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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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2-14.人間達の街

 太陽の光は壁で阻まれ、路地裏は影で包まれていた。通り抜ける風のせいもあって、少し肌寒い。しかし、この環境は吸血鬼にとっては居心地の良い場所だ。ここから太陽が直接睨む日向に態々(わざわざ)行こうとするなんて、普通の吸血鬼ならばしない。

 俺は隣を歩く少女を見ながら、そう思った。普通の吸血鬼ならばしない、それ自体は正しかったがこの少女は普通ではなかった。吸血鬼の中でも、少女は唯一の存在だった。

 「ねぇ、ローガン。」

 「なんだ?」

 「私、吸血鬼だってバレたりしないかな?こんな風に顔も隠してるし、怪しまれるんじゃ……」

 「ああ、そんな事か。大丈夫だ。この土地は昔から日差しが強くて、吸血鬼でなくても、多少肌に痛い。こんな風にして日差しを避けている奴は沢山いる。簡単に紛れ込めるさ。」

 「そうなの?それじゃあ、大丈夫、なのかな。」

 エミィは不安そうに、身を縮ませている。それは今迄どこかへ行っていた恐怖が、今その身に舞い戻って来たかの様だった。俺は何故もう少し早く戻って来なかったのかと、その恐怖の無能さに腹を立てた。しかしその怒り自身も、特に役に立つものではなかった。

 既にこの吸血鬼は街に降り立ってしまっていて、俺はそれを手伝って――それどころか主導した――いて、万が一見つかってしまえばどうなるかは分からなかった。もう後戻りは出来ないところまで来ていた。

 俺達は影の中から日の当たる場所へ足を踏み入れる。そこそこに大きい道で人の往来が激しく、そして道に沿う様に出店が立ち並び活気があった。人々の大半は右から左に流れて行っていて、そちらの方からは多くの声が重なって聞こえていた。

 俺達は人々の流れに身を任せ、賑やかな方へと歩いて行く。エミィは俺の数歩前のところで、左右に並ぶ出店を一つ一つ珍しそうに眺めながら歩いていた。

 少し歩いている間に、人の密度はみるみる上がっていく。気を抜けばまだ背の低いエミィなどはすぐに身失ってしまいそうだった。





 先程から聞こえていた賑やかな声の正体は朝市だった。この周辺に暮らす人々が集い、同じく集った商人達が持ち寄った商品を値踏みしている。

 商品は主に食品で、肉や魚、野菜、果物、穀物、香辛料、と様々な物が揃っていた。また、料理された物を提供する店も数多く並んでいて、時折日用品や装飾品、偶に何に使うのかよく分からない物を売っている店も見つけることが出来た。

 薄暗い部屋の中では絶対に見ることが出来ないその光景に、エミィは分かりやすく興奮している様だった。延々と並ぶ出店を順番に一つづつ見て周り、全ての品物に万金の価値があるとでも言うかの様に、一つ一つに釘付けだった。

 「ねぇねぇ、ローガン。これ何?」

 エミィの手には何やらおどろおどろしい木製の仮面が握られていた。派手な色使いだったがその仮面の表情は暗く、誰かを睨んでいる様だった。

 「知らん。」

 「えぇ、ローガンでも知らないことがあるの?」

 「何でお前は俺が物知りだなんて勘違いをしているんだ?そこの店員に聞けばいいだろう。」

 「ねぇ、これは何て言う仮面なの?」

 エミィは商品の列を挟んだ向こうに体を向け直して、その疑問をぶつけるのに正当な人を見て言った。

 「ん?知らないよ。」

 「ええー!」

 それからもエミィは飽きもせずにずっと商品を見ていた。しかしエミィの好奇心よりも先に、並んでいた出店の列が切れた。自分の進む方向に商品が無い事を知ると、はっとした様にエミィは顔を上げた。そして視線を何度か周りに向けた後、近くにいた俺を見上げた。

 「見るだけなのに、そんなに楽しいのか?」

 「ローガンは楽しくないの?」

 エミィは不思議そうな顔をした。恐らくこの少女にとって、市場を見て回る事は疑問の余地も無いくらい楽しいことなのだろう。

 「……まぁ、書類仕事よりもマシだな。」

 この場所は人々が集まりそれぞれに会話をして、小さい声と大きい声や、高い声や低い声、笑い声や怒鳴り声が混ざって重なっていた。

 そしてそれ等がどれがどれか判別出来なくなって、ただ一つ、人々の活力をはっきりと感じることが出来るこの場所は、俺にとって嫌な場所では決してなかった。

 自分は声を一つも出していないのに、ここにいるだけで喧騒をつくる一人になって、ここにいる人々に活力を貰っている様な気がしていた。

 その喧騒の中にお腹が鳴る音がはっきりと響いた。はっきりと聞こえた理由は目の前で鳴ったからの様で、目の前のエミィは両手をお腹に当てていた。

 「……何かいるか?」

 「良いの?」

 「ああ、俺は何も食わせない程鬼じゃない。」

 「じゃあ……あれ!あれ食べて良い?」

 エミィが指差した先には一つの出店があって、そこでは強面の髭面がかなり大きめの串焼き肉を焼いていた。随分と繁盛している様で、店の前に数人並んでいた。確かにその店から流れる匂いは、人を惹き付ける刺激的な匂いだった。

