3-9.ガウス・アイマン
その後彼等は一丸となって、捨て駒として暴走させられていた人喰い達を沈静化させ、ガウスが中心となって説得をした。彼等に保護される人喰いはどんどん増えていき、三週間の間で十六人になった。
しかし人喰いを救っているとき、レグルは自分が良いことをしているとは一切思っていなかった。それどころか、自分は人間史上最大の罪を犯しているのではないかと、一日中苦悩していた。
彼等の宗教に人喰いを守れなどという言葉は少しも出てこない。レグル達のこの行動は一瞬の内に国中に伝わり、そして非難されていた。この行いが正しいと言える理由など、どこを探しても一つも見つけられなかった。
だがしかし、レグルは苦悩しつつも人喰いについて確信出来ることを見つけていた。それは人喰いは確かに人間を食うが、人間と似ているということであった。
彼等は自分達人間と何の問題も無く意思疎通出来た。人間と同じ様に一人一人が顔や性格が違っていた。彼等は愛を知っていた。彼等は吸血鬼達に苦しめられていた。
それこそレグルは、人間を食うということが違和感を覚えてしまう程、人喰いと人間との共通点を見つけていた。人喰いという生き物は悪魔に取り憑かれた人間なのではないかとレグルは思った。
「……ふむ。」
レグルは手紙を閉じて、その後深く溜息をついた。
どれ程レグルが人喰い達のことを知ったとしても、その他の人間にとっては人間の形をした人間以外の者など、区別無く恐怖と憎しみの対象だった。
それはもう絶対に変えられない事実だった。レグルにですらその者達の気持ちは簡単に理解出来た。
レグルはその意見の対立の先にある結末を思い、また溜息をついた。
手紙の送り主は国王であった。その内容は単純明快。『匿っている人喰いをすべて殺せ。』レグルが最も恐れていた当たり前の未来だった。
レグル達はどうにかこの結果を回避しようと今まで駆けずり回ってきた。人喰い達の持っていたエルラインの情報を渡したり、自分達の行動に共感してくれそうな人物に説得したりした。
最大の問題だった人間の肉をどう用意するかについては、不幸中の幸いか、戦場にはオルトラムの人間以外の肉もあり、倫理的に少し苦しいが一先ず解決とした。
そこまで記憶を呼び起こして、レグルは三回目の溜息をついた。どんな言い訳をしようと結果は変えられない。自分達の努力は報われる事は無かった。さて、この事実をどうやってガウス達に届ければ良いのか。
「レグル。どうした?溜息ばかりついて。」
レグルが顔を上げてみるとそこにはこの三週間で一番見た顔が映った。いつものレグルならば、どうかしたかと声を掛けるところだったが、今だけはガウスと言葉を交わしたくなかった。この男の期待に自分は答えられなかったのだと思うと、レグルは自分が無性に情けなくなった。
「いや、何でもない。」
「……その手紙は、誰からなんだ?随分と立派な様だが?」
レグルは手紙に置いていた手を握り締めた。言い逃れをするのはよそう。そんな事をしてしまえばもっと惨めな思いをすることになる。そんな思いがレグルの胸を突いた。
「……そうか、遂に来てしまったか。」
「……お前は、分かっていたのか?」
「察しはしていたさ。」
「……すまない。本当に……私が不甲斐ないばかりに。」
レグルは頭を下げてガウスに、そして自らの我儘で救い、溢れ落としてしまうことになる他の人喰い達に謝った。もうレグルにはそれしか出来ることが無かった。
「謝る必要は無い。」
しかしガウスはその行為は要らないとレグルにはっきりと拒否を示した。思わずレグルは頭を上げガウスの方を見る。
「お前は私達の為に、その身を粉にして行動してくれた。それに私達はとても感謝している。お前が考えつかないくらいにな。」
「……」
「だからレグル。今度は私がお前の為に何かをする番だ。だが、私は恩を返す方法を一つしか知らない。」
