3-4.少しの我儘
神殿に面した中庭には多くの人が集まっていた。エミィは憲兵団の四人の元に戻り、僕達は爺様のところに来る様々な人と話さなければならなかった。これは食事会という名目の筈だったが、僕は食事会が始まってから今まで何一つ食べていなかった。
この食事会には主に爺様と同じ、ランベル教の人達が多く集まっているようだ。その中には僕達と同じレグル派の人達もいれば、仲が悪いリオル派もいる。数としては六対四でリオル派の人数が多いだろうか。
しかし、ランベル教におけるリオル派の割合が九割であることを考えれば、寧ろレグル派の方が多いと見る事も出来るだろう。
爺様が何故この人数比で食事会を催したのか、僕にははっきりと分からないが、少なくとも僕達の為だけにこんなに大きな食事会を開いたという事はない筈だ。何か僕達に話していない他の目的があるのだろう。
その目的を探る為に、僕は爺様と会話しに来るリオル派の言葉や仕草を観察した。すると、僕やソフィアに対して嫌悪感を示す者達の数が少ないという事に僕は気がついた。示す者がいたとしても、それはわざとらしくし、極力隠されようとしていた。これは少し珍しい光景だった。いつもの舞踏会ではもっと露骨に嫌悪感を見せつける者だっている。
恐らく彼等はリオル派でもレグル派に近い人間なのだろう。その証拠に今この中庭では、リオル派でもレグル派の者と友人の様に話す者をちらほらと見かけた。
更に、この中庭にはランベル教の者達だけではなく、憲兵団の者も混ざっていた。憲兵というのは何よりも分かり易い監視の目だ。彼等はレグル派もリオル派も関係なく人を見る。彼等が宗教に関係の無い組織だからだ。しかも只の憲兵ではない。団長と副団長がいた。これでは誰だって下手な真似は出来ない。
これ等の事から僕はこの食事会を、中間寄りのリオル派をレグル派に引き寄せる為の集まり、であると考えた。合っているかどうかはここでは爺様に直接聞くことは出来ない。けれど方向としては間違っていないのではないかと、僕はレグル派やリオル派、憲兵達とのいくつもの会話の裏で考えていた。
「さて、ようやく一段落ついたでしょうか。……楽にして良いですよ、ルーク。ソフィア。」
「ふぅ、疲れました。随分と人を呼んだのですね、爺様。」
「ねぇ、爺様。そろそろ食べても良い?」
「ええ、どうぞソフィア。よく我慢してくれましたね。」
ソフィアはいつもの元気の良過ぎる部分を隠して、他人には上品に見える様に今までずっと演じていた。その疲れは大変なものだった様で、その反動か食べ物以外には一切見向きもせず、口に昼食を詰め込み始めた。先程からお腹が減って仕方なかったらしい。
僕がそんなソフィアの様子を見ていると、視界の端に人だかりが映った。何やら騒がしかったが、それは祭りの様な騒がしさだった。一言で言えば、盛り上がっていた。
「何だろうね?」
「分からない。言ってみようか、ソフィア。」
「うん。」
僕とソフィアは人だかりに近づき、物腰の柔らかそうな人にに話を聞いた。
「ああ、これはちょっとした余興ですよ。ほら、円の真ん中にローガン殿がいるでしょう?」
確かに人の円の中には刃を潰した剣を持ったローガン様がいた。その周りを何人かの剣を持った人々が囲んでいる。
「最初は血気盛んな若者がローガン殿に手合わせを頼んだのですよ。それでローガン殿がそれを一つ了承すると、一体どこから湧いたのか、我も我もと手合わせを頼む者が続々と現れてましてね。それでその数にローガン殿は面倒だと言って、纏めて相手をすると言い放ったのですよ。」
「纏めて、ですか?見たところ十人がローガン様を囲っている様に見えるのですが……」
「ええ、だから私達も流石にローガン殿と言えども、十人を相手にするなんて無理だろうと話していたところです。……おや、始まったみたいですよ?」
僕は円の真ん中に目をやった。するとそこにはローガン様が包囲の円を段々と縮められている光景があった。
