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聖銀と巨大都市《メガロポリス》  作者: 久野 貴文
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2-6.昔と今

 紙束が山積みにされたいつも通りの机に、朝日の優しい光が投げ掛けられていた。机の上に高く積み上がった紙束は四角い影を机の端と床に作り出し、丁度窓から望むことの出来る建物の縮図の様にも見えた。

 その建物は俺の手によって、少しづつではあるが崩されていく。その光景は日が登る少し前から続けられていた。最近は徹夜する程忙しい、と言う程ではないが、昼間から夜遅くまで起きて作業をして、更に朝早くから取り掛からなければいけないくらいには忙しかった。

 座りっぱなしの苦痛は何時間も続いた。しかしそれもいつかは終わる。永遠かと思われた解体作業により机は元の更地に戻り、俺は開放された喜びを思い切り伸びをすることで表した。

 縛り付けられていた椅子から離れる。窓から入る光の量はかなり多くなっていた。

 その時、扉が勢いよくノックされた。それは急いでいると言うより、怒りを滲ませているノックの仕方だった。

 入って良いぞ。と言うより早く扉は開けられた。そこにいたのは孤児院院長のレイリーだった。ようやく別の孤児院の出張から帰って来たようだ。

 「ローガン! 一体どういう事だい?」

 レイリーは怒りに顔を染めながら問い詰めた。喋っている間にもその足はずんずんとこちらに向かって伸びて来る。それは当然の反応だった。帰って来たら子供が一人いなくなっているのだから怒って当たり前だろう。

 「何の事だ?」

 「惚けないでくれ! エミィのことさ。お前、エミィには近づかないと言ったばかりだろう?」

 「事情が変わったんだ。レイリー、お前だってシンシアから聞いている筈だろう? エミィが孤児院に居ればこれ以上の事が起こり得ると判断した。それだけだ。」

 「だからって、あの子を孤児院から勝手に連れ去ったってのかい?」

 「そうだ。」

 俺は決して、エミィを孤児院に預けておけと言われた訳ではない。あくまで保護しろと言われているだけだ。危険があるのなら遠ざけるのは、当たり前だ。

 「あんたそれで良いと思ってるのかい?」

 「何の問題がある?」

 「大ありだよ。お前からエミィに酷い目に合わせていて何を白々しい事を言っているんだい!」

 「酷い目? 俺はエミィを殴ってもいないし、飯を与えていないなんてことも無いぞ。」

 「今までずっと独りぼっちにさせていたんだろう? 今だって独りぼっちになっているってのに、これ以上エミィが孤立したらどうするつもりだい?」

 「それが何だって言うんだ?」

 「ローガン。あんたとエミィは違うんだよ。一緒にするんじゃない。あの子はね、優しい子なんだよ。ただ皆と一緒に遊びたいと思ってるだけの子なんだ。」

 「それでこの結果だ。……俺はあいつに何か起きても困るし、何か起こされても困る。」

 「それであの子をずっと独りぼっちにさせるつもりかい?」

 「それは孤児院でも変わらんだろう。それにだ。お前、エミィが起こした事を隠していただろう。シンシアが洗いざらい喋ってくれたぞ。」

 「シンシアが?」

 「ああ、全部な。……とにかく、俺はあいつを孤児院に戻す気は無い。」

 俺はレイリーの脇をすり抜け、乱暴に閉められていた扉を開く。

 「待ちな。どこに行く気だい?」

 「俺は暇じゃないんだ。……ああ、そうだ。エミィに食事を与えておいてくれ。隣の部屋にいる。もうすぐ起きるだろう。」

 俺は少し乱雑に扉を閉め、レイリーとの会話を無理矢理打ち切った。





 厩舎には団員が二、三人いて馬の世話をしていた。その団員に馬を一頭借り、俺は憲兵団を後にした。

 馬車の波に流されながら馬を駆けさせる。まだ早朝と言っていい時間帯で朝に弱い人はまだ起きていないだろうが、そんなものは関係無しに馬車は群れを成し一直線に走っていた。その熱気に、朝だというのに汗をかきそうになった。

 聖道を走り続けるといつの間にか、豪勢な建物が多くなる。ここは王城に近い富裕層の地区で名をエイドスと言い、多くの貴族や騎士達がここで暮らしている。俺はその中でも王城の目と鼻の先、あの特徴的な赤い屋根の建物を目指して馬を歩かせた。

 その家は程なくして他の豪邸が並んでいる通りの中に見つけることが出来た。周りの豪邸に負けず劣らず、遠目から見ても分かる手入れが施された広い庭と、コの字型の建物の全ての壁にはめ込まれている、職人の意匠が込められた大きな窓とを見れば見間違える筈も無かった。