「ガウス、お前は……」
「レグル。お前達は、人間達は吸血鬼とずっと戦い続けていたんだよな。」
目を逸らす様にガウスは窓の外にある空を見た。今日は稀に見る驚く程の快晴で、雲ひとつ無いどこまでも青い空が広がっていた。
「そうだな。ずっと戦い続けている。ずっと防戦一方で、ずっと負け続きだがね。」
「……私はずっと考えていたんだ。一番大きな恩が返せる時は一体いつになるのか。……レグル、私達人喰いに残された時間はどれくらいだ?」
「正直に言うと、予想よりも時間が無い。王は明日までに忠誠を示せと仰っている。」
「そうか。明日か。なら十分に時間はあるな。……レグル、人間達は今日も戦っていたな。」
「ああ、攻城戦さ。失敗だろうがな。……まさかガウスお前……」
レグルはガウスの言っていた戯言の様な言葉を思い出していた。その時は何かの冗談だろうと気にも留めていなかったことだ。
「その通りだ。レグル。私が恩返しするにはそれしか無い。今しかない。……幸いにして、仲間の話によると吸血鬼達の根城には今、人喰いはいない。だから私が存分に暴れられる。」
「本当に行くのか?無駄死にするかも知れんのだぞ?」
「本当だ。私にはそれしか無い。それで今まで生きてきた。それに私は人喰いだ。一人でも戦力にはなるさ。……そこで、厚かましくて申し訳ないんだが、レグル。……私の最後の頼みを聞いてくれないか?」
「何だ?」
「とんでもない願いだとは分かっている。しかしお願いだ。……もう一度、お前の肉を食わせて欲しい。……それで私は、悪魔ではなく竜になれる。」
「……良いだろう。」
レグルは迷うこと無く腕をガウスの前へ差し出した。レグルは自分に出来ることはもうこれしか無いと、薄々悟ったのだ。
「お前にそれで後悔が無いなら、私はそれで良い。お前の意思を尊重しよう。」
ガウスはそのどこまでも真っ直ぐに自身を見るレグルの視線を受け、そして頷いた。ガウスはレグルの腕をそっと取り、それを食らった。
レグルの顔に苦痛の表情が浮かんだ。彼の腕から血が何滴も落ち、床を真っ赤に汚した。しかしレグルは一つも声を上げなかった。
生きたまま食われるという例えようの無い恐怖と痛みは、彼の頭で死ぬほど警鐘を鳴らしているだろうに、レグルは意思の強さのみによって見動き一つしなかった。
レグルの左腕はとうとう肘から先が無くなった。その代わりにレグルの目の前には、赤い鱗が体のそこら中に張り付き、服を突き破って出てきた翼を背負ったガウスがいた。
「レグル、ありがとう。今、私の体は生まれてから今迄の中で、最高に調子が良い。このまま空の果まで飛んで行けそうなくらいだ。」
ガウスが自らの体を見ながら言う。彼の体はどんどん赤い鱗に包まれていっていた。レグルが初めて会ったときと同じ様な姿に変わっていた。
しかしレグルはその時の感情とは全く違う感情を抱いていた。あれ程恐ろしいと思っていた鱗や、人の体には絶対に入り切らない大きな翼が、今のレグルにはとても頼もしく思えた。それどころか誇りにすら感じていた。
「……レグル。我儘を言ってすまない。この埋め合わせは私が生きていたら必ずしよう。」
「埋め合わせなんぞ要らないよ。……その代わり、ガウス、私もお前に頼みがある。」
「何だ?」
「必ず生きて帰って来い。」
「……ああ。必ず、ここに帰って来る。」
ガウスの体は膨張し続け、部屋の天井にぶつかりそうなまでになっていた。彼は大窓から窮屈そうに抜け出すと、もう人の足の形ではなくなった足で大地を蹴って上へ飛んだ。
「レグル様!?」
偶然通りがかった司祭の女が、レグルの左腕を見て驚愕の声を発した。しかしレグルはその声に振り向きもせず窓の方に歩き、縁に手を掛け空を見上げた。
「その腕は一体どうされたのですか!?」
「そんなものはどうでも良い。そんな赤よりも、あの美しい赤を見なさい。」
