2-8.外の世界
「嫌。」
エミィはその拒絶の度合いを示すかのように首を強く振る。こちらから体を反らし目線を合わせようとせず、全く話を聞き入れてくれる状態では無かった。
「嫌っ! 私、もうあそこに行きたく無い!」
エミィがこうなってしまったのには理由がある。元々の原因は半年前の事だ。レグル派の司教、クラインから一通の手紙が届いた。その中には俺とエミィに向けた「舞踏会」の招待状も一緒に入っていた。手紙の内容によると、この舞踏会というものは、クラインが主体になって計画したパーティーらしい。建前的にはオルトラムの更なる団結の為の、王城で開かれる会だが、クラインの真の目的は人間の中に吸血鬼を参加させ、他の貴族に理解を呼び掛けることらしい。これに王様も何故か了承している。おそらく、王様はこの機会に途中報告としてエミィをある程度見定める為に許可したのだろう。
こちらとしてはいい迷惑だったが決定している事には逆らえず、その舞踏会に行くことになった。その時はまだ、エミィも初めて行く外の世界に目を輝かせて付いて行ってくれた。
果たして、そこに待っていたのは夜の間に太陽の代わりを任せられる程の煌びやかなシャンデリア、華やかな服装の貴族達、優雅な音楽、色とりどりの豪華な料理、そして柱の裏で話され微かに聞こえる陰口、珍しい動物を見るような視線、直接叩き付けられる毒舌と皮肉だった。
その結果、クラインの目的の成否はともかく、エミィ自身は外の世界に対して若干の恐怖を抱くようになってしまった。
これが今のエミィの状態の理由である。クラインの配慮が足りなかったのか、彼女を憎む者の呪詛が効いたのか、今も彼女は自分の殻に閉じ籠もり続けていた。
「いくら嫌がろうと、結局行かないとならないんだ。さっさと諦めろ。」
「行かないって言ってるでしょ! 一人で行ってよ。私は行かない。」
エミィは先程から部屋の中で光は届いていないにも関わらずフードを被り、まともに話を聞こうとしなかった。
「エミィ。今回はこの前とは違う。お前と同じ奴が来るそうだぞ。」
「同じって?」
「レグル派の人喰いの子供も今回のには参加するそうだ。もうお前だけが注目されることは無くなるぞ。」
「……でも、」
「お前と同じくらいの子供らしい。男の子と女の子の二人だそうだ。」
俺はエミィの興味を唆らせるように言った。この情報はエミィの琴線に触れたらしく、ようやくフードから少しだけ顔を出した。
「本当に?」
「本当だ。」
「……」
どうやら興味を惹けはしたが、後一押し足りないらしい。
「エミィ。レイリー達も待ってるんだ。だから――」
「じゃ、じゃあ、一つお願いを聞いてくれない?」
「何だ?」
「私がちゃんと舞踏会に行ったら、……私を街に連れていって!」
「……外に出るのは嫌じゃなかったのか?」
「舞踏会に行くのは嫌。そうじゃなくて私は市に行ってみたいの。」
先程の外套を被り丸まっていた時と打って変わってその眼差しはこちらの目線とぶつかり、こちらの言葉を足場に自分の願いを無理矢理押し通そうとしていた。もしかすると自分の要望を通す為に猫を被っていたのかも知れない。だとしたら随分と小狡い性格になったものだ。レイリーあたりが教え込んだのだろうか。
俺はエミィの願いを聞く利点を考えた。勿論唯一のものとして、この問答がすぐに終わること。
欠点として、こいつが街の中に出たと知れたら非常に面倒なことになるだろう。街自体が混乱に陥る可能性があり、最悪の場合、保護者不適格として自分の手元からエミィが引き離される危険もある。それは俺にとっても、こいつ自身にとってもデメリットが大き過ぎる。個人的にこの少女は早く離れたい存在だが、近くにいることで発生する利点は変えられないものだ。一時の感情で犯していい危険ではない。
「……」
少女の視線はずっとこちらを捉えたままで離さない。俺はまた暫く考えて、
「……良いだろう。街に連れて行ってやる。」
「本当に?」
「ただし。」
「ただし?」
「街の外に行くというのは誰にも喋るな。レイリーにもだ。もし喋ったようだったら、この約束は無しだ。」
「本当に良いの? 約束よ?」
「お前が約束を守ったら、な。」
「勿論、守るよ。絶対!」
エミィはあっけらかんと俺の条件を肯定した。その様子を見ながら俺は、嫌がるこの少女を引き摺ってあの場所に行く恥よりもマシだ。と心の中で思った。
俺とエミィを乗せた馬車は街灯が照らす聖道を走っていた。この馬車は憲兵団にある物でも一番良い物で、外の塗装も揺れの小ささも何時もの馬車とは随分違っていた。外用の物なので当たり前といえば当たり前だが。
ちらりと隣に目を向けるとそこには子供用のドレスを身に纏ったエミィがいた。そのドレスはクラインが商人に用意させた大量のドレスの内、レイリーが中心になって選んだ一つだ。更にいつもは下ろしているだけの髪をレイリー達がそれらしく整えてある。これなら舞踏会に混ざっても分かりやすく浮く事は無いだろう。
