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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
20/62

1-8.今の自分

 「ベルン爺、それは……」

 その手の中で血を滴らせている独特の輝きを放つものは間違えようがなかった。

 「これか? そうだ、聖銀だ。」

 「何でそんな物を……」

 「不思議か?」

 「それは人間の兵士が持っている物じゃないのか? 何でベルン爺が持っているんだ⁉︎」

 それがこの場にあることに、俺は強い違和感を覚えていた。おそらくそれは俺達にとって忌避し遠ざけるべきものだという認識が自分の中にあったからだ。

 「儂等は人間だけで無く、同族にも嫌われておるからな。これが無ければ、自分達の身すら十分に守る事は出来ん。」

 ベルン爺はナイフに滴る血を振り払って落とす。その後には赤の色が無くなった銀色だけが残っていた。それをベルン爺は腰の後ろに仕舞う。一目見ただけでは、そこに武器を隠していることなどまったく分からない程に、巧妙に隠されていた。

 「それよりも、アラン、お前は大丈夫か?」

 「大丈夫じゃない。」

 俺は肉を抉られ過ぎて骨が見えそうになっている両腕をベルン爺に見せた。しかし、ベルン爺はそれを一瞥した後、

 「大丈夫みたいじゃな。」

 と言うだけだった。ベルン爺にとってこの傷は大したものではないらしい。

 「……アラン。目を見せてみろ。」

 「え?」

 ベルン爺の指が俺の瞼を無理矢理開かせる。空気に触れる面積が大きくなり、目が一気に乾く。俺は驚いてベルン爺の指を振り払う。

 「やはり、眼が覚めておる。……だからついて来るなと言ったというのに。」

 「それ以外何も言わずに走り出してったベルン爺が悪いだろ。」

 ベルン爺の言葉に反論する。何の理由も言わずに人を納得させることが出来る訳が無い。

 「はぁ、ともかく、村へ行こう。」

 「この死体はどうするんだ?」

 俺は辺りを見回す。近くに一つと少し離れたところに一つ、人喰い達の死体があった。先程の悪魔に飲み込まれてしまっているかのような形態から形が変わっている。人の体が表面の多くを占め、体を飲み込んでいた異形はまるで水分が全て奪い去られてしまったかのように萎びて小さくなっていた。

 「この者達は既に死んでいる。放って置けば狼か何かが食うだろう。」

 「……生き返ったりしないのか?」

 「アラン。そいつ等はもう死んでおる。死んだ者は生き返らない。再生能力を持っている人喰いでも、聖銀の前では人間と同じくらいに脆い。」

 ベルン爺は足元の死体を見下ろした。その死体からは既に生き物の熱は消えて、それと一緒に生き物としての何かが無くなっていて、空虚な物体に見えた。

 「お前もこうならないように気をつけろ。」

 ベルン爺は振り返り歩き出した。俺は自分の両腕を見た。そこには血の跡も傷の跡も何も残っていなかった。俺は少し驚いた。いつもより治るのがかなり早い。そして俺は、自分の眼がまだ熱を持っていることに気がついた。

 「……待ってくれよ、ベルン爺。」

 「何だ?」

 「聞きたいことがある。」

 「……」

 「こいつ、俺の眼を見て運が良いって言っていた。何でなんだ?」

 「……さぁ? 何でだろうな。」

 また始まった。いつもこうだ。俺が俺自身やエミィのこと、そしてあの夜のことを聞こうとするといつもベルン爺は下手な誤魔化しで頑として答えてくれない。

 「教えてくれよ。何かあるんだろ?」

 「お前にとって意味は全く無いと言っただろう。」

 本来はこうじゃなかった筈だ。ベルン爺は俺が生まれた時からこんなじゃなかった。あの夜からだ。まだ俺が街にいて、父さんと母さんと暮らしていて、エミィが生まれたばかりの頃はベルン爺はむしろ話をするのが好きだった。父さんと母さんが大好きで、いつも俺に父さんと母さんが小さい頃の話をしてくれていた。