 既に日は高い所に登っているが、門番はその暑さにやられること無くこちらを油断無く睨んでいた。その門番に客だと伝えると、同じ門番の仲間が屋敷へと駆けていく。少しの時間をおいて、俺は屋敷の中に入ることが出来た。





 召使いに連れられた先にはこの豪邸に見合った、いかにも中に貴族が居そうな扉だった。それを開けると、やはりそこには若い貴族の青年がいた。青年はこちらを確認すると微笑みながら座っていた椅子から立ち上がった。

 「やぁ、久しぶりだね。ローガン。待っていたよ。さぁ、そこに座って。」

 エリオットは言いながら、応接用と思われるソファとテーブルに促した。先程まで俺が執務作業をしていた部屋にあるものと同じ様な配置だ。しかしテーブルには様々な模様が彫り込まれ、ソファは座ってみると団長室にあるものとは全く質が違う。一体いくらする物なんだと何時もながらに思った。

 「どうだい調子は?憲兵団の団長は上手くいってるかい?」

 「何時までも暇にならないから、いっそ文官でも雇おうかと思っているところだ。」

 「はは、そうかい。じゃあ、今日は人を雇う為にここまで来たってことかな? 良ければ僕でも良いよ。最近は暇で暇で仕様がないんだ。」

 エリオットは召使いに注がれた紅茶を飲んでそう言った。

 「何だ? 王城は今やることは無いのか? こっちは吸血鬼の事件で手一杯だぞ。」

 「そうだね。街の中は大変みたいだけど、外の方は何も動きが無いからね。……まぁ、最近に限った話じゃないんだけどね。」

 「それならこっちを手伝って欲しいな。騎士団のせいでこんなにも街中に入り込んでいるんだから、それの後始末くらいはやって欲しいもんだ。」

 「まぁ、どれだけ忙しくても街の中じゃ騎士団と憲兵団は仲が悪いから、手伝うことは無いだろね。まったく、外じゃ騎士団と灰ネズミは仲が良いのに、何でこうも違うんだろうね?」

 「中じゃあ仲良くする必要が無いからな。それに下手に手を出して干渉するのも問題がある……はぁ、誰かこの仕事をさっさと引き継いでくれる奴はいないのか。俺よりも適任はいる筈なんだが。」

 「それはどうかな? 少なくとも街中では、君は適任だと言う声は一番大きいよ。」

 「止めてくれ。これが一生続くなんて、想像しただけでも寒気がしてくる。」

 「人を纏める仕事は大変だからねぇ。……そういえば、あの子は今どうしてるの?」

 「あの子?」

 「吸血鬼のあの子さ。確か、エミィって名前だったよね。」

 「ああ、つい最近やらかしたばかりだ。」

 「何かしてしまったのかい?」

 エリオットは首を傾げる。俺は彼に太陽の光を浴びた件について簡単に話した。

 「……それは、何と言うか、不思議な話だね。自分の事を全く理解していない吸血鬼、か。確かに、周りに同族が居ないまま育った吸血鬼というのは他には無いケースだね。」

 エリオットは顎に指を持っていき考え込み始めた。

 「……それで、俺が今日ここに来たのはそれのためだ。」

 「と言うと?」

 「クラインに、あの吸血鬼に人間の事を教えろと言われたのは話したよな?」

 「うん、君は面倒がっていたね。」

 「俺はまだ早すぎるからもっと時間が経ってからで良いと思っていたんだが……勘違いだった。何も言わず、何も教えていないとこんな馬鹿な事をしてしまうんだと今回の件で十分に理解させられた。……それどころかあいつはどうも、自分を人間とあまり変わらないと思い込んでる。」

 「それで、どうするつもりなんだい?」

 「あいつに自重させる為に、人間と引き離す。それから吸血鬼について教える。そして勘違いを正す。そうしなきゃ、あいつは今度は何をやるか分からん。今回は只の自滅だが、今度これよりまずい事をやってしまえば、どこがどうなって誰がどうするのか全く予想が出来ない。……悪いことになるのは確かだがな。」

 「それは君が抑えられるんじゃないのかい?」

 「限度がある。その気になればあいつらは扉と言わず壁を壊せるからな。そうなったら俺は追いかけることになるだろうが、本気で逃げるあいつ等っていうのは簡単には止められない。捕まえる事がほぼ出来なくなる。捕まえられないなら、殺すしか無いだろう。」

 それはあまりしたくない。思わず出そうになった言葉を慌てて飲み込む。更に仕舞い込んだ言葉を頭の中からも消し去ろうとする。その言葉は言ってはいけないことだったし、それに今迄に自分がやってきた事と正反対過ぎるものだったからだ。

 「そうなる前に、あいつに人間の常識を教えなくちゃならない。そして、自分が大火事の火種になり得るということを自覚させたい。……その為に、エリオット、お前が教師をやってくれないか?」

