3-6.出会い
「失礼します。」
僕が爺様の部屋へ入ると、そこには爺様だけでなくアーロンも一緒にいた。二人で何かを話していたようだ。
「お話の途中でしたか?」
「いえ、構いませんよ。アーロンも貴方が来るの待っていたのです。」
「そうだったのですか。……それで、爺様、こんな夜中に呼び出すなんて、何かあったのですか?」
「まぁまぁ、急ぐ用事ではありません。取り敢えず、まずはそこに掛けなさい。」
爺様は部屋の真ん中にあるソファを指差した。僕は真夜中に呼び出したのに急ぐ用事ではないという爺様の言葉に疑問を覚えたが、特に問い質すことはせずにソファに座った。部屋にはいつもの様に心安らぐ香りが漂っていて、それが僕の急かす心を脱力させていた。
「今日は、どうでしたか?」
「爺様のお蔭でエミィにここの素晴らしさを伝えられたと思います。本当に、ありがとうございます。」
「礼には及びませんよ。私は貴方達の仲の良い姿を見ているだけで十分です。」
「……でも、全部は上手くいきませんでした。僕は今日エミィに、間違って火傷をさせてしまいました。」
僕はあのエミィの焼けた肌を思い出した。あの火傷は一瞬の内にエミィの肌から無くなってしまったが、僕の頭の中にはずっと残ったままになっていた。
「ええ、そうですね。それはアーロンからも聞きました。……その後、貴方はちゃんとエミィに謝りましたか?」
「勿論っ、僕はエミィに必死に謝りました!……それでエミィはすぐに治るからと言って僕を許してくれました。けどやっぱり僕はその事が気になって仕方がありません。いつも会えるのは夜の時ばかりで、こんな考えれば分かることなのに、そこまで頭が回らなくて……」
「……不安、ですか?」
「はい、エミィは本当はまだ本当は怒っているんじゃないかって心配で……」
「ルーク。貴方の不安はよく分かります。種族が違うという事は、そういう事の連続です。……そうですね、本当なら直接言葉を交わした方が良いのですが、貴方達の場合はそうはいきません。ルーク、エミィに手紙を書きなさい。」
「手紙、ですか?」
僕は俯いていた顔を上げて爺様を見た。爺様は優しく微笑んでいて、それに僕は安心させられた。
「そうです。いつも送り合っているでしょう?それに貴方の気持ちを乗せるのです。手紙は、普通に話すよりも時間がかかりますが、その分だけ人は手紙に、自分の思いをより多く籠めることが出来るのです。」
「……分かりました。手紙で、エミィに改めてちゃんと謝ろうと思います。」
「ええ、それが良いでしょう。……そうだ、貴方を読んだのはそれだけではないのです。」
爺様は暗い空気を入れ換える様に手を叩いた。
「他にも何かあるのですか?」
「ええ、でも違う種族と仲を保つのよりも、簡単ですよ、多分ね。」
「というと?」
「貴方に人喰いの子達と友達になって欲しいのです。」
爺様の言葉は僕にとって頭を傾げる様な内容だった。まるで言葉の意図が掴めない。
「それはどういうことでしょう?僕はこの街にいる人喰いとは殆ど、というか全員と仲が良いつもりなのですが……いえ、確かにこの街に人喰いが侵入する事が増えていると聞いてはいますが、もしかして?」
「ふふふ、それは直接会ってみれば分かるでしょう。……アーロン。」
「はい。」
僕の質問に勿体ぶって躱すと、唐突に爺様は椅子を引いて机から遠ざかった。すると同時にアーロンが机に近づき、縁に手を掛ける。そしてそのまま机を大きく傾けた。
「えっ!」
アーロンが傾けた机の下に階段が現れていた。机の足を見てみるとそこには薄い板が張り付いている。
「これは……」
「隠し階段です。」
爺様は階段に足を掛けた。階段は暗闇に続いていてどこに繋がっているのか、僕には検討もつかなかった。
「ではアーロン。よろしくお願いしますね。……ルーク。行きましょう。」
「は、はい。」
今まで少しも存在を知らなかった隠し階段に、僕の頭にある質問箱は一杯になってしまった。けれど僕が質問を口にするより爺様が階段を降りる方が早く、言われるままに爺様の後を追うしかなかった。
階段は幅が狭く段差が高かったがしっかりしているつくりで誤って滑り落ちてしまうということはなさそうだったが、それでも暗闇の中でこの階段を降りるのは少し勇気が必要だった。
