある目的の為にこの行為を続けてきました――
けれど僕のその気構えは、ある意味で全くの無駄になってしまうのだった。
冷やかな石の壁が部屋にいる四人を見下ろすかの様に四方に鎮座していた。その四人とはクライン、モートン、アデル、リティアの四名である。しかし彼等のいる場所はメルガス神殿の地下という訳ではなかった。彼等がいる場所はランベル教の総本山、ヤーマハル神殿だった。
これは決してリオル派閥の過激派によって、彼等が拉致されてきたのではない。彼等の意思でもって、彼等はこの場所を訪れたのである。
「ありがとうございます。ここまで協力して頂けて、本当に助かっていますよ。」
クラインは頭を下げてアデルとリティアに御礼を述べた。
「別にいいよ。どうせ他に選択肢なんて無いんだからさ。」
クラインの感謝の気持ちとは反対で、アデルは特に何の感情も乗っていない言葉を吐いた。しかしその軽口が逆にアデルの心情を深々と表している様にクラインは感じた。アデルは生きようとする態度が日に日に欠如していた。それはまるで生きることの全てを諦めてしまっている様だった。
「まぁ、我が儘を言えば、あのまま、あそこにずっと隠れさせてもらえたなら一番良かったんだけどね。」
だからこんな冗談を言うような口調も、クラインにとってはアデルが本心を叫んでいる様にしか聞こえなかった。それはクラインの望みも混じっているだろうが、的外れでもなかった。
「申し訳ありません。貴方達を預かるときに契約をしているのです。貴方達の秘密を解明できたのなら、必ずそれを表に出す、とね。」
「あの……ライノス、って人だっけ?」
「ええ、そうです。もし約束を守らなかったら、無理矢理表に叩き出されるでしょう。そうなったらもっと貴方達を助けることが出来る可能性が減ってしまいます。……申し訳ありません。」
「……気にする必要は無いよ。私達はそれで当然の事をしてまで生きてきたんだから、年貢の収め時ってやつだよ。」
「そんなことを言わないで下さい。私達はそんなことにならない為に今日まで準備をしてきたんですから。」
「でも、可能性は低いんだろう?」
「それは……」
「なら、準備をしておいたって良いじゃないか。」
アデルはクラインの想像通り諦めていた。生きるのに闘志を燃やせなかった。故郷で異端として扱われ、逃げた先で生きるのが罪だと言わんばかりの視線を浴びて、寧ろ今までよく生きてこられたものだと自分達を称賛すらしていた。
リティアはそんなアデルの肩に頭を預けて、まるで眠っている様に喋らなかった。アデルより幼いリティアは疲れ果てていて、自分の全てをアデルに任せているのだった。
「クライン様、時間です。」
「分かりました。……それでは行きましょうか。」
「ああ……ほら、リティア行くぞ。」
アデルが座りっぱなしのリティアの手を引いた。四人の先には大きな扉がゆっくりと口を開けていた。
そこは無数の視線が容赦無く異端者達を貫く、糾弾の場所だった。しかしクラインはその精神を抉り取る様な視線達をものともせずに、半円状の講堂の真ん中に立った。
見渡すとそこにはやんごとなき人々の顔が見えた。クラインと同じ司教の地位にあるワーグナー・ネイメルクや騎士団団長に憲兵団団長、更にこの国の王であるアルベルト・オルトラム・エイドスも確認することが出来る。
「全く、こんなことになるならお前の頼みなんて聞くんじゃなかったよ。」
「すまないな、ローガン。事実を明らかにするにはこれが最善だったんだ。」
「一体この真実で何が出来るって言うんだ?またこいつ等の仲が悪くなるだけだろう。」
「それでも、目の前にいる人喰いの少女達がいつも通りに、ただ殺されるよりは、良い結果になると私は思う。」
クラインの地獄耳にこんな会話が聞こえてきた。実際にクラインが発表しようとしていることは、このランベル教に必ず波紋を呼び起こす事実だった。
クラインは一つ深呼吸をして気持ちの昂ぶりを落ち着ける。そして静かに右手を肩の高さまで挙げた。ざわつきはそれを合図に消えていき、やがて聞こえるのは自分の呼吸音だけになった。
「さて、皆様お集まり下さり本当にありがとうございます。……それでは、私達の人喰いに関する発表を始めさせて頂きます。」
クラインはモートンに目をやって合図する。それを受け取ったモートンはクラインの後ろにある黒板に大きな表を貼り付ける。
「私達は一月程前、騎士団が保護したこの二人の人喰いを、特別に預かりました。」
クラインの手が示す方には、椅子に縮こまる様に座ったアデルとリティアがいた。二人の手には頑丈そうな手錠があって、暴れられないようにしてあった。
二人はクラインが浴びるよりも鋭い敵意と憎悪の感情を、たった今も感じていた。
「この二人には特別な特性があるということが分かったからです。その特性というのが、簡単に言えば、その人喰いとしての燃費の良さです。普通人喰いというのは一月に一回、少なくとも三ヶ月に一回は肉を摂取しなければいけない体質だというのは常識ですが、この二人は違いました。彼女達は半年の間肉を摂取せずとも餓死せず、人喰いの飢餓状態特有の理性の喪失も全くありませんでした――」
クラインの話が進んでいく度に、講堂には雑音が大きくなっていった。ここにいるのはリオル派の学者や聖職者が殆どだった。その為クラインの話を聞いてそれにケチをつける者はまだまともで、大半は話を聞こうとする意思すら感じなかった。
