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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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3-2.9.種火

 ここは王城の地下。一人の男が椅子に腰掛け、人を待っていた。軍服を着た彼の隣には、大きな牢屋があった。その牢屋は何人でも入れそうな大きさだったが、今入っているのは人喰いの少女二人だけだった。

 二人は彼から離れるように牢屋の中の隅に固まって座っていて、前の牢屋でもそうしていた様に、大きい方が小さい方を守る様にして抱き締めていた。どちらも随分と衰弱していた。それもその筈で、二人は五日の間何も食べておらず、半年の間、彼女等にとって重要な人間の肉を一欠片も食べていなかった。二人はもう飢餓により死んでしまう寸前だった。

 男は何も話さず、二人を監視する様にずっと椅子に座っていた。人喰いの二人は永遠に感じられる不安の中にいた。そして遂にそれは音になって現実に現れた。

 遠くの方から誰かが歩いて来ていた。それは段々とこちらに近づき、それと同時にはっきりと聞こえるようになっていった。それは二人にとって、何よりも恐ろしい死神の足音の様だった。

 次第に足音は二つあるというのが二人には分かった。同時に男が立ち上がり、音のする方へ視線を向けた。二人に対して男は、足音の主のことも含めて何も言わなかった。

 果たして、牢屋の前に現れたのは年老いた司教と、図体が横に大きい医者の二人だった。

 「こんばんは、ライノス将軍。今回は汚れ役を任せてしまいましたね。」

 「こんなもの汚れ役の内には入らんさ。それよりも、重要な事があるだろう。クライン司教。」

 ライノスと呼ばれた男は牢屋の中の二人の少女を見た。得体の知れない者が現れた事により、人喰いの二人は警戒を強くした。

 「入ってもよろしいですか?」

 「手を噛まれてもよいというのなら、ご自由に。その二人は貴方に随分と注意を払っている様だ。」

 「それは十分承知の上です。行きましょう、モートン。」

 ライノスは一つの鍵をクライン司教に渡した。クライン司教は牢の扉を開け、それを潜って入って行く。後ろからモートンも付いて行った。二人の少女は近づく二人から少しでも離れようと、牢の一角に身を寄せた。

 その反応を見た司教と医者は、ある程度の距離を二人の少女から取って、近づくのを止めた。その反応は予想の内だったようだ。

 「怖がらなくても良いのですよ。私達は貴方達を無闇に傷付けるつもりは、一切有りません。私達は、貴方達を助けたいと思っているだけなのです。……ともかく、まずは食事を摂りましょう。その様子では、あまり食べ物を得られていなかった様です。……モートン。」

 「はい。」

 モートンはずっと手に持っていたお盆を二人の少女の前に置いた。そして元の位置にまで戻って、にこりと二人の少女に笑って見せた。モートンが置いたお盆の上にはこの冷たい場所と真反対の、焼き立てで良い匂いのするパンと、まだ湯気立つスープがあった。

 二人の少女の内、小さい方は先程からその食事に目が釘付けだった。今にも飛び掛かりそうにしている。しかし、大きい方はそれを制止する様に腕で抑えていた。そして未だに警戒する目をクライン達に向けている。

 「ふむ、警戒せずとも良いのですよ。それに変なものなどは入れておりません。……そうですね。」

 今度はクラインが少女達の方に近づいた。そして足元にあるお盆の前で屈んで、パンを千切りそれを口に運んだ。

 大きい方の目はそのクラインの動作を、一瞬でも逃すまいとじっと見ていた。

 「ほら、なんとも無いでしょう?」

 クラインはお盆の前からゆっくりと後ろへ下がっていく。大きい方の少女がその光景に僅かに気を緩めていると、その隙を突く様に小さい方が目の前のご馳走に飛び掛かった。

 大きい方はそれを止めようとしたが、小さい方の様子に観念したしたのか自分も食べ始めた。クライン達はそれを黙って見ていた。冷たい牢獄に束の間の柔らかい沈黙が流れた。

 二人の少女は余程お腹が空いていた様で、パンやスープはあっと言う間に無くなってしまった。丁度良い時間を見計らい、クラインはそっと二人に語りかけた。

 「私達が貴方達に危害を加える気は無いというのが、分かってくれたでしょうか?……取り敢えず、まずは自己紹介をしましょう。私はクライン。この国では司教という仕事をしています。」