僕が十段くらい降りたあたりで、後ろの光が唐突に失われた。僕が咄嗟に振り返っても、アーロンどころか何も見えるものはなかった。
「アーロンは上で見張りをしてくれています。行きましょう。」
「はい。」
僕は壁を頼りにしながら一段一段慎重に階段を降りていった。いつまでも目が暗闇に慣れてくれなかった。心に少しの恐怖を持ち始めたところで、僕は足裏を床に強く打った。階段が終わって平面になったのだ。
「こっちですよ、ルーク。」
こっちと言われてもこの暗闇ではどちらだか分からないと爺様に言おうと前を向くと、爺様の体の輪郭がぼやけて見えていた。どうやらその先に光があるようだ。
爺様の姿が薄っすらと見えたことで、僕は少し安心した。そこで爺様に僕は質問を投げ掛けることにした。
「爺様、ここは何なんです?」
「すぐに分かりますよ。」
爺様の答えは地上で言っていた事と同じだった。ここのことはまだ秘密にしておくようだ。それから僕は黙って爺様について行こうとしたが、暗闇では会話が無いと不安になって仕方がなかった。僕は思いついたことを爺様に言っていく。
「そういえば、さっきはアーロンと何を話していたのですか?錆びついているとか何とか聞こえましが。」
「あの話を聞いていたのですか?」
「いえ、それしか聞こえなかったので、何を話していたのだろうと思って。」
「そうでしたか。なに、歳には誰も勝てないという話をしていたのですよ。」
爺様の輪郭を頼りにしながら僕は歩いた。光の正体であったランタンのところで、道は真っ直ぐの道と右に逸れる道の二つに別れ、爺様は迷い無く右の道を選んだ。
「ルーク。言い忘れていましたが、ここでの事は一切他言無用です。誰であってもここの事を知らない者には話してなりません。それがソフィアであってもね。」
「は、はい。」
「問い質されても知らぬ存ぜぬを貫き通しなさい。知っているふりをして情報を話させようとする者もいますから、その者が確実に知っている者だと判断出来ない限り、知らないふりを続けなさい。いいですね?」
「……分かりました。」
どうやら僕はいつの間にか、神殿の暗い場所に連れてこられていたらしい。しかしなぜ爺様はまだ子供である僕に突然こんな事を話すのだろう。そんな僕の考えが爺様に伝わったかの様に爺様は話した。
「これは貴方の賢さを信頼してのことです。ルーク。それにこれは貴方にしか出来ないことです。」
爺様は扉の前で立ち止まると、僕の方に振り返った。
「ルーク。この先にいるのは、外の世界の人喰いです。」
「外の世界の……?」
「ええ、二人共まだ女の子と言える歳です。」
「二人いるのですか、それに女の子?どういう人達なのですか?」
「会ってみれば分かることです。一人が貴方より一つ歳上で、もう一人が三つ上だった筈です。」
「は、はぁ……」
「歳は気にする必要はありませんよ。彼女達は年下だからと下に見ることはありません。それに背丈は貴方と同じか少し低いくらいです。貴方は成長が早いですからね。」
「……」
「私の頼みは、その子達と友達になって欲しいのです。ルーク。」
「友達……」
頭にエミィの事が浮かんだ。また失敗してしまうのではないか。そんな考えが鎌首をもたげた。
その女の子の二人というのは人喰いらしい。僕は人喰いならば少しは詳しいから大丈夫だろうか。いや、僕はソフィアをよく知っているし、人喰いの血が入ってはいるけれど、体は全く人間だ。人喰いにしかわからない逆鱗に触れてしまうかも知れない。
それでも、だからと言って遠ざかってしまうのは、僕の性分ではなかった。僕はいつの間にか彼女達を知りたいと思っていた。出来れば仲良くなってみたかった。
「出来る限りの事を、やってみます。」
爺様は僕の言葉を聞くとにっこりと笑っていた。もしかしたら爺様は僕のこの性格も理解していて、ここに連れて来たのかも知れない。
扉がゆっくりと開けられた。先にあったのは広い一つの部屋だった。地下にしては天井が高く、暗くはあったが部屋の全体が見えるくらいには明るかった。
部屋には三つの人影が見えた。二つは部屋の奥の方に固まっていて、恐らく爺様の言っていた人喰いの少女達だろう。簡素なベッドの縁に並んで二人で腰掛けている。
残りのもう一人の人物は爺様と同じくらいに歳を取った男だった。男は僕達が入って来た扉のすぐ側の椅子に座っていて、爺様はまずそちらに足を向けた。