包囲網をつくる者達は一切の油断無く、ローガンにじりじりと近づいていっていた。そこには一対十の数の差などの優位を忘れてしまっているかの様な緊迫があった。
対してローガンは静かに剣を構えていた。その目は鋭く相手の動きを見ていたが、僕から見ればそれにどれ程の効果があるのか分からなかった。何せ相手は十人。それはローガンの右や左や、後ろにだっているのだ。目だけで十人の相手の動きを捕捉出来るとは思えなかった。
一対十が睨み合う事によって生まれていた沈黙は唐突に破り去られた。静寂の空間を引き裂く様に、ローガン様が真正面の相手に肉薄したのだ。
相手の青年はきっと今迄の人生で一番早い斬撃を目の当たりにしたことだろう。青年は咄嗟に剣を盾にして受け止めるが、勢いを殺し切ることは出来ず、衝撃により数歩後退った。
これが一対一ならば勝負を決定づける隙だっただろう。しかしローガン様は追撃する事が出来なかった。剣を振り終わったローガン様に無数の剣が突き刺さろうとしていたからだ。
逃げ場など何処にも無い様に見える攻撃の群れに、ローガン様は一瞥すると、一つの横に薙ぐ攻撃に目を付け、その僅かな隙間に潜り込んだ。更に潜り込んだ先の鳩尾に鍔で殴りつける。
「ぐっ……」
鳩尾に衝撃を叩き込まれた男はその痛みに硬直する。ローガンはその男の後ろに素早く回り込み、その背中を思い切り蹴った。
男はローガンを斬ろうとする者達の固まりに飛び込んでいった。男達は慌てて前に出していた剣を引っ込める。
それにローガンはまた突っ込んだ。今度は男達は碌に構えすら取れないままだった。男達はその状態で、あっという間に二人を脱落させた相手と対峙しなければならなかった。数の差の有利は消え去って、完全にローガン様が場を支配していた。
試合はローガン様の圧倒的な勝利で終わった。それは技術が突出していたというのもあるだろうが、実戦の経験の差が僕の目にも分かる程現れていた結果だった。
明らかにローガン様は囲まれる戦いに慣れていたし、反対に若い貴族の相手達は囲む戦いに慣れておらず、連携が取れていなかった。
僕はこの試合で、僕よりも剣が上手い人達の動きを見て、何かを掴めるのではと思っていたが、どうにも僕が知っている剣術とはかけ離れた内容で、参考にはなりそうになかった。
しかし、参考にならないからといって、全てを理解出来ていない訳ではない。僕がこの試合で本当に凄いと思ったのは、技術は勿論だが相手の試合後の様子だった。
彼等は試合が終わった後、全員が怪我一つしていなかったのだ。それはあれ程の混戦だったのにも関わらず、ローガン様は攻撃する時にも力加減をしっかりとしていたという事だった。つまりあの敵が四方八方にいる状況でも、今を生きる英雄は余裕を持って戦っていたのだ。
その証拠にローガン様は今、息一つ切らさずに戦った相手と会話をしている。
僕はアーロンが言っていた言葉を思い出した。『自分が剣の修練を続け、強くなるのを実感する度に、自分より更に上の人物がどれだけ遠いかというのを実感します。それは自分が登る度に鮮明に分かっていって、寧ろ遠ざかっていると感じてしまう程です。』
僕はこの事なのかと愕然とした。僕が今日の朝にソフィアに負けて感じていた気持ちがどれだけ小さい事なのか、僕は自分の気持ちを恥ずかしく思った。
「ここにいましたか。ルーク様。」
「……アーロン。」
「やはり強いですね、あの男は。」
辺りは拍手と喝采に飲み込まれていた。そこにはレグル派とリオル派の垣根などどこにも見当たらず、皆が一つになり円の中心に称賛を贈っていた。
その理由は簡単だった。皆、僕と同じ様にあの剣技に魅了されたからだ。ローガン様の剣術は美しい剣という訳ではない。驚く様な変わった体の動かし方がある訳でもない。しかし何故か人の目を惹きつけるものがあった。
前線にて僕達には想像出来ない程に磨き抜かれ、見る者を奮い立たせる、唯一その人だけの剣技。それがローガン・グレイランの剣だった。
「あれが、英雄ということですか。」
「ええ、そうですね。あれが英雄の剣技です。」