 「それで、私がモートンという者です。医者をやっております。よろしくお願いしますね?」

 「そして、外にいる気難しい顔をした人が、ライノスという人です。怖い顔をしていますが、貴方達をとって食おうとしている訳ではありませんから、安心して下さい。……さて、貴方達の名前を教えて頂けませんか?」

 クラインの言葉に、大きい方の少女は俯き、少しの間考えた後にクラインの目を見て、はっきりとした口調で言った。

 「私は、アデル。……こっちは妹の――」

 「レティア。」

 姉の言葉を妹が引き継いだ。姉妹の仲はそのお揃いの赤髪も手伝って、とても良さそうに見えた。

 「アデルとレティア。」

 クラインは噛み締める様に、二人の名前を反芻した。

 「私達は、貴方達の事をあまり知りません。又聞きの事しか分かっていないのです。ですから、私達に貴方達の事を教えて下さいませんか?そうすれば、貴方達をもっと手助け出来ると思うのです。……安心して下さい。私達は人間ですが、人喰いだからと言って貴方達に酷いことは、誓ってしません。」

 「……」

 アデルは疑った様子で暫くの間、クラインを観察していた。しかしある程度は信用する事にしたのか、それともこの状況で拒否しても得することは無いと諦めたのか、アデルはやがてぽつぽつと今までの事を語り始めた。そこにはこの二人の少女の行く末を決める、最後に残った希望の全てが託されていた。





 彼女達はヒーネルビスという人喰いの国で生まれた。

 ヒーネルビスは一口に国と言っても、その街ごとの仲は非常に悪かった。街ごとにそこを支配する一族がおり、それぞれがそれぞれの街の決まりをつくり、身勝手に治めていた。ヒーネルビスの王はただ一番大きな街を支配しているだけで、いつ王が変わっても可笑しくない状態だった。

 アデルはヒーネルビスのそこそこ大きな街を支配する一族の長女として生まれた。それは本来、幸運な生まれの筈だった。しかし、アデルには他の人喰いとは全く違う、不運としか言いようがない特徴があった。

 アデルは人喰いの癖して、人間の肉を食べられなかったのだ。それはアデルが人間を意図して食べないようにしたのではない。アデルは必死に人間の肉を胃の中に入れようとした。両親も人の肉を食べないアデルに無理矢理にでも食べさせようとした。

 しかし人間の肉を口に入れる度に、アデルはその悪臭と鉄の濃い味に嘔吐し、口の中が腫れた。例え胃の中にそれが入り込むものなら、胃は全力を尽くしてその異物を排除しようとした。

 その拷問の様な食事に耐え、ほんの一欠片の肉を胃に収め、無理矢理に消化させたとしても、そんな彼女を襲うのは激しい悪寒と発熱、体を蝕む様な痒みだった。

 そんな彼女に両親は絶望し、新しい子供を両親はつくる事にした。両親がアデルに話し掛けることが殆どなくなる頃、二人目の子供が生まれた。アデルと同じ女の子だった。両親は今度こそ、と思った。

 これで二人目が普通の人喰いならば、アデルが密かに消える事で全てが丸く収まっただろう。

 しかし、現実は非常だった。二人目もアデルと同じ特徴を持っていた。名前をレティアといった。

 二人目も駄目だということを知ると、母親は潰えた希望と一緒にこの世を去った。父親は二人を周りの同族(てき)から隠しながら自堕落な日々を過ごしていった。この事実が他に知れ渡ったら、この街全てがどうなるか分からなかった。