 「僕が、かい?」

 「ああ、お前が俺の知っている中で一番の適任だと思った。」

 エリオットは目線を下にやり、そして目を瞑った。

 不躾な願いだというのは分かっている。俺は従姉を殺した者の子供に得になることをやれと言っているのだ。断られて当然で、憤怒の表情で「出て行け!」と言われても何の不思議も無いことだろう。しかし彼ならば嫌々でも引き受けてくれるのではないかと俺は期待を抱いていた。

 エリオットは黙り込んだままだった。彼は確かに親しい者の死を乗り越えられる程強い人間だ。しかしそれは殺されたことを許容出来るような寛大さがあるという訳ではない。彼が何を思っているのか。いつにも増して全く分からなかった。俺はただ、答えを待ち続けた。

 「……君はこの件を出来るだけ先延ばしにしようとしていたように見えたんだけどね。」

 「十分先延ばしにしていたさ。予想よりも引き延ばせなかったがな。」

 「いやいや、そんなことは無い筈だよ。話を聞く限り、君は全部無視して、その子を孤児院に預けたままにしても良かった筈だろう?」

 「それはお前の勘違いだ。無視することは出来ない。そうしたら、もっと面倒なことになるのは分かりきっている。」

 「本当かい? 本当にそれが君にとっての一番良いやり方かい? 君なら寧ろ無視した方が話が簡単になるんじゃないのかい?」

 「……」

 「なのに君はそれをしない。何故? その子はまだ他に、何か目に引くものを持っているのかい? 教えてくれよ。あの子のことを。それくらいなら聞いたって良いだろう? それを聞いてみないことには、僕は判断出来ないよ。」

 エリオットの目がこちらを覗き込む。体は前のめりになり、言葉の一つも聞き逃すまいとしていた。

 「お前が聞きたいような、変わった何かなんてあいつには無い。俺はあいつのことを完璧に知っているなんてことは無いが、あいつは至って普通だ。」

 「普通?」

 「ああ。きっと吸血鬼じゃなければ何の問題も無く生きていけただろうな。……それに俺はあいつに情をかけているつもりなんて全く無い。」

 「そうなのかい?」

 「ああそうだ。」

 「本当に何も無いのかい?」

 エリオットは疑う様に繰り返し聞いてくる。

 「強いて言うなら……少し、思い出した。」

 「何をだい?」

 「二十年前に会った吸血鬼のことだ。あいつは太陽の光を受けて、焼かれ続けながらも戦っていた。そして、エミィと同じ様に、人間と生きたいと言っていた。……そういう奴がいたことを思い出した。」

 人間との暮らしに執着しているという点では、あの吸血鬼とエミィは根本的な考えが似ていた。そしてどちらも何故か人間の味方がいた。

 「……その吸血鬼はどうなったんだい?」

 「分からん。殺そうとしたが、逃げられた。」

 「へぇ、君が取り逃がすなんてあるんだねぇ。」

 珍しいことを聞いた、という顔をエリオットはした。

 「だが、それだけだ。そいつのことは今まで忘れていた。やっぱりお前の気のせいだよ。俺はただ何かされるのは困るから、孤児院から引き離しただけだ。」

 「……それなら、変わったのは君の方なのかな?」

 「……俺が?」

 「そうだよ。だって君が前線を離れて、もう九年だろう? 何かが変わっていたって不思議じゃないさ。」

 「俺が、変わった?」

 「自覚は無いのかい? よく考えてみなよ。五年前だって、君はあの子を殺さなかっただろう? ……ローガン。君は彼等を殺す事に、いや、彼女を殺す事に、躊躇いを覚え始めているんじゃないのかい?」

 「そんな訳無いだろう! ……俺のことは、今は関係無い。今はお前が教師をやってくれるかどうかという話だ。」

 「良いよ。」

 話を引き伸ばしていた割には、答えの言葉はすぐに出た。また誤魔化すものとばかり思っていた俺は、軽い驚きを覚えた。

 「……随分とあっさり決めるんだな。」

 「断る理由も無いし、それに興味があるからね。寧ろこちらからお願いしたいぐらいさ。君が教えてくれないなら……君も分かっていないなら、僕自身が行くさ。」

 エリオットは平然と言ってのけた。

 「本当に良いのか?」

 「問題無いよ。それに言っただろう? こっちは暇なんだよ。」

 彼はそう言って笑った。つくづく出来ている人間だと思う。その胆力は中々真似出来ないものだ。それを少し羨ましく思った。自分に少しでもそれがあれば、この心にずっと溜まり続けるこれをすっぱり取り除いてしまえるというのに。

 彼は、もう重要な話は終わっただろう? と、昔話の詳細を求めてきた。俺は教師を引き受けてくれた彼の願いは無視出来ず、古い記憶を掘り起こしながら二十年前のあの吸血鬼を語るのだった。

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