アーロンはそう返すだけだった。僕はその場に暫くの間立ち尽くした。
食事会が終わり、あんなに賑やかだった中庭は閑散としていた。僕等の他には数人残っているだけで、その数人ももうすぐ帰ってしまうだろう。僕とソフィアはエミィに別れの挨拶を告げる為に、まだ残ってくれている憲兵団の一団に近づいた。
「本日はこの食事会に来て下さり本当にありがとうございました、憲兵団の皆様。お蔭様で無事に終える事が出来ました。」
「ん?ああ、ルークか。お前も子供だっていうのに大変だな。」
「いえ、ローガン様の方こそ、私達の食事会で剣技を披露して下さり、ありがとうございます。あれのお蔭で大いに盛り上がりましたよ。」
「ははは、あれは礼を言われる様な事じゃないさ。剣の心得がある者達がこんな風に外で集まったっていうのに、一つも試合が始まらないなんて有り得ないことだからな。」
「それでも、あの剣技を見ることが出来て、私は幸せですよ。本当に――」
「あ、あの!」
その突然に響いたの声の主は、なんと僕の隣にいたソフィアだった。ソフィアはこんな堅苦しい会話に態々入り込む様なことは絶対にしない。だから僕は驚愕と共にソフィアの方に振り向いた。
「あの、私とも、試合をして、頂けませんか?」
僕はまた更に驚いた。ソフィアはローガン様に試合を申し込んだのだった。
「ソフィア!」
「良いだろう。」
「え?」
僕はまた驚かされることになった。ローガン様があっさりとソフィアの申し出を了承してしまったのだ。
「良いのですか?ローガン様?ソフィアはまだ剣を始めたばかりですよ?」
「そんな事は分かり切っているさ。」
「ですが……」
「……ローガン様、ソフィアと手合わせして頂けるのは非常に有り難いことです。しかし、ソフィアはまだ子供です。剣を交えるからには一線を超えない様にして頂きたい。」
僕が言葉に困っていると、いつの間にか僕達の後ろにいたアーロンがそう言い放った。
「ああ、勿論分かっているさ。俺だってそんな面倒な事にする気は更々ない。」
「ならば私に異存はありません。……ソフィア様、良い勉強の機会です。存分にやると良いでしょう。」
「うん、ありがとうアーロン。」
ソフィアとローガン様、二人が剣を携え向かい合った。僕はそれを見ていることしか出来なかった。
「準備は良いか?」
「……はい!」
ソフィアのその掛け声と共に、二人は息を合わせたかの様に一斉に駆け出した。二人の距離があっという間に縮まり、そしてその走る速度が十二分に乗った剣が打ち合わされる。剣と剣がぶつかり合う音が、試合を始める鐘の音の様だった。
その剣の真っ向からの力比べに競り勝ったのは人喰いのソフィア、ではなくローガン様だった。アーロンでさえまともには受けようとしないソフィアの力を、ローガン様は受け切るどころか打ち返したのだった。
ソフィアは自分の攻撃をまさか打ち返されるとは思っていなかったのか、その顔が驚きに包まれた。しかしソフィアはすぐに体勢を立て直し、また僕の渾身の力より強い力で剣を振り下ろした。
その攻撃に対してローガン様はそれに合わせて剣を振り、そしてまたもや打ち返した。先程と同じ様にソフィアの体勢が崩された。
ソフィアは一度目の攻撃を打ち返されたことが偶然でない事を知った。力任せが効かないと分かったソフィアは剣の振り方が慎重で多彩になった。今までの攻撃の様な真正面からの振り下ろしだけでなく、突きや袈裟斬り、逆袈裟等を織り交ぜて様々な角度から仕掛けた。
更にその俊敏性を活かして側面からも剣の軌跡を飛ばした。左右から上から下から、全ての方向からローガン様は攻撃を受けた。
流石にローガン様だって、この剣の嵐にはいなすのに苦労するだろうと僕は思っていた。しかしローガン様はいなすどころか、この無数の攻撃に対して、全て真っ直ぐに打ち返すことで対応していた。攻撃の一つ残らず全てに対してである。
「……凄いね。」
「エ、エミィ?」
