3-5.強さへの道標
「私と、ですか?」
「ああ、最近は剣を振るうことが少なくてな。どうだ?」
「そうですね……ソフィア様の我が儘を聞いて貰ってしまいましたからね。断る理由も有りません。良いでしょう。私で良ければ、練習相手くらいにはなりますよ。」
僕はアーロンの言葉に驚きを隠せなかった。アーロンの性格ならばやんわりと角を立てない様に断るだろうと思っていたからだ。
「勝手に話を進めてしまい申し訳ありません、ルーク様。しかし、私も戦士の端くれです。どうかお許し下さい。」
そんな僕の驚きを察したのか、アーロンは申し訳なさそうな表情をした。
「いえ、構いませんよ。僕もアーロンの立場だったらきっと同じことをしますから。」
「ありがとうございます、ルーク様。」
アーロンはソフィアと入れ替わり、ローガン様の前に立った。ソフィアが駆け足でこちらに寄って来る。
「あーあ、負けちゃった。私も少しは強くなったと思ったんだけどな。」
「いいや、ソフィアは十分に強くなっているよ。ねぇ、エミィ?」
「うん、格好良かったよ。ソフィア。」
「本当に?」
僕とエミィは口々にソフィアを称賛した。ソフィアの今の試合は指摘するところなんて一つもない素晴らしい攻防だった。それでも負けてしまったのは相手が悪過ぎたからだ。悔しがる必要なんてどこにも無い。
僕達が話している間に、アーロンとローガン様は既に剣を構え合い、お互いを睨み合っていた。
「ローガン殿の剣技を間近で見られるなんて光栄ですよ。」
「いやいや、素人を一年であそこまで成長させられるんだ。アーロン、あんたの剣技も素晴らしいものだと期待しているぞ。」
「貴方にそう言って頂けるなんて剣士として嬉しい限りです。」
二人はまるで椅子に座りながら話している様だった。今から剣をぶつけ合うとは思えない雰囲気だ。
「……」
「……」
しかし二人はそれ以上何も言わなかった。そこにはもう静寂しか無かったが、もう既に始まっているのは肌で感じた。
ソフィアの場合とは正反対に、間合いはゆっくりと詰められていった。それはほんの僅かな間合いの差が勝負を分けるというのを、二人がよく知っているからだろう。こと人間においてそれは顕著になる。
剣が触れ合いそうな距離になるまで、二人の大きな動きはないままだった。始めに剣が動いたのは、二人の剣が交差する瞬間、アーロンの剣だった。
「シッ!」
アーロンは予備動作を見せること無く、呼吸の隙を突く様にローガン様の首元へ剣を滑り込ませる。しかしその軌道の近くには勿論ローガン様の剣があり、当然その攻撃はソフィアの攻撃と同じ様に弾かれようとした。
しかしその時だった。アーロンの剣の軌道が唐突に、跳ねる様に変わった。今までの軌道とは全く違う向きからローガン様へ刃が迫る。
急に変わった剣の軌道に、それでもローガン様は動じることはなかった。体に迫る剣を楽々と弾き飛ばす。
剣を弾かれ、攻撃に失敗したかの様に見えたアーロンだったが、アーロンにとってそれすら予想の範囲内だった様だ。
人喰いの全力の剣すらも弾くローガン様の力強さをアーロンは利用した。押し戻された剣のその勢いを使い自分の体に剣を引き寄せ、そして間を置かずそのままに直線の軌跡を描く。
予想外の攻撃をなんとか防ぐことが出来たと喜ぶ相手の隙を突く、予想外の更に上を行く攻撃だった。
しかし、ローガン様は油断などはしてはなかった。自分を食い破ろうとする剣に自分の剣を合わせると、その真っ直ぐな軌跡を圧し折る様に弾き飛ばす。
二人の距離が空いて、一瞬の空白が出来た。僕達が息を呑むには十分な時間が出来る。
この攻防は一秒にも満たない時間で起きた出来事だった。その中でのローガン様の攻撃に対する対応は、ソフィアの時と変わらない防御だけだった筈なのに、僕はこの勝負が全くの別物に見えた。
それは恐らく、ソフィアとアーロンの戦い方が違い過ぎるせいだ。ソフィアが力で押し切ろうとしていたのに対して、アーロンは相手の隙を自分でつくり、そしてそれを的確に突こうとする技術と経験がいる戦い方だ。
そのアーロンの戦い方は、いつも僕達に教える戦い方とは違うものだった。それは相手との力勝負を避ける様なやり方で、まるで吸血鬼や人喰いとの戦いを模倣している様だった。
アーロンのそれは、僕に強大な相手との戦いを言外で教えてくれている様に感じた。