 それはあの夜から変わった。あの時からベルン爺は人が変わったように口が固くなった。俺に話をしてくれなくなった。

 「それでも良いんだよ。」

 「聞かない方がお前は幸せでいられる。」

 「俺は幸せになりたいだなんて、一言も言って無いだろ!」

 俺の叫びは木々に吸い込まれて消えていく。しかし消え去る前に、ベルン爺の耳には届いてくれたようだ。ベルン爺が一瞬、顔を歪ませた。

 「……そんなに聞きたいなら、アルノーに聞いてくれ。儂はその眼の事を話すと、思い出したくない記憶を思い出す。そのことをもう儂に聞くんじゃない。……さっさと村に戻ろう。折角の鹿肉が不味くなってしまう。」

 ベルン爺はそれ以上何も言わずにまた歩き出してしまった。俺はベルン爺の背中に文句を投げつけようとした。しかし、俺は結局、後を静かについて行った。俺は自分を人の機微に聡いとは思っていないが、ベルン爺から感じ取れる激情はそれでも感じ取れた。

 




 置いていた鹿を取りに戻り、暫く歩いていると辺りの風景が見覚えのあるものに近づいていった。更に遠くから子供の楽しそうな笑い声も聞こえて来る。いつの間にか俺は自分の生まれ故郷に帰って来ていた。

 「あれ? アラン? 帰って来たのか?」

 「……ただいま。」

 遊んでいた子供達が一斉に集まって来る。そして俺の返事を聞くと寄って来た子供の一人が、今度は村の方へ駆けながら「おーい! アランが帰って来たぞー!」と、元気良く叫んだ。

 「ベルン爺、おかえり。それ、捕ってきたの? でっけぇ!」

 「ああ、今日は鹿の肉が食えるぞ。」

 「本当? やったぁ!」

 辺りに子供達の少々元気が良過ぎる声が高々と響く。それを聞いていると、本当に戻って来たのだという思いが頭に浮かんだ。

 「よう、アラン。帰って来たのか。」

 子供に連れられてこちらに歩いて来たのは、村を出る時に会ったきりだったテッドだった。後ろの方に子供が一人くっついている。どうやら今まで子供と遊んでやっていたようだ。

 「テッド、何でまだここにいるんだ? 街にいなくて良いのか?」

 「短い休みみたいなものだよ。後数日で街に戻るさ。それより、どうしたんだ? その眼。ばっちり覚めてるみてぇだけど。」

 「これは……」

 「ああ、先程人喰いを見つけたんだ。」

 「……大丈夫だったのか?」

 「見ての通り、アランが眼を覚ましてしまうくらいにやられたが、それだけだ。いつもと変わらん奴等だったよ。」

 「ベルン爺、それは言わなくて良いだろ!」

 「アラン、そう怒るな。儂はお前を弱いと馬鹿にしている訳ではない。お前にはまだ実戦が圧倒的に足りないだけじゃ。」

 「まぁまぁ、取り敢えず行こうぜ? 皆も待ってるからさ。」

 ベルン爺との口論は、テッドによって有耶無耶になった。俺は実戦が足りないのは態と俺を戦いから遠ざけるベルン爺達のせいじゃないかと言い損ねた事に腹がたった。

 俺はテッドの方を見た。小柄な体型でどちらかと言えばお調子者のテッドでも、実戦は圧倒的に俺より上だ。もしかしたら、街に出ている間に俺が知っている以上の実戦を経験しているかも知れない。その体にはいくつもの死者の怨念が絡み付き、それでも尚背中にいる者達を守り通す覚悟が備わっているのだ。

 それはいつも戦う事を許して貰えず、守られてばかりいる俺とは雲泥の差だった。子供の時は同じ場所にいた筈なのに、今は二人共全く違う場所にいた。俺にはその背中が遠くてそして大きく見えた。





 村の中心部の広間へ来ると村にいる皆が待っていた。誰もが俺とベルン爺の帰りを喜んでいた。一人一人が俺とベルン爺との周りに環を作り、元気だったかとか、街はどうだったと聞いた。