「ありがとうございます、ベルナンド。」
「構わん。どうせ暇だからな。」
ベルナンドと呼ばれた男は腕を組みながらぶっきらぼうに言った。この人はあの二人の監視役なのだろうか。
「ルーク。」
爺様の声に僕ははっとした。そして男の方に向き直り、慌てて挨拶をした。
「こんばんは、僕はルークです。」
「聞いてるよ。本当に連れて来るとは思わなかったがな。……クライン、自分が何をしてるのか分かってるのか?子供を連れて来ていい場所か?ここは。」
「勿論理解しています。それに、ルークは賢い子です。心配は不要です。」
「それならいいんだがね。」
ベルナンドさんは爺様の事を胡散臭そうに見ていた。僕はその意見に少し賛成だった。明らかにここは子供の僕が知っていて良い場所ではない。
外の世界の住人がこの神殿に来たという話を僕は聞いたことがない。つまりあの二人は秘密裏にここに連れて来られたという事で、秘密裏にということは公にしたら何かまずいということだった。
僕は今更になって、ここの事を知ってしまった事を心の中で後悔していた。元々爺様は裏で何かやっているんじゃないだろうかと、それこそ子供の想像で思ったりしていたが、まさか本当に地下の隠し通路なんてものがあって、しかもこんなに早く足を踏み入れてしまう事になるなんて全く予想していなかった。
僕はこの状況に混乱していた。なぜか急に自分が悪いことをしている様な感覚に陥った。もしかしたらもう既に悪い事の片棒を担がされているのかも知れない。
そう思うといつもにこにこしている爺様の顔が空恐ろしくなった。僕に何をさせる気だろうと身構えた。
「ほら、ルーク。私達に構わずに。」
そんな僕に爺様は腕で部屋の反対側を示した。その先に僕は目を向けると、そこには二人の少女がいた。そこで僕は、爺様になんと言われてこの地下に降りて来たのかを思い出した。
僕は嫌な考えを取り敢えず頭から消し去り、当初の目的を果たそうとした。僕が何をどう考えようと、ここまで来たら何も変わらないだろうと思ったからだ。
僕は二人に近づいて、手を伸ばし合えば届くくらいの距離で止まった。近くにあった丸椅子を引き寄せてなるべく静かに座った。心臓の音が静けさからか耳の奥の方で聞こえた。
その間人喰いの二人はじっと僕を見ていた。
二人の改めてよく見てみると、まず二人に共通する真っ赤な髪が目についた。赤毛は珍しくはないけれど、この二人程の赤は初めて見るくらい鮮やかな赤だった。
その赤毛に隠れようとしている二人の目は、腰ほどまで赤い髪が伸びていて体が大きい方がオレンジがかった黄色で、肩ほどの髪の長さの体が小さい方が青紫色だった。僕にはどちらも澄んだ綺麗な色をしている様に見えた。
しかし豊かな髪と瞳の色とは対象的に肌は色白で痩せていた。まともに日を浴びていない様な色だ。まるで燃え尽きそうな灰の様な色合いだ。そのせいか、二人から僕は活力を感じなかった。
「はじめまして、僕はルーク。ルーク・シンクロード。気軽にルークと呼んでくれたら嬉しいよ。……よろしく。」
僕は心の奥で冷や汗をかきながら手を伸ばした。
「……アデルだよ。こちらこそよろしく。」
アデルの大きな掌が力強く僕の手を握った。その時に感じた手のひらの感触から、少なくともとても大きな苦労をしてきたのが僕には分かった。
「よろしく、アデル。」
「……わたしはお姉ちゃんの妹のレティア。」
僕は姉のものと比べてまだ小さな手を握った。どちらも少なくとも僕と会話をしようとする気はあるらしい。それに僕は安堵した。もし手を伸ばしても取ってくれさえしてくれなかったら、一体どうすれば良いかという悩みがなくなったからだ。
「僕は、そうだね。……アデルとレティアの、友達になりに来たんだ。」
言いながら僕はなんだか妙な違和感を感じていた。友達になろうと言って、じゃあ友達になろうと言うのは少し違う気がした。
「聞いてるよ。……本当に連れて来るなんてね。」
アデルが呆れた様な顔をして、僕の肩越しに爺様を見た。爺様は前もって僕が来ることを伝えていた様だが、それをアデルは信じていなかったらしい。
僕は彼女達がどんな立場にいるのか気になった。地下に隠れている様だけど、檻に入れられているわけでもはない。
