3-1.人喰いの世界の変わり者
ようやく三人目の主人公です。
と言っても既に登場していましたけど。
太陽が落ちきって訪れた夜は、少し眩しいくらいの街灯によって紛れ、暗闇に沈む筈だった道は僕達の目の前に浮かび上がって、確かに目に見える物として存在していた。その上を馬車は悠々と進み、たとえいつもなら寝ている時間でも、馬は光さえあれば問題無いと言うかのように軽やかに僕達を運んでいる。
この木の箱が馬に牽かれ空気を切って進む音が、板一枚通して僕の耳を震わせていた。小さな窓から外を覗くと建物が右から左へ勢いよく流れていた。
「ルーク。」
「何でしょう? 爺様。」
「今日の舞踏会は楽しかったですか?」
「はい! 料理も美味しかったですし、色んな音楽を聞けたり、色んな物を見れたりしましたし、それに何よりローガン様に会えました!」
「そうですか、良かったですね。……ソフィア。貴方はどうでした?」
「うん。楽しかった。けど、少し緊張した。」
ソフィアは胸を撫で下ろした。座り方からも少し力が抜けている。緊張が解れた反動が来たのだろう。
「そうですかそうですか。二人共楽しんでくれたなら、万々歳です。貴方達を連れて来た甲斐がありました。……エミィとは仲良くなれそうですか?」
「はい。エミィは凄くいい子でしたよ。今日は少ししか喋れませんでしたけど、きっと良い友達になれます。」
僕はほんの少し前の事を思い出す。爺様とローガン様が離れて行った後、エミィはおどおどしながら僕達に話し掛けて来た。彼女は眩しいくらいの金髪と澄んだ湖の様な色をした目を持っていて、初めて見た時は本当にあの目が赤くなるのだろうかと僕は疑問を持った。
それから僕はこの少女はどんな人物なのだろうと、数日前から持っていた興味を胸にエミィと会話をした。そして話している短い間で僕は、彼女を普通の女の子だと感じた。それは僕にとって少し意外な事だった。
何故なら、僕の周りの人が話す彼女の身の上話は全てがとても複雑で、そして不運だった。それはまるで悲劇の主人公の話をそのまま持って来たかのようで、僕はその話を最初に聞いた時、作り話じゃないかと思った程だった。多分そう思うのは僕だけじゃない筈だ。生まれて間も無い頃に親を殺され、物心ついた時にはその殺した張本人の元で過ごし、親が殺した者達の仲間に憎しみの目で見られながら、生きるか死ぬか判断されるのを待っている状態で生きていると聞けば、誰だってそう思う筈だ。そしてそんな凄まじい経験を僕達と同じくらいの女の子がしているのだから、きっと僕達とは全く違う者なのだろうと僕は思っていた。
しかしエミィは普通だった。普通の心根の優しい女の子だった。寧ろ、僕は彼女に親しさすら覚えた。それくらい、僕達と彼女の間に差を感じなかったのだ。彼女は僕達に自分の暮らしを少ない時間で簡単に語ってくれた。彼女は自分の暮らしをそう悪いものではないと言った。それに頼りに出来る人もいると。彼女の語ってくれたものはどこか僕達に重なる部分が多かった。僕達もこの街では数少ない人間と人喰いとの混血である。僕は彼女に少し親近感が湧いていた。
「ソフィアはどうです? 仲良くなれそうですか?」
「ううん、もう今日だけでも仲良くなれたよ!」
「はは、そう言ってくれて私も嬉しいですよ。」
ソフィアもエミィと息が合うようだった。そういえば別れる時も口惜しそうにしていた気がする。少し我侭だけれど、これだったらもっとエミィと話す時間が欲しかったと思った。それくらいにエミィは僕達の話をよく理解してくれた。こんなに気が合うと思えた人に会えたのは初めての事だった。
「爺様。また、エミィとは会えますか?」
「ええ、勿論。時間はかかるでしょうが、必ず会えますよ。」
爺様はそう言って僕達二人に笑みを見せた。
「時間がかかるのですか? どうしてです? ただ会うだけなのに?」
「あの子は、貴方達より難しい立場にあります。憲兵団からはあまり離れる事は出来ません。」
「……それなら、僕達が会いに行けば良いじゃありませんか。それなら問題無いでしょう?」
名案だ、とばかりに僕はそう爺様に提案した。しかし爺様は渋い顔をしたままだ。
「それも中々難しいのですよ。あちらの事情というのもあります。ルーク、分かって下さい。」
「そう、ですか。残念です。」
僕はがっかりして肩を落とした。どうにか出来ないものか考えるが、いい案は浮かんでくれない。
「それなら、エミィが私達の所に住めば良いんじゃない?」
今迄黙っていたソフィアがそう口にした。それは僕にとって予想外の案で驚いてしまった。けれどいい案に思えた。
