2-11.二人組の人喰い
いつからか、馬車の外から活気のある音が聞こえてきていた。俺は閉じていた目をゆっくりと開ける。そしてちらりと外の景色を見る。小さな窓からは強い光が差し込み、俺はそのあまりの眩しさに目を細めた。
それから目が慣れてくると、ようやく外の景色を眺めることが出来た。背の高い建物が立ち並び、その隙間を縫う様にして太陽がちらりちらりと顔を見せていた。
「……ん?おはようございます、団長。」
「ああ、おはよう。」
目の前にいた団員の一人が、自分が起きたのに気がついたのか、声を掛けてきた。よく馬車の中を見れば、他にも五、六人の同じ団員がいたが、起きているのは俺達を除けば一人を除いて全員が寝ていた。その一人もうつらうつらとしている。
「済まないな、急にこんな収集をして。」
「いえ、これが仕事ですから。」
俺達は今、報告書にあった二人の人喰いを王城にいるライノスの元まで護送する為に、人喰いが発見された地区、アドワベル山脈の向こう側にあるハイドントルに向かっていた。
報告書にはその二人の人喰いを発見した後、そのまま監視を続けており、その事は対象に気付かれていない様であるが、出来るだけ速やかに確保専門の者達を送って欲しい、という旨が記されており、その為、俺は報告書を受け取ってすぐに――夜に差し掛かる辺りの時間に――今はここで寝ている護送専門の兵士達に収集を掛けて、夜通しでここまで走って来たのである。
「しかし、団長は来る必要があったのですか?私達だけで十分な案件だと思うのですが。」
「ライノスからの依頼だからな。まぁ、保険だと思ってくれ。」
「はぁ……そうですか。」
周りを見渡せばいつの間にか団員達の殆どが目を覚ましているようだった。その様子を見ると、寝覚めはあまり良くなかったようだ。団員達は首を回したり、腰を叩いたりしている。それは当然の事だろう。こんな冷たい風が通り抜ける護送用の箱の中で、平たい鉄に薄い布を当てただけの椅子に座って熟睡出来たら、それは一つの才能だ。
俺は一つ伸びをして凝り固まった体をほぐす。まだまだ道のりは長い。このオルトラムという国は気が遠くなる程に広大なのだ。
結局、ハイドントルの支部へは5日目の昼過ぎに到着する事になった。馬車が敷地内に入ると、兵士達が近づいて来る。その兵士達は馬車から出て来た俺に少なからず驚いたようだ。
「貴方は、ローガン団長?態々本部からここまで来たのですか?」
「ああ、そうだ。……支部長はどこにいる?」
「支部長殿は執務中の筈ですが……」
「案内してくれ。」
「はい。こちらです。」
兵士の一人に案内され、俺は正門から入って目の前にある四階建ての建物に入った。ハイドントル支部は本部ほど大きくはないが、周りの支部に比べればかなり大きな部類に入る。敷地内には今俺が入っている本棟とその左隣に一回り小さい西棟があった。どちらも北の方の名産物である赤レンガが多く使用されている。その為、外壁が真っ赤で、石材を多く使用している王宮や本部とは雰囲気がかなり違っていた。
この真っ赤な建材は北の地区では多く使われている一般的な物で、勿論、一番北の前線でも多く使われていた物だった。その為かこの赤レンガを見ると今でも気が引き締まる。この赤レンガの赤が、戦場を思わせる血の色に見えるのだ。
血の色に見える、というのは俺がそう感じているだけなのだが、案外、これは的外れな意見ではないのかも知れない。何故ならここはオルトラムの北、つまり前線に近い場所なのだ。歴史が言うことが本当ならば、ここは五十年前までは戦場のど真ん中だった。更に今でも街に侵入して来る吸血鬼達の被害を最も受けているのはここなのだ。この赤レンガのどれか一つくらいは、血によって染められた赤でも不思議ではなかった。