二人に出来た間合いは、今度はあっという間に無くなった。駆け出した二人の剣はぶつかり合い、鍔迫り合いになる。剣と剣とが噛み合い、金属が擦れる音を響かせる。
この力比べは体の大きいローガン様に軍配が上がりそうだ。アーロンはどうにかこの窮地を脱しなければいけなかった。そうでなければこのまま押し潰されてしまう。
そんなアーロンの取った行動はローガン様の足を狙うことだった。踏ん張っている足を崩せば、相手がどんなに力が強くとも押し勝つことが出来る。
それはローガン様も予測出来ていた。アーロンが足を払おうと片足を上げた瞬間、ローガン様は剣も足も纏めてぶつかるように突進する。
一瞬の間片足立ちになっていたアーロンは、それをどうする事も出来なかった。押し込まれるままに後退し、そして痛烈な剣撃を振り下ろされる。
不格好なままにアーロンはそれを受けた。金属が歪みそうな程の振動が僕の耳まで聞こえて来る。この状況はアーロンにとってかなり不利だった。
普通ならこんな時は体勢を直す為、距離を取ろうとするところだったが、アーロンは逆に踏み込んだ。暴風雨の様に迫る剣の隙間を抜け、ローガン様に張り付くくらいに肉薄する。
二人の剣はまた鍔迫り合いになった。これでは先程と同じ様な展開になってしまいそうだったが、状況が少し違った。アーロンの体には肉薄した時の勢いが残っていたのだ。アーロンはそれを十全に使い、ローガン様との力の差を埋め、そして追い越した。
今度はローガン様が自分より強い力をなんとかする番になった。ローガン様はいくつかの選択肢の中で、半身になりながらアーロンの力を受け流すことを選ぶ。
それに対してアーロンの行動は今までで一番速かった。アーロンは素早く屈み込み、半身になり踏ん張りが利かなくなったローガン様の足を、自分の体に乗っていた勢いを全て足に乗せ払ったのだ。
正に先程の意趣返しだった。足を払われ転んでしまっては不利どころではない。ローガン様はその足払いを受け止める為に体勢を変える。
不利な体勢になったローガン様に、待ってましたと言わんばかりにアーロンは全力の攻撃を浴びせる。鍔迫り合いの前とは立場が完全に逆転していた。瞬きでもしようものなら即座に斬られてしまう速度と密度の斬撃が、ローガン様を防戦一方にしてしまっていた。
「ははは。」
乾いた笑いが僕の耳に届いた。その声の主が誰なのか、僕は辺りを見渡したが誰もいなかった。僕はそれを不審に思ったが、やがてこの声がローガン様のものだったと気づいた。
「やっぱり騙し合いの勝負は楽しいな。そこ等の吸血鬼や人喰いが戦うのとは全く違う戦法がある。お前と手合わせをして改めてそれを実感したよ。」
アーロンの斬撃の雨を防ぎ続けているのにも関わらず、ローガン様は余裕がありそうに話した。
その言葉にアーロンは返答しなかった。無視をしている訳ではない。返事が出来なかったのだ。攻撃を連続して繰り出すのは予想よりもずっと苦しい。一つ一つの斬撃に気を払わなければ、すぐさま返しの刃を食らってしまうからだ。だからアーロンは息を切らしていた。流石のアーロンもこれ程の精度の攻撃を繰り返せば体力は長く続かない。
それに対してローガン様は一つも疲労の様子を見せなかった。まるで何でも無い様にアーロンの渾身の攻撃を受け続けている。そして僕には見えなかったアーロンの攻撃の隙間を見つけ出し、その間を抉じ開ける様な一閃を放った。
「クッ……!」
遂にアーロンの猛攻が打ち切られた。剣を打ち合う音が一瞬の間だけ、鳴り止んだ。そして次に聞こえたのは、纏まりつく風を全て置き去りにする、世界で最も強い剣士による最も強い斬撃だった。
まるで楽器を打ち鳴らした様な、どこまでも澄んだ金属音が、辺りに目一杯に広がった。アーロンの手元からは剣が姿を消していた。
「……参りました。」
アーロンは負けた者とは思えない清々しい顔をしていた。試合の中で見せていた険しい顔はどこにも無かった。
「やはり、お強いですね。私では足元にも及びませんでした。」
「いやいや、危ないところは何度もあった。今日は最近の中でも調子が良かったからな。そうでなかったらどうなっていたか分からなかっただろうな。」
「そう言って頂けて光栄です。」
アーロンはローガン様に一礼をすると、僕等の元に帰って来た。