いつの間にか、僕の隣にはフードを深く被ったエミィが立っていた。試合に夢中になり過ぎて、近づいている事に僕は気がつけなかったようだ。
「確かに凄いね、ローガン様は。ソフィアの猛攻をあんなに涼しく対応しているんだから。」
正に練習試合といった光景だった。ソフィアの攻撃は一切通る様子は無く、しかもローガン様が攻撃に転じる様子も無い。
「え?違うよ。ソフィアの方だよ?」
「え?」
何をエミィは言っているのだろうと、僕は少し残らず間だけその言葉を飲み込めなかった。だがよく考えてみればエミィは僕達なんかよりずっとローガン様の剣技を見る機会がある筈だ。それなのに態々僕にローガン様の剣技が凄い、と言いに来る必要は無いだろう。
だからこの称賛は当然ソフィアに向けられるものだ。僕はようやくエミィの言葉の意味を理解した。
「ソフィアはまだ剣を練習し始めてから一年と少ししか経っていないんでしょう?それとも一年くらい経てば皆あれくらいは出来るようになるの?」
「いや、ソフィアは剣の訓練に関しては物凄い努力をしているからね。それに、生まれ持っての才能もあるし、皆が一年であれくらいになるのは難しいんじゃないかな?」
「そうなんだ……」
僕達が話している間にもソフィアの攻撃の苛烈さは勢いを増していて、もうこれが試合だということを忘れていそうなくらいだった。
しかし、勢いを増していたのはソフィアの方だけでなく、ローガン様の防御の鋭さもだった。ソフィアが攻撃の速度が速くなる度に、それに合わせる様に防御が早くなっていった。当たり前のことだったが、僕はソフィアが手も足も出ないどころか、合わせてもらっているこの状況に驚いていた。
ソフィアはずっと攻撃をし続けていたけれど、少しずつ押され始めていた。そう感じたのは僕の勘違いではない。ソフィアの剣は段々と彼女の体の近くで弾き飛ばされ始めていて、ソフィアの自慢の俊敏性すらも、ローガン様の剣の軌道により狭められていた。
僕は攻撃しながら追い詰められているソフィアを見て、奇妙な光景だと思った。攻撃しているのに不利な状況になっているなんて、目で見て頭で分かっていても腑に落ちなかった。
その何とも言えない気持ちが悪い感情は、僕よりも当人であるソフィアの方が強く持っていた様だ。ソフィアはどうにかしてこの場を打開しようとした。
「ふっ、せやぁぁぁ!」
それは最初の一撃の様な真っ直ぐな攻撃だった。どんなに探しても無い様な隙を見つけ出し、そこに向かって最短距離で届く様な突きをソフィアは放ったのだ。
その突きはローガン様の胸を貫こうと迫った。僕から見ても、ローガン様の虚を突いた様に見えた。しかし、剣は空を切るだけだった。
「えっ。」
そこで始めてローガン様は攻撃を避けた。思い返せばローガン様は一言も攻撃は避けないと言っていない事に僕は気づいた。
気がついたときにはソフィアの首元には剣の刃が添えてあった。
「まぁこんなところか。」
剣をソフィアの首筋から話すと、ローガン様はそう呟いた。思い返すとこの模擬戦は圧勝だった。あるように見えた隙も、態と作った隙なのだろう。ソフィアのつけ入る隙なんて一つもなかったのだ。
「こいつに剣を教えているのはあんたか?」
「……ええ、私が教えてさせてもらっています。ああ、申し遅れました。私はアーロンという者です。ルーク様とソフィア様のお目付け役も任されております。以後お見知りおき下さい。」
アーロンは丁寧な返事をローガン様に返した。
「こいつは……ああ、ソフィアは剣を始めてどのくらいだ?」
「一年と少し、ですね。」
「ほう、たったそれだけか。中々筋が良い様だな。……しかし珍しいな。人喰いが剣なんかやったって、どう転んでも使うことなんて無いだろうに。」
「私はソフィア様の意思を尊重しております。」
「……そうかい。」
ローガン様はソフィアをまた見遣った。見られているソフィアはそれに気づかず、少し放心した様に剣を見つめていた。
そしてその後、ローガン様は驚きの一言を言い放った。
「……折角だ。アーロン。俺と手合わせをしてくれないか?」