爺様は僕に何も教えずにここに連れて来たものだから、僕は彼女達について本当に何も知らなかった。僅かに知っているのは名前と、二人共僕より歳が上だという事だ。
「ともかく、僕はその為に来たんだ。これは爺様に言われてやるってだけじゃなくて、僕も君達と仲良くなりたいと本当に思っているんだ。……だからと言ってはなんだけど、君達のことを知る為に質問をしても良いかな?」
「良いよ。でも……」
「でも?」
「そっちばかり質問するのはズルいから、一回づつ交代で質問をしよう。」
「それで僕は構わないよ。……じゃあ、アデルからどうぞ。」
「……そうだな、ルークの一番大切な人は誰?」
アデルはいきなり難しい質問を投げ掛けた。僕は唸りながら頭の中にいる人物像を一人づつ並べていく。
「……うーん。一人に決めるのは難しいけど。……強いて言うなら、ソフィアかな。」
「どんな人なの?」
リティアが横から割り込む様に言った。その目からは好奇心旺盛な気性が隠せないでいた。
「僕の従妹だよ。僕と違って人喰いでね、普段は人見知りな正確なんだけど、剣を持つと性格が変わったみたいに強くなるんだ。」
「ルークの従妹は人喰いなのか?確かあの爺さんには人間を連れて来ると聞かされていたけど……」
訝しげにアデルが腕を組んだ。その真っ赤な眉が歪められている。
「僕は人喰いの血は混ざっているんだ。けど見た目と体の機能は完全に人間なんだ。」
「混ざってる?……リティア、人間と人喰いって結婚出来たっけ?」
「ううん、できない。子供が出来ないからって、言ってた。」
「そうだよな。どういう事なんだ?」
「ああ、それには色々あるんだよ。」
「色々ね。大変なんだな。」
アデルとリティアは何とも言えない様な顔で僕を見ていた。それは困惑と哀れみとが混ざっている表情だった。
「次は、僕の番だね。」
僕は話を切り替えようとした。このままだと、交互に質問するという約束が形骸化してしまいそうだった。
「二人はどうしてここにいるの?」
アデルの踏み込んだ質問に対抗するように、僕は一番気になっていた事を質問した。
「それは前にも話したばかりなんだけどなぁ。まぁいいや。簡単な話だよ。故郷にいられなくなって、色んなところ逃げ回っている内にこの国に入り込んで、とっ捕まってもう駄目かと思っていたら、そこの爺さんにこの場所まで連れて来られた。……何で連れて来られたのかはそこの爺さんに聞いて。私達も詳しくは知らないから。」
僕は後ろを振り向いて、そこにいる爺様に目をやった。爺様は僕の苦労なんて少しも知らずに、ゆったりと椅子に座ってこちらを見ていた。
僕は二人の方に振り向き直し、今度は何を質問されるのかと身構えた。けれど不思議な事に僕の心はそんな頭の中の考えとは裏腹に、今度はどんな質問をしようかと、端的に言ってわくわくしていた。
「じゃあ、次の質問はーー
僕達はいくつもの問答を繰り返した。それはここが得体の知れない場所だというのをすっかり忘れてしまうくらい、僕にとって楽しい時間だった。
しかし楽しい時間は永遠ではなかった。それはアデルの言葉だった。
「次は私達の番だな。……なぁ、ルーク。私達はいつになったらここを出られる?」
アデルの口から飛び出たその言葉は、僕の後ろの爺様とベルナンドを含めて、その場全てを凍てつかせた。なぜ場に緊張が走っているのか分からない僕でも、それはとても簡単に感じ取れた。
「……ごめん。それは僕も知らないんだ。」
「……そっか。そうだよな……」
痛いくらいの沈黙が僕の口を塞いだ。どうにかしたかったけど、僕はどうすればこの空気を元に戻せるのか全く分からなかった。
「ルーク。今日のところはこれで帰りましょう。」
爺様の声が後ろから聞こえて来た。僕はその言葉に救われた様に椅子から立ち上がった。しかし立ち上がった途端にその行動を後悔した。目の前の二人が椅子から立ち上がっただけなのに、とても遠くに行ってしまったような気がした。
「……また来るよ。僕には何も出来ないだろうけど。」
僕は口からそれだけを絞り出す様に言った。
「いや、こちらこそ、ごめん。いきなりこんなにもこと言って悪かった。」
僕は部屋を出て暗がりの通路へ戻った。そして今日は自分の無力さを痛感させられる日だと思った。