「申し訳ありません、ルーク様。出来ることなら勝利を、と思っていたのですが、上手く事は進んでくれませんね。」
「いえ、アーロンは凄かったですよ。僕達皆でそれは見ていました。……って、あれ?」
僕の隣からエミィが忽然と居なくなっていた。どこに行ったのかと周りを見渡すと、エミィは憲兵団の一団の元にいつの間にか戻っていた。
「とにかく、素晴らしい剣術や体術でしたよ!」
「うん、格好良かったよ、アーロン。」
「ありがとうございます。ルーク様。ソフィア様。」
アーロンは優しく僕達に微笑んだ。
「……本当に、ありがとうございます。アーロン。僕はまだまだですね。」
「……ルーク様。負けるということは、必ずしも悪い事ばかりという訳ではありません。負けを認めるということは、自分の弱さを認めるということです。自分が弱いと知っている人は強くなることが出来ます。……最初は小さな変化しかありません。けれど、それは積み重ねていけば、いつか必ず手に届きます。必ずです。」
アーロンの戦う姿は、その言葉は、ソフィアに初めて負けて燻っていた僕の闘志に火を付けた。
「アーロン。僕はもっと強くなります。」
[ええ、私はいつでもそれを応援しますよ。」
他の人から見れば、僕の気持ちなんて小さくて未熟なものだろう。けれどその他を差し置いたとしても、これが本物の意志であるということだけは絶対に本当だった。
僕のつまらない事で小さくなっていた意志は、本当の強さに当てられてまた燃えだした。その時、僕の心はほんの少しだけ、また強くなったのだった。
夜はすぐにやって来る。どんな一日を過ごそうとも、必ずその日は闇に包まれる。今日もそれは例外ではなかった。
部屋には壁に見上げる程の高いずらりと並んでいた。古い本も新しい本も、一見規則が無さそうに無造作に本棚に積まれていた。
その本棚に囲まれる様に、大きくて美しい装飾が為された机があった。それが随分と古い物であることは素人が見てもわかることだった。
その机の椅子に一人の老人が座っていた。老人はゆったりと腰掛けていて、その眼差しは目の前の男に静かに向けられていた。
「どうでしたか?今日のルーク達の様子は?」
「少し緊張していた様でしたが、大きな問題はありませんでした。ルーク様はエミィ様に火傷をさせたことを悔やんでいた様ですが、ルーク様ならすぐに立ち直れる筈です。」
男ははっきりとして発声で報告を行っていた。暗闇に響くには似合わない声だったが、老人は何も言わずにそれを聞いていた。
「私達の周りにも、吸血鬼はいませんからねぇ。今回の事はしょうがないことです。……時に、ローガンと手合わせをした様ですね。どうでしたか?」
「何か気になることでも?」
「実はですね。最近、ローガンは妙な行動を取るようになったそうなのです。」
「妙、とは?」
「ええ、なんでも、エミィに剣を持たせて打ち合いの真似事をしているそうなのです。」
「打ち合いの?つまり、あのローガン・グレイランが吸血鬼に剣術を教えているとでも?」
「いえ、それが違う様なのです。その打ち合いの間、二人は何も喋ることが無く、兵士の一人がそれについて訪ねたところ、ローガンは気分晴らしに丁度良いと言ったそうです。」
「気分晴らし?……ローガン様はとうとう気が触れたのでしょうか?」
「もしかしたら、そうなのかも知れません。彼は元々は前線にて血に濡れた剣を肉で拭う様に生きていました。それが突然に街中に移って剣を振るえず、鬱憤が溜まり続けていたのでしょう。」
「どうしますか?エミィがそれに巻き込まれるを阻止しますか?」
「いえ、私もエミィの様子が気になって今日の様子を見ていたのですが、どうやらエミィに敵意はあまり無い様なのです。理由は分かりませんが、……ともかく様子を見ることにします。……貴方は他に気づいたことはありませんか?」
「そうですね……今日は手合わせをさせてもらいましたが、腕が鈍っていると言っていましたね。……確かに、十年前と比べれば少し、錆びついている様な気がしました。いえ、敗者の私が言えることではないのですが。」
「……ふむ、錆びついている、ですか。……おっと、来たようです。」
二人は部屋の外へ目を向けた。扉の向こうから足音が聞こえていた。そして足音は扉の前で止まり、扉は音を立てない様に静かに開けられた。




