1-2.出発
俺が家を出ると、アルノーさんとギルさんが、こちらに向かって歩いて来ていた。優しげな風貌で枯色の髪を短く切り揃えている方がアルノーさんで、子供っぽい性格を滲み出しているしている顔の茶色の髪の方がギルさんだ。
二人は先程の夢の二人よりも十五年分歳を取っていた。二人共外套を羽織り深くフードを被っている。夢の中では今の俺と同じくらいの歳だったが、今ではすっかりこの村の中心人物になる程になっていた。
「おう、アラン、準備はできてるか?」
「おはよう。ギルさん、アルノーさん、準備万端だよ。」
「そうか、なら歩きながら少し話そう。街に降りる前に話さなきゃいけないことが色々あるんだ。」
アルノーさんは言いながら来た道を引き返し始めた。それに俺とギルさんもついていく。道と言ってもただ通りやすいように草木が退けてあるだけの獣道で、曲がりくねった傾斜道だったが、これは村の全ての道がそうだ。この道を通る度、俺は村と言い張るのはやめて、隠れ里と言うべきだと思うのだ。
周りには三人以外の人の気配は無く、鳥のさえずりと木々が揺れる音と、そして三人が歩く足音だけが聞こえていた。
「いいか? アラン。昨日も言ったが、街にいるときに一番重要なことは何より、吸血鬼だとバレないことだ。迂闊な行動は街にいる他の皆も危険に晒す。注意を払いながら慎重に動くんだ。いいな?」
「分かってるよ、ギルさん。何度も聞いた。大丈夫だよ、俺も憲兵に捕まる気なんて無いからさ。」
「そう言う奴ほど失敗するんだ。街は安全そうに見えて危険な場所もたくさんあるんだよ。」
アルノーさんはそう繰り返す。俺だってもう子供じゃないんだから、一回で分かるっていうのに……
そんなことを思いながら木々の下を歩く。木々によって辺りは薄暗く、地面は木の根が出っ張っている。ここは山脈の中では街に近い場所だが、この木々によって人間は近づけない。人間が入ろうとしてもこの空を見ることすら難しい深い森の中では、自分がどこにいるのかすらすぐに分からなくなるだろう。
獣道を下っていると平坦な場所に出た。木々がそこを境に途切れる。しかし、枝葉だけは添木を伝って広がっており、それは目線を上げて見れば三重になっていることが分かる。その広場のような場所に村の人達が皆こちらを向いて集まっていた。
「何だ? 皆、見送りに来てくれたのか?」
「おう、坊主がヘマしないように喝を入れに来てやったぜ。」
「アラン、バレるんじゃねーぞ。」
皆に囲まれて一斉に声を掛けられる。いつもならもっと遅く起きてるのに、早起きして待っていてくれたらしい。
「よう、アラン。街に行けるからって浮かれるんじゃねーぞ。」
その中で俺の肩を叩きながらそう言うのは、ここにはいない筈のテッドだった。本物で間違いなかった。この特徴的なぼさぼさ頭は中々いない。
「テッド? 帰って来てたのか? いるなら言ってくれれば良かったのに……」
「お前を驚かせてやろうと思ってな。」
テッドは俺の友達で同い年だが、一足先に街に降りていた奴だ。
「どういう事だ? お前も俺達と一緒に街に降りるのか?」
「いいや、見送りだけだ。まっ、気をつけて行けよ。」
本当に見送りだけで帰って来たのだろうか。こいつはそんな奴だったか? 疑問に感じながらも、見送られることは嫌ではないので素直に受け止めておいた。
「分かってるよ。それじゃあ、行ってきます。」
みんなの激励を受けながら俺達は村を出た。俺は気恥ずかしさを隠すように深くフードをかぶり直し、深い森の中を歩き始めた。ここから三時間程歩けば街にたどり着く筈だ。
山を越え森の中を歩いていると、通り道に切り株を見つけた。ここは村の皆は絶対に入って来ない場所だ。つまり人間がこの近くに住んでいるということだった。
「そろそろ人間がいてもおかしくない場所だ、くれぐれも不審な行動は取るなよ。」
「分かってるけど……なぁ、本当に門を通り抜けられるのか?」