 一通りそれが終わった後に、ベルン爺が土産に持って来た鹿を解体して今日の夕飯にすることが村の大人達によって決まった。村の中で解体が得意な者達が大きな鹿を村の小さな解体所へ持って行く。俺もついて行こうとしたが、それよりも街の話を聞かせろと子供達に引き留められてしまった。

 それから俺は街での事を色々と話した。たったひと月の思い出などすぐに語り尽くしてしまうだろうと思っていたが、案外俺の口が止まることは無かった。思い出そうとすればするだけ、街での記憶はどんどん溢れ出して来るのだ。

 俺が話している間に広間の中心には大きな鍋が置かれていて、その中で鹿の肉や数種類の野菜が一緒に煮込まれていた。ここからでもその食欲をそそる香りは十分届いていた。村の人々はそれを中心に雑談をしていた。見渡せば辺りは薄暗くなっていて、もう少し時間が経てば完全な夜になりそうだった。

 俺は街の話を終わろうかとしたが、子供達はまだ聞き足りなかったようで、話の続きをせがまれた。その様子を見ていると、俺は不意に小さい時の自分と目の前の子供達を重ねた。

 俺もこの子供達と同じ様な、まだ歳が一桁だった頃はこんな風に街から帰って来たアルノーさんやギルさん、ベルン爺に街の様子などを十分過ぎる程に聞いたものだ。もしかしたらこの子供達よりもしつこく聞いていたかも知れない。しかしそれはエミィの事があった分だけ、興味よりも必死さが強かったのではないだろうか。あの時の俺は、たった一日で家族の全員と切り離され、心が現実に追い付いていなかった。ただ、アルノーさん達の様子から父さんと母さんはもうこの世に居ないのだと気付かされていた。アルノーさん達はそれを子供だった俺に隠そうとしていたが、いつまでも帰って来ないのを見れば、誰でも分かる嘘だった。

 俺はその時、エミィの事についてもアルノーさん達に聞いた。アルノーさん達はそれに必ず帰って来ると言った。両親について聞いた時も同じ事を言っていたが、俺は妹が帰って来るという事だけは信じていた。あの時の俺はエミィは絶対に死んでいないという、確たる証拠の無い確信を持っていたのだ。

 そうして、今はどうなった? と、俺は自分に問をした。ようやく念願叶って街に行ったというのに、何もしていない。ただ周りに安全だから何もするなと何度も言われ、それに愚直に従っているだけだ。心にずっと持っていた、エミィを――最後の家族と会いたいという思いはどこに行ったのだろう。必要無いと言われ、あっさり捨ててしまったのだろうか。今までそれに縋って生きて来たというのに。母さんからの最後の頼みを、俺はそんな脆弱な意思で保っていたのだろうか。

 「ほら、アラン。」

 目の前に大ぶりの椀が差し出された。中に先程見た鍋の具材が湯気を出していた。見上げるとそこにいたのはテッドだった。

 「ありがとう。」

 「どうした? そんなにぼうっとして。」

 「そんな風に見えたか?」

 「ああ、何も無いところをじっと見てたぜ?」

 「そうかな。」

 「まっ良いか。食えよ。」

 促されるまま俺は椀を口に運んだ。肉と野菜が混ざった香りと味が口にじんわりと広がった。久しぶりの村の料理で懐かしくて心温まる味だった。街で食べ物を食べる時、俺は何時も村の食べ物よりもこちらの方が美味いと思っていたが、こんな風に村の人々に囲まれて食べていると、街で食べていたものには無い美味しさがこれにはあるような気がした。

 「……」

 しかし、その時俺は気付いた。このスープに入っている鹿の肉はベルン爺が一人で獲った物だ。一緒に入っている野菜だって、村の皆の力による物だ。そこに俺の力は一つも関わって無かった。

 それに気がついた途端、スープが喉を通らなくなった。まるで喉に蓋をされてしまったかのように、飲み込む事が出来なくなった。

 「どうした? アラン。食欲無いのか?」

 「いや、考え事をしてただけ。」

 俺は椀のものを無理矢理一気に胃に流し込む。そうでもしないと誤魔化せそうになかったからだ。しかし心に突然湧いた禁忌感と虚脱感で今にも胃の中のものを吐き出しそうになった。