そのエミィは先程からずっと窓から外の馬車に走り抜かれる景色を眺めていた。目線の先の街灯は眩しくないのかと不思議に思ったが、吸血鬼は光に弱いのではなく、太陽に弱いのだとエリオットが言っていた事を思い出した。
実を言うと、彼等の体に害があるのは太陽の直射日光だけらしい。薄い布に透かした光を当てると吸血鬼は火傷をするが、それ以外の地面に反射した太陽光などを浴びても何とも無く、硝子を通しても無害となる。更に意外なことに鏡に反射させた光を当てたとしても何の反応も無いらしい。多少は眩しいと感じるらしいが他は人間とのあまり変わりは無い、だそうだ。
憲兵団本部を出てからエミィはずっと外を眺めていた。他に何をするでもなく、ずっとだ。今からの舞踏会を目の前にして憂鬱になっているのだろうか。それとも、ただ街を見ているのだろうか。こちらからでは表情が確認出来ない為、どちらなのかは分からない。しかし、ある程度は観察してきた身として、この少女ならばおそらく後者だろうと想像した。
馬車が王城へ着くと、そこには見覚えのある影が入り口で待っていた。俺は馬車を降り、その人物の元へと歩く。
「お久しぶりですね、ローガン。エミィちゃんもお久しぶり。」
「こ、こんばんは。」
エミィは詰まりながらクラインへ挨拶をした。クラインの方はいつもの祭服ではなく舞踏会らしいタキシードだった。
「おやおや、ローガン。貴方は舞踏会だというのにまたその軍服ですか。たまにはそれ以外も着てみたらどうです?」
クラインの視線が少し下へと向けられる。呆れた、という様子だった。
「この服着ているからといってマナー違反という訳じゃないだろう。これも立派な正装だ。」
「そういう事ではなくてですね。」
「それにタキシードを着るのは、お前が着るくらいにしっくりこない。」
「酷い事を言いますね。妻が誂えてくれた物だというのに。」
「お前に似合っているのはいつもの祭服だけだ。」
「それは妻にも孫達にも言われました。……おっと、私の孫達を紹介しなければね。」
クラインは後ろを向いて先程から自身の背の後ろで待っていた子供二人に目を向ける。その二人の目線は先程からクラインの背後の方から俺に向けられていた。その二人はクラインに促され前へ出て来る。
「初めまして。ローガン・グレイラン様。クライン・シンクロードの孫の、ルーク・シンクロードと言います。」
「……ソフィア・シンクロードです。」
元気に挨拶した子供は金髪と祖父と同じ若草色の目が特徴的で、着ている服は少し背伸びをしているように感じる子供用の大きさの燕尾服だった。物怖じしない性格の様で、クラインに促されると待っていましたと言わんばかりに前に飛び出して、こちらと視線を合致させていた。
対照的だったのが後に挨拶した少女で、クラインの背後から連れ出された彼女は、今度はその銀髪と碧眼をルークの背中に隠していた。しかし好奇心は旺盛らしく、隠れながらもちらりとこちらを盗み見ていた。
「ローガン・グレイランだ。よろしく。」
俺は二人に手を差し出す。ルークはまるで誰かに取られてしまうと思っているかのように素早くその手を取った。少女の方はクラインの後ろに戻っていた。
「エミィ、お前もだ。挨拶しろ。」
しかし、エミィは背後から動こうとしない。このような服装の人に苦手意識が出来ているのだろうか。
「ほら、早く。」
いつまでも前に出ないエミィに俺は苛立ち、エミィの首根っこを掴み、無理矢理前に出した。
「わっ! あ、ええと……エミィです。あの……よろしくお願いします……」
「はい。よろしくお願いしますね。エミィ。」
ルークが子供の顔に見合わない紳士的な笑顔で言った。かなり幼い筈なのに貴族の基礎がしっかり出来ているようだ。きっとこの世界の礼儀の大切さを理解しているのだろう。反対にレイリーに教え込まれたマナーは緊張で何処かに飛んでしまっているエミィは、もう耐え切られないと言うようにまた背後に隠れてしまった。
「その二人は兄妹なのか?」
俺はクラインに子供二人を見ながら疑問を口にした。
「いいえ、従兄妹ですよ。ですが、いつも一緒にいてとても仲が良いものですから、よく兄妹に間違われますけどもね。」
クラインはルークとソフィアの頭に手を置いた。
「はい! よくソフィアと一緒に爺様の話を聞くんです。だから今日は貴方に会えて本当に嬉しいですっ。」
ルークは目を輝かせていた。それは自分の苦手とするもので、思わず少し身を引いてしまった。
「……クライン。一体どんな話を聞かせているんだ?」
「おや、勘違いしないでくださいよ? 私は街中の口伝えで広まる話と違って、この目で見た光景を話してやっているだけです。」
クラインは何の問題も無いだろう? と言わんばかりに自信げに言った。腹が立つ言い草だったが、ここで何を言っても何にもならないと悟り、顔を歪めるだけに抑えた。
「さて、そろそろ中へ入りましょう。きっと目も眩むようなご馳走が待っていますよ。」
クラインはそう言うと中へと入って行った。中からは人の話し声が遠くから聞こえていた。既に多くの人が中にいるようだった。