「ちゃんと対策はしてきただろう。」
「そうだけど……」
「なら大丈夫さ。安心しな、今日の門番はザルなんだ。」
ギルさんはそう言う。俺達を街に入らせない為の門の筈なのにそんなに簡単に通れていいのだろうか。
3人で歩いていると歩いている場所が獣道から舗装された道になった。その瞬間、天然の日傘で遮られていた日の光が、俺達に強烈に降り掛かる。それは吸血鬼である俺達にとって比喩ではなく凶器になり得るものだった。俺は気を引き締める意味も込めてフードを深く被り直した。
俺達の目の前を馬車が横切り、そちらへ目を向けると遠目に門が見えた。石を積んで作ってあり、5メートル程の高さだろうか。端を見ようとしても延々と続いていて見えなかった。これはどこまで続いているのだろう。
門の近くまで行くと、意外と門が大きくそびえ立つように見えた。その目線を門の両端に向けると、白いツルハシと剣がクロスして描かれている、赤い盾が掲げてあるのを見つけた。一体何のマークなのだろうか。視線を門の入り口に戻すと、そこには門兵が二人と先程通り過ぎた馬車が居た。
俺達が並ぶとすぐに馬車は中へ入っていった。俺達が前に詰めると門兵はこちらをじろりと見て言った。
「次、お前等三人、出身とこの区に入る目的は?」
「アンヘル区出身です。コードライト区から帰って来ました。」
「持ち物を見せてみろ。」
アルノーさんとギルさんが門兵に持っていた革袋を渡す。門兵はその中をちらりと見た後、アルノーさん達に返した。
「――いいだろう、じゃあ最後にこれを触ってくれ。」
門兵のもう一人が銀色の板状のものを俺達に渡した。それには門の両端にあったものと同じ意匠が施されてあった。
俺はそれが聖銀だとすぐに分かった。聖銀は俺達吸血鬼にとって猛毒である。普通なら触っただけで、激痛が体中を走り巡るだろう。
しかし俺達はその為にある対策をしてきた。
俺達吸血鬼というのは血を多く吸うことによって吸血鬼としての特性が強くすることが出来る能力を持っている。つまり血を吸わなければ逆に特性が弱くなり人間とは違う部分に毒となる聖銀が効きにくくなるのだ。……と、アルノーさんが言っていた。
俺は聖銀には触れたことが無い為、あまり実感出来るような事ではなかった。だから少し不安に思っていたのだ。
しかし俺の不安を余所に、門番が持って来た聖銀にアルノーさん、ギルさんと順番に触れていく。そして最後に俺の番が回ってきた。俺は意を決して聖銀に触れる。しかし、いくら触れていても少しひんやりとしているだけで、覚悟していたような痛みを感じる事はなかった。
「掌を見せてみろ……よし、通っていいぞ。」
そしてあっさりと門を潜り抜けてしまった。簡単過ぎて拍子抜けする程だった。
「こんなに簡単に通れていいのか? ていうかフードを外せとか言われたらどうする気だったんだ?」
「その為に検問が雑な奴が門番やってる日を選んだんだよ。心配するな。奥の手だってあるさ。……それにそろそろ来るぞ?」
え?と思った時にはもうそれは来ていた。痒い、と思ったときにはもう聖銀を触った掌だけでなく、二の腕にまで痒みが広がっていた。蚊に刺されたような痒みなどといった生易しい痒みではない。皮膚だけでなく、中の肉すらも痒みが襲ってくる。今まで体験した事の無い感覚だった。痒い痒い痒い!
「何だこれ!」
「痒くても掻くなよ、バレるかも知れないからな。我慢しろよ、すぐに収まる。」
「大丈夫、痛みよりマシだから。」
そう言って二人は笑いながら先に行ってしまった。二人も同じような痒みに襲われているはずなのに、何故そんなにも平気そうに見えるのだろうか。俺は尋常じゃない痒みを我慢しながら、出来るだけ自然に見えるよう二人について行った。
門の中は外と違い、どこに目をやっても建物が建てられていた。山の森とは違う人間達の住処には、俺はもう既に入り込んでいたのだった。