 アデルとレティアはこれからどうなるか全く分からない人生に絶望を抱えて生きた。いつも閉じた部屋で二人きりだった。二人で何度か死んでしまった方が楽なのではないかと、話し合った事もあった。

 しかし、結局二人は死ななかった。生きる希望は無かったが死ぬ勇気も無かった。付け加えるなら、どうやったら楽に死ねるかすら二人には分からなかった。苦しみはもう嫌だった。

 ある時、父親が一人の女性を家に連れて来た。その女性はもうかなりお腹が膨れていた。父親は長い間一人だったが、遂に再婚したのだった。二人の予想通り、その女性はすぐに子供を生んだ。勿論、父親との子供だった。今度こそ、普通の子供だった。

 二人はここから逃げよう、と話し合った。自分達が邪魔者であるのは痛いほど理解していた。生まれた子供が普通だと分かってから、父親の自分達を見る目が変わってきていた。二人は一晩で準備を済ませ、少しだけの路銀を金庫から盗み出し、深夜に家を出た。

 二人は、一人で酒を煽り泣き尽くし、二人に何もせずにいた父親に殺されたくはなかった。

 二人の逃避行には多くの追手が付いた。二人のことを他に知られぬように、それは鬼気迫ったものだった。

 二人は子供だけで他の街に入り込むのは不可能だと悟り、山や森の中を走った。二人が国境まで追手から逃げ果せる事が出来たのは、奇跡だったと言えるだろう。国を超えると追手の姿は煙の様に消えた。

 二人は吸血鬼の国へやって来ていた。二人は近くの村人の振りをして街に入った。街に入ること自体は簡単だった。しかし、二人は今度にお金で困った。山や森を走ったお陰で盗んで来たお金は一切使われていなかったが、通貨が違う為にそのお金はただの金属片になっていた。しかも人喰いのお金であるから、金属としても売ることなども危険過ぎて出来なかった。

 二人はどうにか子供でも――人間でも吸血鬼でも――出来る仕事を掴み、安い賃金で(しばら)く働いた。辛い毎日だったがどうにか生きる事は出来た。

 しかし、問題は続けてやって来た。家から持ち出した人間の肉がとうとう尽きたのだ。これには二人は非常に困った。補充などここでは出来そうになかった。吸血鬼の街の人間達は、人喰いの自分達の街よりずっと厳重に管理されていた。スラムなどの浮浪者を探そうにも、スラムに入り込んでしまえば逆に自分達が肉にされそうだった。

 更に困難は続いた。街に人喰いを探している奴がいる。との噂が流れたのだ。追手は諦めていなかった。二人はすぐに逃げる準備をした。そして吸血鬼の目が疎かな昼間に街を抜け出した。

 行き先は人間の国だった。そこぐらいしか考えつく場所は無かった。人間の街の国境は、人喰いと吸血鬼との国境より厳重に守られていたが、越えるのは不可能ではなかった。国境では吸血鬼達が常に小競り合いを起こしており、混乱に乗じて二人はどうにか街に忍び込んだ。

 日光を浴びている二人は街中でも疑われることはなかった。随分と前から人間の街中に侵入するのは、ほぼ全てが吸血鬼である為、日光を浴びている者は全て人間だと思われていたのだ。二人は無意識に人間の意識の隙を突いていた。

 二人は誰もいない廃屋に身を潜めた。人間の国ではどこの誰か分からない子供は働くことすら出来なかった。

 二人はともかく、人間の肉を確保しようとした。見つからない様にじっと息を殺し、バレない様な人間を探した。じっと人間達を観察した。

 そして、いつしか自分達が観察されている事に気がついた。逃げようとした時には遅かった。彼女達は憲兵に捕まった。その銀色の拘束具に触れた途端、体は言うことを聞かなくなった。