司祭は困惑しながらもレグルのその独特な雰囲気に圧されて、言われる通りに空を見上げた。すると、そこには確かに赤があった。
それは広く伸びる赤い両翼を空に漂わせていた。その尾はしなやかに風を置き去りにして、それは一本の火矢が真っ直ぐに飛ぶ様を思い起こした。しかし、それに灯っているのは小さな篝火ではない。何よりも赤く、熱い、業火の炎なのだ。
「そうだそれで良い。お前は、そんな風に空を飛ぶのが一番似合っている。そうだ。もっと飛べ。もっと高く、速く、真っ直ぐに飛ぶんだ。我が友よ。」
その青い空を飛ぶ赤い姿は、言い伝えに言う悪魔という文字は似合わなかった。その巨大で雄大でそして優雅な姿は、どこかの昔話の竜にとても似ていた。
その竜が向こうの空へ翔けるその姿は、レグルの言う通り確かに美しかった。
竜の見る先には人間と城を守る吸血鬼が戦っていた。城の前で両方は軍を展開していて、一目拮抗しているように見えた。人間は吸血鬼に苦戦している為、吸血鬼は頭上に太陽がある為に、竜の存在には気づいていない様だった。
目線を変えて城を見ると、吸血鬼によって奪われた人間の城は日光を遮る為か、分厚い布が窓や城壁の上などの至るところに張られていた。竜はそれを見ると旋回し、まずは城壁の上に狙いを定めた。
空高くから急降下し、鋭く大きな爪がついた腕を振り上げる。そして城壁の一面に張られた布を低空飛行しながら全て剥ぎ取った。
唐突に太陽の光を浴びた吸血鬼達は燃えながら叫び声を上げた。多くの者が影に隠れたり建物に逃げたが、一部の者は空に再び飛び上がる竜に向けて弓を射ったり、槍を投げたりした。しかし竜は既に空高く飛び上がって、攻撃は全て届かなかった。
竜はその様子を確認すると、今度は勢いよく空気を吸い込み胸を膨らませた。そしてまた急降下をする。
吸血鬼達は竜が常に太陽を背にしていることにより、未だに自分達を襲来しているのが何なのか正確に認識出来ていなかった。それでも吸血鬼達は謎の襲撃に混乱しながら、近づいて来る竜を撃ち落とそうとまた弓や槍を構える。
しかしそれ等が発射される前に、竜はその口から炎を吐き出した。炎は城壁の上にいた者を焼き尽くし、それでも止まらず壁の内側にいる吸血鬼達すらも、光を遮っていた外套ごと燃やした。
あっという間に竜の近くは火の海となった。外套を燃やされてしまっては、吸血鬼は太陽の元にいる竜には近づくことすら出来ない。竜は悠々と城の内部を歩き、壁と壁の間に造られている塔に近づく。そしてその入り口に口を突っ込むと、咆哮する様に灼熱の炎を吐き出した。
炎は塔の内部を通り、一階を焼き、二階を焼き、三階を焼き、通路で繋がっていた壁の内部も焼いて、それでも溢れる炎は窓から飛び出した。内部にいた吸血鬼は全てが燃やされた。
竜が頭を元に戻すと、決死の覚悟で竜に近づき殺そうとする者がいることに気づいた。その者達は竜に張り付き、吸血鬼の怪力で竜を傷つける。それに対して竜は地面に炎を吹き付け、辺り全体に赤の絨毯を作り出した。絨毯は竜の鱗を燃やさず近くにいた者だけを炭になるまで焼き払った。
もう誰も竜に近づかなかった。竜を見ていた者達は全てその炎に焼かれることを恐れて、足が動かなくなっていた。その恐怖の視線を感じ取った竜は、その恐怖が無謀に変わってしまう前に動き出した。
竜は一つ自分の体を動かすと城門の正面に立ち、そして四本の足で大地を思い切り蹴った。赤い体が加速していき、その勢いのまま門を突き破る。
城壁のその先には、吸血鬼と人間達の軍が戦っていた。城の惨状を見ていた全ての者達は皆、その何よりも赤い竜を見ていた。
竜は空を見上げ、そして猛り吠えた。それはこの大地にいる全ての者に響いたのだった。
この日人間は勝利した。それは人間にとって、有史以来の初めての勝利だった。これは人間にとってもレグル達にとっても、大きな一歩だった。