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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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1-10.来訪者

 昼下がりの木漏れ日に、金属が打ち合わされる音が聞こえていた。音は森の柔らかい空気を、そして発生源を持っている俺の腕を強く震わせていた。

 「そんなものか?アラン。」

 「まだまだっ」

 俺はナイフを片手にベルン爺に突っ込んで行く。そしてそれをベルン爺が軽く受け流す。それは数時間前からずっと繰り返されていた。

 あの夜から、俺はベルン爺に戦い方を教えてもらっていた。最初は教えるのを拒否していたベルン爺だったが、俺が必死に頼み込んで――テッドもその時は一緒に頼んでくれた――護身術だけならば、と渋々了承してくれた。

 だから今俺が持っている武器は、街中でも何とか隠し持つ事が出来る小ぶりのナイフだ。それを使って俺がベルン爺を攻撃したり、逆にベルン爺の攻撃を受け流したりしている。

 「――うおっ!」

 俺の一振りが呆気なく躱され体勢を崩した俺は、ベルン爺にその隙を突かれて足を払われた。

 俺は頭から地面に打ち付けられる事を避ける為に、咄嗟に両手で受け身をとる。しかし地面に手をついた時には、既にベルン爺のナイフは俺の首元に置かれていた。

 「……参りました。」

 「うむ、今日はこれで終ろうか。」

 倒れている俺に手が差し伸べられる。俺はその手を取り立ち上がった。

 「……アラン。調子はどうだ?」

 「……喉が乾いて、少し痛い。」

 「はぁ、これだから目が覚めている内は動かない方が良いと言っているというのに。」

 「……俺は止めねぇぞ。」

 「お前ならそう言うのは分かっておる。まぁ良い、それで苦しむのはお前だけだ。」

 ベルン爺は訓練用のナイフを腰に仕舞い、歩き出した。俺もそれについて行く。

 人間にとって俺達は敵であり、俺達の存在は街の人間に知られてはいけない。絶対に見つからない様に人間に紛れなければならない。しかし俺達は聖銀に触れればあっという間に見つかってしまう。しかも俺達は吸血鬼なら血を、人喰いならば肉を摂らなければいつか死んでしまうという逃れられない制約がある。

 それをどうにか出来ないかと、レグル派と俺達の村が一昔前に一緒になって編み出した方法が冬眠法と呼ばれる手法だ。これは血肉を摂らなければ飢えてしまう俺達の特性を抑制出来る方法で、やり方自体は簡単だ。ただ飲む血の量を定期的に少しずつ減らしていけば良い。そうすることで俺達の中にいるものを弱らせ、最終的に冬眠したかの様な状態に出来る。――俺が初めて街に入る際に、門を潜り抜ける為に使った対策というのが、これの亜種だ。あの時は眼の中にいるものを最大限に弱らせ、ほぼ仮死状態にしていた――これにより必要な血や肉が大幅に減らせるのだ。

 しかし言うだけなら簡単だが、実践するとなると話は別だ。最終的な冬眠状態になってしまえば楽なのだが、この眠らせるこの時期は苦痛の時期なのだ。四六時中胃とは別の場所が飢えを訴え、渇き過ぎて水すら受け付けなくなる程に喉が乾く。

 しかも俺は修行の為に体を動かしている。動かす度に自分の中の血の蓄えが無くなってしまい、もっと飢えを感じるようになる。

 それに対して俺は、これは自分への罰だと思って耐えていた。そもそもの原因として、この眼が覚めてしまった理由は俺が体に傷を負い、眼の中のものが目覚めなければならない状況に陥ってしまったからだ。

 だから俺はこの喉の乾きは当然のものだと自分に言い聞かせ、唾を飲み込んだ。しかしそれでも喉は少しも潤ってくれなかった。





 ベルン爺と向かった先は村の近くにある小川だった。村の飲み水や体の汚れを落とす為等に使われている小川で、今は子供達の遊び場として活躍していた。

 「あれ?アランだ。アランも遊びに来たの?」

 「いいや、汗を流しに来ただけだよ。」

 子供の視線を横目に、俺は川に近づいた。透明な水が右から左へ勢い良く流れている。その水の流れの手前で俺は服を脱ぎ始めた。肌が空気に晒され、汗が風に吹かれあっという間に乾いていく。そして俺は上半身裸になり、裸足になった足を川の水に(さら)した。冷たい水が足を撫でて行き、訓練で体に籠もった熱が冷めていくのを感じた。

 俺はそのまま歩を進め、川の真ん中まで来た。川の深さは腹の下辺りまであるようになり、ズボンに水が染み込み肌に纏わりついた。

 そこで俺は大きく息を吸い込み、そして体全てを水の中に沈めた。体が一気に冷めていく感覚が心地良かった。

 水の中で俺は髪に絡み付いた汗も取ってやろうと、手を頭の上に持っていく。髪の毛は水の中で藻の様にふわふわと浮いていて、それを十本の指で豪快に掻き上げる。頭皮に冷たい水が直接当たり、汗と一緒に張り付いていた疲れが、水の流れに流されて行く。街ではこの様なことは出来ていなかった為、その分だけ爽快だった。