 その店の前の列に二人で並ぶと、匂いはより一層強くなった。肉を焼いている熱が風に乗って、顔の周りにまで届いて、焼けそうなくらい熱かった。

 並んでいた列は予想以上にするすると無くなり、前の人が串焼き肉を受け取りどこかへ立ち去ると、俺達の目の前に強面の親父が現れた。

 「いらっしゃい!二つで良いかい?」

 「ああ、二つで良いよ。」

 「はいよ、毎度あり!」

 代金を払い、代わりに渡された二本の串の内一つをエミィに手渡すと、俺は店の前から朝市の外の方へと歩き出した。そして椅子の代わりになる丁度良い植え込みの囲いを見つけ、そこに座った。

 串焼き肉は本部にある食堂と比べて、かなり刺激的な味付けがしてあった。しかし思っていたより自分は腹が空いていたのか、肉はあっという間に胃の中に滑り込んでいった。

 隣に座ったエミィは焼きたての熱さに苦戦しながらも、勢い良く串焼き肉に齧り付いていた。暫く無言の時間が続き、手に持った串から肉が無くなった。

 「……本当に皆、外套で肌を隠しているんだね。」

 エミィが独り言の様に言った。見ている先には朝市に集まる人々が未だに数多くいた。その半分くらいがマントやコート等の腕や顔をあまり見せない服装をしていた。

 「ああ、俺達が顔を隠していても、よく溶け込めているだろう?」

 「でも、着てない人もいるね。」

 「肌の強い弱いは人それぞれだからな。」

 エミィの言う通り、人々のもう半分は俺達の正反対の薄着をしていて、市場には全く肌を見せない人と日焼けの跡が目立つ人とが入り混じっていた。

 「ふうん……」

 エミィは(しばら)く人々の様子を座って見ていたが、やがて飽きたのか立ち上がり、こちらに振り向いた。

 「ねぇ、ローガン。まだここを見ていて良い?」

 腹にものが入ってより一層元気になったのか、エミィの声は弾んで聞こえた。本当に楽しそうな声で、一瞬、それが自分に掛けられたものではないような気がした。

 「……ああ、良いぞ。時間はまだある。」

 「本当?やったあ!」

 エミィはその言葉を聞いて、笑った。先程までフードによって表情など全く見えなかったのに、その時だけは、その笑顔がはっきり見えた。それは何の皮肉なのか、太陽の様に眩しい笑顔だった。

 駆け足でエミィは人混みに入って行った。俺はまた、自分は何をしたいのだろう、と溜息をついた。そして重い腰を上げた後、エミィを見失ってしまわないように歩き出した。

 結局、エミィが満足したのは市場を殆ど全て周り終わった後だった。半分くらい見れば十分だろうと予想していたものが大きく外れた。俺は途中から先程の店と今見ている店は何が違うのだろうと、常に思いながらエミィについて周っていた。最後の方になると、エミィには自分には分からない違いが見えるのだろうと、勝手に一人で納得していた。





 長い長い朝市見学が終わり、俺達は乗り合い馬車に乗っていた。郊外へ向かうこの馬車の中には、俺達の他には杖を持った老人と、母親と女の子の母娘がいるだけだった。

 馬車の中はとても静かで、小気味良く回る車輪の音と、馬の足音だけが継続して聞こえていた。時折子供が何か我が儘を言って母親がそれを窘めるという事が起こったが、それは煩わしいというより、単調で退屈だった道程を紛らす、寧ろ心地良い出来事だった。

 俺は揺れる椅子に座りながら、馬車の外の景色を見ていた。しかし景色は代わり映えする事なく流れるだけで、退屈を紛らすには不十分だった。これがいつも見ない景色ならなんとか見れたのかも知れないが、生憎この景色は憲兵になってからの十年の中で、一番見た景色だった。

 俺は視線を馬車の中に移した。そしてエミィの方を見てみた。この少女ならこの変わらない景色を飽きもせず、ずっと眺めているのだろうと思ったのだ。しかしエミィの頭の向きは馬車の外を向いていなかった。それは馬車の中を見ていた。馬車の中の母娘を見ていた。

 馬車は長い間沈黙していた。聞こえるのは馬車が走る音だけで、声は一切聞こえなかった。子供は母親の叱りが効いていたのかずっと黙ったままだった。

 どれくらいの時間が経ったか、遂に馬の足音が段々と消えていった。その音が完全に無くなった時、御者の掛け声と共に乗客は立ち上がり、順番に降りていった。俺達も運賃を渡して、久し振りの地面に足を着けた。

 それと同時に馬車は去って行く。俺達の目の前にあったのは大きな神殿だった。





 神殿に入ると、光はあまり入っておらず薄暗く涼しげな場所だった。そこで俺はフードを脱いだ。エミィもそれに合わせてフードから頭を出した。神殿には誰も居なかった。恐らく奥には誰かいるだろうが、この空間には俺達だけがいた。