 「おい、本当に大丈夫か? もしかして、今日の怪我で血が足りなくなってるんじゃないか?」

 「本当に大丈夫だから。……ごめん、今日はもう休むよ。」

 逃げ去る様に俺は広場から去った。今はとにかく一人になりたかった。





 人気の無いところまで走り切った俺は、懐かしさで一杯の自分の家に辿り着いた。外から見れば周りの木々と同化していて、少し離れればどこか入り口か判別し辛い家で、中に入っても街で暮らしていた部屋の半分くらいの大きさしか無い小屋のような家だ。しかし部屋の内装は一月程前から少しも変わっておらず、心置き無く休むことが出来る場所だった。

 俺は質素なベッドに家に入った勢いのまま寝転がる。そしてその上で仰向けになって右腕を頭の上に置いた。壁に覆われたここは広場の様子と違って静かで真っ暗だった。

 そのまま横になってじっとしていると、ぼんやりと頭の中にあの人喰い達の姿が浮かんできた。人喰い達は俺を取り囲み嗤っていた。そしてその鋭い鉤爪で俺を切り刻んでいった。俺は必死に抵抗するが、振るう腕は空を切り、またその隙に鉤爪が俺の体を引き裂いた。傷口は吸血鬼の力により塞がって無くなっていくが、無くなった上にまた傷口はつけられた。それが何回も繰り返され、いつしかその治りが鈍くなる。傷が治される速度より、増やされる速度が早くなっていく。人喰い達は嗤っていた。嗤いながら俺を嬲っていた。逃げようとすれば足を切られ、頭を守ろうとすれば腹を切り裂かれた。周りには誰もいなかった。俺を助けてくれる人はそこにはいなかった。

 俺はそこでどうしようも無く無力だった。抵抗に意味は無く、ただ無様に踊っているだけだった。

 俺には何をする力も無かった。それはただ守られているだけで、今迄を燻った心を抱えるだけで過ごしていた代償で、当然の結果だった。ベルン爺はあの夜から変わった。しかし、俺はあの夜から今まで何も変わらなかった。ただ自分の不幸を嘆くだけの子供だった。

 俺は、そんな自分が嫌で嫌で仕方無かった。





 ふと目を開けると眠っていたことに気がついた。しかし外からの光が差し込まないということは朝にはなっていないようだ。俺はベッドの上で体を起こした。頭が鉛みたいに重く、体中にベタつく嫌な汗をかいていた。俺は顔を掌で拭う。それで少し意識がはっきりとした。

 外に出てみると辺りは真っ暗になっていた。炎の明かりも人の声もしないということは、もう皆は寝静まった後なのだろう。俺は夜の風を浴びながら村を散歩し始めた。





 風に揺れる木々のざわめきを聞きながら、俺は村をぐるりと回った。そして最後に村の広場に辿り着いた。すると広場の端に一人の人影があった。近づくとそれはベルン爺だと分かった。椅子代わりの丸太に座っている。

 ベルン爺と会うのは予想外だった。てっきり誰も居ないものと油断していた。俺の頭は突然の事に混乱して上手く働かなくなった。

 本当は無視をして何もなかったかのように逃げ出したい気分だった。だが、それでは駄目だとも心が言っていた。この無力感から今だけ逃げ切れたとしても、また巡り巡って帰って来るだけだ。俺はこれと長い時間付き合ってきたのだ。

 乱れる息を懸命に整える。そうして、俺はベルン爺へと近づいた。

 「どうした? アラン。こんな夜中に。眠れんのか?」

 「……まぁ、そんなところだよ。……ベルン爺、少し良いか?」

 「何だ? 街に帰りたいというのは聞けんぞ。その眼が覚めている内はな。」

 「そんなこと、分かってるさ。それに俺が街にいても何も出来ないしな。」

 自嘲気味にそう言った。それにベルン爺はぴくりと眉を動かした。俺が何を言おうとしているのか待ち構えているようだった。

 「……」

 「一つだけ聞きたい事があるんだ。」

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