「それが良いですよ! それなら何も問題無いですよね?」
「ルーク、ソフィア。貴方達の彼女に会いたいという気持ちは分かります。でも、先程も言った通りにエミィの立場はとても難しいものです。いえ、危ないものなのですよ。彼女はあそこが一番安全なのです。」
「安全なら、僕達のメルガスの方が良いんじゃないですか?」
僕は執拗に食い下がった。いつもならこんなに爺様を困らせる事はしないのだが、今ばかりは強請るような気持ちで言っていた。
「いいえ。全ての面で判断して、一番安全だと言えるのはあそこなのですよ。まだ貴方達には分かりにくい大人の世界の話なので、理解は出来ないかも知れませんがね。どうか辛抱して下さい。もう会えないと言う訳ではないのですから。」
爺様は窘める様に優しい言葉を掛けた。それでようやく僕は自分が熱くなっていた事に気がついた。
「……はい。」
「はーい。」
ソフィアはぶっきらぼうに言った。いつもなら僕はそれを窘めるのだが、僕も一緒になって我儘を言ってしまった以上、今回ばかりはそうするわけにはいかなかった。
体が少し左に振れた。外をちらりと覗くと、慣れ親しんだ建物が目の前にあった。やがて馬は足を動かす事を止め、車輪の回転が止まった。するとすぐに馬車の扉が開けられ、外に一人の男の姿があった。
「さぁ、お降りください。」
彼はアーロン。真っ黒な髪色が特徴的で、いつも真剣な顔つきをしている。先程まで御者をしてくれていて、いつもは僕達の護衛である人だ。今は外套を被っていて分かりにくいが腰には剣を携帯している筈だ。アーロンの剣の腕は凄まじく、爺様の信頼も厚い。この人のように剣の腕を磨いて皆を守れる様になりたい、というのが今の僕の夢であったりする。
馬車の外は夜だというのもあるだろうが少し肌寒いように感じた。建物の方に目を向けると、そこには僕達の家がある。と言っても大抵の人はこれを家と言い表すより神殿だと言うだろう。それは間違いじゃない。ただ僕達がこの神殿の主であるクライン司教の孫で、ここに住んでいるというだけの話である。
ここにはこの街に住む全ての人喰いがいる。人数で言えば五家族、三十一人。勿論住んでいるのは人喰いだけじゃない。人間の神官や爺様が貴族であるので、召使いや護衛の人達もいる。その全てがここに住んでいる。そのくらいこのメルガス神殿は巨大なのだ。
その大きな入り口に目を凝らすと誰かが出て来るのが見えた。あの特徴的な影は間違い無いだろう。
「お帰りなさいませ。クライン様。ルーク様。ソフィア様。」
やっぱりモートンだ。白くて長い髭とでっぷりと出たお腹は見間違いようが無い。
「ただいま、モートン。」
「ただいま〜。」
僕とソフィアが代わる代わるに言う。
「出迎えありがとうございます。モートン。」
「いえいえ、さあさあこちらに。今日は疲れたでしょう?」
モートンに連れられ僕達は中へと入って行く。神殿の中は静かで殆どの明かりが消されてしまっていた。
「クライン様とルーク様はここで。ソフィア様、こちらへ。眠いでしょうが、すぐに終わりますから我慢して下さいね。」
「検査?」
「ええ、外へ出たなら、しなくてはいけないという決まりですから。」
「はーい。じゃあルーク、また後でね。」
「うん。また後で。」
モートンとソフィアは、僕と爺様の行き先とは反対の方へ歩いて行った。僕と爺様は少しの間一緒に歩いたが、二つ目の十字路でおやすみと言い合ってから別れた。
静かな廊下を僕は一人で歩いた。偶にあるこの一人で歩いている時間が、僕は大嫌いだ。こんなに広くて沢山の人がいる場所である筈なのに、自分が独りぼっちになる事を想像してしまうからだ。
でも、独りというのは想像などではなく、本当かも知れない。先程ソフィアだけがモートンに検査に連れて行かれて、僕が行かなかったのは理由がある。理由と言う程の事でも無いが、それは単純に検査をする必要が無いからだ。つまり僕は、少なくとも、人喰いではないという事だ。何故、従兄弟の僕とソフィアが人喰いと人間で種族が別れているのかというと、それには少し込み入った事情がある。
まず最初は爺様と婆様からだ。人間である爺様と人喰いの婆様は、二人の子供をつくった。一人は男の子で一人は女の子だ。そして二人共、人喰いの特徴を示した。半分人間が入っているが、他の普通の人喰いとその'人喰いの度合い'は変わらなかった。その子供二人は成長し、それぞれ人喰いの女性と人間の男性と結ばれた。そしてその二組からそれぞれ一人の子供が生まれた。そう、四分の三のソフィアと四分の一の僕だ。