兵士に案内された部屋は、四階の一番奥の部屋だった。俺と案内してくれた兵士が中に入ると、待ち構えていたかの様に支部長が歩み寄って来る。
「ああ、団長。お久しぶりです。驚きましたよ。まさか直接来るなんて。」
支部長はその細身の体を軍服に包み込み、どこか急いでいる様な調子で言った。
「すまないな、早い方が良いと思ったんだ。それで、今人喰いの二人組はどうなっている?」
「ええ、その者達は今、ここの牢屋に入っていますよ。」
「ん?確か監視を続けているんじゃなかったか?」
「そうしていたのですが、監視していた者達が見つかってしまい仕方なく……」
「そうか。まぁ死んでなければ問題無いさ。そいつらの所へ案内してくれ。確認がしたい。」
「はい、勿論。ささっ、こちらへ。」
支部長は扉を開けて手招きする。彼の動きは一つ一つがせっかちで落ち着きが無かった。
牢屋があったのは本棟の地下だった。そこは本部と同じ様に空気が冷たく、物音がしなかった。支部長は迷い無く階段を下って行く。階段は無限に続くのではないかという程長く続き、代わり映えしない景色が続いた。横はともかく縦の広さならば本部のものを越えているのではないだろうか。
「こちらです。もうすぐですよ。」
ようやく階段を下り終えると、そこは地上の熱は殆どが地面に遮られ、今は昼間だというのにまるで明け方の様に冷えていた。随分と厳重に守っているらしかった。
「ここでは主に吸血鬼や人喰い、その他の重犯罪者を収容しています。」
階段からの細い通路を抜けると数人の兵士達が屯している部屋に出た。複数の机が並んでいて、大体の者が隣の椅子に座っている。大方見張り番の交代待ちだとかそのあたりだろう。
俺と支部長が入って来た通路と部屋を挟んだ向こう側に扉があった。取っ手には一目で強固だと分かる鍵がある。その先に二人組の収容場所があるのだろう。
「支部長殿、団長殿。お待ちしておりました。」
「ええ、ご苦労様です。団長が例の二人組を見たいとのことです。」
「はい、少々お待ち下さい。」
兵士の一人は壁に掛けてあった鍵付きの箱から束になっている鍵を取り出し、それを持って厳重な扉の前へ向かった。
「では、どうぞこちらへ。」
部屋に鍵が開かれる重々しい鉄の音が反響した。その先に見えたのは闇だけであり、しかし何かこちらを招く様な声が微かに耳に届いた。
牢の中に入れられている者達は皆一様に静かだった。何か喋るどころか誰もが身動き一つ取らずにいる。そして俺達が目の前を通る時は息すら押し殺してじっと待つのだ。その時誰しも目をこちらに向ける事は無い。頭を上げることすら無い。
両脇に少なくとも十数人の人影が見えているというのに、その全員が全員、石像になってしまったかの様だった。あまりに静か過ぎた。そしてその静かさというのは、植物の様な風に吹かれて吹き飛ばされる程軽くなく、狼や鷹等が獲物を狙う虎視眈々とした静けさでもなかった。まるでそれは草食動物が狩人から身を隠す様な、何かに押さえつけられる様な静かさだった。
はっきり言って異常な事だった。人間はまだしも、外からこの街に入り込む吸血鬼や人喰いがこんな態度を見せるなど、俺は見た事が無い。普通ならば、檻の外の人間に対して恨みの籠もった目を向けるくらいは絶対にある筈だ。ここは何かが普通とは違っていた。
不気味な通路を通り抜け、案内をする兵士はもっと奥の方へ行く。先程の気味が悪い静寂から本当の静寂へ変わる頃、兵士が一つの牢屋の前で足を止めた。