 息が切れそうになると、俺は勢い良く水の中から飛び出した。顔の水を掌で取り払って上を見上げる。そこには木々の枝が絡み合って少しの光も漏らさない分厚い影が作ってあった。よく見ると枝の中に添え木の様なものが見える。

 これは村の皆が作った人工の影だ。川の岸の両側の木に添え木の橋を何本も渡し、そこに枝を絡ませて作られた。これによって枝や葉によって日光は全て遮られ、辺りの水面と大きな石が積み重なった小さな川原は木漏れ日一つ無い、完璧な影に覆われていた。

 おかげで昼間であろうと関係なく、気兼ねなくこの川を俺達は使う事が出来る。

 俺は上げていた視線を元の高さに戻す。するとそこには元気に水を掛け合って遊ぶ子供達と、足を川に浸けただけのベルン爺がいた。

 「ベルン爺、入らないのか?」

 「ああ、全部浸かると体が冷えてしまうからな。」

 「ふうん。歳だからそんなもんか?」

 「ああん?」

 俺はベルン爺の視線から逃げる様にまた水に頭まで沈ませた。ベルン爺は何故か老人扱いされると怒る。ベルン爺と呼ばせている名前に、爺という文字が入っていても怒らないくせに、ジジイだとか、もう歳だとか言うとすぐに怒りの表情を表に出す。

 他の人が老人だと言おうと、本人は自分の事を老人だと思っていないようだ。それで年寄りに見られたくないからと、ベルン爺は爺臭い言葉遣いを抑えようとしている。しかし結構な頻度で失敗しているのを見れば、もう立派な年寄りだと認めてしまえば良いと俺は思ってしまう。老人だからと何か変わる訳ではあるまいし。

 そんな事を考えながら、先程よりずっと水の中にいた俺は、そろそろ良いかと水面からゆっくりと顔を出す。そして岸の方を見てみると、そこには既に川から足を出し立ち上がっているベルン爺と、俺が潜る前まではいなかった筈のテッドがいた。

 「おい、アランも一緒に来い。」

 「何だよ?テッド。何かあったのか?」

 「ああ、村の方でな。……お前等も!水遊びは一先ず終わりだ。自分の家に戻れ!」

 テッドは俺だけでなく川で遊んでいた子供達にも呼び掛けた。その様子からただ事ではなさそうな雰囲気が漂っていた。

 村へ俺達を先導する様に歩くテッドは、緊迫した空気を持ってはいたが焦っている様子は無かった。それを不思議に思った俺は、テッドに何があったのかを聞いた。

 「……この村に吸血鬼が訪ねて来たんだ。」

 「吸血鬼?この村に?……それ、大丈夫なのか?」

 「それがな。そいつは自分の事をベルン爺の知り合いだって、そう言うんだよ。」

 「ベルン爺の?」

 俺はベルン爺の方を向いて見る。ベルン爺は感情を押し殺した様な表情をして前を向いていた。

 「分からん。本当かどうかは会って確かめるしか無いじゃろう。」





 村へ戻ると広場の隅に人だかりが出来ていた。俺達はその人々の間を掻い潜り、人だかりの中心にいるであろう人物を目に収めようとする。果たしてその先にいたのは、丸太椅子に座る一人の老人だった。

 その老人の見た目は、ベルン爺と同じくらいの年齢の顔つきで、よれよれの灰色の髪を持っていた。肩に外套らしきものを掛けており、横の地面には巾着袋が置いていた。外套や荷物の汚れ具合から、かなりの長旅をして来たのではないかと思われた。

 灰色の髪の老人は人々の輪を割って入って来た俺達を見た後、ベルン爺を見つけたらしく、驚きの様な喜びの様な表情を浮かべた。

 「ベルナンド?……久しぶりだな。覚えているか?私だ、エドワードだ。」

 「エドワード?……生きていたのか?本当にか?」

 「ははっ、疑うのも無理は無い。再会するのは三十……六年ぶりか?それ以来だからな。」

 エドワードと名乗る男が言うには、ベルン爺とは随分と古い仲らしい。

 「……そうだな、どうすれば本物だと信じて貰えるか……そうだ。確か、クレアはもしクリフと自分に子供が出来て、その子が男の子ならば、アランという名前をつける、と言っていたぞ。……どうだ?当たっていたか?」