その中でクラインはただ淡々と発表を続けた。クラインにとってその他多数の者に話を聞かれるかどうかは重要ではなかった。
「――皆さん知っての通り、人喰いが肉を摂取した時などに現れる、悪魔と呼ばれるものの体には臓器が二つしかありません。脳と胃袋です。それ以外は筋肉と皮や鱗だけで構成されています。これは誰もが頷く疑いようの無い事実でしょう。」
クラインは後ろの黒板に向き直した。そこには様々な表や図があり、クライン達の数週間の努力の成果が写っていた。
「そして私達がこの二人に見つけた異常は脳にありました。」
クラインは一つの図を指差す。
「こちらが通常の人喰いの悪魔にある脳で、こちらがこの二人の悪魔にある脳です。ご覧の通り通常の物と比べて異様に小さいことが分かります。……つまりこれは『寄生論』の考えを補足する様な結果なのです。人喰いが肉を求めているのは、あくまで人喰いの中にいる悪魔の脳であり、それが変異を起こし小さい為に、この二人は肉を少量しか摂取していなくても生きていられたのでしょう。」
このクラインの説明は、今までどこか腑抜けた空気を漂わせていた講堂を、一気に熱く尖ったものにした。
「こいつ、言わせておけばなんてことを口走るんだっ。」
「その『寄生論』はこの発表において蛇足だ!」
「その程度で勝手に結論付けるんじゃない!」
「たった二人の結果だけでは何も分からんだろう。」
一人一人が口に出す独り言の様な文句は講堂を飛び回った。それは的を得ているものであったり、話を聞いていなくて的外れなものなど、様々な文句が散乱していた。
しかし、その誰に聞かせる訳でもない言葉は、交わされる中でどんどん鋭利なものになり、その切っ先は予定調和の様に、最終的には人喰いの方向に向かった。
「脳がどうだこうだ言っていたが、結局こいつら悪魔共は人間を食うんだ。私はクライン司教の話に、何の価値も感じないね。」
「それよりこいつらはあれだけの拘束で大丈夫なのか?暴れ出したりするんじゃないだろうな?」
「一目少女の姿をしているが、やはりこいつらは人喰いなのだ。脳が小さいだと?だから人間の国に入り込む様な馬鹿な真似をするんじゃないのか?」
「全く、その通りだ。人喰いはさっさと殺してしまうべきだっ。」
「そもそも何で生かしているんだ?」
「早く殺せ!それしかあいつらが生まれてきた罪を償う方法は無い!」
「早くこの世から消えてしまえ!この人喰い共がっ!」
怨念が込められた言葉はより強い怨念の言葉を呼び、とうとう言葉では込められ切れなかった怒りは動作になって現れる。
最初は丸めた紙くずがアデルとリティアの方に投げられた。それに二人が何の反応も示さないでいると、その行為はもっと過激になっていった。
一人が物を投げれば、隣にいた者も投げる。馬鹿にする様な投げ方から、恨みを込めた投げ方に変わり、果てには一人の男が立ち上がり、手に持っていたペンを思い切り投げつけた。
ペンは矢の様に飛び、その先にはリティアがいた。もしそのままペンがその直線の軌道を飛んだなら、ペン先はリティアの皮膚に突き刺さっていたことだろう。
しかし現実にはペンはリティアの手前で止まっていた。アデルがその手のひらでがっちりとペンを掴んだのだ。
そのペンを持ったアデルの目は、小部屋でクライン達が見ることが出来た、全てを諦めてしまった様な目ではなかった。その目には怒りが湛えられていた。
「……」
アデルは生きるのを諦めていた。しかし、この様にしてその最後すらもその口先で汚されて、それでいてただ黙っているほどアデルの自尊心は軽くなかった。
殺されるのは構わない。この国ではそれくらいの事はしてしまっているとだと理解しているから。けれど、その他の必死に生きた人生すらも一括に罵倒されるのは、アデルにとって耐えられなかった。
アデルは掴んだペンを投げられた方に投げ返した。ペンは一瞬で投げた男の後ろの壁にぶつかり砕け散る。
「なっ……!」
あれ程騒がしかった空気は、まるで風船が割れた様に萎んで無くなった。ペンの欠片が床に落ちる音がやけに響いた。
「いくらでも人喰いを恨めばいい。でも……それ以前に私は人なんだ。そんな風に馬鹿にされて、それでじっとできる訳がないだろ?」
アデルの眼光は真っ直ぐ男を貫いた。先程まで生きているのか死んでいるのか分からなかった少女のその圧倒される程の気迫に、男は思わず後退りをした。
「……アデル。」
「お前は座ってな。……いいんだよ、どうせ死ぬことには変わりないんだから。」
リティアは浮いた腰をまた椅子に預けた。アデルは周囲を睨み回した。
「おいっ!衛兵、そいつを抑えろ!」
ペンを投げた男の隣にいた聖職者がアデルを指差す。衛兵はすぐにアデルを椅子に座らせ、腕を後ろに回させた。アデルはそれに少しも抵抗しなかった。
「何をしているんだ!それだけじゃ足らん!そいつを外にやってしまえ!次は何を投げられるか分からん。」
「いや、もうすぐに殺してしまおうっ。そいつ等は危険だ。」
引いた波がまた押し寄せる様に、ざわめきが戻って来た。一度引いた分の反動か、先程より大きく過激だった。もう発表どころではない程に、この場は乱れてしまった。
「静まれっ!」
しかし、喧騒はこの一喝でぴたりと止まってしまった。人々の目線はその言葉を発した人物の元へと注がれた。
そこにいたのは騎士団団長、ライノス・ディルハーだった。