そこには二つの人影があった。その人喰いの二人はライノスから聞いた通り、どちらもとても戦う事など出来なそうな少女達だった。その二つの燃える様な赤毛は、黒と灰色しか無いこの場所ではくすんで見えたが、光の下ではさぞ映えるだろうという色の強さだった。
二人は身を寄せ合う様にして檻の隅に座り込んでいた。一人がこちらから隠す様にもう一人を自分の体で覆い、そして横目で俺達を睨んでいた。
「この者達で、間違い無いでしょうか?」
「特徴は全部揃っているな。……勿論、人喰いだと確認出来ているだろうな?」
「確認済みですよ。間違い無く、この者達は人喰いです。」
「そうか、ならば良い。ではこいつ等を護送車まで――」
「お待ち下さい、団長。ハイドントルへ来たのはつい先程の事でしょう?ここまで来た兵士達の疲れを癒す為にも、一晩休まれては如何ですか?人喰いが逃げるという事など有り得ないのですから。」
突然、支部長が割り込んで来る。何を言い出すかと思ったが、人喰いに関する事ですら無い平凡な提案だった。しかし断る理由も見当たらなかった。
「それもそうだな。ではこいつ等は明日運ぶとしよう。」
「ええ、それが良いでしょう。さぁ地上へ戻りましょう。今晩は遥々ハイドントルまで来た団長と兵士達に最大のもてなしをする事に致します。」
支部長と兵士が来た道を戻る中、俺はもう一度だけ二人組の人喰いに目を向けた。未だに一人はこちらを睨み続けている。年齢はエミィよりかなり上だろうか、体がもう一人より大きかった。きっと姉妹の姉なのだろう。
もう一人の方も、恐らくエミィよりも年上だろう。姉の方とは真反対にずっと俯いていて、様子は分からなかった。
「どうかされましたか?」
「いや、何でもない。」
俺は冷たい通路を戻り始めた。
地上に戻っても、そこに太陽の光は無かった。代わりに星が空に漂い太陽の代わりを果たそうと懸命に輝いていた。
「ああ、そうだ。」
今、正に思い出したと言いたげに支部長は言った。
「今ここに灰ネズミのヘイゲルが来ているのです。どうです?お会いになられますか?」
「ヘイゲルが?……そうだな、会わせてくれ。」
俺はこれが何かの縁だとして、昔の戦友と会うことにした。灰ネズミの者と会うのは、実に十二年振りの事だった。
扉をノックする。するとすぐに中から怒鳴り声にも似た声が聞こえて来た。
「ああ?誰だ、こんな時間に!」
「俺だ。ヘイゲル。ローガンだ。」
「……ローガン?……取り敢えず、入れ。」
俺は扉をゆっくりと開ける。すると中から酒の匂いがついた空気が漏れ出て来た。そのまま扉を開け切ると、机に散らかされた空の酒瓶と、瓶を持ち直接呑んでいる男が俺の目に入った。
「おお、本当にローガンじゃねぇか。久しぶりだなぁ、何年ぶりだ?」
「十二年だ。」
「あっはっは、そうか、そりゃお前も老ける訳だ。」
「そんなに老けて見えるか?」
「ああ、前線で最後に見たお前とはえらく違うぞ。」
ヘイゲルは手に持っている酒瓶を一気に呷った。俺は目の前にあるソファに座った。
「それで、団長様が俺に何の用だい?」
「少し用事があってここに来たら、お前がいると言われたんでな。どうせなら会っておくかと思ったんだ。」
「ほう、態々お前が来るとは、随分な用事みてぇだな?もしかすると、あの人喰いか?」
「ああ、そうだ。よく知ってるな。」
「珍しかったからな。吸血鬼じゃなくて人喰いで、しかし戦えるような体付きでも無かった。……あいつらは一体何者なんだ?」
「さあな。俺はライノスに頼まれただけだから、詳しい事は分からん。……ヘイゲル。お前の方は何でここにいるんだ?」
「いつも通り、前線でとっ捕まえた奴らを運びに来たんだ。明日には前線に戻る。……どうだ、お前も飲むか?」
ヘイゲルはまだ開けられていない瓶を持ち上げ、それを揺らした。瓶の中で酒が波立ち、硝子越しに水音が聞こえた。