 エドワードという老人の言葉に、俺は予想外の方向から衝撃を食らった様な心持ちになった。そしてそれは顔にも出ていた様だ。

 「ん?……もしかすると、君がアラン君か?」

 「は、はい……」

 「おお、そうか、やっぱりか。……そういえば、クリフ達は……」

 「エドワード。」

 エドワードさんの言葉をベルン爺が中断させる。

 「ここではゆっくり話せないだろう。もうお前が名を騙った偽物ではないという事は十分に分かった。こっちに来てくれ。話はあちらで続けよう。」

 ベルン爺のただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、エドワードさんは素直にその言葉に従うようだった。

 「アラン、テッド、ついて来い。」

 ベルン爺が通ろうとすると、人々の集まりに道が出来た。皆は静かに俺達が通り過ぎるのを待っていた。





 俺達が行き着いた先はベルン爺の家だった。山の斜面にある俺達の村で一番上の方にある家で、それは俺の家の様なものではなく、大きな木の洞をそのまま住処にしている様な場所だ。入ってみると俺の家の倍くらいの広さがある。上を見上げてみれば天井は無く吹き抜けていたが、そこに見えるのは空ではなく木々の枝と葉だけだった。

 その広さ故に、俺達四人が腰を落ち着ける場所がこの家にはあった。部屋の中心に円を作る様に、殆ど四角に切られただけ――かろうじて直角の部分には曲線があった――の木材と呼んだ方が正しいような椅子が並べられていた。そこに四人は座る。

 「ベルナンド、お前達はずっとこんな風に隠れる様にして暮らして来たのか?」

 「ああ、周りを囲んでいるのが、人間達だからな。見つかる訳にはいかん。」

 「ほう、やはり噂の通りにこの国、いや街というのは本当にこの山脈を囲んでいるのか。」

 「とんでもない話じゃがな。」

 「にわかには信じられんな。」

 「お前も、ここへ来ることが出来たという事は聖道を通って来たのだろう?」

 「ああ、勿論。本当にあれが国の全てに通じているのか?」

 「本当だ。儂はちゃんとこの目で最初から最後まで見たからな。」

 ベルン爺とエドワードさんはまるで旧知の仲の様に、いや本当に旧知の仲なのだろう。二人の言葉の節々からはどこか懐かしむ様な声色を感じる。まるで見た事の無い人物と仲良さげに話すベルン爺を見て、俺とテッドはただ聞くことしか出来なかった。

 「――ベルナンド、先程私が聞こうとしていた事についてなのだが……」

 「……ああ、構わんよ。」

 「お前達や、他の人々の反応からすると、クレアやクリフ達は……もしや……」

 「……ああ。死んだよ。」

 「……そうか。いつだ?」

 「十五年前だ。」

 「十五、……何があったんだ?」

 「殺されたのさ。」

 「殺されただと?一体誰にだ?」

 「人間さ。人間の国の兵士だ。」

 「そんな!見つかってしまったのか。それでは、ここも危険なのではないか?」

 「ここは大丈夫じゃ。ここで見つかった訳ではない。……なに、これまでいろんな事があったんじゃよ。」

 「そうなのか。……済まない、アラン君。どうやら私はいつの間にか失礼な事をしていた様だ。」

 「いえ、良いですよ。何とも思っていません。」

 両親を亡くした苦悩はもう何度もして来たことだ。今更こんな事では俺の心は動揺することは無い。しかしこのエドワードという人物が知っている両親の話に、俺は居ても立っても居られないくらいに興味が湧いていた。

 「……しかし、この事はそちらには伝わっておらんかったか。」

 「ああ、もしかしたらエルラインの方には伝わっているのかも知れんが、私が逃げた先は情報が伝わりにくいというか、一切情報は入って来ない場所でな。」

 「ん?お前達は今迄どこに隠れていたのだ?情報が入らない場所というのは……」

 「ちょっと待ってくれ!何を話しているのか訳が分からないよ!ちゃんと説明してくれないか?ベルン爺。逃げるだとか隠れるだとか、どういう事なんだ?」

 テッドが痺れを切らしてベルン爺に説明を求めた。先程からエドワードという人が一体どんな人なのか不透明で、それに何やら不穏な言葉も飛び出してきた。それで俺達二人は老人二人の話に全くついて行けていなかった。

 「……ベルナンド。お前、昔の事をこの子達に何も話していないのか?」

 「……こいつ等には、一生関係の無い、聞かなくて良い話だと思っておったからな。……そうだな。」

 ベルン爺は俺の方をちらりと見た。

 「この話は出来ればしたくないものだったが、そろそろ潮時か……エドワード、少し長くなるが、儂の昔話を聞いていてくれるか?」

 「構わないよ。私は今迄のお前の話を聞きにここまで来たんだからな。」

 「そうか。ありがとう。……アラン、テッド、今から話すのは、今迄お前達には語った事の無い話だ。……心して聞いてくれ。」

 ベルン爺は語り出した。長い長い昔話を。今迄誰にも語る事の無かった、遠い記憶の物語を。

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