 「……ふぅ、これで全部。私達がして来たこと全部話したよ。」

 アデルは疲れ果てて、壁に背中を預けた。ここまで長く話していたのは人生で初めてだった。今までの一生分の話を、これからの一生分で話した気持ちだった。レティアはずっと前に眠ってしまっていた。アデルの腕の中で困った事なんて一つも無いかのように、その顔は安らかだった。

 「……ありがとうございます。ここまで話してくれて。疲れたでしょう?今日はもう休みなさい。明日また会いましょう。安心して下さい。貴方達を必ず守ると誓いましょう。」

 「それなら……休む事にするよ。」

 「ああ、そんな冷たい場所でなくて、あちらで休みなさい。」

 クラインが示した先には、牢屋には少し似合わない厚い布が敷かれた寝床があった。アデル達は自分達に不釣り合いなその場所を警戒して、その寝床に近づいていなかったのだ。

 アデルは寝ているレティアを起こさないように寝床に運んだ。クラインとモートンはそれを邪魔しない様にそっと牢を出た。

 「行きましょう、ライノス将軍。」

 三人は人喰いの二人を置いてその場を後にした。





 「まだあの者達がどうなるか決まった訳ではないぞ。あの話が全て本当かどうかすら、まだ分かっていないのだからな。」

 ライノスの言う言葉をクラインは心の中で同意した。寧ろクラインはあのアデルという少女が嘘をついていると確信していた。何故ならあの少女の話では、彼女達がこの人間の国まで追手に追われるには理由が薄過ぎた。

 彼女の話や捕らえられた追手の話、そしてヒーネルビスの生活習慣、文化を鑑みて、恐らく彼女達は故郷で人間を殺している。クラインはそれを間違いない事だろうと考えていた。

 「重々理解しておりますよ。ですが私にはあの少女が嘘をついている様には見えませんでした。嘘をつくにはあの少女は疲れ過ぎています。」

 アデルという少女は賢い子供だ。アデルは牢にいる間ずっと情報の出し方を考えていたのだろう。しかし、疲れから辻褄合わせが少し上手くいかなかった。

 「疲れ過ぎている?」

 「ええ、本当に疲れた者は、特に心が疲れてしまった者は、嘘をつきにくくなります。本当に疲れてしまっているから、頭も働きません。それであの様な壮大な嘘をつけるなら、あまりに傑物過ぎます。」

 「……まぁ良いさ。私が知りたいのは、あの少女が本当に拒食症であるかどうかだ。」

 「それこそ真実でしょう。本来、人喰いは半年も肉を食べなかったら生きていません。三ヶ月が限度です。そうでしょう?モートン。」

 「はい。あの二人は人喰いの飢餓状態の特徴である、理性の喪失が一切見られませんでした。牢の中に二人の人間がいたのにも関わらずにです。間違い無いでしょう。あの二人は人間の肉に拒絶反応を持つ拒食症であり、そしてそれを補うかのように、人間の肉を摂取する量が最小限で済むという特性を持っています。その原因が判明すれば……」

 「ええ、私達の夢が叶うかも知れません。」

 「……ふん、それならあの二人が処分されない様に気をつけるんだな。私が出来るのはここまでだ。決して、目的の為に馬鹿げた手段を取るんじゃないぞ。」

 「勿論です。私は馬鹿げた事など出来ませんよ。皆の為にも、あの二人の人喰いの少女達の為にもね。」





 今日の夜は雲が星を隠し、暗く暑苦しい夜だった。しかし、地面にはいくつもの火があり、夜闇で蠢いていた。その火は小さなものだった。自分の周りの少ししか照らしてくれなかった。照らされず暗闇に隠されたものは無数にあった。しかし今、小さな火種はそれに近づいていっていた。隠されたものが照らされる時、何が起きるのか。暗闇を見る事が出来ない者達には、それは分かる筈も無かった。

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