 神殿の中に入るのは久し振りのことだった。いつから来ていないか思い出してみると、七年前の前団長や前副団長の葬式以来だと分かった。

 その時の講堂はここよりもずっと大きかったが、構造自体は変わらなかった。一番奥に祭壇があり、その手前、中央に広い空間がぽっかりと空いている。そしてそれを囲む様に人々が座る長椅子が設けられていた。

 「ねぇ、ローガン。ここでは何をすれば良いの?」

 声を潜めてエミィが言った。ここには誰も居なかったが、大声を出してはいけないというのを空気で感じ取った様だった。

 「……何も特別な事はする必要はない。そこの椅子が並べてあるところへ行って、胸の真ん中に手を当てて、頭を下げて、祈ればいい。」

 「それだけで良いの?」

 「ああ、それだけでいい。……まぁ、お前が祈ったところで何も無いと思うがな。」

 「どういうこと?」

 「ランベル教は死んだ人間(﹅﹅)を向こうまで連れて行って、そこで人間が生きていた時の行動に応じて対応をして、またこっちに送り出す、という宗教なんだ。……ああ、祈るなと言っている訳じゃない。お前が祈ったところで何か悪い事が起きる訳じゃない。祈りたければ好きなだけ祈れば良い。」

 「……分かった。やってみる。」

 エミィは俺が指差した方へ行って、そして胸に手を当て、頭を下げて、祈り始めた。何に祈っているのか、何を祈っているのか、それは俺には分からなかったが、ともかく祈った。

 俺は横でそれを見ていた。それは不思議な光景だった。俺は吸血鬼について生活様式もよく知ったつもりでいたが、この光景は初めて見る光景だった。

 その様子を見ていると、時間の感覚があやふやになってきた。光が差し込まないここでは、エミィが長い時間祈っているのか、それとも案外短いのか分からなくなっていた。ふと、エミィが顔を上げた。胸に当てていた手をゆっくりと落とした。

 「終わったか?」

 「うん。」

エミィはこくりと頷いた。何を祈ったのか聞こうとしたが、止める事にした。聞いてはいけないような気がしたからだ。

 「ねぇ、ローガン。」

 「何だ?」

 「ルークやソフィア達はこんな風な場所に住んでるの?」

 「いや、あいつ等が住んでるのはもっと大きい神殿だ。ここなんかとはかなり違う。」

 「ふうん……ねぇ、ローガン。ルーク達はどうやってこの街で暮らしていられるの?人喰いは、人間の肉を食べなければ生きていられないんでしょう?それって、吸血鬼よりも難しいと私は思うんだけど。」

 エミィは続けて質問をした。神殿に来たがっていたのは、前に一度だけ会ったあの混ざり者達の事が気になっていたかららしい。

 「……レグル派っていうのは、まぁいろんな事があって今に至る訳だが、元々のレグル派が出来る原因になったレグル・シンクロードは裁判人だった。それが今でも受け継がれていて、レグル派には裁判人が多い。そして、この国では強盗なんかをした奴には腕一本、逃げたりなんかしたら足一本っていう決まりがある。……後は分かるな?」

 「……そ、そうなんだ。」

 エミィはそれを聞いて青い顔していた。腕を切られた様子でも想像したのかも知れない。

 エミィはそれから神殿の装飾を見るなどしていたが、朝市を見ている時よりも随分あっさりと見終わった。それから何をする訳でもなく俺達は神殿を後にすることにした。外へ出ると太陽が低いところにあり、俺は咄嗟に目を細めた。エミィは既にフードを被っていた。俺も深くフードを被った。

 俺は神殿の前で帰りの馬車を待っていた。まだ馬車が来る時間は遠かったが、何故か神殿の中で待つ気にはなれなかった。

 風が夜の訪れを逸早く告げる様に冷たく吹いていた。風の音だけが俺の耳に届いていた。しかしふと、そこにエミィの言葉が聞こえて来た。それは呟く様に小さな声だったが、確かに俺に対する言葉だった。

 「ねぇ、ローガン。私は、……私のお母さんやお父さんは、本当に殺されるくらいの悪い事をしたの?」

 「……」

 彼女はいつからそれを知っていたのだろう。

 知る機会などはいくらでもあった。レイリーに聞いたのかも知れないし、もしかしたらケインが話したのかも知れない。それでなくとも兵士達の話を密かに聞いてそれで知ったというのもあり得る。しかし、いつから知っていたのだろう。いつから知って、今迄俺の近くにいられる事が出来たのだろう。

 俺はその言葉に対して、返事はしなかった。そしてただ馬車を待った。そして無限に感じられる時間を過ぎた頃、馬車はゆっくりとこちらに歩いて来た。今度は誰も乗っていなかった。

 俺とエミィはそれに乗った。夕日が真横から馬車を照らしていて、その為エミィは深くフードを被っていた。だからエミィの表情は全く見る事が出来なかった。

 乗り合い馬車は俺とエミィを乗せ、街の中心へと駆け出した。

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