「いや、遠慮しておこう。」
「何だ、まだお前の酒嫌いは治ってねぇのか。そこは全然変わってねぇんだな。」
「俺は酒が嫌いなんじゃなくて、酔うのが嫌いなだけだ。酔わない酒があったらいくらでも飲んでやるさ。」
「酔えなくて何が酒だってんだ。ったく、まぁいいや、それでお前の方はどうなんだ?ん?」
「何がどう、なんだ?」
「何でも良いんだよ、ほら、十二年もありゃあ、何かあるだろ。」
「何か、ね。……そうだな、相変わらず街に入り込む吸血鬼共は多いままで、これじゃ刃物じゃなくて紙束に殺されそうなんだが、外の方でどうにか出来ないのか?」
「あン?そりゃ無理だ。あいつら戦争が終わってからまともに戦おうとしねぇ。あいつらが今狙っているのは街に入る為の抜け穴だけだ。」
酒瓶が逆さまになってヘイゲルの喉に酒が流れ落ちて行く。そしてもう酒が落ちなくなると、ヘイゲルは新しい瓶を開けた。
「おい、ローガン。」
「今度は何だ?」
「お前、未だにあの吸血鬼を預かってるらしいな。」
「ああ、そうだな。」
「いつまでそれは続ける気だ?」
「それを俺に聞くんじゃない。王様に聞いてくれ。」
「もう七年なんだろう。もう良いんじゃねぇか?」
「だから、俺が決められる事じゃないんだ。それに俺が何していようと、もうお前達には関係無いだろう。」
「関係無い訳ねぇだろう!吸血鬼殺しのお前が吸血鬼を守っていて、どうして前線の俺等がすっきり戦えるっていうんだ?」
酒瓶がテーブルに打ち付けられ、ヘイゲルの鋭い視線がこちらに向けられた。
「……ヘイゲル、あいつは簡単に動かせる奴じゃないんだ。……今迄一つで済んでいた前線を増やさない為に、俺は今行動している。そう皆には伝えてくれ。」
「お前じゃ、どうにも出来ないと?」
「そうだ。お前だって、戦う為に街に戻りたくないだろう?」
俺はそう言ってヘイゲルの様子を窺った。どうやら、納得は出来ていないが、瞬間的な怒りは収めてくれた様だ。
「……っああ、止めだ止めだ。こんなまどろっこしい話は。もっと楽しい話をしよう。」
ソファの端に座っていたヘイゲルは首を横に振った後に、深く座り直して背もたれに上半身を預けた。
「そうだ。随分前だが、ベネウィッドとセレンに子供が産まれたんだ。七年前だ。お前に手紙を送ったのに返事が来ないとベネウィッドが嘆いていたぞ。」
「七年前?団長になったばかりの頃か。……記憶に無いな。その時は馬鹿みたいに忙しかったから、どこかで見落としていたのかも知れない。ベネウィッド達には、随分と遅れたがおめでとうと言っておいてくれ。」
「ああ、それならあいつらも喜ぶだろう。後は、そうだな。最近、朴念仁だったあのケヴィンが熱を上げる女に出会ったんだ。」
「ほう、あいつがか?」
「ああ、それでな。その女ってのが随分な奴でな。」
言いながらヘイゲルはまた体をテーブルに寄せた。そして手の甲を見せながら前後に手を動かし、こっちに顔を近づけろと言ってくる。俺は態々そこまでする必要があるかと不思議に思いながらも、顔を近づけた。
「―――」
「……ほう、そりゃあ大変だな。」
「ああ、大変なんてもんじゃねぇさ。」
ヘイゲルはまた酒を呷る。
「……それじゃあ、そろそろお暇させてもらうよ。」
「気をつけて帰れよ。」
「ああ、飲み過ぎないようにな。」
俺はソファから立ち上がり、酒を飲む音を聞きながら扉の前まで歩く。
「ローガン。」
「何だ?」
「お前、やっぱり灰ネズミに戻る気は無いか?」
「戻らない。俺は前線にいる必要が無いし、前線も俺は必要無いと言っている。」
「……そうか。」
「ああ……またな。」
俺は部屋の外へ出た。