ソフィアの方は皆の予想通りに人喰いの特徴を示した。これは当たり前の結果だろう。半分でも人喰いになるというのに、四分の三なら推して知るべしだ。問題は僕の方だった。僕にも四分の一、人喰いの血が入っている筈だ。しかし、僕には人喰いの特徴は、一切現れなかった。ソフィア達のように悪魔を出す事が出来なかったし、人の肉を食べても、ただ鉄の濃い味がするだけだった。
ふらふらと歩いていると廊下の先に人影が見えた。その人影は窓辺の縁に腰掛けていて、窓の外を眺めていた。見慣れている姿に近づくと、やはりそれはソフィアの父親、人間と人喰いのハーフ、クリフトさんだった。
「クリフトさん、どうしたんですか? こんな所で。」
「君達の帰りを待っていたんだよ。ルーク君。ソフィアは?」
「モートンさんの所です。わざわざその為に待っていたんですか? こんな遅くまで?」
「はは、大丈夫だって言われたんだけど、やっぱり心配になっちゃってね。でもその様子じゃあ、やっぱり杞憂だったみたいだね。」
クリフトさんは心底安心した、という風にほっと息をついた。この人の心配性なところはいつまで経っても変わらない。
「それじゃあルーク君。今日はもう疲れてるだろうから、早く寝てしまうんだよ。僕はソフィアの様子を見にモートンさんのところまで行くからさ。」
「はい。分かってますよ。クリフトさんもお休みなさい。」
「ああ、お休み。ルーク君。」
クリフトさんの背中が廊下の暗闇へと消えていく。会話が終わると途端に廊下は静寂で満たされた。生き物の音は僕の息遣いと、何処かで鳴いている夜鳥の声だけだった。
その暗闇の中で僕は一つの扉を開ける。ドアノブの捻られる音が意外な程僕の耳に響き、よく手入れがされている蝶番が静かに羽を開いた。僕は部屋の中に滑り込むように入り、今度は音を出さないように扉をゆっくりと閉めた。
その空間には舞踏会のあの優雅で張り詰めた空気とは性質が全く異なる、僕を落ち着かせてくれる匂いが漂っていた。今この部屋には僕以外に誰もいない筈なのに、ここは何故だが暖かかった。
僕は燕尾服から体を開放し、それをハンガーに掛ける。その後真っ白な寝間着に着替えて身軽になった。肩を回したり首を回転させて、今迄自由に動かせなかった部分を、動かせなかった分だけ動かした。そうしていると凝り固まった疲れが解けて、肩や首から体中に疲れが充満してきた。瞼が重く、体が寝たがっているのだと実感する。
その感情に僕の体は為す術もなくベッドに吸い寄せられていく。ベッドに飛び込むと、ひんやりした羽毛布団が体重で凹んだ。体に溜まっていた疲れがベッドを通じて床に落とされていっている様な感じがした。僕はそのまま目を瞑る。するともう瞼は貼り付けられたかのように開けられなかった。腕が重く寝返りすらままならない。予想以上に体は疲れているようだ。
しかしいくら待ってみても、僕の意識は眠りには落ちなかった。瞼も腕も一切動かせないのに、頭だけは働き続けて休む気配が無かった。仕方なく僕はベッドにくっついて離れない体を引き剥がし、起き上がって足だけベッドの外に投げ出した。やはり体は重く、これで何故眠れないのだろうと不思議に思った。
背中に重りでも背負っているかのような体を立ち上がらせ、僕は窓の方に歩く。外には夜の中庭が静かに佇んでおり、先程聞こえていた夜鳥の鳴き声が向こうから聞こえていた。僕はその様子をただぼうっと眺めていた。
どのくらい経ったか、後ろの方で扉が開かれる音がした。振り向くとそこには寝間着姿のソフィアがいた。
「あれ? ルーク、まだ寝てなかったの?」
「うん。眠れなくてね。」
「そうなの? 私はもう眠くって眠くって仕方ないよ?」
そう言ってソフィアは欠伸を一つした。そして目をこすりながらベッドに近づき、飛び込む様にして横になった。
「寝ないの?」
ソフィアが顔だけこちらに向けて言った。
「そうだね。僕もそろそろ寝るとするよ。」
僕はソフィアが横になっている反対の方からベッドに潜り込んだ。ベッドに入ると、体はとうとうまともに言うことを聞かなくなり、瞼は意識する間も無く閉じられた。
「おやすみ。」
「うん、おやすみ。」
横からすぐに寝息が聞こえてくる。僕と同じ様にソフィアも疲れていたようだ。僕の方も今度はようやく頭も休む気になったようだ。思考がどんどんゆっくりになっていき、そして遂にそれは動きを止めた。
夜闇の中には二つの静かな寝息と夜鳥の鳴き声が響くだけになった。
 




